君がこれを見ることは、もしかしたらないのかもしれない。





Phantom Magician、115





ハロウィンが明けてすぐ次の日は、昨日の喧噪が嘘のように静まりかえっていた。
普通、休日ともなれば私服の生徒が溢れ、笑いさざめく声が聞こえてくるものなのだが。
流石に、どんちゃん騒ぎが応えたらしく、皆、今日は怠惰に一日を送ることに決めたらしい。
がしかし、だ。


「よし。試運転も済んだことだし、最後の仕上げといこうか!」


何事にも例外というものがある。


「試運転、ねぇ……」
「さ、最後の仕上げって、今……?」
「もうてっきりできあがりだと思ってたけど」


僕たち悪戯仕掛け人は、夕刻も迫った時間に、空き教室を陣取って集合していた。
ハロウィンで疲れ果てている周囲の人たちとは、全く別の意味で疲労している僕たちの中で、 一人完全に別の世界に行ってしまっていたジェームズだけは、元気一杯である。
いつもなら嬉々として応じるはずのピーターだが、
流石に今はそんなジェームズに恨めしげな声が出るのを止められなかったようだ。

というのも、僕とシリウスはピーターの頼みで、 彼と共に今日一日を使って、捜し物をしていたからだった。
おまけに成果もなく、そんな状態でそんなことを言われても素直に応じかねるといったところだろう。
ただの捜し物であったなら、まだ良い。
しかし、少しも「ただの」ではないので、ピーターは今、危機的状況にあるのだ。
なんと、ピーターは昨日のハロウィンで豪快に転んで頭をぶつけ、その際、杖をなくしてしまったのである。
杖のない魔法使いなど、それはただのスクイブ以下だ。
当然、そのことに翌朝気づいたピーターは傍目にも真っ青な顔で助けを求めてきた。
親友の助けを断る僕たちではないが、しかし、その時ジェームズだけは捜索に参加しなかった。
正確に言えばできなかったのである。


『リリーが……僕のリリーが……』


何故なら、その時我らが悪戯仕掛け人のリーダーとも言うべき青年は、 ピーター以上に顔色をなくしていたのだから。
いや、その時というか、ハロウィンの夜から、というか。
どうにかこうにか彼主催の『とシリウス仲良し大作戦(笑)』が成功したと思ったら、 喜ぶのもつかの間、 彼の思い人であるリリーが女子寮で倒れていたという知らせが飛び込んできてしまったのだ。
それも、面会謝絶。
極度に衰弱しているらしいなどという噂まで広まる始末である。
当然、リリー命と公言して憚らないジェームズが黙っているはずはない。
凄まじい勢いで医務室へ駆け込んだのだが、マダム ポンフリーに無情にも撃退されてしまった。
その後、彼はありとあらゆる手段でリリーに逢おうとしたのだが、 マダムの城である医務室で彼女に敵うはずもなく。
最終的にはの、


『寝込んでる顔を男に見られたい女子がいるかボケ。完璧に嫌われるぞ』


の一言でジェームズは撃沈した。
以来、一睡もせずに部屋でぶつぶつ呟いていたのである。
とてもではないが、一緒に杖を探してくれ、などと言える状況にない。
そして、そんな彼が復活したのは、つい先ほど。
食事すら取っていないという話を聞きつけたが寮の部屋を訪れて、 リリーなら大丈夫だと請け合ったことによる。
彼は、目の下に隈を作って見るからに憔悴しているジェームズを見ると、 なんとも言えない表情カオになって肩を竦めた。


『どいつもこいつも……リリーなら大丈夫。ちょっと休めばよくなるってさ』


と、そんな彼のあっさりした様子に、さっきまで死んだようだったのが嘘のような勢いで、 ジェームズは猛然とに詰め寄った。


『なんで君にそんなことが分かるんだ!誰も彼女に逢えてないのに!!
マダムだって僕が訊いた時にはなにも教えてくれなかったっ!』
『そりゃあ、そうだろう。ただでさえジェームズはマダムの中でブラックリスト入りしてるのに。
恋人でもなんでもないのに教えてくれる訳ないじゃないか』
『じゃあ、君になら教えてくれるって言うのか!?』
『そこはホラ……非常事態ってことで?』


てへぺろ☆とか、訳の分からないことを言っては舌を出した。
……どうやら彼も実力行使に出たようだ。
あのマダムが病人に関して例外を認めるなんてダンブルドアくらいしかないはずなので、 恐らくは不法侵入をしたに違いない。
そのことが分かったのか、ジェームズは更に鬼気迫る表情で「素人の君になにが!」だの、 「リリーの寝顔を見るなんて、許すまじ!」だのなんだの、そりゃあもう喧しいことこの上なかったが。


『なに?ジェームズは僕のことが信じられないって?』
『〜〜〜〜〜っ』


苦笑しながら無邪気に首を傾げられた瞬間、彼にしては珍しいことに全面降伏したのだった。
恨めしげな様子も、悔しげな様子も隠すことなくを睨み付けながらも、 リリーの病状を事細かに訊くことと、 後でジェームズが心配していたとリリーに伝えて貰うことで折り合いを付けたのである。


『良いかい? く れ ぐ れ も !僕がすっっっっっっごく心配してたって伝えてよ?』
『はいはい。ついでにリリーが好きな花もジェームズからってことで渡しといてあげるから』
『!』


その一言でころっと機嫌を直すあたり、ジェームズも大概現金だ。
そして、と別れた後は、それまでの鬱状態を取り戻すかのようにハイテンションだった。
流石に鬱陶しくなった僕たちが無言で黙らせたくらいである。
がしかし、一度黙らせたくらいで大人しくなる人間でもなく、 彼は僕たちを連れてこの空き教室へやってきたのだった。

そして、おもむろに取り出された真新しい羊皮紙の切れっ端……。
それを勿体ぶって机の上に広げると、ジェームズはちっちっちと指を振ってみせた。


「分かってないなぁ。これでできあがりだなんてとんでもない。
これだけ素晴らしい物を僕たちが作ったっていう証明がいるじゃないか。
いや、この場合、必要なのは署名かな?」
「はぁ?署名??」


得意満面なジェームズの表情カオに、シリウスは困惑顔だ。
かくいう僕も多分彼と似たり寄ったりの表情カオをしていることだろう。

便利な道具には違いないが、これは抜け道等を網羅した悪戯グッズである。
そこに署名するということはつまり、それが教師陣に見つかってしまった場合に、 一発で関与がばれてしまう危険性があるのだ。
使う人間側に杖をうっかりなくすような人間がいる以上、それは極めて危険と言わざるをえない。
そのことをそれとなく(ピーターを傷つけないように)指摘すると、ジェームズはこっくりと頷いた。


「確かにね。本名で書けばそういう危険性もあると思うよ」
「本名って……」
「なんていったら良いのかな?愛称ニックネームというか……うーん。ペンネームみたいなもの?
仲間内だけで通用する名前を決めて署名すれば、誰かは分かんないんじゃないかな?」
「それって……い、意味あるの??」
「もちろんさ!教師陣には誰か分からなくても、そう名乗る誰かが作ったことを伝える必要がある!
これは既製品なんかじゃなくて、僕らのオリジナルだとね。
ホラ、芸術家が自分の作品にサインするようなものだよ」
「へぇっ!」


なんだか凄い力尽くの主張に、ピーターがさっきまでの不満も忘れたように瞳を輝かせているが、 一方僕とシリウスは呆れたようにお互いの目を見交わしていた。


「いや、こんだけ詳しい地図、既製品な訳ねぇだろ」
「っていうか、発想が芸術家っていうより犯罪者のそれだよね。怪盗なんちゃらここに現る!みたいな?」
「ある意味、芸術家気取りなんじゃねぇの?それ」
「嗚呼、なるほど。確かに一理あるね」


お互い苦笑を禁じえなかったのは、こんな感じで変に熱い主張をするジェームズには、 下手に反対をすると面倒だと知っているからだ。
諦めの境地とも言える。
まぁ、あとは、多少の悪戯心が働いたのかな?
別に僕たちは完全犯罪をしたい訳じゃないからね。


「で、一口に愛称って言っても、どんなものを考えているの?ジェームズ」


友人のネーミングセンスを疑っている訳ではないが、 あまり変な物を付けられても、呼ぶのは自分たちだ。
それは困るので、とりあえずそう言って先を促してみる。
すると、ジェームズは待ってましたとばかりに、自分で考えたそれを披露した。


「実は自分用に色々考えてみたんだけど、一番気に入ったのは、 『プロングズ』かな!ね、ね、どう思う!?」
「『枝分かれプロングズ』?それはまた……見たまんまだね」


その意味するところがあまりに明快だったので、笑うしかない。
だが、しかし、同時になるほどと妙に納得もした。
彼の変身後の姿を現したその言葉は、彼が何に変身できるか知る人間にしか理解できないのだ。
つまりは僕たちだけ。
これだけ分かりやすい言葉もないだろう。

瞬時にそれらを悟ったのか、シリウスも口笛を吹いてそれを支持し、 「じゃあ、俺は『パッドフット』とでも名乗るかな」と口の端を持ち上げた。


「ぷっ!『肉球パッドフット』かい!?随分とまぁ、可愛らしい名前じゃないか!」
「それだけに、誰も俺だとは思わないだろ?」
「違いない!ははっ!まぁ、本人が良いんならそれで良いんじゃないかな?」


愉快そうに笑う彼らに、ピーターもつられたのか、うんうんと自分の愛称を考え出した。
そこに、杖をなくして見つからないという、あの悲壮感はどこにもない。


「…………」


思わずジェームズを見ると、なんでもないような表情をした後、 彼は口元に指を立ててニッと軽くウインクをしてきた。
……まったく。
こういうところが、曰く「敵わない」ところだ。
確かに、魔法を使っても呼び寄せられなかった杖など、見つかると期待するだけ無駄というものだ。
それよりはさっさと頭を切り換えてしまった方が良い。
もちろん、大事な杖なので愛着もあるだろうが、ピーターの場合なくすのが初めてでもないので、 両親もきっと諦めて新しい杖を買ってくれることだろう。

折角気分転換(?)中のピーターに水を差すのも悪いので、僕はその話題に素直に乗ることにした。


「その流れでいくと、やっぱり変身した姿が良いのかな?
となると僕は……うーん。血濡れた牙ブラッディファングとか?」
「物騒な上に、それ、ハグリッドの犬と被ってるよ。リーマス」
「あれ?そう?」
「目が笑ってねぇぞ、リーマス」


多分に自虐の籠もったその言葉(愛称というよりもはや僕にとっては蔑称である)に、 シリウスが顔を引きつらせる。
と、一瞬で重くなった空気を払拭すべく、ジェームズが慌てて間に入った。


「え、えーとうん。それもそれで格好良いとは思うんだけど、
なんていうか、リーマスっぽくないんじゃないかなっ。
あ、そうだ!『ムーニー』なんてどうだろう!?」
「ムーニー?」


それは月を表す言葉だ。
確かに人狼とは切っても切り離せないものなのだが、その発想はなかったので目を丸くする。
てっきり狼の特徴を表す、牙だの爪だの固い毛だのが来るだろうと思っていたのだが。


「そ、そうだな!おう、お前の雰囲気に似合ってるぜ、リーマス!」
「うううう、うん!やっぱり、狼って言ったら月だよね!」


と、困惑する僕とは違って、他の二人は壊れたおもちゃのように何度も頷いていた。
(別に脅したわけでもなんでもないのに、ねぇ)
がしかし、あまりしっくりもこなかったので、言い出しっぺに目を向ける。


「どうしても諦めきれずに学校に通おうとする人狼が『夢見がちムーニー』じゃない訳ないだろう?」


くすり、と笑みを含んだ瞳を返すジェームズ。
もっともな言葉に、僕も苦笑を浮かべることしかできなかった。







やがて、ピーターの愛称も彼の変身後の姿にちなんで『虫のような尻尾ワームテール』に決定し、 ついでに、この地図を本来の用途以外で使おうとする人間(ようは教職員などだ) に対して告げる侮蔑の言葉等を、それぞれが考えて地図に記すなどした後、 じゃあ、署名するかという段になって、ジェームズは僕たちを手で制した。


「ちょっと待った、諸君」
「あ?なんだよ?『プロングズ』」
「いや、実はね。もう一人ここに名を連ねるべき人がいると僕は思うんだよ」
「「「…………」」」


沈黙する僕たち。
それは、ジェームズの言う人物を考えているからではなく、 その人物に心当たりがありすぎたからだ。


「……彼かい?」
「奴だな」
「〜〜〜〜っ。は悪戯仕掛け人じゃないよっ!」


悲鳴のような声でピーターが叫んだ。
その言葉に間違いはない。
幾らジェームズと仲良くなろうとも、それとこれとは話が別なのだ。
がしかし、この地図の製作に彼が大きく関わっていたことも事実である。
というか、試運転だかなんだかは知らないが、最初にこの地図を使ったのも彼なのだ。
そのを除け者にすることに抵抗感がないと言えば嘘になる。


「まぁまぁ。細かいことは良いじゃないか☆」
「良くないよ……」
「この間まで絶縁状態だったのに、いきなりそんなに仲良くは無理なんだが……」
「っていうか、これ、そもそもはを見張るためのものじゃなかったかな。
この前の試運転?の時もちょっと思ったけど、彼にそんなに頻繁に使わせても良いの?」


でも、やっぱり、ここに署名をさせるのはちょっと……と、三人三様に難色を示すと、 あらかじめそれは分かっていたようで、ジェームズは悪戯っぽい瞳を閃かせた。


「もちろん、基本的な所有者は僕たちで、署名ももちろん僕たちのものだけさ。
でも、本や映画なんかでもあるだろう?『誰々の協力に感謝する』みたいな、スペシャルサンクスがさ」
「お前、映画なんか観るのかよ?」
「?でないとリリーと話もできないじゃないか」



なんでもないようにそんなことをサラッと言い放ったジェームズに絶句するシリウスを尻目に、 彼はそれはもう得意そうに「そこにの名前を入れたいんだよ」と言った。
悪い考えではない。悪くはないが、しかし……。


「それ、先生に見つかったら、それこそが怒られるんじゃないかな?」


それとも本人に内緒で勝手に愛称を付けてそれを書くのだろうか。
相手の手に渡らないことなどを考えても、それでは感謝がちっとも本人に伝わらない気がする。
妙なスペシャルサンクスもあったものである。

と、曲がりなりにも提案するだけのことはあって、ジェームズも一応アイディアを述べた。


「そこはホラ。一応書くけど、目に見えない形というか。
僕たちの誰かが特定のキーワードを言わないと映らないようにすれば良いんじゃないかな」
「最初の合い言葉みたいな、か?」
「そうそう」


ここで言う合い言葉、とは、地図を羊皮紙に浮かび上がらせるために言う言葉のことである。
流石に、校内の人間の所在や抜け道が表示されるような物体をそうそう人目に晒す訳にはいかない。
そのため、普段は白紙に見えるようにちょっとした仕掛けが施してあるのだ。
細かい言い回しには拘らず、とにかく、 自分たちが悪戯を計画しているぞ!と地図に宣言すれば地図が表示されるという仕組みである。


「そこまで、する必要があるのかい?
唯でさえ、これの名前だってにあやかったものだろう?」


これ、というのはもちろんこの地図だ。
名称がないと不便だということで、いつの間にかこれには『忍びの地図』などという呼び名が付いていた。
由来は『忍者(またの名をという)のように神出鬼没のを見つけるための地図・・・』である。
着想を得たのがのおかげにしても、そこまでしてしまうと、 この地図自体がのための物のようであり、少し釈然としない。
まぁ、これは僕がいまだにに対して、そこまでの好印象を持っていないせいかもしれないけど。

すると、ジェームズはにっこりと無邪気に。
見る人が見たら裸足で逃げ出したくなるような表情で笑った。


「気分の問題だよ。それに、今まで一連のあれこれに対する僕たちなりの謝罪も込めて。ね?」
「「「…………」」」


駄目だ。これはもう梃子でも動きそうにない。
奇しくも、意図した訳ではないが盛大な溜め息の三重奏がその場に響き渡った。







僕たちは知らなかった。
に感謝することも謝罪することも、この後散々経験することを。
悪戯仕掛け人でこそないものの、なにより近しい友人となる彼女のことも。
まして。
自分たちの署名の後に書き入れたその名前が、十数年後には消え失せていることなど。
この時の僕たちは知る由もなかったのだ。





それでも我ら悪戯仕掛け人は。
君に、感謝を捧ぐ。






......to be continued