本当に、グリフィンドールの人間は馬鹿ばかり。 Phantom Magician、114 これ以上ないくらい最悪のタイミングで姿を現した相手に、 僕はあるまじきことだが、頭が一瞬真っ白になってしまった。 こいつの前でそんな醜態を晒すことも、隙を見せることも言語道断だというのに。 けれど、僕はそいつの前で指一本動かすことができなかった。 別に磔の呪文をかけられた訳でもないものを。 どうして、動けない? 奴はいつものように威圧感を放つでも、殺気をのぞかせている訳でもないのに。 と、僕が凍り付いたように動かないことで、 化け物は自分からリアクションを起こすことにしたらしい。 相も変わらず喧噪に満ちた大広間で、 しかし、一人だけ全く別の空間にいるような超然とした態度の男は、 酷く取り乱した様子の僕に対し、苦笑するように口の端を歪めた。 「面白い表情だ」 言葉とは裏腹に少しも面白くなさそうな、明らかにポーズで笑みを作っているだけ。 にも関わらず、化け物は淀みなく言葉を続ける。 まるで、なにかを諦めているように。 危惧していたことが現実になってしまった、とでもいうように。 「まるで……」 「…………」 「まるでほんの遊びのつもりで付き合ってただけのつもりの女に間違って惚れちゃって、 自分さえよければいいはずだったのにどこからか相手のことなんか慮っちゃったりして、 主導権は自分が握ってたはずなのにいつの間にか振り回されるような形になっちゃって、 気がつけば相手に依存さえもしてしまっちゃって、 それまで誇りに思っていた自分のアイデンティティさえも崩壊しちゃって、 自分が違う自分に作り変えられていくように感じちゃって、 しかもそれがそれほど不愉快じゃなく思えちゃって、 過酷な人生を送ってきた自分にとって生まれて初めて体験するそんな心地よさが気持ちよくなっちゃって、 だけどその不愉快じゃないと感じることが逆に不愉快になっちゃって、 心地よさと気持ちよさに苛立っちゃって、 そんな生温い自分を許せないというような――そんな表情をしている」 「!!!!」 力なく、ただただ淡々と。 そんな風に紡がれた言葉は、しかし、恐ろしいほどの殺傷力を持っていた。 断じて、断じてそんな表情はしていない! けれど、言われた言葉のあまりの突拍子のなさに、声を奪われる。 一瞬の間も置かず否定すべきことを、しかし、そうできなかった、という事実は、 一気に僕に激しい怒りというエネルギーを与えた。 ここまでの侮辱を受けたことは未だない、という位、屈辱に体が震える。 一気に体温が上がり、ぐらぐらと目眩がするほどだった。 さっきまでまるで石のようだった拳を握り、睨み殺さんばかりに化け物を見る。 「……ざけ、るな」 「うん?」 「ふざけるな!僕をその辺の色恋しか頭にない愚かな連中と一緒にするつもりか!? 惚れる!?慮る!?この僕が!? くだらない妄想も大概にするんだな! 僕の誇りは僕だけのものだ! 他の人間の影響なんて受けることもない、唯一絶対のな!」 噛みつかんばかりに言い放つと、男は感情のない瞳で僕を見た。 それは、男が今まで僕に見せたことのないものだ。 悪意も、好意も。もちろん厚意もそこにはない。 ただ、透き通らんばかりの美しさだけが、そこにはあった。 がしかし、それも瞬きする僅かな間には消え去り。 いつものどこか小馬鹿にするような、嘲りを浮かべた視線を送られる。 「こんなところでそんな風に怒鳴らないでくれるかな……。 本来だったら、注目の的になるところだ。 今のはただの戯言だよ。人類最悪の、ね」 意味ありげな言葉に、とっさに周囲を見回したが、 呑気な表情をしたホグワーツ生で、こちらを見ているものは一人もいなかった。 こんな風に喧噪があれば、多少は気にするであろう所だが、そんな様子は微塵もない。 平和そのもの、といった様子に、どうせこいつがなにか魔法でも使ったのだろう、と舌打ちをする。 相も変わらず用意周到なことだ。 きっと今声を掛けてきたのも、こいつが性悪だからだろう。 「実際、そうはなっていないのだから、なんの問題もないなっ」 「僕が耳塞ぎを使ったからね。うん、これはなかなか良い魔法だ」 耳塞ぎ?そんな魔法は効いたこともないが、まぁ、名前から大体の効果は推測できる。 どこか満足げな様子の化け物を見ているのも不愉快だったので、 僕は「それで、いきなりこんなところに出て来て何の用だ」と奴に詰め寄った。 正直、こんなのに近づきたくもなかったのだが、 離れたところで魔法を浴びせられるよりも、 殴れるほど近くにいる方が逆に安全だったりするのだ。 拳銃と一緒で、魔法もある程度のロングレンジでこそ力を発揮するものである。 それに、魔法使いはマグル出身者に比べて肉弾戦には滅法弱い。 僕だって強い訳では全くないが、相手もそれは同じだろう。 実を言えば、僕の方から魔法で攻撃、ということも、 さっきのかぼちゃ男から杖を奪っておいたのでできなくはない。 (適当に『失くした』という記憶を植え付けておいたから、僕の存在がばれることもないだろう。 なにより、あいつ馬鹿そうだったし) がしかし、自分の杖でもないものでは勝手が違うので、目の前のこれに通じるかは甚だ疑問だった。 と、そんな僕の計算に気づいているのかいないのか、 奴は怯むことなく余裕の笑みを浮かべる。 「いや。中々君が行動を起こさないな、と思って様子を見に来ただけさ。 まぁ、その様子だと精神面以外では心配いらなさそうだけどね」 「……化け物に心配される覚えはないな」 内心ぎくりとしながら、平静を装う。 目を細めた奴はこちらを観察するかのように見つめていた。 自分は、奴に与えられた以上の魔力を所持している。 言わずもがな、リリーのそれだ。 化け物はおそらく、そのことを看破したのだろう。 だがしかし、命は奪っていない。 つまり、奴が最初に提示したルールは全く破っていないということだが、しかし、 この気まぐれな化け物のこと、どんな難癖を付けられるか分からなかった。 が、そんな緊張も奴にはどこ吹く風で、寧ろ奴は嬉しそうな笑みを零す。 「ふふ。順調みたいで安心したよ。 忙しい中、無理矢理来た甲斐はあったかな」 「ふん。忙しいだと?」 それは信者集めのせいか?とでもいっそ言って、相手の度肝を抜いてやりたいところだったが、 僕がこいつの情報を探っていることも握っていることも、 直接対峙する時まではバラすべきではない。 切り札とは、切るべき時に切るからこそ、効果を十分に発揮するのだ。 そして、今はその時ではなかった……。 「化け物の分際で良い身分だな」 よって、ただただ不愉快な物を見たように吐き捨てる。 すると、奴は特に僕の態度に不自然さを感じなかったのか、 「酷い言われようだ」とわざとらしく嘆いていた。 (……寧ろ僕に友好的な物言いをされるはずがないだろうに何故嘆く) 「用件はそれだけか?なら、僕は失礼させて頂きたいんだが?」 「ふふっ。失礼だなんて思ってもいないくせに」 あくまでも上機嫌のまま、奴はひらひらと旧友にでもするように手を振った。 もちろん、それに振り返す訳もなく、僕は靴音高くその場を後にする。 「あーあ。ここまで予想通りだと……泣きたくなるね」 打って変わって、その背中をほろ苦く見つめていた男の言葉を、聞くこともなく。 やがて、思い切り気分を害した僕は、無駄に浪費してしまった時間のこともあったので、 目的を達成することなくの部屋に戻った。 このままだとリリーと約束した時間になってしまう。 貴重な魔力の補給源なので、最後の最後まで100%の信頼を維持しておきたいのだ。 目的を達している間にリリーに逃げられては、僕の計画は水泡に帰してしまうだろう。 と、部屋に戻ってすぐ、扉ががちゃりと音を立てたので、 僕は慌てて表情を取り繕ってリリーを迎えようとした。 もっとも、そこにいたのは、燃えるような赤毛の監督生ではなかったのだけれど。 確かに、視界を彩ったのは真紅。それは間違いない。 けれど、それは彼女が本来身に纏う色ではなく、人工的なもの――ドレスの色だった。 襟の高い、たっぷりとした布で作られたドレスを気負うことなく着こなした黒髪の女性は、 どうやらの部屋に見慣れない人間がいたことに驚愕したらしい。 涼しげな目元を盛大に丸めると、勢いよく扉を閉ざしてしまった。 「っ!」 もちろん、不味いと思ったのは当然のことである。 グリフィンドールの人間は総じて喧しいのだ。 リリーと待ち合わせをしている黒髪赤目の男がいた、だなんて言いふらされてしまっては、 に彼女との密会がバレてしまう。 どうしても、それだけは避けなければ、と強く思った。 幸い、女性はまだ扉の外にいたので上手く言いくるめて、 どうにかこうにかの部屋へと誘い入れる。 相手は気位が高そうな人間で、知らない相手とはまともに話もしたくないのか、 なんと筆談を仕掛けてきたりした。 その淀みない腕の動きからも、実力に裏打ちされた自信が透けて見える。 正直、の友人にしては珍しい人種だと思ったが、まぁ、そんなことはどうでも良い。 問題は、どうやってこの女を黙らせるか、である。 どうやらグリフィンドールではなさそうだが、口を封じるに越したことはない。 魔法、は魔力が勿体ないので却下。 に言わないで欲しい、とリリーの時のように頼むのも論外だ。 彼女と違って目の前の女ととの親密度が分からない上に、 明らかに警戒心が強そうな相手にそんなことを言えば逆効果である。 となると、相手がさっきのことを忘れてしまうほどの強烈な記憶を与えるのが一番か。 女であれば惚れさせてしまうのが手っ取り早いのだが、この手のタイプは時間をかけて攻略していくものだ。 リリーが来るまでの短い時間ではどうにもならないだろう。 となると、残る手は一つだった。 「セブルスも知り合いかな?」 すなわち、共通の敵を作ること。 恋心以外に、これほど、女という生き物を刺激する行為はない。 群れて行動することの多い女たちがこうしてコミュニティーを維持しているのは周知の事実である。 そして、見た目も女子ウケしづらい上に、グリフィンドールとも仲が良いらしい男の名を上げると、 “巫山戯るななんでそうなるあんな奴と知り合いだなんて冗談じゃない” 予想通り、嫌悪感も露わにした表情とお目見えした。 明らかにスリザリン寮と思しき気位の高い女のことだ。 寮の恥にもなりかねない男を好いてはいないだろうと思ったが、予想以上の反応だった。 どうやら、彼女は模範的なスリザリン生らしい。 と、見下げ果てるようなその表情と顔立ちに、おや?と既視感を覚えた。 決して、この迫力満点な美女にあったことはないが、しかし、記憶にひっかかるものがある。 一瞬、なんだろうと思ったが。 やがて。 それはなんのことはない、以前同じ寮に生活していた下級生と同じものだっただけだった。 確か……オリオン、とか言ったか? 純血の名門ブラック家の人間だ。 思い出してみると、その整った容姿も、特徴的な瞳の色も、態度ですら目の前の女と重なった。 となると、この女もかの名家縁の人間なのだろうか? だとすると、その用心深さも納得である。 もっとも、今の彼女は本来隠すべき牙をむき出しにしている状態なのだが。 いっそ憎悪と言っても良いくらいの歪んだ負のオーラを感じ、 ひっそりとほくそ笑む。 これならいけそうだ、と判断し、になにかしようとしているかもしれないだのなんだのと、 あることないことを吹き込むと、女は眉間に皺を寄せて深く考え込む表情になった。 イベントに便乗して他寮に忍び込んでくるくらいなので、 に好意があるのだろうと思ったのも間違いなかったようだ。 僅かに心配そうな光を浮かべた女は、きっとこの後、そのことで頭を悩ませ、 僕とリリーのことなんて考えもしないに違いない。 ブラック家の人間は割と思い込みが激しいので、まず間違いないだろう。 もしかすると、セブルスを攻撃対象にしてくれるかもしれない。 化け物のアキレス腱の不信感を、一人でも多くの人間に植え付けるのも、良い考えだと思った。 その後、適当にブラック家の女を追い出し、自分の咄嗟に機転に機嫌が上昇したのを感じていると、 「リドル?いるかしら……?」 辺りを憚るような控えめなノックと共に、本日のメインともなるべき少女が現れた。 もっとも、メインはメインでも……メインディッシュだけれどね。 「やぁ、リリー。待ちくたびれたよ」 極上の笑みを浮かべると、少女の頬がほんのりと赤みを帯びる。 「あの……はじめまして、って言えば良いのかしら?」 「ふふ。確かに逢うのは初めてだね。でも、その挨拶はちょっと他人行儀で嫌だな」 「私も!だって、リドルはもう大切な友達ですもの」 「君にそう言ってもらえるなんて光栄だよ、リリー」 酷く嬉しそうに上気した顔で笑うリリー。 けれど、僕はもうこれ以上時間を無駄にするつもりは、一瞬たりともなかった。 「それで、リドル大事な話って……」 「ああ。僕も早速切り出そうと思ってたんだ。でも、その前に。 ねぇ、リリー?」 「なあに?リドル」 「まずはやっぱり友好の握手からじゃないかな?こういう場合」 にっこりとどこまでも人好きのする笑みのまま、僕は彼女に手を差し出す。 すると、リリーもそれに応えてか間抜けのように頬を緩ませて手を取った。 アーモンド型の深緑の瞳と、僕の真紅が交わる。 その瞬間、 「っ!」 リリーは物言わぬ彫像と化した。 昔から、他人の心を覗くことは簡単だった。 わざわざ呪文を唱えなくても、だ。 かのサラザール=スリザリンが、開心術の名手であったように。 僕はただ、瞳を合わすだけで、相手の心を掌握する。 僕は相手の大事な記憶――と言っても、僕にはくだらないものを丹念に覗いていった。 知りたいことはのこと、セブルスのこと、そして、リーマスのことだ。 日記で探り出すよりもよっぽど確かで、それでいて有意義な情報が次々と頭の中で弾けていく。 そこで分かったのは、どれもこれも一筋縄ではいかない3人全てと、 深く付き合っている人間は、どうやらこのリリーだけだということだった。 ……僕は情報提供者としてこの上ない人物を引き当てたようだ。 そして、あのピーターとやらが知らなかったが男装している理由も(大層気に食わないが)判明した。 あのリーマスとやらにそんな価値は全くない、ということも。 一気に情報を得られたことで、機嫌良く意識を現実に戻す。 「おや。失礼?」 すると、そこには僕に捕まれた手以外全てをだらんを脱力させ、 座り込んでいるリリーの姿があった。 時間にすれば、ほんの数瞬の出来事。 しかし、彼女にとっては全てをひっくり返す時間だった。 ぐったりと俯いているその顔色は長い髪が邪魔してよく見えないが、 恐らくは青を通り越して紙のように白くなっていることだろう。 ヒューヒューと、か細い息が、その唇から微かに漏れる。 「限界ギリギリまで魔力をもらったからね。 無理はしない方が良いよ?」 反対に血色よくなった僕は、心からの笑みを見せる。 と、それを、必死に顔を上げた彼女が、怯えたように見つめた。 嗚呼、心外だな。 そんな、あの化け物を見るような表情をしないでくれるかい。 「……り、りど……?」 「ふふふ。大丈夫。これ以上やったりしたら死んでしまうからね。そんなことはしないさ。 君も今までのことは全部忘れる。怖いことはなにもない。 ただ重度の貧血を起こしただけだから、すぐに元気になるよ?」 「……や…だれかっ」 「忘却」 「っ!!!」 か細い声で助けを呼ぼうとしたリリーだったが、 それより早くビクン、と魚かなにかのように一度体を痙攣させ、やがて床にくずおれた。 その様はまるで悲劇のヒロインのようだ。 僕はそんな彼女を目くらまし術で見えなくしてから、浮遊呪文でふわりと浮かせる。 の部屋で倒れられていると、猫が煩そうだからね。 幸い、他の生徒達はまだ食事から戻っていないのか、直接授業に向かったのか知らないが、 寮内に人の気配は感じない。 もっとも、変わり者がいる可能性も考え、自分も透明になると、 僕はさっさと彼女を女子寮の廊下に押し込んだ。 僕自身は女子寮に入れないが、彼女だけが行く分にはなんの問題もない。 目くらまし呪文は加減しておいたので、 その内解けて、誰かがぐったり意識のない彼女を見つけることだろう。 「しばらくは医務室暮らしになるかもしれないな。 どこかの狼男みたいに、ね」 くすり、と笑みを零し、十分潤った魔力に上機嫌のまま、 僕は今度こそ目的を達するために、再度、グリフィンドール塔を抜け出した。 「……ちっ」 がしかし、できることはできる時にやってしまおう、という僕の目論見は見事に外れた。 魔力の消費を覚悟してわざわざやってきたその場所に、お目当てのものがいなかったのだ。 「どこだ!何故呼びかけに応えないっ!!」 シューシューと他人には空気が漏れるような音にしか聞こえない独特の言葉で、苛々と怒鳴る。 僕が現役だった頃には確かに存在していた存在。 死骸がないことから、なにかの間違いで退治されたなんてことはないだろう。 ということは……? 「まさか、あの化け物に……?」 馬鹿はただ利用されていれば良いのに。 ......to be continued
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