未知の物は恐怖の対象になりえる。 Phantom Magician、113 死なない程度に魔力を搾り取ってしまえば、もうリリーは用済みだ。 潰す相手が分かっているのだから、もはやぐずぐずしているような無駄はいらない。 適当に記憶を奪って、その辺に放置しておけば良いだろう。 が聞けば顔面蒼白になりそうなことをさらっと考えて、 ああ、そういえば、と自分が今、実体化した理由をふと思い出した。 実体化するには魔力を消費するのに、わざわざを構うためだけにするか? 答えはもちろん否である。 キョロキョロと僕は周囲を見回し、目的の物を見つけると躊躇無く手を伸ばした。 ひょいと軽い手応えのそれはノートのようで。 実際の価値からすると、一見そうは見えないところがまた良いのだろう。 それは、一冊の黒い日記帳――僕の本体だった。 「実体化しないと、手にできないからね」 実体化していると言っても、完全でない今の状態では、本体から遠くには存在できない。 だが、僕がこれから行こうとしている場所は、この天高いグリフィンドール塔からは遠すぎるのだった。 幸い、今のホグワーツはハロウィンの仮装者がウロウロしているらしい。 更に言えば、基本的にこの日は部外者が来ることもあるので、 ハロウィンに託けて校内を堂々と歩くことも可能だろう。 なんて、好都合。 「しかし、仮装ね……」 自分で言うのもなんだが、僕はかなり整った顔立ちをしているので、 あまり大っぴらに顔を出してしまうと、騒ぎが起こることは必至である。 他の人間ならともかく、あの化け物とダンブルドアに存在を気取られることは避けたい……。 となると、顔を覆える仮装が望ましいのだが、 「そんなもの、ミイラ男くらいしか思い浮かばないんだよな」 あとはせいぜいシーツお化けだが、流石にそこまで幼稚なのはごめんである。 正直、僕の美的センスからするとあまりやりたくないのだが、仕方がない。 「巻け」 僕は顔中を薄汚れた包帯でぐるぐる巻きにして、大広間へ向かうことにした。 懐に自身の本体を入れ、僕は懐かしのホグワーツ内を歩く。 今までは馴染みの薄いグリフィンドール寮にしか行けていなかったので、 ようやく見慣れた風景に出会い、感慨深い物があった。 ひんやりと冷たい石造りの廊下も。 古色然とした彫刻や絵画、照明も。 ローブを着た生徒が行き交う光景ですら、妙に心地よい。 感傷などというものは馬鹿馬鹿しいと百も承知だが、 それでも、僕にとってホグワーツは替えの効かないなにかではあるのだろう。 手に入れたい。自分の好きにしたい。 その気持ちに偽りはない。 僕が完全に自分の体を取り戻した暁には、校長を追い出し、 ここを選ばれた人間だけが来ることのできる真の教育機関にしてみようか。 かのサラザール=スリザリンがそうしようとしたように。 「嗚呼、そうか。それができれば――」 ――僕はサラザール=スリザリンでさえなしえなかったことをしたことになるのか。 憧れて。焦がれて。 なによりも誇りとした、自身の先祖。 それは超えることのできない壁のような気がしていたけれど、どうやらそうでもないらしい。 ゴドリック=グリフィンドールのように、ダンブルドアが立ちはだかるかもしれないが、 所詮は全盛期を過ぎた老人だ。 「完全になった僕なら、追い落とすことができる」 なんとも楽しい未来の計画に、僕は口角をつり上げた。 がしかし、そんなよい気分も、その直後に背中を襲った衝撃で一気に吹き飛んでしまう。 ドンッ 「っ!?」「うわっ!!」 痛みはないが流石に捨て置けず振り返ると、体勢を立て直した僕と違い、 ベシャッと、それは無様に床に這いつくばっていた。 おそらくはどこかの隠し通路から出てきたのだろう、突然現れたそれは、 目に痛いオレンジ色の頭を振りながら、情けのない声を上げる。 「ごごご、ごめんよ。前がよく見えなくて……っ!」 「…………」 そりゃあ、それだけ邪魔な物を被っていれば当然だろう。 とっさにそう吐き捨てそうになったのを自制し、僕は無言で相手に手を差し伸べた。 「あ、ありがとう。えっと、君は……?」 「…………」 困ったように首を傾げられても、ひたすら無視だ。 赤と金のタイを締めた奴に名乗るつもりはない。 それも、魔法使いの命とも言うべき杖を、転んだ拍子に床に落として気づきもしていない人間になど。 と、無言でいる僕に戸惑ったのか恐れをなしたのかは分からないが、 頭に特大のジャックオーランタンを被った男は、引きつった表情で口早に言いつのった。 「ミイラ男、か、格好良いね!僕もそういうのがやりたかったんだけど、 ジェームズが、の機嫌が悪くなると困るから顔隠してろとか言ってさ……。 さっきっから転んだりぶつかったりで、もう、本当に嫌だよ……」 「?って、のことかい?」 すると、聞き覚えのある名前が飛び出してきた。 まぁ、はグリフィンドール生なので、その名前が出てくること自体は不思議ではないのだが、 こいつの顔を見ると不機嫌になるとはどういうことだろう? (っていうか、そもそもこいつは誰だ) 特に誰かと喧嘩した、等の話も聞いていなかったので、思わず首を傾げる。 確か、シリウスとかいうのに避けられているとかは言っていた気がするのだが、 その人物像と目の前のそれはかけ離れている。 どうも違いそうだ。 と、ようやく僕の反応が得られたことに、そのかぼちゃ男はほっと安堵の息を漏らした。 「そう、そのだよ」 「なんでの機嫌が悪くなるんだい?」 「え?なんでって、なんでか僕が嫌われてるからさ。 た、多分リーマスが仲良くしてくれるのも原因だと思うんだけど」 ……もごもごと口籠もるそいつに段々付き合っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。 こういう卑屈で底辺を彷徨っているような人間とは、同じ空気を吸っていたくないものだ。 僕とてそれは例外ではない。 「へぇ。じゃあ、君はをどう思っているの?」 「え?」 が、しかし。 僕は敢えて会話を続けた。 「嫌われてるって言う割には、君はそうじゃなさそうだからさ」 「…………」 やはり気になるのだ。 僕の本体を一応所有する、=という人物が。 違和感だらけのあの少女が。 同世代の人間といる彼女の姿なんて、正直想像できない。 第三者の意見が聞ける機会を、そうそう逃す手はないだろう。 と、僕の質問はなにか確信を突いたらしく、かぼちゃ男はしばらく沈黙した。 そして、やがてぽつりと「……よく、分からないや」などと呟く。 それは、いつかどこかであのリーマスとやらが言ったものと同じだった。 「分からない?」 「う、うん。あの、その、嫌い……じゃないとは思うんだ。 でも、絶対す、好きにはなれない……。怖くて」 「怖い?が??」 「うん。は……怖いよ」 あの馬鹿みたいにお人好しな女を捕まえて、こいつはなにを言っているのだろう。 まったくもって理解不能な言葉だったが、かぼちゃ男はどうやら本気のようだった。 ……ふーん? 「そう……。分かった」 「そ、そう?……ところで、本当に君だ……」 「れ?」と、男が話し終わる前に僕はそいつの目の前に男自身の杖を突きつけていた。 「麻痺せよ」 「ぎゃっ!!」 瞬く間に飛び出した赤い閃光が、かぼちゃを貫く。 その瞬間、哀れな小男は吹っ飛び、壁に体を打ち付けて気を失った。 もちろん、周囲に人がいないのは把握済みである。 「大した物は得られなさそうだけど……。 その頭の中身、貰っていくよ」 最後に浮かべた笑みを、その男が見ることはついになかった。 当初の予定を若干変更して大広間へ行くと、そこには予想通りの奇天烈な光景が広がっていた。 なんの仮装だかはよく分からないが、とにかく全員が全員、派手な格好で談笑したり食事をしたりしている。 僕の時はハロウィンやクリスマスなどの対外的な行事では、 楽団を呼んだりミュージカルを行ったりしたのだが、 流石に月日の移り変わりとともに変わる物もあるらしい。 「そういえば、演劇は永久に禁止だとかディペットが宣言してたな」 あるクリスマスの日に吟遊詩人ビードルの物語の「豊かな幸運の泉」を舞台化しようとして、 学校中を巻き込んだ大惨事に陥ったことは、僕にとって記憶に新しい。 主役が冴えない騎士だったので役を辞退したが、そうでなかったら面倒なことになっていたこと請け合いである。 女生徒の嘆きは相当のものだったが、後でやらなくて良かったと心から思ったものだ。 それに劇なんていう面倒なものを二度とやらなくて済むようになったのも、 今思えば、怪我の功名というか、棚からぼたもちというか……。 最近の部屋で覚えた言葉を引用しつつ、一昔前のことを思い出す。 すると、そうしながらも生徒の群れを観察していた僕の目に、 一際際立った集団が入ってきた。 「――で、訊くけれども、この配役のチョイスは誰がしたの?やっぱジェームス?」 「そうだよ。その様子だと大分喜んで貰えたみたいだね」 「喜ぶなんてもんじゃないよ!あたし、本気でここが現世かと疑ったもん」 いや、もう目に入ってきたというか、目に飛び込んできたというか。 いやいや、寧ろ目を攻撃されたというか。 原色の赤を基調とした服を着た連中がグリフィンドールの席にいた。 それも、目的とした少女の、すぐ傍に。 「良かったね、ジェームズ。 ここしばらく日本の漫画やら衣装のカタログやらを取り寄せてホグワーツ中にばらまいたり、 シリウスとその衣装作りとかで女子に頭を下げて回ったかいがあったじゃない」 「は?」 「〜〜〜〜〜〜〜〜!リーマス!?」 大広間にまで赴いたのは、言ってしまえば好奇心故だ。 かぼちゃ男(ピーターとかいうらしい)から引き出した記憶によると、 なんと、=は男で、不敵な笑みを浮かべる学校の人気者……らしい。 これで、が男子寮にいた理由は分かった。 もっとも、男と偽った理由は分からないが……。 しかし、僕がなによりも気になったのは、別のことである。 それは、瞳。 あの小男に向けた、親の敵を見るような苦々しげで、苦しげで、それでいて激しい眼差しだ。 普段ののほほんとしたからはとても考えられないそれに、僕は心から驚いた。 端的に言えば、彼女を見直したのだ。 ……あんな表情ができるだなんて思ってもみなかった。 だからこそ、気になったのだ。 僕に見せる姿以外の、とは一体どういう人物なのか。 友人に囲まれる彼女は、どんな表情を見せるのか。 だが。 「嗚呼、まったくもう……ジェームズってばさ……」 こんなのは、想定していなかった。 あんな。 あんな、日だまりの中にいるような、表情は。 「だって、本当のことだろう?のために同情を集めたのだって君だしね」 「いや、まぁ、そりゃそうだけど!こういうのは黙ってる方が格好良いじゃないか!」 「……ううん」 「え?」 「格好良いよ。ジェームズは……格好良い」 知らない。 シラナイ。 あんな風にワラウ人を、僕は、しらない。 「あはは!なに、惚れた?駄目だよ、僕はリリーのだからね!」 「あはは。知ってる知ってる!言われなくてもジェームズはいらねぇわー」 「あれ、僕、上げられて落とされた?」 「さぁねー。でも、まぁ、それでも世界は美しいってことで」 「つまり、ジェームズじゃあ、世界に影響は及ぼせないってことだね」 「……二人とも酷いや」 僕の前で彼女はあんな風に笑わなかった。 いや、他の誰も、僕にあんな表情を向けたりはしなかった。 信頼と友愛と誠意なんて、この世にあるはずがないのに。 彼女はどうしてもそれを思い起こさせて。 「〜〜〜〜〜っ」 心臓が、痛い。 気がつけば僕は彼女たちから背を向けていた。 これ以上、あんな光景を見ていたらなにかが終わる。 終わってしまう。 がしかし。 凄まじいまでの焦燥感に走り出しそうな足を懸命に抑え歩いた先に、 「やあ、トム=リドル」 「っ!!!」 どんな闇よりも昏い、漆黒の瞳を見た。 例えそれが、希望でも。 ......to be continued
|