昼と夜の狭間では、魔物が通る。 Phantom Magician、111 『黄昏れる』 その言葉の意味を今日ほど実感した日はないように思う。 夕日で真紅に染め上げられた窓辺でそう独りごちる。 いや、寧ろこれは『体感』と言った方が正しいかもしれない。 『体で感じる』嗚呼、正にその通りだ。 このびらびらした服ほど、自分にその言葉を感じさせる物なんてこの世にないだろう。 「……はぁ」 リーマスとジェームズに引きずられ、しかし大広間の直前で決死の抵抗をした俺は、 奇跡的にその魔の手から逃れることに成功した。 ただ、俺は気づかなかったのだ。 俺を取り逃がした後に、ジェームズの阿呆が浮かべた不気味な笑みに。 ……もっとも、気づいたところで結局はとっくに手遅れだったのだけれど。 幸い杖は持っていたので透明呪文をさっさとかけると、俺は手近な教室に飛び込んだ。 もちろん、目的はこの服を脱ぐことだ。 ただでさえ一人では着られないような形をしている上、脱げないように細工された服でも、 ビリビリにしてしまえば引きむしれるだろう。 そう考えた訳だが、もちろん世の中そう甘くはなく。 「……脱げねぇ!」 血管やら筋肉やらが盛り上がるほどの力を入れても、その服はビクともしなかった。 布地の部分はまだ分かる。 よっぽど薄い生地、とか、織り目が粗い、とかそんなものでもない限り、漫画のようには素手で破れないだろう。 だがしかし、布と布の合わせ目ですらどうにもならないのはどういうことだ!? 糸だろ!?これ、ただの糸だよな!? なんで力いっぱいひっぱってるのに伸びもしないんだよ!?なめてんのか! 「……ちっ。仕方がない」 なら、次は魔法を使うまでだ。 コントロールの未熟な奴なら服どころか肌も傷つけるだろうが、そんな間抜けなことをする俺ではない。 「裂けよ」 ちなみに、その効果は。 「……ジェームズの野郎っ」 全くなかった。 憎たらしいほど、服は無事だった。 解れもしなければ穴すら空かなかった。 ガクンっと床に膝を着く。 HAHAHA☆と笑っている奴の表情を思わず思い浮かべ、 普段であれば頼もしいはずのそれを、嗚呼、ぶん殴りたくなった。 「……っていうか殴る。絶っっっ対、殴る」 その後、自分でも自覚するほど座った目で、俺は考えつく限りの攻撃を自分の着る服に掛けまくったが、 とうとう、その服を脱ぐことも傷つけることもできなかった。 (火傷覚悟で燃やそうとしても無駄だった。耐火呪文まで完備とかどういうことだ) (後日知ったところによると、その服にはありとあらゆる防御系の魔法が、 制作者たる魔女たちによって掛けられていたとのことである。勝てるか!) 「…………。 ……………………。 ……………………籠もろう」 俺は即断した。 脱げないのなら、もう魔法の効力が切れるまで人目に触れない場所にいるしかない。 となると、目指す場所は自室である。 とっさに足を寮の方角へ向け、いや、とそこで九十度の転換を行う。 その前に、厨房だ。 食料調達しないとだな。 屋敷しもべの連中にこの姿を見られるのも嫌だったので、俺は透明なまま食事のテイクアウトを頼み、 (こういう時、こいつらが理由を深く突っ込んでこないのは楽だ) 俺は意気揚々とグリフィンドール寮へと向かった。 ……もう言わなくても分かるだろう。 ガチャ 「…………」 ガチャガチャガチャ 「…………」 ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガンッ! 当然、ドアは開かなかった。 そりゃそうだ。 これが俺でなくとも同じ状況になったら十人が十人同じ行動を取るだろう。 「……フッ。かなりムカツクが、こんなことだろうと思ってたさ」 なにしろ、敵は腐っても学年主席の眼鏡だ。 寧ろ、これがあっさり開いた時の方が、自分の目を疑ったことだろう。 奴は俺がこの後きっと苛々と寮を出て、どこぞの空き教室に身を潜める……とかを想像しているはずだ。 がしかし。 これ以上奴の思惑になんぞ乗って堪るか! という訳で、俺はジェームズの意表をつくべく、しんと静まりかえった廊下を奥へと進む。 そして、杖を構えて、ある扉の前に立った。 前にやったようにドアを吹き飛ばす気満々だったが、一応、ポーズとしてノブに手を掛ける。 すると、その手は意外にもあっきり動き、軽い音を立ててドアが開いた。 随分あいつにしては不用心だな、などと思いながら開いたドアの先、明るい日差しの差し込む中には。 「やぁ、リリー。随分早かった……ね?」 以前自分を吹っ飛ばした、黒髪美形男子がいた。 「…………」 バタン とりあえず閉めた。 「…………」 ドアノブを掴んだまま、呆然とする。 「……なんでいるんだ」 いや、の部屋なので、奴の親戚がいてもおかしくはないのだが。 そうそうホイホイ部外者を部屋に入れて良い訳がない。 っていうか、なんで本人がいないのに親戚が我が物顔でいるんだよ。おかしいだろ。 マダムだって寮にはもう誰もいないとか言ってたはずだぞ。 嗚呼、くそ、避けてる相手の部屋に隠れるとか絶対良い案だと思ったのにっ! しかも今、リリーとか言ったぞ、あいつ。ってことはなにか? エバンズと逢う約束でもしてやがったのか?家族ぐるみの付き合いなのかよ。 またジェームズが叫びそう……っていうか、 よりにもよって、なんであいつに今の格好を見られるんだ。 醜態見られすぎだろ。罠か。罠なのか。 云々かんぬん。 頭の中で自分の不運を呪う声がぐるぐると巡る。 すると、馬鹿みたいに立ち尽くしていたその時、目の前のドアが勝手に動いた。 「ああ、すみません。は今外出中なんです。宜しければ中へどうぞ?」 「い…………っ」 あり得ないほど人好きのする笑顔で優しく促され(!)、 いや、結構。そう言おうとした俺だったが、今の自分の格好を思い出して言葉を飲み込む。 態度からして、自分には気づいていないらしい。全ては衣装の絶大なる効果だろう。 がしかし、だ。 声を出す = バレる = 身の破滅。 一瞬でそんな公式が浮かんだ。 と、言い淀んだ俺をどう思ったのか、男は笑みを深めて、 丁寧な、それでいて拒否できなさそうな鮮やかな手際で俺を入室させる。 そして、あっさりと俺を向かいの椅子に座らせると、おもむろに紅茶を入れだした。 「どうぞ」 紳士の鏡とも言えそうなくらい、それは優雅な所作だった。 その場に芳しい紅茶の香りが満ちる。 音も立てずに差し出されたそれは、間違いなく最高級の茶葉を使った代物だろう。 あっさりとそんな物を差し出されてしまい、尚更席を立つのが難しくなってしまった。 難しい表情でティーカップを見つめる自分を、 にこにこと目の前の男が見ているのもあって、凄まじくこの場から逃げ出したい気分だ。 が、腐っていてもそこは名家出身。 すっと、カップを手に取ると、負けじと完璧な所作で口を付ける。 その一連の流れを見て、男の目が細まった。 「……で、君はの友人だよね?ちょっと該当する子が思い出せないのだけれど。 なんだか変わった格好をしているね。ハロウィンの仮装かい? ひょっとしてに見せに来たのかな?」 「…………」 瞳もそうだったが、その言葉もまるで自分を値踏みするかのようだった。 間違いなく、下手な対応をすると危険だ。 爽やかさの裏に、そんな漠然としたなにかを感じさせる。 いや、まぁ、そもそも下手な対応をすると俺の世間体が大ダメージなのだけれど。 ぐっと、腹を括り、俺は無言で杖を宙に向けた。 “そういうお前は誰だ” そして、踊る色鮮やかな光の帯。 「…………」 所謂、筆談である。 いや、だって声出せないのにどうやってコミュニケーション取れってんだよ!? ボディランゲージにだって限度があるだろうが。 苦肉の策も良いところだったが、幸いにも相手はじっとこちらを見るだけで、 特にその点に関してリアクションを取ることはなかった。 多分、なんらかの事情で声が出せないとか生まれつき、とかなんとか適当に納得したんだろう。 「僕は……リドル。の親戚だよ。君は?」 僅かに口籠もったものの、にっこり、と大抵の女子がころりと参りそうな笑みを浮かべられた。 生憎、こっちは女子でもなんでもないので、それは逆効果100%だったのだが。 正直、あまりに爽やかすぎて胡散臭いくらいだ。気色悪い。 “見知らぬ部外者に名乗る名前はない” そんなことを思っていると、杖から零れたのは思った以上に辛辣な言葉だった。 それに思わず、リドルとかいう男の秀麗な表情が引きつる。 「へぇ。用心深いんだね。……リリーやとは大違いだ。 ひょっとして君……スリザリンかい?」 “……ノーコメント” よりにもよって一番嫌な寮に間違われたが、ここで露骨に否定すれば、 グリフィンドール生だとバレる可能性がぐんと高まる。 それだけは避けたかったので、非常に嫌な表情をしつつ、黙秘権を行使した。 と、どうやらその表情で図星を指したと勘違いしたのか、奴のさっきまでの笑みが妖しげなそれに変わる。 「そう、なら、セブルスも知り合いかな?」 “巫山戯るななんでそうなるあんな奴と知り合いだなんて冗談じゃない” 「ふふ。そう?……なら良かった。僕も彼はちょっとどうかと思うからね。 の友人があれと付き合ってるなんてぞっとしないだろう?」 くすり、と笑った男の瞳が不気味に光った。 さっきまでの明るい日差しの似合わない鬱屈とした笑顔。 それは驚くほど目の前の男に似合っていた。 一瞬、体がなにかを知らせるように総毛立つ。 けれど、スネイプの奴を貶すその言葉に惹かれるのも事実で。 俺は得体の知れない嫌な予感を無理矢理押さえつけ、杖を構えた。 “知り合いなのか?” 「いいや?話に聞いたり、姿を見かけた位だけれどね。 スリザリンのくせにグリフィンドール生のを気遣うなんて裏があるとしか思えないだろう」 “!” その言葉に、俺は息をのむ。 今まで俺はスニベリーに構い付けるを苦々しく思っていたが。 言われてみれば、それであのスリザリン野郎がの相手をしてやる必要はないのだ。 はなにしろあの通りの馬鹿で阿呆で間抜けで、変な所お人好しだ。 もしかして……知らない間になにか利用されている? それはほんの少し考え込むに値する話だった。 と、俺が顎に手を当てて険しい表情をしているのに気づき、男は囁く。 「心当たりでもあるのかな? リリーに聞いたんだけれどね。最近、セブルスは妙な連中と付き合っているんだろう? 僕としては、に変なことに首を突っ込んで欲しくないんだよ」 「…………」 妙な連中。 スリザリンの純血主義者の中でも、過激な思考を持ってる奴らのことか。 確かに、最近のスネイプの野郎は、姿をくらませることがやたらと多くなったし、 俺たちと対峙しても、妙にあっさり逃げ出したりしてらしくない行動が増えた。 中には、奴が誰かと密会を重ねているとか言う情報もある。 奴のことだ。間違いなくその誰かは碌な人間ではない。 「あんな奴、いなくなってくれるのが一番良いんだけど、そうもいかない。 本当にこの世の中はままならないよね」 “いなくなる……?” 「そう。このホグワーツから逃げ出してくれれば最高だよね。 もっとも、禁断の森の奥深くまで行かない限り、 なかなか、そこまで恐ろしくて危険な目に学校内ではあわないけれど」 “…………” ……多分、この男の言葉を聞くのがと逢った後であれば何の問題もなかったのだろう。 と逢って、今までのもやもやに一端の区切りをつけることができた、後であれば。 だが、俺はもっとも心が不安定なこの時に、男と出会ってしまった。 一番聞いてはいけなかった時に、聞いてはいけない言葉を聞いた。 その言葉はどろりと、心の奥まで染み込んで。 深い深いその場所で、根を張る。 俺が気づかないほどささやかに。 けれど、抗えないほど確実に。 毒が、回る。 の親戚との会話をその後適当に切り上げ、 俺は結局ジェームズの目論見通り人気のない場所で身を潜めていた。 もっとも、空き教室、だなんてジェームズに覗き込まれること請け合いなので、 逆になにもない廊下の片隅を選んだのだが。 幸い、自分の透明呪文は完璧だったらしく、 きゃっきゃとまだあどけない顔をした下級生が笑いながらすぐ脇を通り過ぎていく。 偶に、持参しているバスケットの臭いでもしたのか「おや?」と首を傾げるのもいたが、 俺が大人しくしていれば、すぐに連中は離れていった。 「……はぁ」 自分は、一体なにをやっているんだ。 徐々に蓄積されていく疲労に、溜め息は重くなるばかりだった。 最初は、確かに謝るとかそういう計画じゃなかったか? なのに、なんで現状はそれから遙かかけ離れたものになっているんだ。 ……謝るどころか顔を合わせることすらも不可能になっている。 一人でいると、どうしてもの酷い表情を思い出してしまい。 でも、散々悩んだ結果謝りに行きたくなっても、この格好ではとても無理で。 結果、やっぱりあの時のことを馬鹿みたいに反芻しては後悔を繰り返している。 堂々巡りもいいところだった。 もしや、ジェームズの奴はこれを狙っていたのかと疑りたくなったのは一度や二度じゃない。 微動だにしないまま丸一日授業を無意味にサボり、< 嗚呼、窓から見える夕日がやけに赤いぜ、なんてキャラ崩壊をさせつつ思っていると、 「……シリウス?」 「!」 聞くはずのない、声がした。 思わずバッと勢いよく振り向いた先――廊下の向こうに、がいた。 仮装している連中ばかりのなかで唯一人、いつもとまるで変わらない格好で。 でも、いつもとまるで違う、どこか自信のなさそうな様子で。 「いるんだよね?そこに」 は、俺たちが最近ずっと作っていた地図を片手にそこに立っていた。 うろうろ彷徨う視線は、俺の魔法が有効なことを示している。 は、俺の姿を捉えていないのだ。その地図以外では。 の所在を把握することも想定して作られたそれを、 最初に使ったのが本人だというのは、なんて皮肉。 嗚呼、だがきっと、それを差し出した奴はきっと満面の笑みだったことだろう。 「…………」 俺は悩んだ。 ここで俺がだんまりを決め込んでいれば、 はきっと地図がまだちゃんと機能してないとでも思うだろう。 恐らく、手を伸ばして確かめることもしないに違いない。 迂闊とかじゃなくて、は、そういう奴だから。 地図が正しくて。 でも俺が返事をしないのは何故かということも、考えてしまう奴だから。 そう確信するくらいには、俺はもうこの馬鹿のことを知ってしまっていた。悲しいことに。 悩んで。悩んで悩んで悩んで。 でも、俺は何故だろう。 「……どうしよう。やっぱ見つからないよ」 情けなくて泣きそうでどこまでも頼りないその表情を見てしまった次の瞬間。 魔法を解除したことを、その後、悔やんだことは一度もないのだった。 「……なんだよ」 「……シリ、ウス?」 我ながら素晴らしいまでの仏頂面で、の前に姿を晒す。 と、未だかつて無いほど驚いた表情をされた。 目は見開かれて、落っことさんばかりである。 言葉も出てこないその口に耐えきれず、俺はむすっと口を開いた。 「笑いたきゃ笑え」 「…………え、シリウスが女装してるっていう事実に? それとも、その目に赤すぎる女王様姿のあまりの似合いっぷりに??」 「……どっちもだ」 すると、凄まじく真顔になった奴から、冷静な言葉が返ってくる。 「ごめん。似合いすぎて笑えない」 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」 ダメージは半端無かった。 その謝罪が心からの物だと分かってしまったから、尚更。 「似合わねぇだろっ!俺は男だぞ!? ましてや華奢でもなんでもねぇしっ!こんなごつい女いて堪るか!!」 「いやいやいやいや。ふんだんすぎるレースで体型なんて分かんねぇよ。 世の中には大柄な女の人もいるっつの。 っていうか、この迫力美人の背が小さかったら逆に怖いわ。 っていうか、え、ほんと、なにこれ?女のあたし形無しじゃねぇか、オイ」 はその後、こっちがうんざりするくらい、それはもう情熱的に俺の姿を褒め称えた。 曰く、こんな殺傷能力を備えた真っ赤な美人、二次元でしか拝んだことがない、と。(どういうこっちゃ) その、この間の諍いなんてまるでなかったかのような態度が。 なんていうか、酷くむかついた。 「いや、もうジェームズの割り振りは神がかってるね。 レギュラスと並べたい。んで写真撮りたい。 マジ、シリウスよくそんな格好する気に――……「――……」 嗚呼、むかつく。 苛々する。 「……え?」 お前は、自分が大事じゃないのか。 なんだって、自分が傷つけられた事実を無かったことにするんだ。 俺は多分、罵られれば。 憎まれれば、安心できたのに。 安心して、同じように負の感情をぶつけていられたのに。 そうやって、お前が俺をまるで許すように呑気に笑うから。 「……この前は言いすぎた」 この俺が、謝らなきゃいけなくなるんだ。 「だから、す…す………す!すま…………」 人生で数える程しか言ったことのない言葉。 それを、苦心しながらどうにか絞りだそうとしていると、 「……うん」 ぽん、と酷く優しい手が、肩を叩いた。 いつの間にか床ばかり見つめていた視線を上げると、そこには。 「いいよ。無理に言わなくたって。分かったから」 夕日に照らされて、柔らかに微笑む、がいた。 幸せそうに、目を細めて。 それは。 どこまでも、どこまでも、綺麗な笑顔。 「っ!」 息をのむ。 鼓動が跳ねて、訳もなく顔に熱が集まる。 肩が熱い。 こいつは、こんな表情だったか? 嗚呼、今が夕方で良かった、と頭の片隅で考えた。 「シリウス。でもね、僕もやっぱり嫌なものは嫌だったから、宣戦布告」 「僕はここにいる」 「幾らシリウスたちが僕を嫌っても、僕は君たちが大好きだから。 だから、嫌でもなんでも、傍にいるよ」 許可なんて知ったことか。 そう言うの言葉はどこまでも自己中でわがまま。 勘違いのストーカー野郎の台詞以外の何物でもない。 そうでしかないのに。 「……勝手にしろよ、」 きっと、自分はもう、嫌うこともできないんだろう、そう確信した。 誰そ彼。 ......to be continued
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