一人が好きだったはずなのに。 急にできた空白が気になって仕方がない。 Phantom Magician、104 仮に、だ。 仮にリリー以外の人間で僕のことをよく見ている人間がいたとするならば、 おそらく、その人間は僕が日々生き生きと過ごしていることに疑問を抱くかもしれない。 世間一般で言う愛だの恋だのが実った訳でもなく、 サークルに精を出すでもなく。(というかそもそも、サークルなんて所属していない) 表向きは、なんの変化もないというのに、何故こうも変わったのか、と。 まぁ、もっとも、自分の表情なんて変わっても僅かなもので、 しかも、僕を観察する奇特な人間がそういるはずもないので、この変化は僕しか実感していないだろうけれど。 僕は多分、別人のようになっている。 あれと話をするようになった前と後では。 金の髪に、闇色の瞳。 まるで天使のような美貌の青年は、僕に言った。 『僕の手を取ってごらん。きっと世界が変わるよ』 そして、それは真実だった。 くだらないと信じてやまなかった世界。 リリーと出逢ったことで色づいたそこが、奴との出逢いで、輝きだした。 陽光に照らされるようにキラキラとしたものではなかったけれど。 月明かりで仄白く浮かび上がる、夜道のように。 奴は、様々なことを語った。 僕の知らない闇の魔法。 咄嗟の場合の、対処法と予防法。 世界の常識。 魔法使いとマグルについて。 「今のまま純血に拘っていると、魔法族は死に絶えるね。間違いない」 ある日、奴は話の中でこう言った。 驚いたことに、奴は完全な純血主義者ではないらしい。 がしかし、そんなことを言われて、僕はもう驚きのあまり絶句してしまうことしかできなかった。 だって、スリザリンの継承者が。 純血主義のシンボルとも言える人間が。 真っ向から純血主義を否定するだなんて、誰が思う? 「どう、して……」 「どうして?だって、純血に拘るなら近親婚を繰り返さなければならないだろう? そんなことが続けば、間違いなく血が濃くなり過ぎる。 奇形やら遺伝性疾患やらのオンパレードになるだろうね。 まぁ、突き抜けすぎればホモ接合によって致死性の遺伝子は淘汰されるかもしれないけど。 ゴーント家を見る限りそこの段階に辿り着くのは果てしなく遠そうだし」 「??」 「だからね?動物っていうのは有性生殖によって、限りない可能性を手にしているんだよ。 それなのに、純血に拘るってことは可能性を有限にしてしまっている。 どころか、劣性遺伝ばかり残して自分たちの首を絞めかねない。 つまり、純血主義は進化のための仕組みを全く生かせていないってことなのさ」 「?????」 「……んー、セブルスには、まずは遺伝の仕組みについて話すところからかな?」 僕としては、どうして奴がそんなことを言うのかを問いかけたはずなのに、 謎の理論を展開されてしまって、全く訳が分からなかった。 けれど、疑問符たっぷりの僕に、奴は気分を害するでもなく、丁寧に丁寧に説明を行う。 まるで、年の離れた兄のように。 まるで、面倒見の良い先輩のように。 まるで、熱心な教師のように。 奴は、僕に知識を披露する。 何故、奴が僕に対してそんなことをするのかは分からない。 けれど、そのことを問えば、返ってくるのはいつも同じ答え。 「それが僕にとって都合が良いからだよ」 自分の目的の為にしていることだから、気にしなくて良い。 僕は君を利用する。 だから、君も僕を利用しろ。 紛れもない厚意を滲ませた瞳で、そう嘯く。 そう、厚意。 不思議なことに、この男は取り巻きのスリザリン生に対する時と僕とでは、 まるで違う対応を、表情を見せる。 敬うそぶりを見せもしない、僕相手に。 いつでも機嫌良く、応じるのだ。 もっとも、本音を全て晒す訳ではないけれど。 その端正な顔が険しく歪んだのは、つい先日だったろうか。 閉心術の練習をしていた時のことだ。 魔法を使うにはまず心を鍛えるのが先決、などという話から、僕の心を防衛する術を教えられていた。 「駄目駄目。断片でも記憶を相手に見せちゃいけないよ。 なにが弱みになるか分からないんだからね。 君はやればできるんだから、もっと集中して――…っ!?」 漆黒の双眸とまみえた瞬間、次々と自分の記憶がフラッシュバックするのを感じた。 が、僕がそれを防衛しようとする前に、奴は魔法を解いた。 そして、今まで見たこともない表情で舌打ちをする。 「……チッ。一体、なにが?……狼男…いや、馬鹿犬……?」 それは、焦燥をあらわにしているような。 凄まじい憤怒を殺し損ねたような。 心配と不安と怒りと憎しみと殺意が、入り乱れる、激しい表情。 「っ」 いつも涼しい、余裕のある男からはまるで想像もつかないような様子は、しかし一瞬で消え。 どこまでも冷たい瞳で、男は「続きはまた今度」と言い置いた。 まだ、今日は逢ってからほとんど時間が経っていなかったが、 その尋常でない様子に引き留めるのも憚られ、僕は奴がさっと姿を消すのをただ見届けたのだった。 どこかでなにかがあったのかもしれない。 あの男に関わることで、なにかが。 そして、それはおそらく、良いことではないのだろう……。 ぽつん、とひとり教室に残っているのも虚しいし一人では練習ができないので、僕は荷物をまとめて寮へと戻った。 大きな事件や自分に関係のあるなにかであるなら、放っておいても情報が入ってくるだろう、そう思いはしたが。 妙な予感という物は消えず。 その日は悶々としたまま夜明けを迎えた。 そして、翌日、僕は食事をするために大広間にあがり。 寝不足の耳に入ってきたのは、ブラックとの確執。 が体調を崩した、という知らせ。 なんでも、ブラックが兄弟でを取り合った挙げ句、 態度のはっきりしないに痺れを切らせたブラック(兄)が怒鳴り散らした、とのことだ。 (聞いた瞬間、思わずコーヒーを吹き出しそうになった自分は正常だと思う) 取り合い云々はまぁ、眉唾だったとしても、 ブラックがに対して罵詈雑言を浴びせたのは、多くの生徒が見ていたらしいので、確かだろう。 中には、体調不良というのは嘘で、奴はブラックの馬鹿と顔を合わせたくなくて休んでいる、などと言う輩もいた。 そんなことはいつものことだろうと思う反面、今この場にがいないことが妙な不安をかき立てる。 と、見るともなしにグリフィンドールの席に目を向けたところ、そこで僕は違和感に目を細めた。 自分はいつも同じ時間、他の人間よりよほど早い時間に大広間に来る。 そのため、だいたい、この時間にいる人間は把握しているつもりだ。 そして、今日は、足りない。 いるべき人がいない。 それは、もちろんではなく。 誰よりも、なによりも僕を惹きつける、赤。 「……セブ」 と、僕が前方に気を取られていたその時、密やかな声が耳朶を打った。 「リリー……?」 「…………」 そして、周囲から隠すように差し出されたのは一枚の羊皮紙の切れ端。 そこには、『玄関ホール階段横 21:00』とあった。 …………。 ……………………デート? 「!?」 がしかし、弾かれたように振り返った先に、彼女の姿はもうなく。 問いにならない問いが頭の中で激しく渦を巻いた。 いやいや、デートだなんて、まさかそんな訳がないだろう。 僕とリリーは清く正しい友人関係しか現在築いていないはずだ。 が、しかし、こんな時間に呼び出しだなんて他に……。 いやいやいやいや!待て、セブルス=スネイプ!! 幾ら何でもいきなりそんな急展開になるはずがっ! というか、世の中そんなに甘くないぞ!? 冷静になれ、冷静になるんだ。 このままじゃ、どこぞの変態眼鏡と変わらない……! 大丈夫、僕はスリザリンの継承者からも「やればできる」ってお墨付きだっ! 「……あー、ゴホン」 とりあえず、深呼吸で一度気持ちを落ち着けてみる。 まぁ、少々予想外の思考をしてしまったために、取り乱してしまったが……。 一瞬だけ見えた彼女の横顔を考えれば、これが甘やかな誘いとは正反対の物であることは明白だった。 このタイミングで、彼女がわざわざ僕を呼び出す、その意味。 …………。 ……………………。 朝からの騒ぎを見れば、考えるまでもない。 さっきから名前の飛び交っている、あの馬鹿に関することだろう。 彼女は最近、本当に奴の心配ばかりしている。 男なのだから放っておけば良いのに、とも思うし。 確かに、放っておけない気持ちも分かる、とも思う。 「それもこれも、あいつが馬鹿なのが悪いんだ」 リリーに心配させるなんて、本当にあいつは馬鹿だ。 結局、リリーからの誘いはデートでもなんでもなくて、 噂の真偽確認と見舞いの勧めだった。 なんでも、たちの喧嘩(?)の時に、ウチのレギュラスが立ち合ったらしい。 (だから、ブラック兄弟で云々かんぬんなどという流言飛語がまかり通ったのだろう) なので、詳しい話を聞いていないか、ということだった。 まぁ、あのブラックが素直にリリーの質問に答えるとは思えないので、 スリザリン生から話を聞く、というのは確かに一つの方法だっただろう。 もっとも、僕はその話を大広間で初めて知ったほどなので、彼女に開示できる情報はなかったのだが。 と、僕から目新しい情報はなかったが、奴と仲の良いリリーは、きっちり他よりも状況を把握していた。 なんでも、は確かに、熱を出して寝込んでいるらしい。仮病ではないと断言された。 というのも、今朝、彼女自身の目でふぅふぅ言っているあいつを見たのだそうだ。 (羨ましいことに奴がいつもリリーにモーニングコールをして貰っているせいだろう) 結局その後、僕は彼女に誘われ、特段拒否する理由もなかったので、 その日、グリフィンドール寮へと侵入した。 そして、そこで見たのは、 「…………っ」 前後不覚なほどに高熱を出して寝込んでいるの姿だった。 情けない姿を見たことはあったし、こいつが周囲の認識ほど強くないことも知ってはいたが……。 それでも、こうして弱っている姿を見ると、なんというか、まともな言葉が出てこない。 「……馬鹿でも、風邪は引くんだな」 「セブっ!」 思わずぽろり、と我ながら適当な言葉が出てしまったせいで、リリーに睨まれる。 普段であれば、そのことを真っ先に取り繕うのだが。 嗚呼、本当に、今はそれどころじゃなくて。 「……もう、困った人ね」 ぼさっとの様子を見ていた僕に、リリーはなにか思うところがあったのだろう、 その表情を苦笑いのそれに変えて、そっとの額に張り付いた前髪を梳いた。 同い年のはずなのに、彼女の表情は幼子を見るようなもので。 小さく、溜め息が零れた。 「……全くだ」 「くす。言っておくけれど、のことじゃないわよ?」 リリーの微笑まし気な瞳が、から僕に移る。 「……知ってる」 そのことが気恥ずかしくて、僕は持参した最高に苦い熱冷ましをの枕元に叩き付け、 逃げるようにその場を後にした。 がしかし、その見舞いとも言えない見舞いのせいで、僕はその後何日か苦しめられることとなる。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「〜〜〜〜〜〜〜〜っ」 端的に言えば、結局があの薬を飲んだのか、 それがきちんと効いたのかが気になって気になって仕方がないのだ。 効いたのなら、食事に降りてきても良さそうなのに、奴は全く姿を見せず。 リリーに物問いたげな視線を投げかければ、苦笑を返され。 「飲んでいない、ということか」 ……苦すぎたのだろうか。 いや、でもあれば僕の手持ちで一番良く効く薬で。 (あの程度飲み干せ!と声を大にして言いたいところだ) だが、飲めなければ意味がない訳で。 それか、外国人だから、薬の濃度が違うのか? 確かに体格も小柄だから、もしかすると薬が強すぎた、もしくは多すぎたという可能性も……。 ぐるぐると鍋をかき回しながら、思考も煮詰める。 「嗚呼、くそ……!なんで僕がこんなことを」 心の中にはとうてい収まりきらなかったので、声に出して毒づいてみた。 がしかし、幾ら文句を言ってみても、 結局、空き教室でこっそりと新しい熱冷ましの薬を作っているのは他ならない僕自身の意志だった。 ぐつぐつ、と薬を煮る音が誰もいない教室に虚しく響く……。 いや、もちろん、が心配な訳ではない。断じてない! 僕が心配しているのはあくまでも悲しげな表情をしているリリーだ。 彼女がまた憂いのない笑みを浮かべてくれるのなら、努力は惜しまない。 それに、魔法薬の勉強にもなるし。 あとは、奴の勉強が遅れれば、僕に教えてくれと泣きついてくるに決まっているから、 それを事前に防ぐ意味もある。 そう、そうだ。 別にあの馬鹿が気になって勉強が手に付かない、なんて理由じゃない。絶対に。 この間だって、ただ、先日覚えた透明術を試したかっただけだしな! と、少しばかり苦しい言い訳で自分の心を納得させていた僕だったが、 後は薬を瓶に詰めるだけ、という段階で、 バンッ 「っ!?」 と、邪魔が入った。 あまりに勢いよく扉が開いたものだから、もう少しで驚いて薬を零すところだった。 (いや、別になにも後ろめたい気持ちなんてないのだけれど!) 「誰だ…っ?」 邪魔者を力の限り睨み付けてやろうと振り返った先にいたのは、 今にも死にそうな顔色をしたルーピンだった。 普段からあまり血色が良くない奴の顔は、日頃外に出ない自分と似たり寄ったりどころか、 遙かに病的なそれになっていた。 と、奴は最初僕に気づいていなかったらしく、声を掛けた瞬間、驚きに目を見張って一番近い机に手をついた。 顔色と相まって、そうしないとまるで体を支えられないかのようだ。 「……え、あ、ああ、セブルス?なんでこんなところに」 「〜〜〜〜〜〜僕はただの自習だ!貴様こそなんだ、その今にも倒れそうな顔色はっ!」 嫌なところを突かれそうになったので、誤魔化すようにルーピンの顔を指し示す。 すると、自覚がなかったのか、奴は泣いているような微妙な表情でくしゃっと笑った。 「そんなに、酷い顔してる?」 「熱心な監督生が見たらすぐさま医務室に担ぎ込む程度にはな」 「……あ〜、うん。そっか」 そして、ルーピンは扉を背にして、その場にずるずると座り込んだ。 「…………」 「…………」 ……正直、邪魔だ。 座り込むのは良い。 だが、何故よりにもよって、出入り口を塞いで座るんだ、貴様は。 僕を閉じ込めてどうしたいんだ、一体。 折角、薬ができたというのに、ここから出られなければなんの意味もない。 ほんの少し様子を見てみたが、顔を覆ってしまったルーピンはまるで動く気配がなかった。 ので、焦れる心そのままに、刺々しい声で奴を退かすべく口を開く。 「オイ、ルーピン――……!」 「ねぇ、セブルス」 と、それにかぶせるようにして、奴は呟いた。 「なんで、は僕のことをあんなに好きなんだろうね……」 「!」 僕のどこをこんな短期間で好きになれる? 僕が彼に何をした? 何を言った? 僕は、彼なんて会話するにも値しない存在だと思っていたのに。 体の奥底からしこりを吐き出すように、ルーピンは言葉を絞り出していた。 それはきっと、ごちゃごちゃと今まで、考え続けたことだったのだろう。 すぐにそうと分かるほど、その口調は淀みない。 正直、何故そんなことを僕に言ってくるのかが分からなかったが、 もしかしたら、そこに理由なんてものはないのかもしれない。 小さく縮こまったルーピンの姿に、そう思う。 「…………」 偶々、色々なものが溢れ出た時にいたのが、僕だっただけ。 そう、そんなまるで答えを求めていない問いだったから、 僕は深く考えずにそれに応えていた。 「人を好きになるのに、理由なんか付けられるものか」 「!」 ぱっと、鳶色の瞳がこちらを射貫く。 ……そんな、意外そうな表情をされると、それはもう心外なのだが。 まぁ、いつまでもそこにいられても迷惑なので、僕は言葉を続ける。 「お前は初対面で話しかける時に、理由なんて考えているのか? 普通の人間は、精々が印象の善し悪しでしか判断していないぞ。 そして、その印象も、ほとんど当てずっぽうの適当なものだ。 それなのに、『何故』だなんて、お前は訊くのか? 訊かれて答えられるのか?」 「それとこれとは別だと思うけど」 「どこがだ。変わらないだろう」 少なくとも、僕はそうだった。 僕は、リリーを一目見た時から、好きになったから。 彼女は姉と二人でブランコに乗っていた。 そして、ふわりと宙を舞った彼女を見た瞬間に、恋に落ちたのだ。 その背中に、天使の羽が生えていたのではないかと、一時期本気で思ったほどに。 彼女は僕の目に、キラキラと輝いて見えた。 その後は、彼女が笑う度に。 名前を呼んでくれる度に。 ただただ、想いは募って。 どこが好きなのかと訊かれたら、全てだと答える。 どうしてだと訊かれたら、どうしてもだ、と答えよう。 なにかのきっかけで劇的な恋に落ちる人間もいるだろう。 けれど、そうでない人間だって、星の数だけ存在する。 そう、だから。 僕にはの気持ちも、分からないでもなかった。 頭ではなくて、心で、分かっている。 「馬鹿の考えていることなんて、理解しようとするだけ無駄だろう」 「馬鹿って……君、友達だろう?」 「ハッ!冗談だろう。 誰が好きこのんであんな妙な奴の友達になんかなるものか。 言っていることは意味不明、行動は更に不明、 やたらと人に構いたがる、考えなしの馬鹿だぞ、あれは」 「……酷い言いぐさだ」 と、そうこう話している内に、熱冷ましの薬が徐々に変色してきてしまった。 これは、この間の薬より飲みやすい反面、保存が全く利かないという難点のある薬なのだ。 できるだけグリフィンドール寮に近い部屋で作ってはいたが、 このままでは薬効がなくなってしまう。 「いつまでも空気扱いしているどこぞの監督生よりはマシだと思うがな」 「…………」 と、僕はそう一言吐き捨てると、 若干慌てながらルーピンを扉の前から押し退け、の部屋へと急いだ。 がしかし、辿り着いた部屋ですやすや寝ていたは、 魔力が暴走したせいかそれはもうちんちくりんの姿になっていたので、 結局、僕はまた薬を作り直す羽目に陥ったりする。 嗚呼、調子が狂う! ......to be continued
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