弱っている人間ほど、本性が現れる。 Phantom Magician、103 苛々、する。 とにかく、のことを考えると、苛々して仕方がない。 だって、そうだろう? 魔力が人並み以上に少なくて、この僕に少しも貢献していないというのに。 毎夜毎夜魘されて。(あまりに続くものだから、その内聞くことも止めたが) 毎日毎日、人間関係に対する愚痴やら泣き言やらを書いてきて。(おかげで対人関係が若干分かったが) あげく、僕の知らないところで、倒れたのだから。 僕が日記帳の中でいつも通り魔法の練習に明け暮れていたその時だった。 扉が開く気配と共に、なにか大きな物が倒れるバタン、という音を聞いたのは。 『?』 が帰って来たにしては足音もドアを閉める音もせず、酷く不思議に思っていたが、 ゼェゼェと、全力疾走した直後のような息づかいに、 僕は一瞬だけ、聴覚以外の感覚も外界へ向けてみた。 が部屋に駆け込んできたのなら良いが、 この間のような狼藉者が部屋に潜んだ、なんてことだったら問題だからだ。 もしそうだったら、ストレス解消に使ってやろうか、などと思った僕だったが、 「?」 次の瞬間には、仕方がなしに体を実体化させる羽目に陥った。 「……ゼ………はぁ……」 何故ならば、扉のところにが真っ赤な顔をして倒れていたから。 通りでドアの閉まる音がしなかった訳だ。 はドアを開けたところで力尽きたらしく、足先は廊下に転がったままだった。 「…………」 荒い息を吐き、ぐったりとしている少女を見て、思う。 嗚呼、やっぱりこうなったか、と。 慢性的な睡眠不足に、最近はあまり食欲が沸かない、などとのたまっていた彼女だ。 いずれこうなるであろうことは、簡単に予想ができていた。 だが、それを実際に目にして思ったのは予想とは違う感情だった。 ……自分はきっと、ボロボロになっていく彼女を呆れて馬鹿にするのだろうと思っていた。 だが、実際は違っていて。 もちろん、心配でたまらない、なんてことはあるはずがなく。 僕は、を見て心の底から苛々した。 「……一体何なんだ、この人間は?」 対人関係で悩んで、見張られて、痩せ細って、しまいには倒れる、だと? どれだけ、底抜けの間抜けなんだ。 仮にも、この僕の所有者がっ!! ただの底抜けのお人好しだったなら、騙しやすくて、寧ろ諸手を挙げて歓迎するというのに。 馬鹿で間抜けで、しかもそのくせ、頭は悪くないだなんて、なんだその面倒で気持ちの悪い生き物は。 素直にその頭脳を使って、上手く立ち回れば良いだけだろう? それが駄目なら、周囲にあるもの全てを使って、自分の思う方向へ話を持って行けば良い。 それなのに、なんで、この女はそれができない。やろうとしない!? 得体の知れない僕に相談するぐらい参っていたくせに。 どうして。 どうして。 どうして。 相手ノ気持チヲ尊重シヨウトスル? “――でね、シリウス怒らせちゃって。一応謝ったんだけど” 『それでも怒っていたのかい?』 “うん、まぁ。事故とは言え、思いっきり巻き添え喰らってペンキ塗れになってたし” 『でも、それはピーブズと、そんなところに立っていた本人が悪いんじゃないか。 はきちんと謝ったのだし、もう気にしない方が良いよ』 “う〜……でもなぁ” “リドル、聞いて聞いて!リーマスがね、食事ちゃんと食べてくれたの!” 『それは、の事を避けているっていうの好きな人だよね? 仲良くなったのかな?良かったじゃないか』 “ううん?違うよ。名前書かないでドアノブに引っかけてきたんだー。 それなら食べて貰えるかなって思って!やっぱり食べないと体に悪いしね” 『……それ、意味ないんじゃ』 “どうしよう、リドル。ジェームズにストーカー宣言された……” 『……変質者ならまず寮監に相談すべきだとは思うけれど。 僕がまた追い払ってあげようか?』 “え、いや、それはいらない(キパッ) っていうかね。寧ろ嬉しいって言うかなんていうか……” 『。君、そこまで追い込まれて……?』 “は?いやいやいや、勘違いしないでね!? ストーカーされるのが嬉しいんじゃなくて、 あたしと仲良くなるきっかけ作ろうとしてくれたのが嬉しいんだよ” 本当に嬉しそうに、しまりのないへらりとした笑みを浮かべた彼女。 けれど、その結果が今のこれだ。 なんて、なんてくだらない。 がしかし、放っておくこともできず、 僕はぞんざいにその膝裏と背中に手を入れて、彼女の体を持ち上げる。 「……嗚呼、くそ、重い!」 元々、あまり重労働に向いている体つきではないため、 自分よりよほど華奢とはいえ、標準的体重の彼女を持ち上げるのは相当に堪える。 おまけに馬鹿みたいに熱いし、汗をかいているしで気色悪い。 がしかし、魔法で浮かせるなんて魔力が勿体なくて、絶対嫌だ。 ベッドまでの僅かな距離とはいえ、それは苦心して一歩一歩踏みしめていると、 その感覚にふと、の瞼が押し上げられた。 「りどる……?」 頼りなげな幼子のような声に、その体を床に叩き付けたい衝動が生まれる。 この弱々しい生き物を、心から投げ捨てたい。 が、幾ら苛ついていても、それでうっかり怪我を負わせでもしたらことだ。 ぐっとそこは自重することにする。 ところが、である。 「うへへ、りどるだー」 そんな僕の衝動なんてまるで知らないは、あろうことか幸せそうに、嬉しそうに僕の首にかじり付いてきた。 「!」 いや、まぁ、本当に口をあんぐり開けて噛みついてきた訳ではもちろんないけれど。 でも、僕にしてみれば似たような衝撃を受けた。 こんな、こんなぬいぐるみを抱きしめるみたいに、力いっぱい抱きつかれる、だなんて! もちろん、今まで僕に身の程知らずにも群がってきた女達はいたけれど! こんな。 「……こんな色気も素っ気もない抱擁、初めてだっ」 「♪」 なんだ、この敗北感。 「わーい、りどるのだっこー!……げほごほっ」 「……喜んでくれてなによりだよ」 口元がひきつるが、まぁ、僕の背後に目のいっているには見えない。 だから、声だけは優しげにしてそれだけ絞り出した僕だったが、 「……むぅ。りどるのうそつき」 「!」 途端に聞こえてきた不機嫌そうな声に、思わずガバッとを引きはがしてベッドに転がす。 と、スプリングに一度ボスン、と体を浮かせた彼女は、目を丸くして僕を見ていた。 「どしたの?りどる…こほ」 「……どうして、嘘だと」 「?」 と、はいまいち頭が回っていないらしく、何度か咳をした後、首を傾げた。 「うそ?」 「……だから、なんで嘘だなんて言うんだい。酷いじゃないか」 冷静になれ、と自分に言い聞かせる。 大げさに反応したら、それは肯定していることと同じだ。 だから、だからできるだけさりげなく。 彼女の『誤解』を解かないと。 嗚呼、でも、こんな赤い顔をしている相手だったらそこまで気を張らなくても大丈夫か? 「ひどい?どおして?」 「僕は、本当にが喜んでくれて嬉しかったのに。それに水を差された気分だからさ」 「うれしい?りどるが?」 「そうだよ?」 「……えへへー。なら、あたしもうれしいー」 「…………」 気の抜けた表情でにこにこと笑う。 会話がかみ合っているようで完全にずれている現状に、思わず頭を抱えたくなった。 ……嗚呼、もうどうしたものか。 本気でこの頭に花畑できてる女の首しめたいんだけど。 それじゃ、僕の目的はまるで達成できない。 おまけに、あの化け物が嬉々としてやってきそうだ。 内心悶々とそれはスプラッタな光景を思い浮かべる僕。 がしかし、その思考は、目の前に差し出された手に中断された。 「……なんだい、この手は?」 「あはは!変な顔ー」 っていうか、頬を引っ張った手に、邪魔された。 流石にこれは無視も流しもできず、無言でその手を払う。 パン、と渇いた音が立ち、多少は痛みもあったはずだが、はケラケラと笑うままだ。 熱で頭が沸いているのだと分かっていても、タチの悪い酔っ払いに絡まれている気分だった。 「うそつきはーどろぼうのはじまりなんだよ」 「心外だね。泥棒なんてものと一緒にされるなんて。 それには嘘を吐いたことが一回もないのかい?そうでないなら、君だって……」 「やつはたいへんなものをぬすんでいきました!」 「…………」 「それは、あなたのこころです!」 …………。 ……………………。 決めた。 もう日記に戻ろう。 それから、どれだけ時間が経っただろうか。 何度か、の知り合いと思しき人間が彼女の見舞いに来た。 残念ながら、そこにあの化け物の姿はない。 けれど、このグリフィンドール寮にスリザリン生がこっそりと来たのには驚いたな。 リリーに導かれて、どうやら目くらまし術を使ってきたらしいけど、 大層深い眉間の皺が特徴的な男で、の枕元にそれは不味い滋養強壮薬を置くとすぐいなくなった。 (まぁ、あまり長居していると、あの馬鹿猫が追い出しに掛かるので、どの人間もさっさと退散していったが) ……嗚呼、そう、猫。 あの猫のことを思い出すと、それはもう、苦々しい想いしか沸いてこない。 一度目は、への開心術を邪魔して。 二度目は、女子トイレに僕を叩き込んで。 (何度思い出しても屈辱、としか言葉が出てこない……っ) そして、三度目。 今度は、だ。 『君、の睡眠の邪魔だからさー……ぐっばいw』 “ふざけるな、このクソ猫がぁああぁぁぁー!!” ぽいっと。 奴はあろうことか、この僕の本体を天高いグリフィンドール寮の窓から外に投げ出したのだった。 丁度下に生えていた針葉樹に僕の本体がガスガスと容赦なく当たり、細かい傷が無数にできる。 が、不幸中の幸いにして枝に引っかかることはなく、日記帳は芝生の上へと落ちた。 と、その瞬間、僕は体を実体化させて、キッと頭上を睨み付ける。 もう、実体化で魔力がどうのと言っていられない。 「あの、畜生を絶対、なんとしても殺してやる……っ!」 化け物の次は奴だ。間違いない。 僕が奴に本気で攻撃できないのを良いことに、毎度毎度ふざけた真似を……! 僕はがしっと自分の本体をひっつかむと、怒りを糧に猛然と城の中へと駆け戻った。 グリフィンドール寮の場所は分かっている。 流石にころころ変わる合い言葉は知らないが、そこは通りすがりの人間を利用して突破して。 談話室にいた人間に見咎められない内に走り去って。 そして、数十分掛けて舞い戻ったの部屋の前。 そこに、どこかで見た顔が、鬱陶しい表情で立ち塞がっていた。 「…………ちっ」 嗚呼、杖さえあれば、さっさと失神させるのに。 (というか、杖があれば、さっきまでの行動も全てもっと楽だった。くそ) どこからどう見ても邪魔以外の何者でもない人間だが、 立ち去るのを待つ、という選択肢は、体中に怒りを漲らせた僕にはあり得ない。 それはもう、関わるのは面倒くさい。 でも、よく考えてみればこれはある種チャンスだった。 あのむかつくことに頭の回転の速い猫のことだ。 僕が戻ってくるのなんて予想済みで、きっと部屋に入れようとしないだろう。 なら、太った淑女にやったように、他の人間に開けさせて部屋に入るのが正解だ。 そして、残念ながら、身一つで外に投げ出されたので、僕が使えるのは口くらいの物だった。 「……に何か用?」 「!」 意を決した僕の呼びかけに、はっとしたような鳶色の瞳が動く。 そして、その顔を正面から見て、僕は目の前の人間をどこで見たか思い出した。 「……君は、の?」 「そう。の親戚だよ。あの子が倒れたって聞いたものだからね。で、君は?」 以前のと目の前の監督生の会話から、とてもじゃないが見舞いをするような仲には思えず。 けれど、それ以外の理由でここにいるのも、それはそれで妙なので、ここにいる理由を訊いてみる。 がしかし、 「僕?僕は……なんだろう」 「……はぁ?」 それは情けのない表情で眉根を寄せられたので、心の底から溜め息が吐きたくなった。 訊いているのはこっちなのに、なんだ、その答えは。 「馬鹿にしているの?」 「まさか。ただ、僕にとっての『』がよく分からないから」 なんだコイツ。 馬鹿か?馬鹿なのか?? まぁ、幾ら監督生といっても、所詮グリフィンドールなので、その可能性も高いが。 類は友を呼ぶとも言うし。 「……あ、僕はリーマス=J=ルーピン。とは……同級生だよ」 「……リーマス?」 聞き覚えのある名前に、思わず不躾な視線を向ける。 それはもう、聞き覚えがありすぎた。 そうかそうか。リーマス……これが。 なるほど、じゃあ、これこそが、 「の倒れた原因か」 「!!!」 ひいては僕が苛々しているのは、こいつのせいか。 そう思うと、視線が自分でも分かるくらい冷たくなった。 「……で、入るの?入らないの?入らないなら、そこどいてくれる?」 「あ……入る、よ」 どこか戸惑いながらも、奴はドアノブに手を掛ける。 すると、普段であれば間違いなく閉ざされているはずの扉は、ゆっくりと開いた。 そこさえ開けば、とりあえずはもうコイツに用はない。 さっきまでは寝ていたから、寝顔だけ見せたらすぐに追い出してしまうことにしよう。 つかつかと、男を追い越して、ベッドのカーテンに手を掛ける。 どうやら猫は外に出たらしく、部屋の中に生き物の気配はない。 「……ぁ……ぅ」 「…………」「っ!」 そして、静かにめくってみれば、そこには苦しそうに息をするがいた。 こちらに目を向ける様子はないので、意識はないのだろう。 本当の親戚であれば額に手を当てるなりなんなりするのだろうが、 生憎僕はがその場しのぎででっちあげた(らしい)親戚だ。 当然、そんな手のひらが汗まみれになるような行動を取るはずもなく、 しかし、そのことを不自然に思われないように、体をずらして、息をのんでいる男に場所を譲る。 すると、男は戸惑いがちにを指さした。 「この姿は……一体、どういう?」 「さてね。熱を出しているせいで魔力が暴走してるとかそんな所じゃないかい」 実際、自分もよく分からないので、それはもうぞんざいな答えを返す。 そう、はこの時、幼い子どもの姿をしていた。 まぁ、魔力とか色々な面で変わっている少女だ。 今更、小さくなろうが訳の分からない事を言い出そうが、そこまで僕は驚かない。 がしかし、目の前のこいつはそこまでの奇行を知らないのか、困惑の色を濃くしていた。 なにしろ、彼女のことを呼びしているくらいなので、もしかしたらあまり関わり合いがないのかもしれない。 その姿を見て、本当に謎が深まる。 「……なんでは君みたいなのが好きなんだ」 「……は、君にもそんなことを話しているんだ?」 「まぁね。もう毎日毎日鬱陶しい位にリーマスリーマス言っててね。 君なんかのどこがそんなに良いんだか」 この僕になびかないほどに、目の前の男が好き? 冗談だろう? こんな冴えなくて。 監督生だって言うからそこそこの成績だとは思うけど、さっきの様子だと頭足らなそうな奴を。 姿を見るだけで、話しかけられただけで幸せなくらい、好きになれる? どうして? と、そんな風に僕たちが言葉を交わしていると、 うにゃうにゃと、ベッドの中のがぼんやり目を開けた。 そして、 「……りーますだ」 ふにゃふにゃと、僕の時以上の、軟体動物かと疑うほど蕩けた笑みを浮かべる。 「…………っ」 「げほ……えへへ、ごめんねー。でもすぐなおるよだいじょうぶ。 だから、そんなしんぱいそうなかおしないで?」 「僕は心配なんか……」 「りーますはー、しんぱいしょうだもん。 でも、あたしだいじょーぶだよ。がんばるよ。 またいなくなったりしないよ」 へらへらと笑い続けるの額に、男は思わず手を伸ばす。 そして、その体温に。 気持ちよさそうに目を細めたとは反対に表情を思い切り顰めた。 「大丈夫じゃ、ないじゃないか……」 「だいじょぶだもん」 「なんで、なんで君は、こんなになっても……僕を責めない!?」 「りーますを?」 わなわなと震え出す男に、は首を傾げる。 きょとん、と目を丸くして。 丁度、僕に対してそうした時のように。 「なんで?」 「!?」 「りーますは、りーますだから、それでいいんだよ? おっきくても、ちっちゃくても。 むくわれなさそーなとことか、ちょこすきなとことか、だいすき!」 無邪気に、毒気なく。 ましてや裏なんてさらさらなさそうな表情。 幼い姿も相まってそれは、とても、真っ白で。 どこまでも僕とは縁遠い物で。 僕はただ、それを見ているだけだった。 「〜〜〜〜〜〜〜っ」 と、男も、の表情になにか思うことがあったのだろう、 結局奴はその場で息をのむと、逃げるように部屋から飛び出していった。 「りーます?」 と、途端にはしょぼん、と悲しげに肩を落とした。 ……その反応は、非常に僕としては気に入らない。 っていうか、僕のこと、下手すると気づいてないよね、。 僕は、ここにいるのに。 気に入らない。 非常に気に入らない。 「」 「?あ、りどるだ」 ので、とりあえずこちらに注目をさせて。 もう、さっきのリーマスとやらのことを忘れるくらい話し込んで、 抱っこだろうがおんぶだろうがしてしまおうかなどと思いながら手を伸ばしたその瞬間、 『だからさぁ、僕がいない間になにやってんのかな、君。 ……気をつけぇえー!目を食いしばれぇええぇぇぇ!!』 「ぐあっ!!」 それはもう、アクロバティックな猫の後ろ回し蹴りで、僕は日記の中に叩き戻されるのだった。 彼女の弱くて幼くて、優しい笑みが頭から離れない。 ......to be continued
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