自分の責任を放棄するほど、落ちぶれていないつもりだ。





Phantom Magician、101





――リーマス。でも、このまま行くと、君はいつか後悔することになると思うよ」
「え?」


いつものように茶目っ気の溢れたものではなく、 どこか真摯な色を宿した瞳で、親友はそう言った。

それは、に見事に尾行を振り切られた後、 各々で尾行をすることに対して難色を示した僕に対して言われたものだったと思う。
あまり気が進まない、そう渋った僕に彼――ジェームズはこう言ったのだ。
「関わり合いになりたくない、いや、関わるのが怖いのか」と。


「どういう意味だい?」
「もちろん、そのままの意味さ。
このままに向き合わないでいたら君は後悔する。絶対に、ね」


だが、に、向き合う?
他人にはあまり理解できない理論を持ち出すことの多いジェームズではあるが、 その言葉の不可解さに、この時の僕は確か眉を顰めた気がする。
向き合うとは、さて一体どういう意味だっただろうか。
相対する行為を指す言葉だが、まず間違いなくこれは行動を指しての言葉ではないだろう。
つまりは、彼につれない態度をすることを止めろという意味なのか?


「向き合うって具体的にどうしろって言うんだい。
目の前で睨み合いをしろってことじゃないだろう?」


彼が言っていることに思い当たりつつも、空惚けたようなことを言うと、 しかし、ジェームズは大真面目に頷いた。


「ああ、いっそそれでも良いかもね」
「は?」


最近では、に食ってかかるシリウスを宥めることも多くなってきた人間の言葉とはとても思えず、 思わず間の抜けた声で問い返す。
だが、彼からの返答に、次の瞬間、僕は目を見開くことしかできなくなった。


「敵対するのなら、それもひとつの答えだよ。
ねぇ、リーマス。君はの想いに答えを返さなきゃいけないんじゃないのかな」
「!……いや、僕は」


すでにNOを突きつけている……その呟きを、ジェームズは否定する。


「いいや。答えていない。
『付き合って下さい』の答えが『天文台から飛び降りろ』な訳がないだろう?」


……どうでも良いけど、その言葉だけを聞く限り、色々最低だね、僕。


「普通、そんな返答でOKだと思う人間がいるはずがないと思うけど。
それに、その一言と敵対することのどこに差があるんだ」
「大有りだよ。反射的に言った言葉と、明確な意志を持った対立が同じ訳がないじゃないか」


ジェームズはもっともらしく語る。
僕は、から目を背けて逃げている、と。

嫌いなら嫌いだと言えば良い。
嫌なら嫌だと本人に告げれば良い。
けれど、君はと言葉を交わすことはおろか、目を合わせることすらしない。
現状を維持し、彼との関係を停滞させている。
そして、その行為は不誠実極まりない、と。


「君にとって『』はなんなんだい?
自分を好いてくるゲイの変態?
その割には、君は彼を排除しないね。シリウスみたいに。
恋人は論外としても、君の態度は仇敵に対するものでも同寮生に対するものでもないよ。
かと言って、空気でもない。
空気をわざわざ意識する人間はいないからね」





――君は、をどうしたいんだい?彼にどうして欲しいんだい。





その問いは純粋な疑問のようでも、友人を案じる警告のようでもあった。
そして、僕はその時、彼になにも返さなかった。
返せなかったのだ。
だって。
だって、そんなこと・・・・・わざわざ思考したくなんてなかったから・・・・・・・・・・・・・・・・・・
敢えて僕は沈黙を保った。
だから。


「…………っ」


が痛みを堪えるようにこの場から逃げ出したのも、僕のせいだ。







「お前なんていない方が良い」そう言い放ったシリウスの言葉に、僕は自問する。
僕は、に対してどう思ってるんだろう。


――…るいって分かんないのかよっ!」』


それは薬草学で出たレポートを書くために、本を探していた時のことだった。
すぐ近くの本棚の裏から、親友の苛立ち混じりの声が聞こえてきたのだ。
血の気の多い友人のそれだったから、僕はあわよくば仲裁できないかとそちらに足を向けた。
そして。
それは結果的に、逆効果でしかなかった。
僕の姿に気づいたのか、そうでないのか、次に響いたのはよく聞き慣れた人間の聞き慣れない声。


『リーマスだって迷惑してる。
それなのに、なんでお前はのうのうとあいつに話しかけられるんだ』


それは、初めて聞いた、シリウスの冷たく固い声だった。
彼はスリザリンに歴代所属してきた家系だということを微塵も感じさせない人間だ。
友情に熱く、感情表現もストレートで。
でも、この時の彼は、一瞬どこの誰かと思うほど、温度のない表情をしていた。


「あ…………」


あまりに普段のシリウスらしくないそれ。
それを見て、気づいたことがある。

シリウスの立場は、彼は気づかないけれど板挟みの状態なのだ、と。
と仲良くしたいと言うジェームズと。
に近寄りたくないと訴える僕。
その間で、彼は揺れていた。
を心から嫌っている時は、良かったのだ。
僕の側に回って、ただを非難していればそれで良かった。
でも、ほんの僅かにでも、という存在に慣れ、好意と言わないまでも嫌悪が薄れてしまえば。
自分の行動に疑問さえ感じたことだろう。
けれど、すぐに対応を変えてジェームズの側に付けるほど、彼は器用でなくて。
そして、シリウスはそんな自分の心の動きに、拒絶を示した。
拒絶して、を突き放した。
だから、


「!」


……この声も、表情も、僕がさせてしまったのだ。

どこまでも冷たいシリウスの言葉に息をのむと、はただ無言で図書室の出口へ足を向けた。
そこに悔しさはない。
憤りはない。
でも、普段表情豊かな彼がした無表情は、とても悲しかった。
思わず僕が後を追いかけてしまうくらいに。

すたすたと、競歩よりやや遅いくらいの速度で、はどこかへ向けて歩いていた。
グリフィンドール寮の方向ではない。
だが、抜け道やらなにやらを駆使できる彼のことなので、向かう先はまるで検討がつかなかった。
特に姿を隠す訳でもなく、足音を忍ばせる訳でもない状態で、彼を追いかける。
声は掛けなかった。
いや、そもそも、僕は掛ける言葉を持っていなかった。
中途半端に上げられた手は宙を彷徨い、端から見たら酷く滑稽な姿で僕たちは歩き続ける。
放っておくのは、何故だかできなかったから。
ただ、ただ、無言。

普段の彼であれば、無言で後ろを付いてくる人間がいれば振り返るなりなんなりしただろうが、 どうやらは僕にまるで気づいていないらしく、とにかく前だけを向いて進んでいく。
がしかし、廊下ですれ違う人間が誰もいなくなった瞬間、


――……〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


彼は走り出していた。


「!?」


つられて、僕も同じように走り出す。
最初は僕という存在に気づき、それを振り切ろうとしたのかと思った。
でも、


パタパタと。


彼の走る後に落ちる、滴がある。


ごしごしと。


瞼を擦る背中がある。


それはきっと、誰にも見せたくない姿だろう。
弱くて、脆くて、無様に過ぎる。
そう、彼は僕のことなんて気づいちゃいない。
ただ走って走って走って、置き去りにしたいのだ。
言いようのない、悲しみを。


「……っ?」


伸ばした手も、声も。
彼には届かない。
だって、僕は。
今まで彼になにかを届けたことなんてなかったから。







がむしゃらに走るに、どちらかと言えばインドア派である僕が敵うはずもなく、 気がつけば、僕は彼を見失ってしまっていた。


「…ぜ……はっ……っつ……はぁ…」


息が苦しい。
けれど、立ち止まることの方が余程苦しいのは何故だろう。
闇雲に追いかけたって、意味がないのに。

一度足を止めて、息を整えるべく何度か深呼吸を繰り返す。
そして、そうしている内に、 少し前、怪我をした状態でいなくなったというを探した時のことを思い出した。
焦燥と、気持ちの悪さ、それと、奇妙なまでの罪悪感。
今の気持ちは、あの時とよく似ているような気がした。
そう、あの時も僕たちはなんの手がかりもないまま、広大なホグワーツの城内で彼を捜し回ったのだ。
こういう時、ジェームズがホグワーツの地図を作りたがった気持ちが分かる。
逢いたい人間がいても、居場所が分からなければ逢うことなんてできやしない……って、


「え?」


と、そこで僕は自分の思考に待ったをかける。
今、自分はなんて思った?
『逢いたい人間』……?
逢いたい、誰に?

を追いかけているのだ、その相手はしかいないだろう。

けれど、


「僕は……に逢いたいのか?」


言葉にして自問自答することで、僕の中に明確な疑問が形を作る。





何故・・





逢って、僕はなにをするつもりなんだ?
主観的に考えてみれば、自分の態度に友人を巻き込み、結果ひとりの人間が傷ついたのだ。
追いかけていって謝ってもなにもおかしくはない。
でも、謝る……?なんて言って??
『僕が冷たくしたせいで、シリウスからも酷い言葉をかけられてごめん』……?

第三者的な視点で見てみれば、それは酷くおかしいことだった。
僕の行動がシリウスの言葉を引き出したのは事実。
でも、それは謝罪することなのか?
僕は、僕として、苦手な人間を避けていただけだ。
例え親友であったとしても、それに影響を受けて起きた事象まで自分のせいにするなんて、 それは酷くおこがましくはないか。
僕は一体、何様なんだ……?

責任を放棄した訳ではない。
ただ、純粋な疑問が、思考を埋める。
と、その瞬間、


“お困りのようですね。ルーピンさん”


なんとも涼やかな声が、誰もいないはずの廊下からした。


「!?」
“おや、そんなに驚かないで下さいまし。
まるで悪いことをしてしまったかのような気分になりますわ”


上品に、艶やかに。
僕の斜め前方に飾ってある絵の中で、酷く年季の入った笑みを浮かべた貴婦人はつと羽毛扇を動かす。
どこかで見た覚えのあるそれに、僕はある友人の名前を思い出した。


「君は確かジェームズの……」
“ふふ。ええ、ポッターさんの友人のひとり、ですわ。
もっとも、あの方は交友関係が広くてらっしゃるから、私など物の数にも入りませんが”


言葉の割には特にそのことをなんとも思っていなさそうに、彼女はにこりとした。
その微笑みに、何故だかどっと力が抜ける。
妙に情報通なところのあるジェームズの情報源とも言える友人は、 実のところ、ホグワーツ内にはたくさんいた。
生徒はもちろん、ゴーストや絵の中の住人ですら、その範疇だ。
まさか、こんな時に、そんな相手に声を掛けられるとは……。
どこかで見ているんじゃないのか、というようなタイミングの良さに、 僕は思わず周囲を見回して特徴的なくしゃくしゃ頭を探してしまった。

と、その様子がよほどおかしかったのだろう、貴婦人はころころと品良く笑う。


“誰をお捜しかは存じ上げませんが、ここにはいないと思いますわよ?”
「……何故?」
“かれこれ2時間はここで足音を聞いておりませんから”


ジェームズのことを指すにしては、どこかおかしい台詞に首を傾げる。
足音がしようがしまいが、ここにジェームズがいないという証明になどならない。
よってそんな証言をしてもまるで無意味だろう……そう思った僕だったが、 続けられた言葉に、彼女の真意を知る。


“ですので、さんは一本隣の通路かと存じ上げますわ”
「!」


そうだ。僕はここにを追いかけて来たのだった。
思わぬ人物の登場に、自分で思う以上に色々混乱していた事実を知る僕。
これでは確かに笑われてしまっても仕方がない。

がしかし、流石に素直に認められるほど人間ができていなかった僕は、 胡乱な視線で貴婦人を見た。


「どうして、僕がを探している、と?
さっき『誰を捜しているかは分からないけれど』って言いましたよね?」
“うふふ。ええ、確かなことは分かりませんわ?
ただ、先ほどさんの名前を呟いていらした気がしましたから”
「……随分と耳が良いんですね」
“お褒め頂き恐縮です”


皮肉げに言葉を重ねても、にこにこと彼女の余裕の笑みは崩れることがなかった。
そのことに溜め息を吐きつつ、どうしたものかと首を捻る。

こうして追いかけてきてしまったが、かける言葉も思い浮かばない僕だ。
姿を見失った以上、必死になってまで探すのも馬鹿らしい。
が、ここで別方向へ行くのも、なんだか図星を当てられて反発した子どもみたいで面白くない。
ここは、素直に認めたフリをして、隣の通路とやらをざっと探して帰るのが得策ではないだろうか。

見つかったら、謝らないまでも、 適当な慰めを言うのも良いだろう。
後のことを考えると微妙だが、多少は罪の意識もそれで拭える。
なにしろ僕は彼の好きな相手らしいので、 もしかしたらシリウスの言葉を忘れるくらい喜ぶかもしれない。
それは楽観的であると同時に、とても良い考えに思えた。
見つからなかったとしても、どうしてもと話したいと思うなら、寮で待っていれば良い話だし。

自分で自分の考えに納得し、僕は絵の中の彼女ににっこりと笑顔を向けた。


「分かりました。では隣の通路を探します。ご親切にありがとうございました」
“ふふ。喜んで頂けたようで、なによりです”


すると、負けず劣らずの爽やかな笑顔を返された。
にこにこにこにこ、と、薄ら寒い空気が流れる。
多分、この場にピーターか誰かいたとしたら、微妙に顔色を悪くしていたことだろう。
……はぁ、僕は一体なにをやっているんだ。
いまいち自分のペースで行動できていないことを感じながら、やがて僕はくるりと踵を返した。


“……ただ、きっとあの方・・・は喜びませんわね”


そんな声を、背に聞きながら。





この場合、悪かったのは一体誰だったのだろう。





......to be continued