俺にとって、俺の周囲はどこまでも変わらない不変のものだった。





Phantom Magician、98





……最近の自分は、とにかくついていないと思う。
調子が出ないというか、なにをやってもうまくいかないというか。
人間、駄目な時はなにをやっても駄目だと言うが、その通りの状況に、 俺の怒りと苛立ちはとことん高まっていた。


先輩、これを」
「あ、レギュラス!うん。いつもありがとうね」


全てはあの、のせいでっ!
っていうか、お前いつの間に俺の弟の手を出しやがったんだこの野郎っ!!
レギュラス近寄るな離れろそいつはゲイの変態だぞ!!?


「いえ。宜しくお伝え下さい」
「あいあいさー」
「嗚呼、そういえば小耳に挟んだのですが、――なんですよね。おめでとうございます」
「うぇ?え、あ、うん!まさかレギュラスに言って貰えるとは思わなかったよ。ありがとう!」
「生憎なんの用意もありませんが」
「十分じゅうぶん!うわぁ、嬉しいー」


いやなに満面の笑みで喜んでんだよ。
男が笑み崩れたって可愛くもなんともねぇってんだよ!
……レギュラスも若干照れてんじゃねぇっ!
今すぐ即座にいなくなれ!いっそ姿くらまししろ!
校内では使えないとかそういう常識を無視してでもいなくなれっ!!

偶々こっちを見ていた女生徒が引くくらいの凄まじい形相で奴らを睨み付け、 声なき絶叫を本棚の陰から自分の弟へと送る。
すると、


「それは良かった。では、僕はこれで」


それが届いたのか、レギュラスはの手に手紙のような物を押しつけると、 ごくごくあっさりとその身を翻した。
(出口に向かっている訳でもないので、どうやらこのまま本でも漁るらしい)
弟がの毒牙にかからなかったことにほっと安堵の息を吐きつつ、 俺は自分でもこうしてこそこそと奴らの様子を窺う自分が情けなくて仕方がなかった。


『あ、シリウス、お前知ってるか?
お前の弟、最近と仲良いらしいぜ?』


ふと、数日前、他寮の知り合いに世間話ついでに教えられた情報に、 俺はただ間の抜けた反応しか返せなかったのを覚えている。


『……は?』
『いや、お前の弟がにラブレターを渡したとかなんとか。
まぁ、そりゃガセだとは思うけど、でも、最近図書室とかで会ってるみたいなんだよな』
『…………っ!?』
『その様子だと知らないみたいだな。んー、じゃあ良い情報は期待できないか。
……まぁ、仕方がない。今のは忘れてくれ。
あ、でも、お前も弟を見習って、そろそろ転入生と仲良くした方が良いと思うぜ』
『ちょ……っ待……!』


言うだけ言っていなくなった青年に、伸ばされた手が力なく落ちた。
――レギュラスが、あの、と?
自分と違い、母に逆らわず、家に逆らわず、スリザリンの優等生であり続ける弟。
グリフィンドールに入ったがために、ほとんどしゃべらなくなり、 疎遠になってしまったレギュラスに、自分がなにかを言う権利も義務もない。
お互いに暗黙の了解で、これまでの学校生活、ほとんど俺たちは関わり合いを持たなかった。
正直、あいつのことよりもジェームズたちのことの方がよっぽど詳しい自信がある。
けれど、それでも。
レギュラスは自分の弟だった。
例え、どれほど忌むべき血を持っていたとしても。
例え、最悪な家に逆らうことも疑問を持つこともない根性なしであったとしても。
それでも、やっぱり、レギュラスは身内なのだ。

結局、迷いに迷った挙げ句、丁度を尾けるという大義名分もできたので様子を見ること3日。
とうとう、俺は決定的瞬間を目の当たりにしてしまい、愕然とすることしかできなかった。
(先日の反省も踏まえて、交代制でを尾けるようにしていて正解だった。
こんなところ友人になんて見せられっこない)

レギュラスは基本、そこまで感情を表に出す方ではないので、他人には分からなかっただろうが、 兄である自分は分かる。分かってしまう。


「……なんでっ」


弟は、あのに悪感情を抱いていないのだ。
ただでさえ仲の悪いグリフィンドールとスリザリンであるというのに、あの態度。
兄である自分よりよっぽど好感度が高いのは一体どういうことだ!?
っていうか、なんで手紙っ!?
いや、レギュラスは確かに古風な所のある奴だが、まさか本気の本気でラブレターなんてことはないだろう!
しかし、人目を避けるようにさりげなく渡されたそれに、なんだか目の前が真っ白になった気分である。
嗚呼、いやいや、ちょっと待て。
あのお人好しで外面の良いのこと、もしかしたら誰かの中継役を担っているのかもしれない。
レギュラスは見た目通り頭が良い上に、自分と違って世間体などというくだらないものを気にする人間なので、 少しでも連絡をするのに問題がありそうな相手がいた場合、おそらくは連絡を取ることを諦めるだろう。
がそのことをどういう訳だか知ってしまった場合、協力を申し出る可能性は大いにある。

そんな風に真実に限りなく近いことを推理しながら、しかし、 事実がどうあれ、レギュラスに不名誉な噂が広まっていることに眉根を寄せる。
本当なら、滔々とレギュラスを説き伏せるべきなのだろうが、それができたら苦労はない。
向こうはもう、こっちを兄とも思っていないだろう。
時々感じる非難めいた視線が全てを物語っている。

ならば、自分にできることはといえば。


「……っ!」
「へっ!?え、あ、シリウス??」


を脅してでもレギュラスから――そして、自分から離すことくらいだった。
ちなみに、この後俺が取った行動のせいで結局のところ、 ホグワーツ中その話題で持ちきりになってしまうことを、この時の俺は知らなかった。







「えっと……なに?」


いまだかつてなかったことだからだろう、俺から話しかけられて、 はいつもの勢いをなくしていた。
(決して場所が図書館だからという至極常識的な理由でないことを願う)

こうして見てみると、自分たちと真っ向から向かい合える人間にはとても思えない。
人種のせいもあるのだろうが、同世代のはずなのにその体は酷く華奢だ。
目線だって自分よりずっと低いし、首なんてちょっと力を入れたら折れそうなほど細い。
純粋な殴り合いになどなったら、一瞬で袋だたきである。
だが、それなのに、は決して自分に対して引いたりなどしない。
不敵に。
ふてぶてしく。
なにかといえば立ちはだかってくる男。
思い通りになどまるでならず、予想外のことばかり言い出す。
心の底からムカツク人間だ。
顔を見れば怒鳴りたくなるし、殴りたくだってなる。

が、しかし。

周囲はこいつの肩ばかり持つのである。
女生徒然り、教師然り。
最近ではジェームズもこいつとよくしゃべっているし、 リーマスもを尾行している内に、ほんの少しだけ目元の険が和らいできたような気がする。
その上、今度はレギュラスだ。
このまま行くと、ホグワーツ中の人間がこいつに懐柔されかねない。
そう思えてしまうほどの、危機感があった。
まるで、自分の領域を蹂躙されているかのような有様に、ストレスばかりが降り積もっていく……。


「…………」
「…………」
「…………」
「…………?」


レギュラスと話していたことに後ろめたさでもあるのか、はきょときょとと視線を彷徨わせ、 しかし、俺がいつまでも話し始めないことに、怪訝そうな表情が心配そうなそれに変わる。


「なんか元気ないけど……え、マジで僕に何の用?なんか顔色悪いよ?」
「……お前」
「なに?」


なんと切り出せば良いか迷う。
けれど、内心とは裏腹に、俺の口からはするすると言葉が出てきた。





「お前、一体なんなんだ」





「は?」


まったく要領を得ない俺に、はいっそう訳が分からないと首を傾げる。
だが、そんな奴に対して、俺は止まらなかった。


「お前は俺のペースを乱して、そんなに楽しいのか?」
「レギュラスにまで手を出して、一体なにがしたいんだ」
「お前さえいなければ俺たちはいつも通り暮らしていけたのに、なんで邪魔をする」

「…………っ!」


これが、感情のままに言った言葉だったとしたなら、
おそらくは同じように勢いのまま言い返してきただろう。
だが、俺があまりにも真っ直ぐに、それでいて冷静に告げたために、はただただ絶句した。


「なんで……って」
「勉強だったら、なにもわざわざホグワーツに来る必要はないだろう。
それなのに、転入までしてお前はなにがしたいんだ?」
「僕は、ただ……」
「自分が嫌われていることくらい分かるだろ。
それなのに、なんだって俺たちに構うんだ」
「っ」
「他の連中とは仲良くやれてるじゃねぇか。
だったら、そいつらとずっと一緒にいろよ」


自分で質問していながら、反論は許さないとばかりに言葉を重ねれば、 は一言一言に反応し、次第にカタカタと震えだす。
徐々にその顔からは血の気が失せていき、いきなり貧血でも起こしたかのようだった。
不思議なことに、いつもの方がよほど酷いことを言っているはずなのに、 はこんな何気ない言葉に傷ついている。
俺はただ、自分を拒絶する相手にわざわざ取り入らなくても良いだろうと言っているだけなのに。

がしかし。
いつもの叩き付けるような調子でないためか、図書館にいる誰もが、こいつの怯えに気づかない。
俺の邪魔をするものはなく、に助けはやってこない……。


「スニベリーにも付きまとってるみたいだが、あんな自分を迷惑そうに見てくる根暗な奴とよく話せるよな。
なんだ?お前、マゾなの??」
「……セブルスは、今関係ないだろっ」


と、しかし、今にも泣きそうだった瞳に、僅かに炎が灯った。
自分のことにはまるで言い返せないくせに、他人のことになると黙っていられなかったらしい。
だが、そんな偽善者然としたところも、俺を苛立たせた。


「お前、リーマスが好きなんだろ?だったら、なんで他の奴にまで良い顔してやがるんだよ。
ジェームズにも、スニベリーにも、レギュラスにも……」


嗚呼、そして。
俺にまで。
主義主張が合わず、顔を合わせれば喧嘩ばかりの自分にまで、こいつは偽善を向けてくる。


「そういうの、気持ち悪いって分かんないのかよっ!」


元々沸点が低いことも相まって、段々口調に熱が混じる。
すると、その声は静寂を基本とする図書室には殊の外響き、 遠くからマダムピンスの「図書館ではお静かにっ」という金切り声が聞こえてきた。
そして、


「……シリウス?」


の背後から、騒ぎを聞きつけて来たらしい、件のリーマスが顔を覗かせていた。
分厚い本を持っていることから、の尾行は関係なく、純粋に本を借りに来ていたのだろう。
俺と、向かい合うという、なんとも危なっかしい取り合わせに、リーマスの顔が驚愕で彩られていた。
だが、俺の言葉に限界まで目を見開いたは、そのことに気づかない。
下手をすると、ここが図書室だということすらもう認識できていなかったかもしれなかった。
……俺は、けれど、そんな余裕のひとつもないにとどめの言葉を投げつける。


「リーマスだって迷惑してる。
それなのに、なんでお前はのうのうとあいつに話しかけられるんだ。
俺たちは、お前が視界に入る度、嫌な思いをしてるのに」





――お前なんて、いない方が良いんだよ。





「!」


息をのむ
だが、今にも泣きそうだと思った表情は、 一瞬で凪いだ湖面のように、ふっと静かな静かなそれに変わった。
と、スイッチでも切り替えたかのように冷たい無表情で、奴はすっと右手奥の出口へと足を進めていく。
そこに言葉はない。
だが、その横顔は泣きわめくよりも余程、悲痛そのものだった。







「……今のは、僕でもどうかと思う」


ふと、が去っていったのとは反対側から、自分とよく似た声が聞こえた。
まさか話しかけてくるなんて思ってもいなかったので、驚きと共にそちらを見れば、 いつもと同じ、いやそれ以上に蔑むような灰色の瞳と出会う。


「理解できないものに対して攻撃するところとか、本当に昔から変わらないよね。シリウスは」
「……なにが言いたい」
「別に。ただ、そのせいで最低な思いをする人間がいることを知った方が良い。
さっきの言葉は、友人の代弁でもなんでもない。ただの癇癪だ」
「…………っ」


淡々としているからこそ、臓腑を抉るような鋭さを伴った言葉に、絶句するのは今度は俺の番だった。
自分の言葉に、嘘とは言わないまでも、真実以外の物が混ざっていることは俺自身が一番よく分かっている。
レギュラスに指摘なんてされるまでもなく。
だが、それでも言わずにはいられなかった。
俺の居場所を滅茶苦茶にかきまわす奴に、言わなければやっていけなかった。

予感があったのだ。
俺は今のままで十分なのに、それが変えられつつあることに。
そして、そのことにきっと自分が順応してしまうことに。
変わることは恐ろしいことだと、俺は思う。
それは未来の自分の肯定であると同時に、過去の自分の否定だ。
俺は、今までの自分を間違っていた、なんて思いたくない。
スリザリンと同列に扱われたことへの怒りも、憎しみも、全部本当だ。
だから、平和な世界を脅かすに、何故そんなことをするんだと問い質したのだ。

あいつは俺が嫌いだ。
俺と同じかそれ以上に、気に入らないと思っているのを知っている。
だから、俺がなにを言ったって、あいつは痛くもかゆくもないのだろうと思っていた。
だって、俺がそうだから。
スニベルスの奴なにを言われたって怒ることはあっても、傷つくことなんてない。
もきっとそうだろうと思った。
そう、俺は知らなかったんだ。
それがにあんな表情カオをさせるだなんて、思いもしなかったんだ……。

何故だろう。
ずっと見たいと思っていた表情なはずなのに。
口の中に広がるのは苦い苦い後悔の味だった。

そして、一度口から出てしまった言葉はもはや戻らず、 いなくなってしまったもここにはもう戻ってこない。





変わる周囲に感じたのは戸惑いと怒りと。
一番最後に、取り返せない後味の悪さ。






......to be continued