ただ見ているのは、それほど難しくない。 Phantom Magician、96 がジェームズに口説かれている頃。 そうとも知らずに僕は定例の猫会議にちらっと顔を出そうとしていた。 「……嗚呼、癒される」 『…………』 がしかし、にゃーにゃー寄ってくる猫に恍惚の表情を浮かべるいい歳したおっさんがいたので、 無言のままくるりと踵を返す。 なんか下手したら撫でられそうだ。 ところが、一も二もなく機敏な動作であったはずのそれは、 しかし、ばっちりとミセス ノリスに目撃されてしまったらしく、 『ああああ!待ちなさいよ、アンタ!!』 と、それは馴れ馴れしく、且つ騒々しい声で制止をかけられる。 個人的には彼女に静止して欲しい。切に願う。 心から関わり合いになりたくなかったが、無視するとそれはそれで面倒なことになりかねないので、 僕はしぶしぶ後ろを振り返る。 『……なに?』 『いや、こっちこそ“なに?”よ。 なんで来た早々帰ろうとしてるの』 お前の飼い主が気持ち悪かったからだよっ! とそんなに知りたいなら答えてやろうかとも思う。 まぁ、言った瞬間、激昂されかねないので言わないが。 僕はちらりと、アーガス=フィルチを見た後、適当な言葉を発した。 『いや、餌に群がる有象無象の鬼気迫る様子に気分が悪くなって』 『言うに事欠いて有象無象!?』 僕の表現があんまりだったのか、ミセス ノリスの表情が歪む。 でも、僕としては決して言い過ぎではないと思う。 いやだって、その餌は俺様のだぁああぁっぁぁー!とか、 おどきぃいいいいぃー!とか言って周囲押しのけて殺到している猫の群れだよ? 普通に怖いって。 なんで管理人の奴はあんな凄まじい様子に癒されてるのか、猫視点に立っている僕からしたら謎すぎる。 いや、悪戯仕掛け人のせいで、奴が普段から多大なストレスを感じている点に関しては、 ある種のシンパシーを覚えないでもないのだが。 昨日も満月で出歩いた馬鹿共に睡眠時間を削られていたようだし。 でも、うん。幾ら猫好きでもこの光景はちょっと引くと思う。 癒されるの?マジで?って感じ。 そうこうしている内にも、隅の方では餌を巡って、文字通りのキャットファイトが繰り広げられていた。 スプラッタである。 『それを見て悦に入ってるとか危険極まりないよね、実際』 『アンタ、やっぱりアーガスを馬鹿にしてるわねっ!?』 僕の言葉に、ミセス ノリスがヒステリックに激昂した。 目にも留まらぬ早さで繰り出された鋭い爪を避けながら、なるほどこれが時間収斂かと一人納得する。 まぁ、つまりはどういう行動を取ろうとも、最終的に僕はミセス ノリスの逆鱗に触れていたのだろう。 『まぁ、戯言だけどね?』 『避けんじゃないわよ!くそ、このっ!そこになおれぇえぇぇぇえええぇー!!』 『やなこった』 お前もう悪戯仕掛け人の一人くらい倒せるんじゃないかって位の怒濤の攻撃をかいくぐり、 僕は余裕綽々のままその場を後にした。 『おや?』 そろそろ昼だから、僕もなにか腹に収めようか、との元へ行こうとしていると、 珍しい色味の人間が見えたので、とりあえず足を止める。 その人間は空き教室で窓の外を眺めながら、一人サンドイッチを咀嚼していた。 いや、まぁ、その性格を考えれば、大広間で友達とわいわい、という感じではないのは確かだが。 そんなに興味深そうに、昼食を片手間で済ませるほど面白いものがここから見えるとも思えない。 多少は興味をそそられて、ひょいっとその人物の隣の机に上がってみる。 すると、向こうはそれで僕の存在に気づいたのだろう、器用に片方の眉だけ跳ね上げさせてこちらを見てきた。 「お前は……の猫、か?」 『…………』 「うん?妙な表情だな。ペットは飼い主に似ると言うが……。 そんなところは似なくても良いというのに」 『……一言いいかな』 それはもう、淡々とした調子を崩さないその男に、 しかし、僕はその白菫色の瞳が見ていたものを悟ると、叫ばざるをえなかった。 『怖っ!!』 管理人に対するものどころではなく、僕は心の底からドン引きしていた。 いや、もう心って言うか体も距離を置きたい。 だって、この男――クィリナス=クィレルが見ていたのは、なにを隠そう、 芝生の上でリリーとにこにこ食事をするの姿だったのだから。 え、や、だって、偶にの行く手を遮るように遭遇することがあるのは知ってるけど、 こんな離れた場所から無言で観察してるとか思わないじゃん! それもわざわざ食事の時間まで費やして。 それはもう、真性のストーカーだよ。訴えられるレベルだよ。 『どうしよう、後顧の憂いを経つためにも、今ここで始末しといた方が良いだろうか……』 思わず、猫の姿であるというにも関わらず力一杯頭を捻ってしまった。 すると、流石に奇妙なその姿はクィレルの興味を買ってしまったらしく、 奴は窓の方へ向けていた体を僕の方へと直してきた。 「なにか悩んでいるのか?人間臭い奴だな」 『誰のせいだよ、誰の』 うん、まぁ、個人的には勘弁してもらいたいが、への関心が少しでも薄れるのなら仕方がない。 昼食は諦めて、僕は目の前のストーカーの相手をしてやることにした。 (後にもストーカーと遭遇していたという話を聞いて、嫌な偶然に表情を顰めたのは内緒だ) しげしげとこちらを見てくるクィレルに、ならばと僕も負けじと観察を開始する。 (原作にほとんど出てこなかった男なので、僕もいまいちキャラが掴めていないんだよな、コイツ) ラベンダーグレイの髪もそうだが、薄い薄い菫色の瞳は、 現代で見ていた時よりもずっと冷たい印象を僕らに与える。 あまりにも色味がなさ過ぎるせいだろうか。 いや、多分その言動によるところが大きいのだろうが。 過去と現代で性格が違うというのは、まぁ、別にそこまで驚くほどのことではない。 しかし、それでも、ここまで変貌を遂げている人間はいなかったと思う。 原作では確か、『愚かな若輩で、善悪についてバカげた考えしか持っていなかった』んだったか? それだけ読み取ると、如何にも正義感溢れる人間のような気がするんだが。 ……んー、寧ろ今のクィレルはそんなバイタリティとは無縁に思えるな。 なんといえば良いのか、人生に飽いているような。 人生に望むものがないから、人生を投げやりにしてしまえるような。 そんな、なんとも後ろ向きな、向こう見ずさ。 生きることにほとんど絶望していた人間を知っているだけに、 その怠惰な雰囲気に共通するものを感じる僕だった。 まぁもっとも、その人間はクィレルと絶望する理由が真逆だったのだが。 人生に刺激がないから、ではなく。 人生に刺激が多すぎるから、死を意識していた。 ……あれ、ひょっとしてクィレルって刺激が欲しくて、 ヴォルデモートにちょっかいかけたんじゃないだろうな? んで、殺されそうになってようやく本当に死を意識して、怖くなって奴に与した、とか?? …………。 ……………………。 いや、まさか、ね? 自分の打ち出した仮説に、いやいや、と首を振る。 うん、まぁ、可能性としてなくもないけれど、それは現代のクィレルの変貌とは直接関係がないだろう。 ではないが、本当にお前の身に一体なにがあったんだ……。 見下すような視線も、皮肉げな笑みも。 あのマグル学の教授にはないそれだった。 やがて、僕がなんの反応もせずに自分を眺めて考え込んでいることに、 自分からアクションを起こすことにしたのだろう、 クィレルは一度の方へ視線を向けつつ、こっくりと一度頷いた。 得心がいった、とでもいうように。 「嗚呼、ひょっとして、が最近精彩に欠けることか? いつも見ている訳ではないが、どんどん表情が強ばっていくな。お前の主人は」 『……へぇ、いつも見ている訳じゃないんだ』 そうか、それは朗報だ。 ということは、僕は偶々を観察している場面に出くわしてしまったということなのか。 タイミング悪いな、まったく……って、ん? さらりと言われた言葉に、若干胸をなで下ろした僕だったが、 それよりももっと注目すべき内容があったことに、少しばかり目を見張る。 『……分かるんだ?』 心の中が読める僕は省くとして、それ以外で一番身近にいるリリーも、 虎視眈々との魔力を狙って部屋に出没するリドルでさえ、気づいていないというのに。 の不調を。 ただ、時々出会う程度の人間が。 いや、時々出会うからこそ、か? この場合、の隠し事が下手、というよりも、目の前の人間の洞察力が優れているのだろう。 洞察力にはあまり自信のない僕としては、珍しくも拍手したい気分だった。 「反対に、セブルスの奴は生き生きしているようだが。 ふむ。は吸血鬼のように生気でも吸われているんじゃないのか?」 『……君、面白そうな人間の観察が趣味なんだね、きっと』 ふぅ、と、こんな関係の浅い人間に不調を看破されてしまったことに対して、溜め息が漏れる。 僕としては、周囲はもちろん彼女自身からも、不調であるという事実を隠してしまいたかったのだが。 上手くいかないものだ。 と、その大きな溜め息を聞いたクィレルはというと、僕の前にゆっくり拳を突きつけてきた。 『?』 ええと、相棒に対する挨拶……じゃないよな。 そう思っていると、 パチンっ 『痛っ!』 容赦のないデコピンが繰り出された。 『なにすんだよ、貴様!』 デコピン。デコピンだ。 まごうことのない、デコピン。 この僕が! クィレル如きにされるなんて言葉も出ない! 未だかつてされたことのない行為に、一気に頭に血が上る。 さて、どうやって血祭りにしてやろうかと、一瞬の内に拷問法がざっと10は浮かんだが。 「そう眉間に皺を寄せるな。お前がそんな表情をしていたら、 も余計そんな表情になるだろう」 『!!』 「私は、訳の分からない動きをする生き生きとしたを見るのが面白いんだ。 これ以上、失望させるな」 『…………』 「お前の主人にそう伝えておけ」 思わぬ指摘に、結局ぱたりと尻尾で奴の足を叩くだけに留めておいた。 「う……うぅ……」 『…………』 草木も眠る丑三つ刻。 眠っていた僕を覚醒させたのは言葉にならない呻き声だった。 閉じていた目をこじ開けて、そっと声の聞こえてきた方を伺う。 気のせいであれば良い。 そんな風に思うものの、 「……ふ…ぅ……っ」 そうでないことは誰よりも自分が分かっていた。 泣いているかのような不自然な呼吸。 そのことに内心溜め息を吐きながら、音を立てずに彼女の枕元に降り立つ。 そして、暗闇でも見透かすことのできる僕の瞳は、至極あっさりとの苦悶の表情を映し出した。 『……今日もか』 夢の中を彷徨う彼女には聞こえていないことを前提として、呟きが漏れる。 見慣れたくもないその表情に、しかし、出会うことの頻度の多さに腹立たしささえ覚え始めていた。 『チッ。そろそろ、マズイな……』 嗚呼、そうだ。クィレルが気づくより遙かに前に、僕は気づいていた。 彼女はここ十数日、悪夢に囚われている、ということに。 なぜならば、夢は無意識の産物だから。 常に張っていた気が緩む、唯一の時間だからだ。 『周りを騙しているせいで、ね……』 本来であれば、友人と笑いあう時間は幸福以外の何物でもないはずだろう。 がしかし、そこに僅かで決定的な偽りが混入しているが為に、は作り物の仮面を外せない。 外すことが出来ない。 皮肉なものだ。 が相手を大切にすればするほど、相手に対する嘘が彼女を苦しめていく……。 そう、悪夢は周囲が彼女を受け入れ始めた、その時から始まった。 最初ほどの風当たりの強さはなくなったというのに、彼女は毎夜魘される。 いや、なくなってきたからこそ、日に日に、彼女の心は静かな軋みを上げていた。 もうあと一押しで決壊してしまう堤防のように。 男の姿をしていても、自分は女だ。 自分はこの世界の人間じゃない。 未来を全部知っている。 君が死ぬことを、知っている。 その未来を、変えるためにここにいる。 どうしてそれを、分かってくれない……っ どれだけ言いたくても、はそれを告げることができない。 僕以外の、誰にも。 弱音を、吐けない。吐く場所がない。 しかも、その僕でさえ、部屋にはリドルがいる(ある)せいで碌に話もできていない状態なのだ。 いつでも自制を強いられるこの世界で生きることは、なるほどストレスが溜まるだろう。 ぼんやりとカレンダーを眺めていたかと思えば、妙にハイになってみたり。 最近はめっきり熟睡することも、心から笑うこともなくなっている……。 『…………』 思い出すのは、寝る前に彼女が見せた困ったような微苦笑だった。 明日から悪戯仕掛け人が後ろを付いて回るだなどと、ふざけたことをは受け入れたのだそうだ。 それは、四六時中見張られるということ。 言い出した方は元より、それを了承した彼女自身も、そのことを深く考えていないのだろう。 けれど、そんなことになれば。 それこそは一体どこで心を休めれば良いんだ? 『ねぇ、……?』 僕は眦に溜まった僅かな水滴を拭うように、彼女の瞼に手を当てて問いかけた。 帰りたい?と。 所謂、適応障害という奴なのだ。 が見るのは、総じて彼女の大切だったものが関わる夢である。 両親然り、姉妹然り、友人然り。 ここにはない、大切ななにか。 目覚めた途端、彼女に喪失感を与える幸せな悪夢。 けれど、傷付くだけというのに、はその夢しか見ない。見られない。 なぜなら、彼女はそこでしかそれらと逢うことができないからだ。 逢いたいのに、逢えない。 帰りたいのに、帰れない。 そして、帰れないからこそ、帰りたくなる。 嫌になるほどの堂々巡り。 『故に、病む』 ゆっくりと、深呼吸とともに手に魔力を込める。 『』 すると、その途端、刻まれていたの眉間の皺が徐々に薄くなっていった。 ――ルーンによる強制睡眠。 夢を塗り替えるのではなく、それさえ見ないほどに深く深く眠らせる。 目覚めた時に、夢を見ていたこともほとんど覚えていないように、きっちりと。 集中すること約1分。 そして、が健やかな寝息を立て始めたのを見届けると、ようやく手を離した。 自分にできるのはこのくらいしかないことが、嗚呼、歯痒い。 プレゼントで少しでも誤魔化されないだろうか、と色々注文はしてみたものの、 それは予定していたより遙かに遅くしか届かない。 ふと、こんな時、あれであればなにをするだろう、と問いが浮かぶ。 あの男なら、が弱ってく中、どのように力づける? がしかし、あの男なら、間違いなくリドルを消して、 の逃げ場所を確保するということに気づくと、それはそれは嫌な気分になった。 『ああ、うん。そういう奴だよ、あいつは……』 そして、殊更柔らかい笑顔を浮かべて、を抱きしめた挙げ句、 切々と彼女を慰めるのだろう。 その背後にどれだけの屍を築こうとも。 自分の大切な物以外は、心の底からどうでも良く。 大切な物を守るためなら、大切な物自体に手を加えることも辞さない、あの男なら。 に対しては、どちらかというと見守り、サポートしようとする想いが強いが、 それでも、ここまで彼女が弱っていることを知れば間違いなく重い腰を上げるだろう。 そんなことは分かりすぎるくらい分かっているのだ。 今だって……。 自分の目裏に、あの男の存在を感じることがある。 時折、己の目を通して、あの男がを見守っているのを、僕は知っている……。 『その内、僕のことを押しのけて来そうだな……』 やたらと名前を呼ばれることを思いだし、一気に渋面になる僕。 あれは、もはや毒電波である。 断固拒否しているが、いよいよの状態が悪くなったら、応えるしかないのかもしれない。 正直、凄まじく不本意だが。 もう一度大きく溜息を吐いて、僕は元いた場所にくるりと体を丸めた。 あの男にはあの男のやり方があるように、僕には僕のやり方がある。 とりあえず、明日から悪戯仕掛け人がぴったり張り付いてくれるというのだ、 せいぜいのイメージアップに努めることにしよう。 見守るのは、楽じゃないが。 ......to be continued
|