強者に立ち向かうのは死者の選択で、おもねるのが生者の選択。
では、逃げることが賢者の選択か。






Phantom Magician、93





最近、言われることがある。
「お前は変わった」と。
だが、同時に確認されることもある。
「お前は変われないだろう」と。
そんなものは、なにより誰より僕自身が分かっていることだとは露とも知らないで。
理解者の仮面を付けた連中は、僕を闇へと誘うのだ。
焦がれ続けた、闇へと。


「スリザリン生の面白いところは、人の上に立ちたいと望みながらも支配されることに慣れていることだ。
そうは思わないか?セブルス=スネイプ」


そして、初めて対峙した闇そのものの青年は、僕に向かってうっそりと微笑んだ。







「セブルス、少し良いか?」


ホグワーツ中の人間が今年初めてのホグズミード休暇に心躍らせる当日朝、 僕をスリザリンの同級生が呼び止めたことから今日この日は始まった。
確か名前は…………と、思い出したが、別にこっちが名前で呼び返す必要性はないことを思い返し、 ただ、首だけを巡らせる。


「なんだ?」
「お前に会わせたい『方』がいる。時間を空けてくれ」
「会わせたい人間?」
「……人間とお呼びしても良いかは疑問だがな。
我々も何故お前に興味を抱かれたかは分からない。
しかし、あのお方直々のご指名だ。来い」


高圧的な口調や態度は、僕に拒否する権限の一切を認めていなかった。
基本的にそのような態度を取ることが多いスリザリン生だが、 同寮の人間にここまで一方的なことは珍しい。
そのことからも、目の前の人間の、その『お方』とやらに対する心酔の度合いが伺えるというものだった。
だが、プライドの高いスリザリン生がそこまで心酔する人物など、僕には一人しか心当たりがない。


「…………」


ごくり、と知らない内に喉が鳴る。
と同時に、外へ出る方向でないことに気づいた瞬間、もう一つの可能性が頭をもたげていた。
いかに闇の帝王といえども、ダンブルドアの目に留まるホグワーツ内に来ることはできない。
ならば、この先にいるのは彼の人の仲介人か、それとも……。

この遠ざかる背中について行けば、確実になにかが変わる。
変わってしまう。
そのことを思うと、一瞬脳裏に燃えるような赤毛が揺れた。
分かっているし、理解っていた。
その意味するところを。
けれど、僕の足はただ前へと進んでいった。


「「…………」」


カツコツと、騒がしいはずの城内で、しかし靴音が反響する。
半歩遅れて歩いているため、同級生の表情はまるで見えなかった。

目的地は知らされていなかったが、恐らくは人目につかない場所になるだろう。
となると、一番良いのはやはり寮の部屋、か。
大広間を出てすぐの場所で声をかけられたために、 寮へ戻るには、それなりの距離を歩かなくてはならない。

と、緊張に満ちた沈黙の中、歩くことがそろそろ苦痛に思えてきた時、


「お前も、会えば分かる。あの方の偉大さと尊さ・・が、な」
「なに?」


ぽつり、と紛れもない興奮に彩られた呟きを耳が拾うと同時に、 不意に、淀みなく歩んでいた足が止まった。僕の予想を大きく裏切る場所で。


「ここだ」
「ここ、だと?」


それは、なんの変哲もない空き教室。
ふと示されたドアは開け放たれており、見た限り誰かがいるような様子はない。


「誰もいないが」
「ああ、そう見える。が、見えるだけだ」


心の底から得意げに笑って、道を譲られる。
まるで、今から王へと謁見させようとする臣下のように恭しく。
だが、促されて横をすり抜ける時に見たその瞳には、 無知を嘲る笑みと、紛れもない嫉妬心が燃えていた。

背後への注意も怠ることなく一歩部屋へ踏み込む。
とぷん、と。
透明の幕を突き抜けるような奇妙な感覚がした。
だがしかし、次の瞬間に、僕の警戒心は余すところなく目の前の人間・・・・・・へと固定された。


「スリザリン生の面白いところは、人の上に立ちたいと望みながらも支配されることに慣れていることだ。
そうは思わないか?セブルス=スネイプ」
「…………っ」


そこにいたのは人の形をした闇だった。
優雅に足を組み、机の上に座る姿にはなんの緊張も見られない。
僕が咄嗟に杖を向けたことにも、まるで関心などないように、至って寛いでいるような笑みだ。
廊下から見た時には確かにこの席には、この部屋には誰もいなかったというのに、 男は当然の表情カオをしてそこに存在する。
だが、それが自分の想像した人物ではなく、しかし大きく予想を外れていなかったことに、 僕の心は案外平静を保つことができていた。
そう、確かに最近スリザリン生の間で噂されていた・・・・・・・・・・・・・・・・・人物は、金髪だった。


「まったく嘆かわしい。
生きるために自分より強いものに従うのはただの処世術だが、
しかし、それによって、本来守ろうとした『自分』を失っては本末転倒だ。
だが、そのことに誰も気づかないし、気づこうともしない」
「私が、貴方様に従うのは私自身の意志ですっ!」
「……発言を許可した覚えはない。黙れ」


気づけばいつの間にか入室し、しかも僕を追い越して男に近づいていた男が、 必死に自分をアピールしようと言い募る。
がしかし、それに対する男の返答はにべもなかった。
どころか、あからさまに不愉快そうに眼を細めている。


「何故入ってきた?言ったはずだ。セブルスの案内をするだけで良い、とな」
「しかしっ!この男は危険です!なにをするか分からない……!
ご用がお有りならば、我らでなんでも致します!セブルスなどの手は……!」
「…………」


同級生は、主の不興を逃れるためか、それとも忠誠心を示すためか、 気色ばんだ声で僕を急に貶め始めた。
『得体が知れない』
『なにを考えているか分からない』
なんて捻りのない、形容詞。
そう思うのならば、こんなところに連れてこなければ良いというのに。
そうすることもできない奴隷根性は、確かに金髪の男が嘆く通りだと思う。

……嗚呼、知っていたさ。
僕が、スリザリンの中でさえ浮いた存在であることは。
そこそこの付き合いを持っている相手はいるし、他人と話だってする。
それでも、僕がやっぱり人気者であるとは言い難いし、 闇の魔術について話が盛り上がることがあったとしても、 そこに僕に対する理解も、相手に対する理解もない。
そんなものは必要がない。
だから、目の前の同級生に、いや、誰に理解をされなくても問題ない。
そう、思っていたのに。


セブ、さぁ行きましょう?
セブなら大丈夫よ!
ああ、もうあいつらときたら!あんなの気にすることなんかないわ、セブ!

大丈夫。セブルスは良い男なんだから。僕が保障する。






何故、僕は今、心臓がこうも痛いのだろう。





そう、痛い。
同級生の言葉が、というよりも、自分の思考が。
痛い。痛い。痛い。
その痛みに気づいてしまった自分が、憎い。
そうだ。僕は。
同じことを、あいつ・・・に言われた時のことを考えてしまったのだ。
リリーなら分かる。
幼い頃から憧れて、憧れて、焦がれて。
今でも傍で微笑んでいてくれる彼女に同じように拒絶されたとしたら、僕はきっと生きていかれない。
でも。
最後に考えたのは、驚くほどの間抜け面だった。
赤の他人で。
友達でもなくて。
それなのに、僕を構い続ける、変な奴。
あれが、僕を拒絶したとしたら……?
僕はどうするのだろう?
なにを……思う?
嗚呼、そのことに気づいてしまった自分に、吐き気がする。


「……そう。君には僕の望みが分かるとでも?」


と、先ほどまでの不機嫌さが嘘のように、 にやにやと舌なめずりでもしそうなほどの満面の笑みで、男が足を組み替える。


「!もちろんです!貴方様の望みはマグルの排除!
秘密の部屋を開き、我ら尊い血の持ち主だけが台頭する世界を生み出すことでございましょう!?」
「……ふふ」
「秘密の部屋……」


口を挟む気など毛頭なかったが、気になる単語に思わず声が漏れる。
『秘密の部屋』。それは、スリザリン生ならば一度は憧れる幻の名前。
かの創設者のひとり、サラザール=スリザリンが生み出し、 魔法を学ぶにふさわしからざる者――マグル生まれを追放する『恐怖』を封じ込めたという、いわばパンドラの箱。

嗚呼、やはり。
噂は本当だったのか……。

『サラザール=スリザリンの継承者が現れ、選ばれた者にのみその姿を見せた』というのは。

スリザリン生にはあるまじきことに、部屋自体を見た訳でもなんでもないのに、 青年がそれであることに、僕はすんなりと納得した。
ならば、目の前の男は、完全なる純血主義者で……僕の味方ではない・・・・

じっとそらすことなく視線を送れば、好奇心旺盛な漆黒の相貌が見つめ返していた。


「っ」


だが、そんな僕たちの様子にも気づかず、夢見るような口調のまま、 同級生はうっとりと歌うように言葉を続ける。


「嗚呼、この世界を正しいものに導く偉大な事業の一端を担うことができるなんて。
サラザール=スリザリンの血を引く方と同じ場所に立てるだなんて……!
親族が知ったらなんと言うか!いや、親族だけでない、他の人間も!」
「っ!?」


思いがけない告白に、まじまじと見つめていた男から一歩距離を取る。
それがただの恐怖によるものか、畏敬の念によるものか。
考える余裕も根こそぎ奪われる言葉だった。

と、そんな僕の様子に、男は大きな溜息を吐いて視線を外した。
そして、自分を蕩ける眼差しで見てくる同級生に、小首を傾げてみせる。


「……ふぅ。まさか、知らせる気じゃないだろうね?」
「いいえ!まさか!真実は常に闇の中にあるべき、そうでしょう?」
「ふふ。分かってれば良いんだけどね」


根本的に人を信じることのない瞳のまま、彼は笑った。


「で?君の言うところの『尊い血の持ち主』たる僕が、 どうしてセブルス=スネイプに害される、と思うのかな?」
「「っ!!」」
「そ、れは……もちろん貴方様が害されることなどありえませんが、 万に一つも、貴方様になにかあってはと……!」
「……うん。やっぱり君は、0点だな。気分が悪い」
「!!!」


役立たず、と罵られる方がどれほど良かったか分からない。
男は、同級生に一瞬、心の底からどうでも良いゴミを見るような目を向けて、それきりだった。


「さぁ、雑音は気にせずに、話をしようか。セブルス」
「なに?」
「ざつ、おん……?」
「実を言えば、もっと早くこうして君とゆっくり話をしてみたかったんだよ。
紅茶はアールグレイで良かったかな?それともコーヒーの方がお好み?」
――――様!」


同級生のすがるような眼差しにも、声にも全く反応せずに、 男はにこにことその場にティーカップやらなにやらを出現させる。
それは、同級生が見えている僕の方がおかしいとでもいうような、徹底的な無視だった。


「ど、うして、僕と……?」
「まぁ、自分でも不思議なんだけれどね。
どうも、僕たちは君のようなタイプに弱い・・・・・・・・・・・・・・・らしい」
「お願いします!もう一度チャンスを下さい!私は……!」
「で?紅茶とコーヒー、どっちにする?」
「〜〜〜〜〜〜っっっ!」


やがて、自分が透明人間になったかのようなその待遇が気に入らなかったのだろう、 掴みかかるように男に向かって腕が伸ばされていた。
そして、次の瞬間。


「 触 る な 」


端正な美貌が同級生を真正面から見据えていた。
視線だけで、動きが、空気が凍る。
それはゴミを見る視線ではなかった。
まるで、汚物を見るような、それだった。


「一度しか言わないよ?察しの悪すぎる人間って嫌いなんだ」
「……ひっ」
「どうして、まだ君ここにいるの?」


その言葉に滲んでいたのは確かに、殺気と呼べるものだった。
それが向けられたのが僕でないとはいえ、鳥肌が立つのが止められない。
人の形をした闇、どころではなかった。
ここにいるのは、闇色の光だ。
触れれば、焼き切れる……。
けれど。
それでも、人は光に焦がれずには、いられない。

そして、魔法をかけられた訳でもないのに口も聞けなくなった同級生が、 這々の体で逃げ出したのを見た後、男は改めてにこやかにティーカップを差し伸べた。


「まったく。繋ぎのくせに鬱陶しい」
「つなぎ……?」
「そう。君と話をするための繋ぎ。他にも何人かいるけれどね」
「……もう一度訊く。どうして、僕と?」
「くす。セブルス=スネイプ。力が欲しいんだろう?」
「っ!」


いや、差し伸べたのはきっと、別のなにか。


「鼻持ちならない連中に屈しない力が。
なにより欲しいものを手にすることのできる力が。
誰か・・に認められる力が、欲しいんだろう?
なら、僕の手を取ってごらん。きっと世界が変わるよ」


支配者の滑らかな声に、ぴたりと動揺が止む。

実のところ、ここに来るまで僕の心は定まっていなかった。
周囲に変わったと言われても、闇の魔術に心惹かれる自分。
しかし、それでいて光の中で輝く少女に手を伸べたい自分。
どちらもセブルス=スネイプで。
いつかどちらかを選ばなければならないと、思っていた。
けれど、優柔不断な自分はどちらへ行くこともできずに、光と闇の狭間をこうもりのように漂うだけ。
でも。
だからこそ・・・・・、こうして闇へと誘う手が現れた。
それは、グリフィンドールにいるあの馬鹿には、決してありえないこと。
選べない、選択肢。
僕だけが、選べる道。
そして、それは。
二つのセブルス=スネイプを肯定する、ただ一つの答えだった。


「…………」


最近、スリザリンの寮内ではまことしやかに囁かれる噂がある。
ダンブルドアが、例のあの人に対抗するための人員を募っている、と。
死喰い人デスイーターの数は年々増加の一途を辿っており、ダンブルドアはそれを阻むつもりなのだ、と。
所謂、正義の味方、という奴だ。
そして、それは多く、ホグワーツ出身者――いや、 猪突猛進のグリフィンドールが占めることになるだろう、とも嘲笑していた。
愚かで、命知らず。
その上、純血主義を嫌う者、となるとどうしてもそれらが筆頭になるのは目に見えている。
なら、リリーは?
は、一体どうする?
同じく志願するであろう、悪戯仕掛け人の馬鹿どもなどどうでも良い。
けれど、リリーが。
リリーが目の前の恐ろしい存在に、目を付けられたら?

僕は力が欲しかった。
今でも、欲しくて欲しくて仕方がない。
そして、目の前にあったのは恐ろしくとも酷く魅力的な誘惑。


「本当に、変わるのか?」
「ああ、もちろん。保証しよう」


一瞬の瞑目。
けれど、すでに決意は固まっていた。
脳裏に浮かぶ面影など、なくとも。


「いや……」
「?」
「変えるのは、僕だ」
「……あはは。やっぱり、良いね。君」


僕の浅はかで無謀な考えなど知らぬげに、男はティーカップを放った。

僕は僕にできることをしよう。
光の中で並び立てずとも。
闇の中から君を遠ざけることくらいはできるだろうから。





僕は強者を欺く、愚者の選択をした。





......to be continued