初めて認識した、己の渇望。 Phantom Magician、92 紙のように白い顔をした少女の手を引いて、静かな場所まで足早に向かう。 確か、こちらの方に木箱が置いてあったはずだ。 そして、記憶通り壁に寄せて置いてあったそれにハンカチを敷いて、彼女をそっと座らせる。 抵抗なく腰を下ろした少女は、きょとん、と酷くあどけない瞳で僕を見た。 ……見覚えのある、顔だった。 ほんの1ヶ月か少し前、ここではない場所で。 とてもとてもよく似た少女に、自分は厄介ごとを押しつけたのだ。 「気分は如何ですか?ミス フジ」 「レギュラス?」 「…………」 桜色の唇から、自分の名前がこぼれ落ちる。 そのことに他人には分からない程度に目を細め、やがて納得する。 目の前にいるのは、年齢も服装も違うが、ダイアゴン横町で出会ったあの少女だ。 関係はあるだろうと思ったが、自分の名前を一目で分かるなど、知り合いでもなければありえない。 もっとも、彼女――ミネコさんと自分は知り合いと言えるほどの関係でもないのだけれど。 偶のホグズミード休暇で、知り合いに誘われて出向いたものの、やはり気が乗らず帰ろうとした矢先、 辻占いの前に佇む彼女を見かけた。 どこかで見たような横顔。 その記憶を掘り起こす前に、僕は思わず歩み寄ってしまっていた。 そうして見ている間にも、あまりに、彼女の血の気が失せていったから。 棒を飲み込んだように動かなかった彼女は、本当は動けなかったのだろう。 僕が近づいた瞬間、ほんの少し縋るような瞳を向けてきた――。 「すみません、随分顔色が悪かったものですから。少し強引でしたね」 「へ?あ、ううん。いや、全然。 っていうか、こんな見ず知らずの怪しい人、よく助けてくれる気になったね」 ぱちぱちと瞬きをしながら、物珍しそうに僕を見るミネコさん。 それを言うなら、見ず知らずの怪しい男に連れられて、 ノコノコとこんなひと気のない所に来た彼女の方こそよっぽどだ。 きっと、そんなことを考える余裕すらなかったのだろうけれど。 「なにか言われましたか?」 「え……あ、いや、大したことじゃないんだけど。なんかあの占い師の人……不気味で」 「そうですか」 どうやら言いたくないらしく、少女の表情が曇る。 まぁ、顔色が変わるほどのことを言われたのなら、軽々に人に話せるような内容でもないのだろう。 「でも、奇遇だね。まさかこんな風にレギュラスとまた逢うなんて思ってなかったよ」 「ええ。僕もです」 以前逢った時よりもどこか朗らかな口調をしているミネコさんに、頷きを返す。 それはきっと、今の彼女の姿も関係しているのだと思う。 「前はもっと幼い姿でしたね」 けれど、彼女の自然な口調から、きっと今の姿が本来の年齢なのだろう。 寧ろ、もっと年上でもおかしくないような気さえしてくるから不思議だ。 と、その指摘は思ってもいなかったようで、ミネコさんは目を大きく見開いて驚いていた。 「へ?あ、あーっ!そっか!あの時ちっちゃかったから!! え、じゃあ、本気でよく分かったね、レギュラス!?」 「少しばかり年を重ねても、そこまで人相は変わりませんから。 流石に本人だとは思いませんでしたが」 「一目逢っただけの人間の顔なんて、普通そこまで覚えてないと思うよ」 「そうですか?」 確かに、彼女の言葉は正しい。 自分の記憶力はそこそこ良い方だとは思うが、それでも、ただ逢っただけの人間なら普通忘れている。 が、彼女のことは覚えていた。 名前も、顔も。 それは、彼女という存在が印象深かったことと、もうひとつ、別の要因のせいだと、自分は知っている。 別の要因。 そう、それはきっと、自分の考え通りなら、彼女がここにいるその理由でもあるはずだ。 ならばと、僕は彼女と初めて出逢い、その後ホグワーツで過ごして抱いた疑問を本人に直接問いかけることにした。 「ここにいるのは……=――彼と逢うためですか?」 「!?な、え、なんで?」 と、ミネコさんはあからさまに動揺したらしく、目を宙にさまよわせた。 とぼけるにしても、その態度はあんまりだろう。 別に、悪いことをしている訳でもあるまいし……。 それとも、彼女には先輩と知り合いだと知られて困るようななにかがあるのだろうか。 「ホグズミードで東洋人を見かけることはほとんどありませんから。 それも、わざわざホグズミード休暇に合わせて来るなど、ホグワーツ生に知り合いか身内がいる以外考えられません」 「あー、なるほど……」 まぁ、なかには観光で来る人間もいるだろうが、その場合はホグズミード休暇だけは避けて来る。 ただ単に用事があるだけでも言わずもがな、だ。 おまけに今日は今年初めての休暇なのだ。 ホグワーツ生でごったがえした状態など、とても観られたものではない。 観光のコース紹介でも注釈付きになるくらいである。 ゆえに、よほどの馬鹿でもない限り、今日この日にこの村に来ることはないだろう。 そして、目の前の彼女がそこまでの馬鹿であるようには見えないので、自然、思考は同じ東洋人の彼を想像する。 それになにより、目の前の彼女は、同じ人種であることを除いても、偶に見かける彼によく似ていた。 「兄弟……いや、親戚、ですか?」 「うん。えーと、従弟?うん、従弟なんだよ、実は」 「なるほど。納得しました」 ファミリーネームが違うことに言い直してみたものの、 彼女は少しも気にした様子はなく僕の言葉を肯定した。 嗚呼、そういえば、先日彼の部屋に遠い親戚の青年が訪ねてきた、などという話があった気もする。 と、同時に自分の兄が彼を押し倒しただの、キスしていただのという想像するのも恐ろしい噂も横行していた。 もしかしたら、彼女はそんな姿を親戚の青年に聞いて、心配して来たのかもしれない。 自分でさえも、流石に兄に逢いに行くべきかと考えてしまったほどだ。 もっとも、噂話をしていた人間たちが悉く冷静でなかったのを見て、保留したが。 「しかし、こんな時期に来るのは大変ではありませんでしたか?長期休みでもないのに」 「え!?え、や、えーと、あたしホラ!イギリスに住んでるから!っていうか、姿現しを使えば一発だよ!」 「姿現しは成人の魔法使いしか使えないはずですが」 「!や、あたしこう見えて成人してるから!うん、バリバリですよ!?」 「そうなんですか?すみません、てっきり僕と同世代かと」 「あははー、日本人って若く見られちゃうんだよね!よくあるんだ、これが!」 ミネコさんは僕の謝罪を快活に笑い飛ばした。 必要以上に明るかったような気がするが気のせいだろう。 もしかしたら、僕が気に病まないようにという配慮だったのかもしれないし、 若く見られて機嫌を良くしたのかもしれない。 そして、そんな会話をしている内に、徐々に少女の顔色は回復の兆しを見せていた。 いつもの自分であれば、そろそろ踵を返しても良さそうなものだったが、何故だろう、少しばかり立ち去り難い。 この時は、案外自分は良い人間で、彼女が本当に回復したか気になったのだと思ったが。 後から思い返してみれば、きっと、あまりに自然体で話してくれる彼女自身が、気になったのだと言える。 彼女は、そう、屈託がなかった。 以前と変わらず。 僕の名前を知っているのに。 彼女は僕の顔色をうかがうことも、媚を売ることも、色眼鏡で見るあらゆる行為をしなかったのだ。 「レギュラスは買い物かなにか?」 「いえ、知り合いに誘われまして。もっとも、彼は僕を置いてさっさといなくなってしまいましたが」 「は?なにそれ」 「ホグズミードを案内したい人がいたようで、その人を探しに行ってしまったんです」 「ふーん?」 首を傾げる彼女に、その相手がまさか=その人であるとは告げないでおく。 悪い人ではないと思うが、あんな性格に難のある人物が自分の従弟に纏わりついている、 などと知って嬉しいはずがないだろう。 「スリザリンの人なの?」 「ええ」 「あ、分かった!セブルスだ!!」 「え?」 「なぁーんだ、やっぱりツンデレだなぁ!正直に言ってくれたら良かったのに!」 旧知の人物のようにスネイプ先輩の名を呼び、顔を綻ばせるミネコさん。 ?ひょっとして、学校での友人の名前や特徴を先輩から聞いているのだろうか。 がしかし、彼女のその言葉は的外れだ。 なぜなら、僕が一緒に来たのは、別の人物である。 「いえ、スネイプ先輩ではなく、一緒に来たのはクィレル先輩です」 「…………は?えーと、それは、その珍しい髪の色してて瞳もうっすいスミレ色の?」 「ええ。やはり、先輩に聞いていましたか……」 彼の名前が出た瞬間から引き攣った彼女の頬に、溜息を吐きたい気分になった。 どうやらこの様子からして知らない、などということはなさそうだ。 クィリナス=クィレル。 スリザリン6年生でかなりの成績を誇りながらも、厭世的な、青年。 偶に興味を持った事柄に没頭する姿は見られるものの、基本的に冷めた瞳をしている……。 なんでもできるから、なにも面白くない。 それが彼の口癖だ。 頭の回転が速いため、僕も接触して損はないだろうと、こうして付き合いを持ってはいるが。 純血思想の者が多いスリザリンの中で、彼はその考えが読めない一人だった。 口先では、スリザリン寮の考え方を支持しているように見える。 けれど、その瞳はそんな考えを口にするスリザリン生を蔑んでいるようにも思えるのだ。 嗚呼、馬鹿らしい。 そんな声すら、聞こえてきそうなほどに。 例のあの人の話題が密やかに、しかし、熱く語られる寮内で、彼に酷く違和感を覚えた。 そして、そんな彼が最近興味を抱いているのが、かの編入生だった。 と、そんな風に彼を思い出していると、 そこで彼女はどうやら、僕の言葉からあまりしたくない推測を導き出してしまったらしく、 おそるおそるといった様子で僕に詰め寄った。 「うわぁ……っすげぇ、嫌な予感しかしない! え、『案内したい』って、それあたし……の従弟のことじゃないよね?ね!?」 「……ええ、違いますよ?」 「……レギュラスの優しさが痛いっ」 がっくり、とうなだれるミネコさん。 その喜怒哀楽のはっきりとした姿に、なるほど、この少女の従弟であるならば、 クィレル先輩が先輩に興味を持つのも納得できる気がした。 なんというか、裏表のないその姿は、見ていて安心できるのだ。 裏を読もうと気を張らなくて良いのは、酷く楽である。 (大半のグリフィンドール生も裏表がないが、その分デリカシーもないのでスリザリン生からの評判は最悪だ) 嗚呼、そう考えると、少女自身も彼に見つかれば興味を持たれそうな気がひしひしする。 ただでさえ、東洋人は目立つのだ。 その上、先輩に似ている、などとなったら、ホグワーツ生の大半ですら興味を持つに違いない。 そう思うと、ただ静かだからという理由で、ひと気のないところに連れてきた自分の判断は酷く正しかったようだ。 「あー……もう今日この村歩けない」 同じことに思い至ったのか、少女の眉尻が残念そうに下がる。 可哀想だが、その通りなので、僕はどうすることもできず溜息を吐いた。 (というか、そんなに嫌がられるなんて、あの人は先輩に本当になにをしているんだ) 「伝言を届ける程度ならできますが」 「……え?」 「ひと目のないところで逢うなり、今日は止めるなり連絡が必要でしょう。 その程度のことならやっても良い」 「…………」 同情心から出た申し出に、しかし、ミネコさんは、目を大きく見開くだけだった。 そして、僕が彼女から返答を待っていると、彼女から返ってきたのはまるで予想もしない言葉だった。 ぽつり、と。 彼女は僕を眩しげに見つめた後、口を開く。 「嗚呼、そっか」 「?」 「レギュラスもセブルスも……似てるんだ」 なんか素直じゃないとことか。 それでも、優しいところとか。 どこって訳じゃないけど、なんか思い出すんだ。 「っ」 酷く優しく、酷く柔らかい声と瞳。 けれど、その姿があまりに儚げで、息をのむ。 「あー、なんかすっきりした」 「…………」 そして、言葉とは裏腹に、少しもすっきりなどしていなさそうな表情で、彼女は微笑った。 その表情に。 「……逢いたい、ですか?」 「!」 思わず声が漏れる。 誰と似ているかは知らない。 友人か、家族か、兄弟か。 けれど、それはきっと、あのホグワーツにいる先輩ではないのだ。 異邦人である彼女が、こちらに来る際に置いてきたもの。 懐かしい人々。 もちろん、この表情から分かる通り、大切じゃない、なんてことはなかったのだろう。 ただ、優先順位が違っただけ。 それはきっと、ブラック家と共にあることを決めた僕とは、正反対のなにか。 でも、その相手に対する想いだけは伝わってきたのだ。 たったこれだけしか話していない僕にさえ。 何気ない一言だった。 けれど、彼女はその一言で、一瞬だけ泣きそうな表情をする。 嗚呼、この人は、表情が本当に豊かだ。 自分とは違って。 場違いにも、そう思った。 がしかし、それは瞬く間に消えてしまい、先ほどと同じ淡雪のような笑みが顔中に広がっていた。 「逢いたいよ。そりゃあ、親友だもん。 でも、なんていうのかな。逢いたいけど、逢わなくても死んじゃうって感じじゃなくて。 ただ、逢ったらきっと楽しいなって、そう思うんだよ」 「…………」 その姿を見て、確信する。 この人はきっと……寂しいのだ。 周囲にもてはやされ、友人ができても。 それでも、心の奥底が、独りで。 それが分かって。 あまりにも理解できてしまって。 だから、僕まで、切なくなる。 自分の決めた道に、悔いはない。 だけど、時々、無性に叫びたくなるあの気持ち。 焦がれるわけではなく。 ただただ、渇いている。 「……僕といるのは、楽しくありませんか」 「え?」 その言葉に、彼女は驚いたように目を丸くしていた。 ……自分でも、そんなキャラじゃないことは分かっている。 こんな言葉を発した自分自身が一番驚いているくらいなのだ。 けれど、僕は。 この少女が一人で微笑うのは、嫌だった。 愛とか、恋とか、そういう甘やかなものではなくて。 ただ、共感してしまっただけ。 「もし、少しでも楽しいと思って下さったのなら、また逢いましょう」 「…………っ」 そうでないと、貴女は消えてしまいそうだ。 「ずるい言い方」 と、ミネコさんは困ったように、けれど嬉しそうに微笑した。 「僕はスリザリンですから」 「それもそうか。あはは!年下にナンパされた」 「ナンパ……なるほど、そうとも取れますね」 「否定しないんかい。あ、でも、逢うって言ってもどうやって? あたしいつもホグズミードにいるワケじゃないよ?」 「では、フクロウを送ります」 「いやぁ、あたしフクロウ受け取れる環境じゃないし」 「そうなんですか?では、先輩に手紙をお渡しします。それなら、如何です?」 「あー、うん。それなら、届くよ。絶対に」 そしてその後、僕たちは和やかに会話した。 正直、大した内容は話していない。 けれど、きっと僕を探しに来たクィレル先輩が現れなければ、日が暮れるくらいまで話は続いていたことだろう。 幸い、顔を見られることなく立ち去ったミネコさん。 その後ろ姿を見て、先輩は首を傾げた。 「お前が女性と話し込むなど珍しい」 珍しい? ……いいや、それ以上だ。 「初めてですよ」 僕から二度も話しかけて、おまけに『ナンパ』した女性なんて、ね。 人の目線から見ると、どうしてこうも切ないのか。 僕にはまだ、分からない。 ......to be continued
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