伝えることのできなかった言葉がある。 Phantom Magician、91 「はぁ……」 茹だるような暑さの中、重苦しい溜め息が漏れる。 かくも厳しい試練を与えられるのは自らの使命の重さを物語っているとはいえ、 ぐーきゅるるるる そろそろ空腹も耐え難いものになってきていた。 「いけませんわ……」 魔法使いだけが住むホグズミード村にやってきて約3ヶ月。 最初の内こそ好評だった占いも、すでに閑古鳥が鳴いている始末。 家を貸してくれていた叔母もバカンスから帰ってきてしまったし、潮時なのかもしれなかった。 「お若い方が来なくなったのが痛手でしたわね……」 思わず、なにもない建物の壁を見つめて遠い目をしてしまう。 夏休みの期間は良かった。 あたくしの神秘の言葉を、若く純粋な彼らは崇め、尊んでくれたから。 がしかし、休みが終われば、折角現れた理解者も学校などという束縛の場へ行かなければならず。 結果、熱狂的な支持者が片手で足りる数来る他は、一見さんばかりになってしまったのだった。 「このあたくしの、カッサンドラ大婆々さまの血筋たるこのあたくしの声を聞く機会など、 今この時以外にはありえませんのに」 嗚呼!恋愛相談などという俗世の話を聞く出血大サービスまでしているというのに!! 何故!?どうしてこのあたくしがこんな鄙びた村の片隅で 水晶玉を片手に独り言を呟いていなければなりませんの!? 咄嗟に右、左、右と首を激しく振って道の先に誰かカモ……げほげほ、ごほん。 迷える子羊が通らないかと探してみるものの、残念ながら通りには人っこひとり見当たらなかった。 (人通りが多いのはこの1本隣の通りなのでそれも仕方がないのかもしれない) (いや、追い出されたとかではなくて、ええ、あの通りにあたくしの神秘的な雰囲気が合わなかったというか) と、勢いが良すぎたせいかめまいまで起こってきた。 水分が欲しい……嗚呼、シェリー酒も良いですわね……うふふ……。 若干意識が朦朧としてきたその時、 「……うっわ、通れねぇーってか、胡散臭っ」 「……?」 背後から、中性的な声が聞こえてきた。 自分としては機敏な動きで、しかし、他人から見れば酷く緩慢な動作で振り返る。 すると、自分がひっそりと陣取っていた路地の奥から、 黒髪が美しい少女がこちらに向かって歩いてきていた。 恐らくは大きな通りから抜け道を利用しに来たのだろうと思うが。 どうしてこう、あたくしが卓子を広げた場所をわざわざ通るのかしら……。 正直、億劫で仕方がないが、自分が今この場所を空けなければ、 通行の邪魔だということで村の警邏の人間に通報されかねない。 ので、辛い体に鞭を打って卓子に手をかける。 「どっこらせ」 ……それにしても、通行のために卓子を持ち上げる予見者の図は、想像するだに滑稽ではないだろうか。 あたくしの第二の眼……曇りそうですわね。 いやいや、あたくしの心眼はこれしきのことで曇ったりなどは! なんとも血迷ったことを考えたせいか力が入らず、わなわなと腕が震える。 嗚呼、心労のあまり目の前がチカチカと…… と、不意に。 目の前に黒く紗がかかる。 「……え、ちょ、うおぉおぉいっ!? ここで倒れんのかいぃいいぃいぃ!?」 そんな中、少女の驚愕に満ちた声だけが、黒ずんだ世界の中で酷く鮮明だった。 「――ここ日陰だろ。なんで日陰で倒れるワケ?そんな真夏の暑い日じゃないってのに。 ……っていうか、このショール重っ!しかも何枚着てんだよ、オイ! そりゃなるよ!熱中症にだってなんだってなるよ!! そりゃそうですよね!見た目は不気味で神秘的でも、やってる本人暑いッスよね!?」 ごそごそと、自分の体全体を覆っていたショールが蠢く感触に目を開ける。 と、次の瞬間。 がばっと勢いよくそれがはぎ取られ、 うっすらと開いた瞼の奥に差し込んだ、強烈な光に目を焼かれた。 「うっ!」 「……あ、起きた?」 そして、一瞬で真っ白に塗りつぶされた視界に色が戻ってきた時、 目に映ったのは、さきほどの少女の少し困ったような安堵の表情だった。 「あ、あなたは……?」 がしかし、こちらとしては今の状況が全く分からない。 場所はどうやら変わらず、建物と建物の間の狭い路地(営業場所)のようだが。 ?何故あたくしが見知らぬ少女の膝枕に頭を預けているのかしら?? そして、脇の下冷たっ! なんで氷が入ってますの!!? あまりといえばあまりな状況に慌てて体を起こそうとするが、 やんわりと少女に抑えられたために、それは叶わなかった。 (ちなみに、どうしてだか脇の下に挟まれていた馬鹿デカイ大きな氷の塊は、その動作で転がり落ちた) 「そんないきなり動かない方が良いですよー。熱中症で倒れた後なんだから」 「ねっちゅう、しょう?」 「そうそう。本当は水でもぶっかけてあげたかったんですけど、魔法使えなくって。 スティア近くにいないせいかなー。チッ。 あ、今、適当に通行人の人に飲み物買ってきてもらってるんで。 その氷もその人のご好意なんで後でちゃんとお礼言って下さいね」 「あたくし……倒れましたの?」 「ええ、まぁ、そりゃあ見事に……」 とりあえず、寝ながら話をするのもなんなので、少女に断ってゆっくりと起き上がってみる。 先ほどと比べると、体が軽くなっているような気がした。 が、くらりとする頭に手を添えると、 「痛っ!」 「あー……」 そこに鋭い痛みが走る。 と、その声に、少女の視線が一瞬だけ側頭部に固定された。 そういえば、そこがどうもズキズキと痛むような気も……。 そっと再度頭を触ってみると、ある一部に妙な形の盛り上がりを感じた。 これは……こぶ? 「さっきがっつり壁にぶつけてたんで、後でよく冷やした方が良いですよ。それ」 「……わかりましたわ。あなたも、ご迷惑をおかけしましたわね」 少女に頭を下げつつ、今日はなんという日だろうと大きな溜め息が漏れる。 心眼は見たいものが見えるワケではない。 些細な物事を映すものではない。 が、それにしても、これぐらい不幸な出来事なら見せてくれても良いのではないかと思う。 徐々に惨めな気持ちになっていると、更に追い打ちをかけるかのように、 その場にぐーきゅるるるるという間の抜けた、けれど酷く切ない音が響き渡った。 「「…………」」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……蛙チョコ、食べます?」 「い、い、い、いりませんわ!!」 多大に同情の含まれた視線に耐えきれず、少女を路地から追い出す。 そして、ドンっと彼女の目の前に卓子をしっかりと据え置き、水晶玉を出現呪文で取り出した。 「それよりも、水晶占いなど如何!? お礼代わりにお代はタダにしてさしあげてよ!?」 「…………」 「あたくし、よほど気に入った方しか見てさしあげませんの!さぁさぁ!」 「………………じゃあ、えーと、恋占いとかお願いします」 「ホホホ、よろしくてよ? このシビル=トレローニー、俗世の霞など全く問題じゃござぁませんわ!」 「げっ、やっぱそうか。嫌な予感は当たるんだよなぁ」 凄まじく微妙な表情をする少女。 それはとてもではないが恋する乙女がするものではなかったが、 全く、これっぽっちも気にすることなく水晶玉を見つめる。 そして、手をかざし、目の前にいる人の良さそうな少女に意識を集中した。 こうして、心の眼をしっかりと開くことができれば、水晶玉になにか予兆が映し出されるのだ。 がしかし。 「…………」 チクタクチクタクチクタク 「…………」 ちくたくちくたくちくたく 「……すみません、もう大丈夫そうだし、あたしも忙しいんで行って良いですか?」 「いけませんわ!!」 数分経っても、予兆は一つも水晶玉に映ることがなかった。 いえ、最近の若者が性急すぎていけないのですわ。 心眼は、見たいときに働いてくれるものではありませんのよ!? 「……リリー、へるぷみー」 が、あたくしが予兆を見いだすその前に、少女はすでに立ち去る気満々だった。 というか、すでに足はホグワーツの方向を向き、半歩踏み出している。 それを見て、ぐぬぬぬぬ、と目が血走るほどに水晶玉を見つめるが、大した予兆はいまだない。 いや、あるといえばあるのだが、それが意味するものがなんとも……。 「これは……ええ……きっと、ああ、でも……赤い?ううん。いえ、やっぱり――」 「……お大事にー」 と、あたくしが予兆の解釈をどのように伝えるかを迷っている内に、 少女はそれは爽やかな笑顔を浮かべてとうとう歩き出してしまった。 「ああああぁあぁ〜……」 そして、みるみる内にその背中が遠ざかっていく。 それが自分を見捨てて去っていくように思え、溜め息が漏れる。 「……あたくし、やっぱり才能、ないのかしら」 と、思わず彼女の背中に伸ばしてしまった手を下ろした、次の瞬間。 異邦人よ あたくしの口から、普段とは似ても似つかない荒々しい声が漏れたところで、 意識は泥のように溶けて沈んだ。 娘は、歩みを止めた。 それが声の調子のせいか、言葉の持つ意味によるものかは、誰にも分からぬ。 おそらくは、娘自身にさえも。 「……え?」 しかし、我が口は語ろう。 娘が辿る運命という道筋を。 それが現在と過去と未来を繋ぐ糸になんの弛みを与えぬことを知るが故に。 「異邦人よ 変革を呼ぶ者よ」 「……突然な、に?え……?」 「哀れなる贄は汝がために己が翼を差し出すだろう 望む変革は誤ることなく果たされる」 「待ってよ。ええ……?」 「郷里で雛が飛び立つことを許される歳月の果てに 汝はやがて終焉の娘を呼び込むであろう 忘るるな 汝がはじまりの男に世界を与えたことを 忘るるな 汝が終わりの存在を許し、来るべき明日を遠ざけたことを 望む変革は他者の手によって誤ることなく果たされる 汝が白き手と引き替えに――」 「……っ!?」 顔色を失う娘。 唐突に突きつけられた『先』に唇が音にならぬ問いを発した。 「そ、れは……どういう……?」 しかし、我が口は閉ざそう。 その問いに答えなどはないのだから。 だが、応えがないからといって、娘の疑問が尽きることはなく。 言葉を探しながら、その瞳がなおも問いかけ続ける。 応えぬ我に苛立ちと困惑をにじませながら。 そして、呆然と立ち竦む娘の腕を、不意に現れた『星』が手にした。 「こっちに」 その手は、娘を支える柱のひとつとなるだろう。 ふといつのまにやら俯いていた顔をあげる。 「あら……?あたくし、また気絶していたのかしら??」 と、視線の先に、先ほどの少女と、もう一人誰か青年が立っていた。 その様子を見るに、いつまでも来ない彼女を迎えに来た彼氏、といったところだろうか。 あたくしが意識を飛ばしている内に迎えが来たのかもしれない。 少女は青年に腕を引かれていた。 がしかし、先ほどと違い、少女は寧ろこの場を立ち去りがたい、とでもいうように、 あたくしから遠ざけられつつも、こちらの方を一度顧みる。 そして、彼女の発した言葉は大して声を張ったワケでもないのに、 風に乗ってあたくしの耳朶を打った。 「……トレローニー先生。貴女は、こんなところにいない方が良い」 「え?」 「占い学、ちゃんと勉強してホグワーツでもどこででも良いから教えてた方が良いですよ。 そんなに、才能があるんだから……こんなところにいたら危なすぎる」 最後の言葉はほとんど掠れて聞こえなかったが、思ってもみなかったその提案に。 「あたくしが、教師に……?」 あたくしがさきほどの水晶占いの結果を彼女に伝え忘れたことに気がつくのは、 もうしばらく後になってのことだった。 月と蛇にお気をつけあそばせ? ......to be continued
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