他人による覚醒は、いつの時代も煩わしいものだ。 Phantom Magician、78 ――僕は眠っていた。 正直、無機物であり、記憶である僕が睡眠などとれるはずもないのだが、 外界を知覚することもできず、時間の経過も感じなかった、というのだから、 やはり表現としては『眠っていた』が最もふさわしいだろう。 そして、どうやら数十年ぶりらしい意識の覚醒を促したのは、 “あらためまして、私は=です” 僅かな魔力の供給と、知性を感じさせる文字の羅列だった。 馬鹿な小娘に色恋の相談をされることすら覚悟していたので、 人間関係で多少悩む程度の少女に拾われたことは、まだマシなのだろう。 なんの悩みもないそれこそ短絡的な人間だった場合、その心に付け込むことも出来やしない。 がしかし、少女から魔力がほとんど見込めないことに関しては、 ……落胆、この一言に尽きる。 僕は記憶だ。 それも、今もなお世間を騒がせているであろう、ヴォルデモート卿の記憶だ。 秘密の部屋を開くために。 己を最強たらしめるために、僕は生まれた。 だから、僕に心を開き、手足となる哀れな犠牲者を選り好んではいられないのだが……。 それにしても、魔力が恐ろしく小さい。 初めになにやら外国語が書かれた時には、まったく魔力そのものを感じなかったくらいだ。 僕が無理矢理搾り取ろうとしても、ほとんど搾取できないとは、どういうことだろう。 本来、日記を書くという行為で心をわずかでも開いた人間の魔力は、すぐさま流れ込んでくるはずなのに。 自動筆記羽ペンとやらを使っているせいか? いや、その羽ペンも使用者の魔力が通い、使用者と繋がっているはずなのだ。 心が開かれている以上、搾り取れないはずはない。 これでは、まるで。 日記を書いているくせに、心が開かれていないようだ。 自分以外の人間の心情を、淡々と綴るように。 と名乗った少女の様子から、そんなことはありえないというのに。 『それか、僕に注ぎ込まれるはずの魔力を、調節している…………?』 自分で考えておきながら、そのあまりといえばあまりの思考に、存在するはずのない頭を振った。 ……馬鹿げた考えだ。 それでは、がこの日記がどういうものか知っていて、それでいながら使ったことになる。 どれほど魔力の扱いに長けているといっても、 わざわざそんな危険なことをする必要性があるはずがない。 可能性としてゼロでないとはいえ、低すぎる可能性はないも同然。 ……やはり、彼女の魔力が人並み外れて少ないと見るのが建設的だろう。 適当に会話をしてみたものの、もしかしたら、早々に見切りを付けた方が良いかもしれない。 がようやく緊張を少し解けたくらいに寝入ってしまったので、 僕は日記の中で今後、自分がどのように行動すべきかを模索する。 まずは、どのようにして少ない魔力を引き出すべきか、と悩んでいると。 それは、いきなりだった。 『…………っ!!』 いっそ暴力的、と表現しても良いほどの、唐突な魔力の奔流。 一瞬、あまりに膨大なそれに、意識が持って行かれそうになる。 と、不意に。 僕の視界に見慣れた風景が飛び込んでくる。 昔と変わらず風の吹き抜ける塔。 美しい星空が映える、その場所。 そして、僕は気がつけばホグワーツで最も高い塔の上に立っていた。 「なっ!?」 驚きのあまり上げた声が、夜の静寂を揺らす。 が、それはあまりにもおかしい。 僕は自身を実体化などさせていない。 というか、そもそも、実体化するだけの魔力も魂も、まだ奪っていないのだ。 本来であれば実体化などやろうとしてもできるはずがない。 それなのに、『夜の静寂を揺らす』?ありえない。 考えられるのは、先ほど感じた圧倒的な魔力。 どこの誰かは知らないが、誰かが僕に魔力を与え、日記の外に引きずり出した……? あまりに突飛だが、そうとしか考えられない状況に、 だから、僕は反応が遅れた。 「正直、少し困ってるんだよ」 「っ!」 背後から、声が聞こえたことに。 「誰だっ!!」 ばっと後ろを振り返ると、そこに人がいた。 整った顔立ちであることを差し引いても、人目を引く容姿の青年。 見落とすはずなどないというのに、突然に、忽然と、彼はそこにいた。 「さて、誰でしょう?」 くつくつ、と小馬鹿にしたような笑みだった。 塔の縁に足を組んで、尊大に座りながら、口元が弧を描いている。 歳はおそらく自分とそう変わらない。 けれど、その瞳が、表情と裏腹に、奇妙なほどの静けさをたたえていた。 「そう怯えるなよ、トム=リドル。 ただ少しばかり話がしたいだけだ」 「…………」 じんわりと染み入るような、浸食するような声だった。 おそらくは、別の形で相対していたならば、好感すら抱くような、柔らかな声。 が、こちらのことを全て見透かしたような態度に、限界まで警戒レベルは高まる。 当然だろう。 状況から見て、僕が今このような姿をしてここに立っている原因を作りだしたのは、目の前の人物に他ならない。 つまり、この僕という存在を知った上での、呼び出し、ということだ! 「話っ?」 「そう、ただのお話し、さ。 そのために、君にはの部屋から移動してもらった」 半ば以上睨み付けるようにして吐き出した問いに、 しかし、青年はあくまでもにこやかな調子を崩さない。 不気味なほど平常だった。 ひらひらと、僕の本体をぞんざいに扱っていることを抜かしても、 その態度に、嫌な予感が背中を撫でる。 そして、あまりにも、意味の分からない、理解をまるで求めていない言葉、 会話としてさえ成り立っていないそれを、滔々と男は語る。 「本当は君と話なんてさせずに、あの子の言う通り燃やしてしまうのが一番良い。 跡形もなく。消し炭すら残さずに。 けれど、あの子は、それじゃあ、罪悪感を抱いてしまうんだよ。 君と話したいなんて、救いたい、救われて欲しいなんて思ってる。 ……あの子の望みは最大限叶えてあげたいからね。 だから、そう。君に選択肢をあげようと思って」 「選択肢、だと?」 最初からそうだったが、その上からの言葉に、噛みつくようにして先を促す。 「そう、選択肢だ。たとえ作られた人間もどきでも、 自由意志を尊重すれば多少後腐れがなくなるかもと思って」 まぁ、もっとも。 こんなことをしているのをアレが知ったら、きっと眉を顰めるに違いないんだけど。 仕方がないよね。 アレは僕や君とは違うのだから。 選択の自由さえ、元から奪われている奴のことなんて、分からないさ。 そう話すときだけ、少しだけ男の表情が崩れる。 穏やかな笑みから、苦い笑みへと。 「少しはまともに会話をしたらどうだ……?」 がしかし、相変わらずこちらの言葉はまるで聞かず、 男はマイペースに先ほどの『選択肢』とやらを挙げた。 「まずひとつ。君の存在理由に則って、秘密の部屋を開け、闇の帝王への道をなぞる。 次にひとつ。与えられた役目を放棄して、闇の帝王でない、なにかになる。 どっちが良いかな?ちなみに期限はうん、この程度の魔力なら長くて年内か」 そして、それを聞いて、少し引っかかりを覚えながらも、 僕はこれが変則的な説得のひとつだと気づいた。 誰だか知らないが、目の前のこれはダンブルドアの手先に違いない。 これもまた、どのようにして知ったか分からないが、奴はきっと、 この日記が僕を内包していることに気づいたのだ。 そうと考えれば、先ほどの『選択肢』とやらは、自分の側に着けと、そう言っているようにも思える。 「フン。どうしてこの僕がメリットもないのに、そんな提案に乗らなきゃならないんだ?」 が、この僕が? 闇の帝王の前身たるこの僕が、ダンブルドアの側に着く? そんな馬鹿げた話があるものか。 もし仮に、僕がそんな話を受けるとでも思っているのならば、 そのおめでたい頭はいっそドラゴンの餌にでもしてしまった方が世の中のためだ。 自然、見下すような、嘲笑がこみ上げてくる。 と。 「メリット?提案??」 しかし、その言葉に、男は心の底から不思議そうな表情をした。 そして、今までで一番無邪気な笑みを零し、 奴は手にしていた日記に、僅かな力を込める。 「……ああ、君はどうやらひとつ勘違いをしているようだ」 瞬間。 「っ!!?ああああああああああああぁぁぁぁああぁぁあぁあああああああああ――!!」 すさまじいまでの苦痛が僕の体を襲う。 イタイ痛い苦しい痛いいたい腕が足が頭が前身が千切れるように 内蔵を抉り出したくなるように痛いイタイ辛いイタイ苦しい 熱い痛いこんな酷イ痛ミありないイタイ痛いいたいっ あまりの痛みに、視界が潤んで、歪んでいく。 ガンガンと耳の奥で、鼓動が猛り狂っているのが分かる。 吹き出す汗に、絶え間ない痙攣。 焼け付くような全身の痛みに、今自分がどこでどうしているかも判然としない。 だが、そんな尋常でない僕の様子にも、男は眉根ひとつ動かさなかった。 「貴様の生殺与奪の権利はこちらにある。 忘れているようだから、教えてやろう。 その体を構成する魔力は、貴様のものではない。 基本的に世界は等価交換。 なにかを得るには対価を払う必要がある。 貴様は魔力を得るために、本来であれば相手の信用を得るための働きをしなければならなかった。 しかし、それもなく、ただ魔力を貸し与えられた。 その瞬間から、貴様とこちらとの上下関係ははっきりしているんだ。 提案?勘違いをするな、貴様が選べる道はそれしかないと親切にも教えてやっただけだ」 「あ、あ、ああ、…ああああああぁぁあ、ぁああああ――!!」 理不尽ともいえる暴力に、言葉もなく叫び続ける。 「自覚しろ。貴様はこの先、貴様自身を見てなどもらえない。誰一人として見てはくれない。 出会う人間須くが、貴様を闇の帝王の一部として。ただの入れ物としてしか見なさない。 トム=マールヴォロ=リドルなんて存在は、ただの記憶。 一個の自由意志ある存在としては意識されることがない……」 「――――――――っ!」 望むなら変われ。 変わらぬなら死ね。 半分も聞き取れなかった言葉の中で。 その一言だけは鮮明だった。 そして、全身を襲った激痛は始まったのと同じくらいの唐突さでなくなった。 「?ああ、すまない。これじゃあ、話もできないか」 「げほっかっはっ……!」 ふっと、体から圧力が消える。 そこで、僕は自分が無様にも地面に転がり、体を丸めているのを知った。 記憶でなかった頃から体験したこともない苦痛に、体中が悲鳴を上げている。 だが、顔をあげることもできずに横たわる僕にはまるで構わず、 男はいまだに和やかに言葉を発していた。 そのことに。 身の毛がよだつ。 「個人的には、どっちでも良いんだ。 君に選択肢を示したのは、完全にきまぐれみたいなものだから。 変わったら、僕たちにも可能性があるみたいで気分が良いし。 変わらなければ、君を殺す口実ができて、存在理由を果たすことに繋がる……」 この男は……なんだ? この僕を、いとも簡単に蹂躙する、これは。 ダンブルドアの手下――ではなさそうだ。 それよりも。 それよりも寧ろ、こちら側に近いような――…… 「ああ、そうそう。第3の選択肢として、 この場で逃げ出して君の本体と合流するっていうのもあるけど、 これはあまりお勧めしないな。 まず君の本体が役目を放棄して逃げ帰ってくる分身を温かく迎えるような人間じゃないし、 それに、なにより、逃げだそうとしたその瞬間に僕が君を燃やすからね」 「っ!!」 あっさりと口に出された『燃やす』、という言葉に、体が跳ねる。 もちろん、僕の本体である日記帳は、並大抵のことでは傷つけることも燃やすことも不可能だ。 がしかし。 それは絶対、ではない。 そして、目の前の男は、おそらく、いやほぼ確実に僕を消滅させることができるだろう。 「それだけじゃない。期限内に誰かの心身に回復不可能なダメージを与えた場合も、やはり燃やす。 まぁ、心身どちらかを殺した場合、と言った方が分かりやすいか」 「な、に……?」 僕が誰かを『傷つける』ことではなく、あくまでも『殺す』、という言葉を使うその本心が分からず、 男の苛つくほど穏やかな表情を見つめる。 僕の怪訝な視線の意味が分かったのだろう、男は優しげに笑みを深めてこう言った。 「だって、ホグワーツを恐怖に陥れるために誰かを殺すなんて」 簡単すぎるじゃないか。 「っ!」 「呆気なさすぎる。それよりも、殺さない方が難易度は高いだろう?」 それは、命の尊厳などまるで気にしない、自己中心的な言葉。 この僕でさえ、人間を殺すことに少しの躊躇もなかったといえば、嘘になるというのに。 おそらく、男は今までに何人もの命を奪ってきているのだろう。 そのことになにも思わなくなるほど、多くのそれを。 下手をしたら、今のように慈愛あふれる笑みさえ浮かべていたかもしれない。 その歳で。 天使のような、穢れなき美貌で。 それを想像すると、自分がどのような状況かも忘れて歪んだ笑みが浮かんでくる。 「……ふ、くくっ。なるほど。貴様も大概狂っている」 もし、未来の自分を客観的に見ることがあるとすれば、きっとこんな気分なのだろう。 あまりにもその思考が理解できて。 あまりにもその嗜好が理解できて。 いっそもう、笑うことしか出来やしない。 嗚呼、もう、もしかしたら、この男は見た目通りの年齢ではないのかもしれない。 十年、二十年、いやひょっとしたら何百年と生きているのかもしれない。 そういうものをなんというか、知っているか? 化け物と、呼ぶんだよ。 「狂っている、ね。まぁ、生みの親が生みの親だから、否定はしないが」 そして、僕は自分と良く似た男に問う。 「貴様は何者だ?」と。 すると、奴はその言葉に可笑しそうに首を傾げた。 「そういう貴様は何者だ?」 「I am Lord Voldemort。スリザリンの継承者だ」 「聖なる騎士……いや、夜かな。今は、まだ――」 「は?」 「まぁ、名乗るほどもない普通の僕さ」 「そこは名乗れ!」 「あはは。名乗ったら名乗り返してくれると思ってるなんて、おめでたい頭だな」 「〜〜〜〜っ」 対等の立場でないが故か、男はどこまでもにこやかに。 けれど、どこまでも人を馬鹿にした態度を崩さなかった。 これと相対するには、自分の体を手に入れて、本来の魔力を得る必要がありそうだ。 「さて、じゃあ、これから3ヶ月後にまた逢おう。 その時君が出す答えを楽しみにしているよ」 ふっと、男が漆黒の杖を振るうと、途端、僕は慣れ親しんだ日記の中に押し込められた。 空白の世界に一人降り立つ。 きっとこの後、僕の本体は元あった部屋へと戻されるのだろう。 外界を知覚できるようにこそしないものの、 上を見上げて、そこにいるであろう金髪の化け物を睨み付ける。 『…………』 知覚をしないのは、魔力の消費を抑えるために、ではない。 その理由もなくはないが、なにより。 奴のいけ好かない顔をこれ以上僕が見たくないからだ。 『……良いだろう。貴様の提案に乗ってやる』 ギリギリまで、大人しくしたフリをして、 貴様の言う『あの子』――僕の危険性を知っている誰かを炙り出してやる。 僕を燃やせと言うくらいだ。 その人間は、ホグワーツになにかあってほしくない人間に違いない。 貴様が大切にしているというそれが、僕の復活のための生贄第一号だ。 そのために、は生かさず殺さず、利用しつくしてやるさ。 殺意すら覚えるほどに。 ......to be continued
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