大嫌いだよ、リリー。 君の気遣いはあたしの逃げ道を塞ぐから。 Phantom Magician、75 取り残された芝生の上で、自分が大きく深呼吸をする音だけが響く。 朝靄に霞む視界には誰もおらず、そして、自分が世界にひとりきりであることを、実感した。 忘れていたワケでは決してないけれど。 それでも、最近。 自分が異端な存在なのだと、あまりに思えて。 どうしても、時々、泣き叫びたくて。 一度、静かに瞼を下ろしてそれが過ぎ去るのを待つ。 慎重に行動したほうが良い。 ふっと、ケーに言われた言葉が、頭の中に木霊する。 彼は確かに「彼らを傷つけたくなければ」そう言った。 それは、彼らの行為そのものによって危険があるのか、 それとも、彼らの行為によっては自ら制裁に乗り出すという意味なのか。 どちらなのか、判然としない。 けれど、ケーの性格を鑑みるに、そのどちらもという可能性が一番高そうだ。 ホグワーツの守護者だという、彼。 彼はその存在意義に則って、ホグワーツに仇なす存在を許さないだろう。 そして、それは。 「あたしにも、言えることか……」 思い出すのは、アナグマのカップと黒い背表紙のノート。 特に、秘密の部屋を開くために存在している闇の帝王の魂の欠片が、心の片隅から顔を覗かせた。 ……ぶっちゃけ「すみません、がっつり存在忘れてましたー!」って感じだったんだけど、 ケーはそれを許してはくれないらしい。 まぁ、言われてみれば、あからさまな危険物なんだけど! 魔力がないらしいあたしが持ってる分には無害すぎたので、忘却の彼方である。 が、ケーがああしてなにかを示唆する以上、リドルをあのまま放置するのはマズイ、のか? それらを踏まえて、なにをすべきか、なにをしなきゃいけないのか、考えれば考えるだけ。 「憂鬱、だなぁ……」 できるだけ早くリドルの日記を始末する? それは、それはつまりあれだろう? リドルを殺すって、ことだろう……? マートルを殺して、ハグリッドを追放して。 まんまと逃げおおせた、トム=リドルを殺すことだろう? 情状酌量の余地がほとんどないことも、分かるけれど。 自分に、自分にとって大切な誰かになにかしたワケでもない存在を、 どうにかしなければいけないのは、心の中に翳を落とす。 薄情と言われても、だってあたしは、その二人がどうなろうと、究極的にはどうでも良い。 ただ、いつかは日記を破壊しなきゃとは思ってる。 だって、そうしないと、ヴォルデモートを倒せない。 でも、本音を言えば、ずっと忘れたままでいたかったのに。 他にもある。 リーマスたちが、ホグワーツやらホグズミードを徘徊するのを止める? それはつまり、悪戯仕掛け人がリーマスのためを思っての行為に水を注すことじゃあ、ないのか。 それを嫌われずに行うには、すでに一定以上の好意を勝ち得なければいけないワケで。 一年足らずで、今のどん底に近い状態から、そこまで好かれるのは不可能に近い。 というか、普通に無理だろう。 ただでさえ、あたしは分霊箱を見つけ出して、壊さないといけないのに。 あのダンブルドアが長年かかって見つけ出したものを、たった、6年ちょっとで。 ハリーのように主人公ではない、自分が。 「どいつもこいつも……あたしに平和なラブラブスクールライフをさせてくんないのかよ。まったく。 ……無茶言ってくれるよ、本当に。すげぇ疲れる。あーあ――」 ――リーマスに、逢いたいなぁ。 この家のことで分からないことがあったら私に訊くといい。 怖く、ない? 私と一緒に一度飛んでみるかい? ……分かるよ。のことだからね。 君が、ここにいてくれて良かった。 っ! 、私も君が大好きだよ。 優しくあたしに微笑みかけてくれていたのが、もう何年も前のことのようだ。 嗚呼、逢いたいなぁ。 「おかえり、」って、言って欲しいなぁ。 ぎゅっとして、恥ずかしい台詞でもなんでも良いから、もう一度好きだって言って欲しい。 そうすれば、あたしは。 迷いながらも。 戸惑いながらも。 前に進んでいけるのに。 皆に嫌われて頑張れるほど、あたし、強くないんだよ……。 図々しい願いだとは分かっていても、心細さに自分の体を掻き抱く。 早朝の爽やかな陽気は、あたしにはあまりに寒すぎた。 靄を切り開いていく朝日ですらも、あたしの心を焦がしていく。 と、あたしが眩しすぎる世界から逃げ出そうとしたその時、 芝生を踏みつける、慌しい足音がその場に響いた。 「!」 そして、呼ばれたのは、自分の名前。 何年も親しんだものではないけれど、彼と同じ発音で呼ばれた、名前。 驚きに目を見開いたあたしが振り向きざまに見たのは、 朝日を受けて赤銅色に輝く髪を揺らしながら、こちらに向かって走ってくるリリーの姿だった。 それを見て、嗚呼、綺麗だな、と状況も忘れて見入る。 が、呆けたあたしの様子に気付かないのか、それとも正気に戻そうとしたのかは分からないが、 駆けてきた勢いそのままに、リリーはあたしの肩を力いっぱい掴んだ。 「一体どこにいたっていうの!?心配するじゃない!」 「うわ、わ、わっ!リリー、ちょっ!落ち着いてっ!!大丈夫だって!散歩!ただの散歩だから! 別にスリザリンの先輩やら悪戯仕掛け人になんかされたりしてないから!!」 一体どっから現れた、とか。 なんであたしが部屋にいなかったことを看破しているのか、とか。 訊くべきことはあったのだが、彼女のあまりの剣幕に驚いたあたしは、 なんだか余計なことを言ってしまったような気がする。 事実なのに、これだとクィレルやらジェームズやらになにかされてたみたいだ。 (最近、あいつらの待ち伏せエンカウント率が半端ない) 案の定、あたしの言葉にリリーの目が険しく細められた。 うわぁ、ごめん、ジェームズ……とひっそり内心で謝罪をしたあたしだったが、 続けられた言葉に、リリーの顔色を変えたのが別のものであることを知った。 「駄目よっ!」 「はいっ!?」 リリーは。 心優しく、強い彼女は。 「大丈夫、なんてそんな簡単に言っては駄目!」 あたしの態度にこそ、怒っているのだ。 あたしが、嘘を、吐いているから。 「なに、リリー本気でどうしたの……?」 けれど、あたしは困ったように苦笑して、彼女の優しさを否定する。 だって、どうして言える? 大丈夫なんかじゃないのだと。 救いたい相手を前にして、救うためのあれこれが辛いのだと。苦しいのだと。 どうして、ぬけぬけと言えるんだっ! 誰かに決められたワケじゃない。 頼まれたワケでもない。 自分で選んで決めたことに、泣き言を言ってどうするんだよ!? 空元気でも、嘘でも。 吐き続けなくちゃ、あたしは。 きっと、折れちゃうよ。 そして、あたしがなにも語るつもりがないのを悟ったのだろう、 リリーはその美しい顔を悲しげに歪めて、肩を掴む手に力を込めた。 「がなにかたくさん考えているのは分かるけど、 お願いだから、大丈夫じゃない時はそう言って頂戴。 お願いだから、私に友達をきちんと心配させて頂戴」 「…………っ!」 それは、予想外の言葉だった。 必死に隠していたものが、見通されていた羞恥。 心配してもらえた、という後ろめたい喜び。 それらに、あたしの頭の中はぐちゃぐちゃとかき乱される。 「頼りないのは分かっているし、貴女に事情があるのも分かるわ。 でも、寂しいときくらい、悲しいときくらい、そう言ってくれないと、私が困るのよ。 私たち、友達でしょう?」 「っ!」 『友達』 その好意を前提とした関係に、とうとう、あたしの中でなにかが決壊する。 あたしは、とうとう我慢できずに、くしゃくしゃに表情を歪めながら、 リリーの背中に縋りついた。多分、震えていたと思う。 そして、リリーは、そんなあたしを好きにさせたまま、優しく優しく、名前を呼ぶ。 「……?」 ごめん。ごめんなさい、リリー。 あたしは弱いから。 差し出された手を、拒めない。 今だけだから。 こんな弱いあたしを見せるのは、今だけだから。 今だけ、その背中を、優しさをあたしに下さい。 「リリー」 「……なぁに?」 「あたし……ちょっと色々自惚れてた」 「自惚れ?」 思い通りに魔法が使えて。 未来では、皆があたしを、『名もなき魔法使い』を惜しんでいて。 だから、努力なんてしなくても、悪戯仕掛け人たちと簡単に仲良くなれるものだと、信じていた。 リーマスの支えのひとつになれるのだと、勘違いした。 「どうにかできるんじゃないかなって、思ってた。 でも、昨日、そんな簡単なレベルじゃないんだなって、思い知らされた」 ひとりぼっちで、暗い屋敷に歩いてきたリーマス。 見ず知らずの鳥のために、人狼だという忌避すべき事実を認めたリーマス。 その微笑みは、あまりにも寂しくて。 「やっぱり、元気付けるのも、傍にいるのもあたしの役目じゃないんだ」 自分は本当の本当は『名もなき魔法使い』などではないかもしれないとさえ思った。 「でも、予想は多分合ってる。でなきゃ、辻褄があわなすぎる。 ただ、あたしはちっとも上手く動けてない……」 リーマスに避けられて。 ジェームズに嫌われて。 シリウスに憎まれて。 セブルスに疎まれて。 「どうやったらあんなに好かれるのか、どうやったらあんなに仲良くなれるのか。 自分のことのはずなのに、全然、分かんないんだよ」 「それは……分かる人の方がきっと少ないわ」 好かれるなんて、無理だよ。 仲良くなんて、してもらえないよ。 あたしはあの未来に向けて、頑張るはずなのに。 馬鹿なあたしは、空回りしかできないんだ。 「初めから、失敗した。その後も、どんどん首ばっかり絞めてる。 そのくせ、問題はずんずん積み重なっていくんだ。 あんな風に釘を刺されたのは、多分、あたしがその問題をすっかり忘れてたからなんだ。 もう、どっから手を着けたら良いのか、色々ありすぎて分かんないよ。 こんなんじゃ……」 ――救われない。誰も。なにも。 知ってるよ。 自分が救う、なんて押し付けがましくて偉そうなことができる人間じゃないくらい。 でも、それでも、あたしはリリーに、ジェームズに、シリウス、セブルスに生きていて欲しいから。 リーマスを、ひとりぼっちにしたくないから。 リーマスを、愛しているから。 みぞの鏡の前で、黒猫に願ったのだ。 この未来を、叶えるチャンスをあたしに下さい、と。 ヴォルデモートと対決することになっても。 いつかこの世界からいなくなっても、良いから。 あたしに、世界を救う機会を与えて欲しい、と。 絶対、その決断を泣いて後悔するに決まっているけれど。 それでも、絶対に文句なんて言わないから、お願いします、と。 がしかし、そんなあたしのひとりよがりな言葉を、 今までじっと話を聞いていてくれたリリーは遮った。 「誰も彼も、救おうとなんて、傲慢だわ」 「っ!!」 それは、あたしの行動を、否定する言葉だった。 まるで、あたしが救いたい人たち全てから、拒絶されたかのような気分に陥る。 けれど、続けられた声は。 「大丈夫。貴女は頑張っている。それは一緒にいる私がよく知っているわ」 あまりにも優しいものだった。 「そして、そんな風に貴女が頑張っているのに、上手くいかないはずがないじゃない」 「っ!」 否定なんかじゃなく、寧ろ全肯定をするような言葉。 弾かれたように顔を上げると、優しい翡翠の眼差しが、あたしを見つめていた。 嗚呼、これは。 「はらしく、前に向かって走っていけば良いのよ。 大丈夫。私やセブが、後は幾らでもどうにかしてあげるから」 リーマスのいる、あの森の色だ。 こんなときでも、そんなことを思い出す自分が切なくて。 リリーに申し訳なくて。 でも、心にぽっと灯がともったようで。 あたしは気がつけば、苦笑を浮かべていた。 久しぶりに浮かべた、本当の表情にしては少し締まらなかったけれど。 「……リリーはあたしに甘すぎるよ。巻き込まれるセブルスが可哀想過ぎる」 「そう?あれでいてセブはタフだから大丈夫よ」 「リリー……君はセブルスに一体なにをさせる気なの……?」 リリーは「さぁ?次第よ」と某悪戯仕掛け人に負けず劣らずわざとらしい笑みを返してくれた。 大好きだよ、リリー。 君の優しさはあたしを前に進ませるから。 ......to be continued
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