僕の大切な人はね。
誰かのために、微笑わらって独りを選ぶような人だったよ。






Phantom Magician、73





――寄るな触るなあっちへ行け!」
「嫌だなぁ、セブルス。そう言いながら、僕と話すの結構楽しんでるくせにぃ」
「貴様の脳みそは誤解と勘違い以外のことはできないのか!?」
「……人間思い込みって大事だよ?」

「…………」


今まさに曲がろうとしていた角から聞こえてくる騒々しい声に、息を潜めて立ち止まる。
どうやら、いち早く反応できたおかげで、彼らは僕の存在に気づいていないようだった。
さて、どうしたものかと思いながらも、そっと様子を伺ってみる。


「信じる者は救われるっ!ってことで、さぁ、セブルス、今日からこれを使ってみようか!」
「……聞きたくもないが、何だ、それは?」
「ふふん、よくぞ訊いてくれました!これはあぶらとり紙さ!
僕の故郷では思春期の必須アイテムなんだよ。個人的にはやっぱり京都のよ○じ屋のがおすすめかな」
「それで、僕に何をしろと?」
「そりゃあ、そのテカッた鼻を拭くに決まってんじゃん」
「〜〜〜〜〜貴っ様っ!」


カッカと怒りを撒き散らしているセブルス。
それに対するはどこまでも余裕で。
けれど、何故だろう。
それはジェームズたちとのやりとりと酷く似ているはずなのに。
彼らに対するのと違って、セブルスは単純に怒っているだけで、憎しみとかそういう負の感情はまるでないようだった。
そして、はにこにこと楽しげに、小さな何かの入れ物をセブルスに押し付けている。

その笑顔は、つい最近よく見るようになったもので。
最近の僕を悩ませる、主な原因だった。


『リーマス!一緒に次の教室行こう!』
『今日も格好良いね、リーマス』
『実は最近、故郷のお菓子を取り寄せたんだけど、一緒に食べない?』
『リーマス、元気ないね。大丈夫?』


何度僕が無視しても、めげずに話しかけてくる、留学生。
彼に対して僕が持つ感情は、とにかく困惑の一言に尽きた。
最初は、素直に気持ちの悪い変態とは関わらないでおこう、と思っていたのだが。
彼個人のことを思えば、彼は決して『気持ちの悪い変態』ではなかった。

悪い人間ではなく、寧ろお人よしの部類で。
いつもにこにこしている様は見ていて不愉快なものではないし、 シリウスに対して差別意識を改めろ、というようなことを言ったという点でも好感が持てる。
ただ一点さえなければ、もしかしたら気の合う友人になれたかもしれないとまで思う。
けれど。


『一目見た時から決めてました!付き合って下さい!!』


あれは、ねぇ?
いや、僕も同性愛自体を否定しているワケじゃないし、そんなものは個人の自由だとも思うけれど。
そんな想いを伝えられて、僕に一体どうしろと?
付き合うって、え、具体的になにをするの?
普通の男女の恋人みたいに抱き合ったりキスしたり?
いやいやいや、なんでそんな不毛なことをしなくちゃいけないんだい?
恋愛ってつまりは、生殖行為に綺麗な理由をつけただけだよね?
なんで、同性に一目ぼれなんてするんだよ。意味ないじゃないか。
嗚呼、いや、まぁ、それはどうでも良いんだけど。





そもそも、僕は誰かに好かれるような人間じゃあ、ないのに。





僕は知っている。
自分がどれほど罪深い存在か。
自分がどれほど危険な存在か。
容姿に惹かれる女生徒も。
学力に感心してくれる先生も。
僕の正体を知れば、近寄ってなど、来なくなる。
そう、それはきっと彼らですら……。

今日とて、満月を控えているせいか、体調が悪い。
明日――満月の日には、いつも通り医務室で過ごすことになるだろう。
そんなぼろぼろで煩わしい身体を抱えた僕が好き?
そんなものは、絵空事で。
お互いにとって、悪夢でしかない。

だから、それを知らずに好意を示してくるという存在は、可笑しくて。
例えようもなく、憐れだと思う。


「どうしたら、諦めてくれるのかな……」


徐々に遠ざかっていく、彼の声を聞きながら、僕は小さくひとりごちた。







そして、翌日の夜。
僕はいつも通りマダム ポンフリーに連れられて、ホグワーツをあとにした。
その道すがら考えるのは、いつもと同じこと。
いつもと同じ、暗い考え。

心配をしてくれる友人たちに黙っていることは酷く気が重いけれど、 知られてしまうより何百倍もマシだと、心の中で言い聞かせてもう五年。
聡明な彼らは、僕の正体を、いぶかしんではいないだろうか、気づいてはいないだろうか。
いつだって、この、明かりのない洞窟のような通路を歩くと、それが気になって、怖くて仕方がなかった。
決まった周期で具合が悪くなるか、外出する僕を、あの彼らが怪しんでいないはずがない。
けれど、何も訊かないでくれるのは、きっと友情なのだと思う。
もしかしたら、僕が話す日を待っていてくれているのかも、しれない。
そんな日は、絶対に来ないのだけれど。
彼らのその心遣いが切ないほど嬉しかった。
だから、大丈夫。
彼らが僕に優しくしてくれる内は、僕の秘密はばれていない……。

と、いつもの結論に達したところで、先導していたマダムが立ち止まった。
これも、予定調和。
ここから先は、一段と通路が狭いから、僕だけで歩かなければならない。


「さぁ、ここからは一人でも行けますね?」
「はい。いつも、すみません」
「これが私の仕事ですから」


生真面目に応えたマダムは身体をずらして、僕を通路の奥へと進ませた。
振り返ることはしない。
僕は、杖明かりを灯し、じめじめと寂しい道を独りで往く。

小一時間も経った頃だろうか、僕はいつも通り、満月の晩だけ過ごす屋敷に辿り着いた。
最近では、この屋敷は『叫びの屋敷』などと呼ばれているらしい。
なんでも、この屋敷で非業の死を遂げた魔法使いが、夜な夜な呪いの叫びを上げているのだとか。
真実を知っているだけに、その噂を聞いた時は、笑うべきか困るべきか悩んだものだ。
この屋敷には、僕以外の何もいやしないのにね。

と、苦笑しながら扉を押し開けようとした僕だったが、 その考えを否定する、それは可愛らしい声が屋敷には響いていた。


あーいしちゃったんだ、たぶん
きづいてなーいでしょー
つきのーよーるねがーいこめーてーMoony
指先で贈る君へのメッセージ♪


それは、人ではないものの声。
そっと、その声の響いてきた方を見上げると、 そこには、見たこともないような美しい群青の鳥が機嫌よく歌を紡いでいた。
艶やかな羽は濡れたように月の光を反射し、燐光を放つようである。
別に鳥に詳しい訳ではないが、その美しさは、ダンブルドアのフォークスにも劣らないのではないだろうか。
と、あまりの美しさに見とれていた僕は、どうやら思考力が低下していたらしく。
気がつけばどうでも良いことをぽつりと呟いてしまっていた。


「指先って……指がないじゃないか」
『!!!!』


すると、その声を聞きとがめたのだろう、 その美しい鳥は驚きのあまり留まっていたはずの箪笥から、それは盛大な悲鳴を上げて滑り落ちた。


『ぎゃああああぁあぁああぁー!!?』
「うわっ!」


慌てて、その身体に手を伸ばし、どうにか床に叩き付けられるのを阻止する。
思わず、無事にキャッチできたことにほっと安堵の息が漏れた。
そして、予想外にも大人しく僕の腕に収まっている鳥に、笑みを見せる。


「驚かせてしまってごめんね。怪我はないかい?」
『…………っ!』


が、驚きすぎてしまったのか、鳥はまるで反応がなかった。
ぱくぱく、と何か言いたげに口を開閉させているが、その声が出てくることはない。
ええと、頭を打った、とかじゃないと良いんだけど。
もしそうなら、ハグリッドの所にでも連れて行かないと。
ああ、でも、そうなると夜が明けてしまう。
それに、変身した僕が危害を加えないとも限らないし……。

と、僕の内心の葛藤など知らないその鳥は、やがてようやく落ち着いたらしく、 恐る恐る、といった感じで口を開いた。


『……僕の言葉が分かるの?』
「ああ、うん。そうだよ。それより、怪我はない?」
『うん。大丈夫。また・・……助けてくれたから』
「?また??」
『前にね。君じゃない人に助けてもらったことがあるんだよ』


どうやら、話が通じることに警戒を解いたらしい彼は、 今度は興味津々という熱い視線をこちらに向けてきた。
僕をそんな穴の開くほど見つめたって良いことなんかひとつもないのだけれど。
どうやら、彼は随分と人懐っこいらしい。
きっと、寝床にするためにこの屋敷に潜り込んだのだろう。
そこがどれほど危険な場所かも知らないで。
ますます、ここから出さなければと思い、僕は手を放しながらこの場から離れるよう忠告した。


「ここにはね、これから凶暴な人狼がやってくるんだ。
危険だから、君は早くお逃げ」
『……それは無理だよ』


がしかし、彼は困ったようにしながらも、きっぱりとそれを拒絶した。


「どうして?」
『だって、僕は鳥目だもの。月明かりがあったって禄に見えないよ』
「……なるほど」


鳥といえば梟が身近なために、そんな簡単なことにも気づかないとは。
確かに、目が見えないというのに外に放り出されるなんて、彼にしてみれば堪ったものではないだろう。
けれど、ここにいては危険なのも確かで。


「なら、できるだけ高いところにいて、息を潜めておいて。危ないから」
『それは良いけど。……君は?』
「え?」
『人狼が来るんだろう?だったら鳥の僕より、人間の君の方がよっぽど危ないじゃないか』
「!」


まっすぐに。率直に。
出逢ったばかりの美しい鳥が、僕の身を案じた。
それになにより、彼は僕を『人間』と。
鳥の声さえ分かるほどに、獣に近くなったこの僕を、『人間』だと。
なんの打算も含みもなく、至極当然のことのように言い放つ。
そのことに、僕は。


「いや。危なくなんて、ないんだよ……」


なんだろう、酷く気が抜けてしまった。


「だって、僕がその人狼なんだから」


実を言えば、人間よりも動物たちの方がよっぽど人狼である僕に優しかった。
だからだろう、僕はひた隠しにすべき、その秘密を、気づけば口に出してしまっていた。
まぁ、相手は人ではないのだから、そこまで神経質に正体を隠す必要はないし。
怖がるなら怖がれば良い、そんな少し投げやりな気持ちがあったのも確かだ。
期待をすれば、裏切られるから。
それなら、最初から期待などしなければ良い。

そして、目の前の彼がどんな反応をするか、と興味本位で見つめていると、 彼は取り乱したり、逃げ出したりすることなく、ただ、こう言った。





『そう。寂しいね』





「!!!!」
『大丈夫だよ。僕は人間じゃないから・・・・・・・・・・君の傍にいられる・・・・・・・・
だから、お願い。そんな悲しい表情カオしないで。
独りで泣かないで。僕を傍にいさせて?』


そして、彼のつぶらな瞳からは、どこから現れたのかと思うほど大粒の涙がこぼれていた。
それを見て、嗚呼、鳥も泣くんだな、とぼんやり思った。
不死鳥も泣くくらいだから、なにもおかしくはないのかもしれないけれど。
僕は、泣いてなんかいないのに。
涙を流す、彼の方がよほど人間のようだ。

それは儚く。美しく。


「どう、して……君が泣くの?」


泣かないでと言いながら。
どうして見ず知らずのはずの君が泣く。
そう問えば、彼は溢れる涙はそのままに、首を振った。


『君が……君たちが泣かないからだよ』
「君たち?」
『僕の大好きな人も……人狼なんだ』
「!!」


美しい鳥は、切ない声で、語りだす。
彼と。彼を慈しんだ人狼の話を。
胸を突くほど優しい瞳で。

そして、その夜。
彼は僕が変身した後も、つかず離れず、傍にいて。
僕が求めるままに、大切な誰かのことを語り続けた。
それは、夜が白むまで続けられた、夢物語。
彼は、次の満月に続きを話してくれると約束して、やがて暁の空へと飛び立って行った。





逢いたくて、逢いたくて。
でも、逢えないんだ。






......to be continued