ちゃんと自分でも、分かってはいるんだ。





Phantom Magician、199





どくん。

どくん どくん。


心臓の音が、やけに煩い。
それは緊張からか、高揚感からか分からない。

僕はジェームズ達の家からほど近い、ある屋敷の窓の前に座り込んでいた。
偶に、ガラス越しにジェームズ達の家に視線が走るが、 そこは、闇の帝王が入ってからも何の変化も起こらない。


「…………」


ずっと見ていることには耐えられず、
かといって、全く見ないで無関係を装うことも、僕には出来なかった。

心臓が痛くて。
手は、気持ちの悪い冷や汗に濡れている。
今、まさにジェームズ達が襲われていると思うと、落ち着かなかった。


「…………」


もしかしたら、罪悪感からなのかも、しれない。
そんなものが、卑怯な自分にまだあったとは、驚きだけれど。

彼らは今、何を思っているだろう?
少なくとも、ジェームズはハリーを大人しく差し出したりなんかしないはずだ。
闇の帝王に襲われて。
間違いなく死ぬ程の恐怖が押し寄せているに違いない。
それとも、僕と違って強い彼らは、そんな恐怖にも抗えるのだろうか。

僕の裏切りに対して、怒っている?恨んでいる?
まさか、悲しんで、くれているのだろうか……。


「…………っ」


一瞬、悲し気なリリーの表情が浮かんでしまい、頭を振ってそれを打ち消す。

これ以上、ジェームズ達に想いを馳せると、 間違いなく辛くなりそうだったので、僕は敢えて今後のことについて考えることにした。
そう、輝かしい未来のことだ。


「……間違いなく、凄い功績だよね」


自分を打ち負かす程の存在を、倒せるのだ。
幹部連中にだって劣らない働きだろう。

闇の帝王は、きっと今までにないくらいの笑みで、僕に褒美をくれるに違いない。
「望みのものを取らせよう」くらいのことは言ってくれるかもしれない。
そうなったら、何を望もう?
何を願おう?
きちんと考えておかないと、僕のことだ。
どもって変なことを言ってしまいかねない。
千載一遇のチャンスに、それはあんまりだ。

あーでもない、こーでもない、と僕は楽しい想像を膨らませる。
それを人は現実逃避と呼ぶのだけれど、生憎、僕にはそれが分かっていなかった。

そして。
恐ろしく長い数十分が過ぎて。
それは、急に起こった。


「……あ――っ!」


まるで、その家だけが局所的な地震に襲われたかのように。
見えない巨人が握りつぶしたかのように。
ジェームズ達の家は、クシャクシャになって崩れ落ちた。

何の前触れもなく。
ただ、激しい瓦解の音の余韻を残して。
もうもうと土煙が上がり、そこがどうなっているのか、分からなくなる。
慌てて目を凝らすが、ただでさえ暗い中、様子は全く伺えない。


闇の帝王は?
分からない。
ハリーは?
見えない。
ジェームズは?リリーは??
何処にも、いない。


『やぁ。僕はジェームズ。君は?』
『あら、ピーター。どうしたの?』



「〜〜〜〜〜〜っ」


土煙の中に、彼らの笑顔を見た気がして。
優しい声が反響した気がして。
僕は奥歯を噛みしめて、その幻覚を振り払う。

それは、記憶という名の幻だ。
彼らはもう、二度とそんな表情を僕に向けない……っ。
そんなことは、とっくの昔に分かっていたことだった。

僕はぴったりと窓に顔を付けて、闇の帝王の姿を探す。
ジェームズでも、リリーでもない、彼の人を。
多分、その目は軽く血走っていたと思う。



だって、もう他に縋る物がないから。



と、僕が祈るような思いでそこを凝視し始めてから、少しして。
瓦礫の間から、緑色の閃光が、打ち上がる。
それは見る間にジェームズ達の家の上に、広がって。

何度も何度も見た光景。
何度見ても、慣れない景色。

不吉な、髑髏が空中で口を開けていた。


「……っや、闇の、印っ」


髑髏の口から鎌首をもたげるのは、彼の人を表す蛇。
それはそう、誰もがその意味を知るものだ。

そして、今回、それが表すのは……ポッター一家の死に他ならない。
と、そのことを認識した途端、


「……ぐぅっ……げっ…」


ごぼり、と胃の中のものがせり上がり、 僕は誰のとも知れない部屋の中で、嘔吐した。
口の中は妙な酸味で気持ち悪く。
さらに不快感が喉の奥を刺激する。

つん、と。
鼻の頭も痛くて。
その苦しさのあまり、涙が溢れてくる。


『さぁ、君の出番だよ!ピーター!!』
『そこが分からないの?なら、一緒にまとめましょうか』
『よくやった!!流石僕の友達だ!!』
『ピーター。嫌なら嫌って、断っても良いのよ?』
『だー、うー、あ?』



「げぼっ……かっはっ……うぉぇっ」


苦しい。
クルシイ くるしい。

吐くものも、もうないのに。
体は汚い物でも吐き出すみたいに、ずっと嗚咽を刻む。
でも、そんなもの、もうどうしようもない。

汚い物が入っているのではなく、僕こそが汚いのだから。

吐き出すことなんて、出来るはずもない。







やがて、手に力が入らなくなるくらいまで吐いた僕は、 魔法でその場を乱雑に拭い、よろよろと立ち上がる。
本当は、今すぐにでも闇の帝王の元へ向かわないといけないのに。
体は鉛のように重くて。
ドアノブに伸ばした手が、宙を彷徨う。
僕は気が付けば、玄関先で立ち竦むことしかできないでいた。

こんな状態で闇の帝王の前に出たら、間違いなく見下げ果てられるだろう。
もしくは、側近連中から馬鹿にされるに違いない。
なら、もう少しマシな状態になるまで隠れているのが、正解だ。

幸い、いざとなれば自分は鼠に化けられる。
そのことは死喰い人デスイーター達も知っているけれど、 どの鼠が僕かなんて、見分けられないだろう。

ジェームズ達じゃ、ないんだから。


――――っ」


鼠なんて、どれも同じだと思うのに。
悪戯仕掛け人の彼らは、いつだってそれが僕だと気づいた。
それが、僕は嬉しくて。

でも、それでも信じ切れるわけじゃなくて。

僕はいつだって、機嫌を損ねないようにと彼らに気を遣っていた。
多分、僕らの人間関係が歪んだのは、それも原因の一つなんだろう。
対等なはずなのに、僕が遜って。
彼らはそれを当然と勘違いして。
そして、行き着いた先の未来がこれだなんて、なんて不条理。


『おどおどと人の顔色窺って近寄ってくんな!気持ち悪ぃんだよ!!』


「!」


ふと、そこで鋭い青年の叫び声が、耳に蘇る。
そこで、僕はようやく、彼の――いや、彼女の嫌悪の理由が腑に落ちた。

には、分かっていたんだ。
僕が、彼らを本当には信じていないことが。
いつか裏切るであろうことが。
だから、上辺を取り繕った僕らの友情を、嫌った。

真っ直ぐに、僕が嫌いだと全身で訴えてきた彼女。
今の僕を見たら、きっと彼女は激しい怒りをその瞳に浮かべるだろう。
人殺しと罵り。
亡き人を嘆き。
真っ直ぐに、僕を糾弾するに違いない。

それを思うと。



不思議と心が軽くなった。



悪くなどない僕。
でも、非難されるべき僕。
君はきっと、僕を許さないだろう。
そのことに、僕はほんの少し、救われる。


「僕は僕の為だけに生きるから――……」


君だけは、僕を非難して欲しい。

シリウスもリーマスも。
きっと僕に対して怒るだろうけれど。
憎むだろうけれど。
下手をすると僕に同情して、心の底からは非難しないかもしれないから。
最初から僕を嫌う、君にこそ、僕の罪悪感を預けよう。

自分の利益だけ追及できれば、他はどうでも良い僕。
友達の喪失に心を痛め、良心の呵責を感じる僕。
どちらか一方ではなく、どちらも自身だということに、僕は今更ながら気づいてしまった。
だから。
矛盾する心を切り離すことで、僕は心の安定を図った。







そして、心を落ち着けること十数分。
僕は、人間の姿のままで瓦礫と化した家へと向かった。
動物もどきアニメ―ガスの魔法は姿くらましと同じで、 失敗すると大変なことになるので、やっぱり止めることにしたのだ。
多大な働きをした後に、そんな惨めな姿を見せる訳にはいかない。

打ち上げられた闇の印に怯えたのか、 周囲はしんと静まり返り、針が落ちる音さえ聞こえそうなくらい、空気が張りつめていた。
自然、僕もごくりと喉を鳴らした後はひたすらに息を殺し、 音を立てないように、ひそやかに歩く。

少しずつ視界に入ってくるポッター家。


「…………っ」


その無残さに、顔を顰める。
壁は崩れ、柱だけが屹立し、家具などが散乱する。
まだ建てたばかりで、経年劣化すらなかったはずの建物も、こうなってしまえばただの廃墟だ。

だが、その廃墟には違和感があった。
無秩序に崩れた割に、その中央部分は妙に瓦礫が少なくて。
ぽっかりと、空間が空いている。
まるで、そこに誰かがいたかのように。


「……我が君?」


はっと、そこで僕は当然ここにいるべき人が見当たらないことに気づいた。
闇の印を打ち上げて、その後、彼の人は一体どこに消えたというのだろう?

ざっと見る限り、瓦礫の中に死体は見当たらなかった。
当然、闇の帝王としては、自分を打倒する存在の死体を、周囲に見せつけたいはずだ。
闇の帝王に逆らおうとした愚か者を、衆目に晒したいに決まっている。
それなのに、ここにはジェームズの死体も。
リリーの死体も。
ハリーの死体でさえ見当たらない。

ひょっとして、何処かに持って行ったのか?
例えば、そう……ダンブルドアにでも見せつける為に?
でもそれなら、ハリーだけで良いはずだ。
幼い赤子の死体は軽くて、小さくて。
それだけで十分に凄惨だ。
両親の死体をわざわざ運ぶ手間を、彼の人が選ぶとは思えない。

なら、瓦礫に埋まっているだけで、ジェームズやリリーはここに倒れているのか?
それで、ハリーだけ、闇の帝王が連れて行った??


「…………」


と、この状況に説明をつけるなら、そのくらいしか僕に考えつけなかったが、 そうなると少々まずいことになった、と思う。
近くで経過を見守るはずだったのに、その仕事を放棄した状態なのだから。
急いで、闇の帝王を追いかけないといけない。

とりあえず、ホグワーツに向かおうか、と僕が思ったその瞬間だった。



「ピーター!」



凛とした、 けれど、どこか泣きそうで。
激しくて。

酷く、懐かしい、声がした。


――……嗚呼っ」


まさか。
まさか、こんなすぐに逢うだなんて思っていなかったから。

僕は結局、その声の主を見る間もなく、 全力でその場から逃げ出した。
自分の背中に突き刺さる怒りに、心を震わせながら。





卑怯者って、呼んで良いよ。





......to be continued