「君は自由だ」
そう言う君が、一番自由だった。






Phantom Magician、196





「…………え」


はじめ、その黒い木々に覆われた景色を見ても、あたしはそれが現実の光景とは信じられなかった。
オレンジと黒で飾りつけをさせた温かみのあるポッター家のリビングと。
目の前の寒々しい門とが、あまりにかけ離れていたせいもあるかもしれない。


「スティア?」


最後に、僅かに見えたスティアの達観したような表情カオが目に浮かぶ。
それが、なにを表しているかを知って、


「ど、……しよ……」


目の前が真っ赤になった。

あいつは、この大事な場面からあたしを締め出したのだ。

思わず、右耳のカフス――移動ポートキーを握り込む。
戻れと念じても、さっき激しく光ったのが嘘のように、カフスは沈黙していた。

スティアと迎えた最初の誕生日で、あいつはこれを寄こした。
つまり、自分一人で、闇の帝王を相手にすると。
その時から決めていたのだ。


『ある日、ある時、ある場所で、災いから遠ざかる魔法だ』
『だから、ずっと外さない方が良いな。死にたくないのなら』

望む変革は他者の手によって誤ることなく果たされる。
汝が白き手と引き替えに



サラにも、言われていたのに。
予言でも、言われていたのに。
そのことに気づかなかった自分が、なんとも情けなくて涙が出てくる。

分かっていたことじゃないか。
スティアはいつだって身勝手で。
勝手にあたしを守ろうとするのだ。
あたしの自由意志を守ると言いながら、その実、自分こそ自由にしやがるのだ、あいつは。


「ふざけっ……!」



ただ、そうさせたのは、他ならぬあたしの弱さだった。



「…………っ」

頭の良いスティアには分かってしまったんだろう。
あたしには、この期に及んで、人を殺す度胸なんてないことを。
闇の帝王に、心から怯えているのを。

だから、逃がした。
その方が、自分もあたしも安全だから。

でも。
スティアは言っていたじゃないか。
「最悪だ」と。
ということは、スティアにとって都合の悪いなにかが、あそこにはあったんじゃないのか。
もし、それが「あたしがまだいる」ということだったなら、それで良い。
でも、そうじゃなかったとしたら?
いつだって自信家で、プライドの高い案内人は、絶対にあたしに弱みなんて見せないから。
本当のピンチも、あたしには分からない。



「!セブ、どうしよ……スティア、が……っ」

と、沈むあたしを呼ぶ、声がした。
直近の記憶にあるよりずっと低い声だったが、それは、彼を最初に認識した時の声だ。
間違うはずなどない。

あたしは、ひっそりと門の影と同化するように佇んでいた黒い人、 セブルス=スネイプを必死に捕まえる。
久しぶりに会った彼は、闇の陣営に入り込んでいるせいか、とても顔色が悪かった。
がしかし、そんなものに構っているだけの余裕は、今のあたしにはない。


「助けて……!お願い、スティアを助けてっ!!!」


いつの間にか杖を手放してしまっていた自分に歯噛みしながら、 あたしは唯一の蜘蛛の糸である彼に縋った。
がしかし。


「……それは、できない」
「!!?」


その糸は、あまりに頼りない。

彼に似合わず、どこか悲痛そうな面持ちで、 セブルスは自分が、スティアにあたしを頼まれた旨を説明した。
それが、リリーを守る条件なのだ、と。


「奴は、お前を大切にしていた。守りたかったんだろう」


うるさい。


「どうせ、お前がいても足手まといにしかならない」


うるさい。


「きついことを言うようだが、お前はここで大人しくしていろ」


うるさい煩いウルサイうるさい!!

不安から、段々と怒りに感情が変わっていくのを感じながら、 あたしは諦念も露わなセブルスの胸倉をつかむ。
はっとしたような彼の瞳に映るあたしは、燃えるような目をしていた。
そして、その口が大きく息を吸い込んで、叫ぶ。


「お前らの都合なんか知るか!!」
「!!」


女は男に守られていれば良いって?
わざわざ、その手を汚す必要はないって?


「あたしのことを、勝手に決めないでよ!!」


あたしが、どんな想いで腹を括ったか、知ってるくせに!

ヴォルデモートは怖いし。
人殺しになんてなりたくないし。
どうにかなるのなら、神様にだって、悪魔にだって願うけど。
でも、それ以上に。


「あたしが守るって決めたの!」


この世界を。
愛おしい日常を。
大事な友達を。
そして、なによりあの人の心を。


「決めたのに……っ!!」


駄目だだめだと思いながらも、涙が溢れて、俯いてしまう。
こんな裏切りがあるだろうか?
ずっとずっとあたしを手助けしてくれた存在が、最後の最後であたしを除け者にするのだ。

あたしは、自分の手の平をぎゅっと握りしめた後、 涙を払うように頭を横に振ると、セブルスを睨みつける。
数年ぶりにあった友達に対する態度ではまるでなかったが、 奴との共犯だと思えば、容赦なんて、する気も起きない。


「ゴドリックの谷に連れて行って」
「ゴドリックの谷、だと?」
「そう。ポッター家に、今、闇の帝王が来てる。
スティアはそれと戦うつもりなの。独りで」
「!!!」


心の片隅で良心が、セブルスに手を合わせるのを感じながら、 あたしは一切の感情を込めずに、その言葉を発した。


「リリーを守りたいなら、自分で守りなよ。セブルス=スネイプ」
「っ!」


君はポッター家にリリーがいないことを知らない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・のに。
いや、知らないからこそ。
あたしは、君の深い愛情を利用する。


「あたしが、ポッター家まで案内してあげる」






幸いにも、セブルスはゴドリックの谷の場所を知っていた。
(ホグワーツ生にとっては、かなり有名な観光スポットというか、名所的な場所だったらしい)
原作で読んだセブルスの両親は、そんな観光に連れて行ってくれるタイプの親ではなかったので、 もしかしたら、リリーとでも行ったのかもしれない。
それか、ポッター家が隠される前あたりに、リリーをそっと見守りに行った、とか。

まぁ、どんな理由でも良いが、場所を知っている、ということがとにかく重要だった。
なにしろ、姿くらましは、行く場所を正確に思い描く必要があるのだから。
あたしは基本、誰かに連れて行ってもらう人なので、よくは分からないが、 イメージが足りないと『バラけて』しまい、それはもう悲惨な目に合うらしい。
(原作でも、ロンがバラけてたよね……。スプラッタ、マジ怖い)
(折角、五体満足で生まれたんだから、バラけてたまるもんか!)

危機管理、という面で一つ問題はクリアされた。
あとは、セブセブが他の人を巻き込んだ姿くらましが出来るか、ということだが。
彼は、腹をくくってしまえば、後は行動出来る人なので、 あたしが杖を持っていなかった時点でそれを想定していたらしく、


「問題ない」


と、それはもう力強い返答をくれるのだった。
なので、善は急げ!とばかりに、あたしはセブルスにがっつりと腕を絡ませる。


「っ!!な……っ」


初心なセブセブがそれに対してぎょっとしたような表情をするが、基本は無視だ。
例え、うっかり胸に腕が当たってしまっていても、それは役得とでも思って流してくれ。
今はラッキースケベに思いを馳せる、少年漫画な展開ではない。


「セブルス、早く!」


寧ろ、今はスプラッタ上等な青年漫画である。

根が真面目なセブルスは、あたしの鬼気迫る促しに、 細かいことに構っている場合ではないと思い出したらしく、 「しっかり掴まっていろ」と、キリッとした表情で言った。


……初めてだが、まぁ、大丈夫だろう
「は!?」


限りなく、怪しい呟きが続いたが。


「ちょっ待……っ」


パチン!


慌てて制止しようとしたあたしの声は届かず、 セブルスはあたしを連れて、一緒に姿くらましをした。
途端、あたしの大っ嫌いな腸がねじれるような感覚がして、 地面にぺいっと身体が投げ出される。


「…………」
「…………」
「…………」
「…………」


体は……バラけていない。
気分も、二回連続で移動した割には、そこまでの不調はなさそうだ。
(アドレナリンでも出ていたのかもしれない)
がしかし、直前に聞こえた恐ろしい言葉と、 荷物のように投げ捨てられた怒りはどうしてくれよう?


「…………」


まぁね?
ぼっち上等なセブセブが、誰かを連れて姿くらましをするとか、そんな経験あるはずないよ。
うん。考えてみれば分かることだ。
だって、ホグワーツ、姿くらまし禁止だし。出来ないし。
それは、だから、仕方がない。
ただね?

それなら、そうと正直に言ってくるべきなんじゃないかって、思う訳だ!
そうすれば、箒を使うなりポートキーを作るなり、別の手段を考えられたでしょ?
別の。安全な手段を!
あんな心強い感じで問題ないとか言ってたくせに、ぶっつけ本番とか、どういう神経してんだ、コイツ!?
失敗したらどうしてくれるんだ。
スティア助けるどころじゃなくなるじゃないか。


「って、はっ!こんなことでセブルス殴ってる場合じゃなかった!!」
「オイ、ちょっと待て。お前今、吾輩のことを殴るつもりだったのか?
さっきのは、不可抗力というか、寧ろ、お前の方がセクハラを……」
「人を痴女扱いすんな、ハゲ!」


流石に、何処で誰が見ているか分からないので、小声で罵りながら、 あたしはざっと周囲に視線を巡らせる。
ポッター家には箒で行ったので、周囲の街並みについては事前に頭に叩き込んであった。
ここは……ポッター家から2ブロック先、といったところか。

幸い、方向音痴のあたしにはありがたいことに、ポッター家のすぐ傍には素敵な教会があり、 古き良き街並みのこの辺りでは、遠くからでもよく目立つ。
あたしは、納得のいっていない様子のセブルスをどうにか宥めすかし、 透明になる魔法をかけてもらって、そちらへ向けて走り出した。

がしかし、慣れない状態のせいで、いつもの速度は出せない。


「……くっそ、走りにくいなっ」
「手を繋ごうとか言ったのは、お前だろう!?」
「しょうがないでしょ!ぶつかるんだから!!」


透明になったことの弊害として、お互いが透明なため、 下手すると無防備にクラッシュしてしまう、ということがある。
その対策として彼の手を引っ掴んでみたのだが、セブセブはどうやらご不満のようだ。
骨ばったセブルスの腕を、あたしが連行している感じなので、まぁ仕方がないといえば仕方がない。


「というか、これ、手を繋いでいないだろう!」
「繋がってれば良いでしょ!それとも恋人つなぎしてあげようか!?」
「っ!!」


勢いに任せて、こんな状況にまるで相応しくないことを宣うあたしに、 セブルスは流石に、なすがままだった足を止めた。
必然、その腕を取っていたあたしも、たたらを踏んで止まらざるを得ない。
……しまった。少しばかり不謹慎だったか。

でも。

馬鹿なこと言ってないと。
不安で。
嫌なことばかり、考えてしまって。
怖くて。
喉が乾いて。
仕方がなくて。

ただ、流石にこの状況でこれは、セブルスの怒りがヤバイと思っていると、 案の定、まるであたしの姿が見えているかのような正確さで、頭に拳骨が降ってくる。


「いだっ!!」


お前っ!実はあたしに魔法かけ損ねてるだろ!?

あまりの痛さに、思わず抗議の声を挙げようとしたあたしだったが、 次いで、結構な乱雑さで顔を何かに押し付けられる。


「わぶっ!?」

「馬鹿が……何かに触っていないと不安なら、そう言え」
「っっ!!」


抱きしめられた。
そう理解する前に、セブルスはぱっとあたしを解放し、 今度は寧ろ、自分があたしの腕を取る形で、ずんずんと歩き始める。

その手は温かくて。
大きくて。
不器用な、彼の優しさが伝わるかのようだった。


「……大人になったんだね、セブルス」


彼をもう、セブセブなんて呼べないな、と思った。


「なんだ?」
「いや?赤面顔が見られなくて残念、って言ったんだよ。このシャイボーイめ」
「!!!!」







そんな風に、セブルスに適度なガス抜きをして貰いながら、 出来るだけ急いで来たポッター家だったが、 残念ながら、その家はセブルスの目には映らなかった。
あたしもちゃっかりと・・・・・・失念していたが、 ピーターがジェームズ達の為に書いたポッター家の住所を、< こっそりとジェームズに見せて貰ったあたしと違って、 セブルスは、忠誠の術に守られた彼らの家を、見つけられないのだ。

元々、闇の帝王とセブルスを対峙させるつもりなんか微塵もなかったあたしは、 これ幸いとばかりに、セブルスにあるお願いをすることにした。
そのお願いとは、


「ゴドリックの谷を封鎖しろ、だと?」
「うん、そう」


ネズミ捕り作戦である。

幸い、そこまで大きくはない集落だが、 あいつを見つけ出すまでには時間がかかる。
その時間を稼いでもらおう、という魂胆だった。


「良い?ピーターは絶対この辺りにいるの。
だから、ピーターが逃げられないように。姿くらまし出来ないようにして」
「ピーター?それは……ポッター共の腰ぎんちゃくのあれか??」


がしかし、ピーターの裏切りをどうやら知らないらしいセブルスは、 何故ここでそんなことを要請されるのか、まるで分からなかったらしい。

明らかに、何故ここで奴の名前が出るのか。
しかも、何故よりによってあんな目立たない奴なのか。
理解できない、とその表情が語っていた。

なので、あたしは心の底からの軽蔑を込めて、頷いた。


「そう、そのピーター=ペティグリュー。
ポッター家襲撃事件を手引きした、リリーが襲われる状況を作った男・・・・・・・・・・・・・・・だよ」
「!!!!」


その一言が、セブルスに与えた衝撃は、おそらく相当なものだった。
その表情が見られなかった為、あくまでも推測に過ぎないが、


「……奴が、か?」


絞り出された声は、ゾッとするほどの冷たさを孕んでいて。
それでいて、焦げ付くような殺気が滲んでいた。
そこには、同じくリリーを危機に陥れた自分への怒りも上乗せされて、 自分の体さえ引き裂きかねないものがあった。

彼が透明で良かった、と思う。
悪鬼羅刹のような表情をされてしまうと、目を背けてしまうかもしれなかったから。
もっとも、あたしも人のことを言えるほど、麗しい表情ではなかったと思うけれど。

結局、セブルスはその後は詳しい経緯などを聞くでもなく、 ゴドリックの谷を封鎖してくれると請け合った。
多分、それしか出来ない、ということと。
彼女に会わせる顔がないとでも思い直したのだろう。
もっとも、最後に「見つけたら、吾輩が殺す。それでも良いか?」と念押ししながらだったが。


「……殺すのは止めてくれると嬉しいな。リーマスが泣くから」
「はっ!貴様は昔からそうだな」


吐き捨てるようにそう言うと、 セブルスは約束をしてくれないままにいなくなった。
黒い霧になって。

箒がなくても飛べるという点では、闇の魔術も捨てたものではないのかもしれない。
まぁ、嘘だけど。


「頼むよ……セブルス」


そんな風に彼を見送りながら、あたしは心の片隅でほっと安堵の息を洩らした。


「良かった……」


怒りに燃える彼は、どうやら忘れたまま行ってくれたらしい。
あたしが、杖を持っていない、という事実に。
実は優しく面倒見の良い彼のこと、気づいたならあたしを一人で置いてはいかないだろう。

あたしは、ぎゅっと胸の辺りを掴んで深呼吸しながら、ポッター家を見る。
そこは、スティアと闇の帝王が争っているとは、とても思えないくらいの静寂に満ちていた。
外からは、彼の魔法のせいで、中の様子は伺えない。
がしかし、スティアがまさかこの短時間に、 ヴォルデモートを倒すとも、ヴォルデモートに倒されるとも思えなかった。
(幾らギャーギャーしていたとはいえ、ここを離れてからまだ30分ほどしか経っていない)

幸い、セブルスの魔法はまだ効果が続いているらしく、 空を飛んでもいないあたしは透明なままだった。
流れ弾、というか魔法が当たるのにさえ気をつければ、杖を回収して不意打ち出来る絶好の体勢である。
まさか、闇の帝王といえど、逃がされたはずの女がのこのこ戻ってくるとは思いもしないだろう。
……嗚呼、いや。


「闇の帝王だからこそ、かな」


段々と乾いてくる咽喉に唾を送り込み、 あたしは震える手で、ポッター家の扉に手をかける。


ドッ ドッ ドッ ドッ


心臓が耳にでも移動したように、やけに煩い。
血の気を失った指先は、まるで氷のようで。
天敵を前にした小動物にでもなった気分だ。

でも、後戻りは出来ないのを、あたしはもう知っていた。
一度だけ目を閉じて、深呼吸する。

瞼に思い描くのは、輝かしい日々。
そして、誰よりもなによりも守りたい、笑顔だった。


「……リーマス」



あたしに、勇気をください。



幸い、扉はきちんと閉まっていなかったので、引くだけで音もなくそこは開いた。
最低限、体を滑り込ませられる隙間を作って、中に入り込む。

と、そこで見たのは。


「っっっ」


床に転がるスティアと。
今まさに、彼にトドメを刺そうとしている、闇の帝王の横顔。
杖先が、緑色に輝きだす。


―――っ!!」


後はもう、頭で考えてなんかいなくて。
気づけばあたしの体は動き出していた。

そして、闇の帝王が死を宣告する。


「アバダ・ケダブラ!!」





君もあたしの幸せの一部だったのに。





......to be continued