今でも、叶わぬ望みが胸を焦がす。 Phantom Magician、191 ――ピーターが君たち親子を闇の帝王に売る。 その言葉を聞いた時、自分は確か「なにを馬鹿な」と思ったと思う。 誰をも信じられなくなるこのご時世であっても、 不死鳥の騎士団の人間が、特に僕の親友達が僕を裏切るなんて、毛一筋ほども考えたことがなかったから。 でも。 「――ってことで、本当の守り人はピーターにしたらどうかと思ってな」 目の前には、が言った通りのことを話すシリウスがいて。 「……危ない役目だよ。本当に良いのかい?ピーター」 普段であれば、そんな大役、尻込みして逃げ出すはずの君が。 「も、もももちろんだよ。ジェームズ。 に、逃げ回る位、僕にも出来るさ」 きょときょとと落ち着かない様子を見せながらも、 力強く、頷くから。 「そう……。ありがとう、ピーター」 僕の心の奥に、小さな小さな穴が開いた。 ねぇ、ピーター。 僕はいつも無神経だなんだって、リリーやに言われてきたけれど。 それでも、君が僕たちと一緒にいて、少しも愉しくなかったなんて、思えないんだよ。 それとも、君はずっと嫌だったのかい? 僕たちに振り回されて、迷惑だったのかい? それなら、そうと言ってくれれば良かったのに。 「……言えるはずない、か」 そっと呟いた言葉は、しかし、自分以外の誰にも届かず。 思わず、らしくない自嘲の笑みが漏れる。 そして、シリウスに「どうかしたか?」と訊かれた僕は、 あくまでもにこやかに「なんでもないよ」と応えてみせた。 真っ暗な闇の中。 僕は最近、いつもいつも学生の時のことを思い出す。 悪戯仕掛け人で学校中を駆け回って。 充実していた、あの日々を。 和やかな箱庭での、平穏を。 でも。 それは同時に、の告白をも、思い出させて。 ぐるぐると、あてどない思考の迷宮に、僕を埋没させる。 想うのは、そう。 小さな鼠の姿になれる、彼のこと。 少しおどおどとした、僕らの親友。 そんな必要はないのに、僕らの顔色を窺って。 そんな必然はないのに、僕らの後を追って。 不死鳥の騎士団にも、自然に入ってきた君。 そんな君が、闇の帝王のスパイだなんて、どうして思えるだろう。 目立ちはしなくても、いつも僕たちのフォローをしてくれて。 細かいことも気にかけてくれた君。 「……ピーターが、そんなことするはず、ない」 ふっと、閉じていた目を開く。 すると、ふにゃふにゃと、僕らの息子がむずがるような声がして。 僕は、僕たちの寝室を出て、子ども部屋へと向かう。 「はいはい。なんだい、ハリー?おむつかな?」 そろそろ生後数か月の息子は、ベビーベッドの中で僕の顔を見つけると、 嬉しそうに、にこにこと笑った。 リリーに似た翡翠の瞳は、生憎暗闇ではよく分からなかったけれど、 その形だけは、見間違いようもない。 「その様子だと、目が覚めちゃったのかー」 「あうっ!」 はふはふとヨダレを生産する口元をタオルで拭ってやり、 ひょいっと片手で持ち上げる。 (どうやらそれがお気に入りらしく、彼はきゃいきゃいと嬉しそうな声を挙げた) 「ああ!そんなに大きな声出しちゃ駄目だよ。 ママが起きちゃうだろう?」 「う?」 「うん、そうそう。流石、僕の息子」 ご褒美に自分と同じクシャクシャの黒い髪を撫でる。 リリーは、ダンブルドアが『秘密の守り人』を作った方が良いと言った日から、寝込んでいた。 それまでは、が心配性なだけだと。 予言なんて、アテにならない物なんだと、必死に自分に言い聞かせて。 表面上はいつも通りでいることが出来ていたのに。 穏やかに笑って。 ハリーの誕生を祝って。 慣れない育児に苦労しながらも幸せそうにしていたのに。 現実は、まるで僕たちに容赦なかったから。 の言葉が当たってしまったことに。 これからも当たっていくかもしれないことに、リリーは堪え切れなかったのだろう。 目に見えて、元気のなくなっていく彼女に、を恨みさえした。 どうして、そんなことを、リリーにまで教えてしまったのか。 僕一人だったら、どうとでもなることなのに。 ……もちろん、そんな重大なことをリリーに黙っているなんて、実際は出来やしないのだけれど。 分かっていても、思わずにいられなかったのだ。 ただ。 本当に悪いのは、他でもない闇の帝王なのも、分かっている。 分かっているから、に文句も言えない。 嗚呼、ジレンマだ。 「あう?」 「よしよし。仕方がないから僕で我慢しておくれよ、ハリー」 きょとん、と自分を見上げる息子に笑みを返して、抱き上げる。 大分しっかりしてきたとはいえ、まだまだ頼りのない体だった。 こんな赤子を脅威と見做すなんて、闇の帝王もヤキが回っていると思う。 「まぁ、確かに未知の生き物ほど怖い物はないけどね」 「あう」 なにしろ、『闇の帝王』だ。 赤ん坊なんて、得体の知れない宇宙人みたいなものだろう。 しかも、僕とリリーの子どもだ! 優秀であるに決まっている!! 「そうそう、きっと眉目秀麗で頭も良くて、運動神経抜群で、 紳士的かつ愛嬌満点の、世紀のイケメンになるに決まっているよ。ねー?」 「うー?」 そんな風に他に誰か聞いていれば、端から端まで突っ込んだに違いないことを言いながら、 僕はその後もハリーをあやし続けた。 がしかし、子どもというのは、さっきまで笑っていたと思ったら、急に泣き出すものであって。 どうにか寝かしつけようとしていた僕の努力は、 大きな声で見事にかき消されてしまうのだった。 おぎゃあおぎゃあと、容赦のない泣き声が家中に響き渡る。 で、結果。 「どうしたの?ハリー」 「……あちゃー」 愛しのリリーも起きる羽目に陥った。 「ごめんよ、リリー。君を起こさないようになんとかしようとしたんだけど」 「仕方がないわよ。はい、ハリー。その声はお腹がすいたのね?」 「あ゙あ゙あ゙ー!!」 流石に母は強しというか、泣き声だけで息子の訴えを把握したらしい。 (ちなみに、僕にはオムツなのか腹減りなのかどこか痛いのか、さっぱり分からない) 紳士の嗜みとして、そんな彼女達に背を向ける。 そして、散々悩んだ挙句、意を決して口を開いた。 「……ねぇ、リリー」 「なに?」 「ハリーはさ、君に似て超絶可愛い僕らの宝物だよね?」 「ふふっ。なぁに、突然?」 少し弾んだ、楽しそうな声。 今からそれを僕が変えてしまうことに、胸が痛むけれど。 永遠に言わずには、いられない。 「でも、僕は……ピーターもも大切なんだ」 「!!」 はっと。 驚きに目を見開いたリリーが、顔だけで振り返る。 それに、そっと苦笑いを返しながら、僕は口を開いた。 「シリウスあたりだと、『友達を裏切る位なら死んだ方がマシ』だとでも言いそうだよね。 僕も、そう思うんだよ。 もちろん、友達と家族、それもこんな赤ん坊なら、僕は僕の息子を選ぶべきだって分かっているのに。 ……僕の友達は皆凄い奴らだけれど、僕の息子は、まだ自分自身も守れないって分かっているのに」 「ジェム……」 それは、そう。優先順位の問題だ。 成人した大の大人と、生まれて間もない自分の子ども。 どっちを選ぶかなんて、考えるまでもない二択だ。 ハリーのことを想うなら、少しでも怪しい人物を秘密の守り人になんてするべきじゃない。 自分への誓いなんか忘れて、 万が一、が言った通りにシリウスがピーターを秘密の守り人に推薦してきたとしたら、 その時点で、ピーターもも、秘密の守り人にしなければ済む話なのだ。 でも。 頭では分かっていても。 それを選ぶ時に、心が痛まない訳では決してなくて。 簡単に、選べることでもなくて。 どうしたら良いのか、分からない。 そう、奇しくもこの時、僕は生まれて初めて、ピーターと全く同じことを思ったのだ。 こんな大変なことは誰かに決めて欲しいと。 心から思う。 すると、僕のそんな弱気をリリーは見抜いたのだろう、 ハリーをあやしながら、とん、と背中に体重を預けてきた。 「そうね。私達の子だもの。私達が守らないといけないわ」 「…………」 「でも、まだ大丈夫。が選択肢をくれたでしょう?」 その言葉に、この間見たの泣きだしそうな表情を思い出す。 考えてみれば、その通り。 僕たちを陥れるのでも、僕たちを守るのでも、 どちらであっても、彼女はただ「自分を『秘密の守り人』にしてくれ」というだけで良かった。 それなのに、彼女はピーターを秘密の守り人にした上で、自分もそうして欲しいと言ったのだ。 そんな不思議な提案をしたのは、 を信じきれない僕たちを。 ピーターを信じたい僕たちを。 酌んでくれたからに他ならない。 そう、彼女との約束があるから、僕はまだ、ピーターを信じていられる。 「まだピーターが『秘密の守り人』になった訳じゃないし、裏切ったと決まった訳じゃない」 「…………」 「それに、例えそうなっても、もなってくれるなら、ハリーは無事だもの。 ホラ、なんの問題もないじゃない?」 言い募るリリーの声は震えている。 多分、彼女は自分自身にそう言い聞かせなければ壊れてしまいそうだったのだろう。 僕と同じで。 「ああ、そうだね」 悩んで、苦しんで。 それでも、僕らは心を決めなければいけない。 それが多分、親というものだろうから。 灯りもない静かな部屋で。 僕達は『秘密の守り人』をシリウスに頼む手紙を考えた。 + + + そうならなければ良いと願いながら、シリウスに頼んだ大役は、 しかし、彼の提案でピーターとなり。 その瞬間、僕はを信じて全てを託す覚悟を決めた。 そのことに後悔はないし、 今までも、そしてこれからも、そうして良かったと胸を張れることだろう。 ただ。 彼女を、『秘密の守り人』にした、あの時に。 『……ピーターを、殺さないで欲しいって頼んだら、君はどうする?』 『自分達を裏切って殺そうとした相手の命乞い?』 『……はは。まぁ、そういうことにはなっちゃうんだけどね』 僕は。 僕たちは。 『どうしようもない奴だけど。でも、友達だから』 『…………』 『……それにさ』 『……なに?』 『君の手が、そんなことで汚れるのも、嫌なんだよ』 『!!』 君に、色々な物を背負わせ過ぎたんじゃないかって。 感情のままに相手を打ち倒してしまう方が楽なのに、そうさせず。 自分達を守ろうとしてくれている、華奢なその手に。 家族全員の命を乗せて。 君が断れないのを知りながら、願った僕は、多分、誰より罪深い。 『馬鹿だなぁ、ジェームズは』 『でも、多分あたしはさ』 『ジェームズのそういうところが、大好きだよ』 ――大好きだったよ。 ねぇ、。 僕も、君が大好きだよ。 奥さんがいる手前、一度も言ったことがなかったけどね。 僕たちは、ピーターに会うために、家を貸して欲しいとが頼んできた日。 10月の最後の日に。 叫びの屋敷で、ただひたすらに日付が変わるのを待った。 まさか、彼女がピ―ターどころか、闇の帝王と対峙して。 なおかつ、倒してしまうなんて、夢にも思わずに。 もう一度君に会って。 君にお礼を言うことが、儚い望みだと知らないまま。 君に大きくなったハリーを自慢したかった。 ......to be continued
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