迷いを断ち切ったのは、たった一言。 Phantom Magician、190 「お前が、三人を守るんだ」 精悍な顔。 真っ直ぐに自分を見つめる視線。 それに僕は、思わず笑ってしまった。 「もちろんだよ、シリウス」 嗚呼、ようやく君たちを、裏切れる。 闇の帝王に心惹かれたのは、一体いつのことだっただろう。 その圧倒的な力に。 怖いものなど何もないという姿に。 憧れを抱いたのは? その噂を聞く度に、恐れを抱くと共に、夢想した。 そんな凄い人の傍にいれば、こんな自分でも輝けるのではないか、と。 正直、シリウスやジェームズが闇の魔術を毛嫌いしているのを見ても、 僕にはいまいちピンとこない部分があった。 闇の魔術だって、便利なら良いじゃないか。 簡単な方法があっても、『禁じられているから』とやらないのは、馬鹿げている。 多分、僕には、二人がする悪戯と、闇の魔術の境目がよく分かっていなかったのだと思う。 だって、そうだろう? 最後の方はやっていなかったけれど、二人がスネイプにしていたのは、どう見たって良くないことで。 いじめだったと思うけれど、それは二人にとって『唯の悪戯』でしかなかったのだから。 闇の魔術だって、同じことだ。 どう見たって悪いことだって、やる側に罪の意識がないなら、良いじゃないか。 強大な力を前に、自分を守るためだったら、卑怯なことをしたって仕方がないじゃないか。 僕は、ジェームズ達とは違うんだから。 僕は、僕を守るために。 僕がより良い場所にいる為に、努力するだけだ。 「顔を上げろ、ワームテール」 「は、はいっ」 闇の帝王が根城にしている、マルフォイ家のある屋敷で。 僕は、小さい体を精いっぱい大きくしながら、闇の帝王に対峙した。 「それで?我が君の貴重な時間を費やすに値する報告なんだろうな?」 「…………っも、もちろん」 もっとも、自分の立場からすると、『対峙』と言っても、本当に向かい合っているだけのことで、 二人きりでさえないのだけれど。 この屋敷で最も豪華な部屋の、最も立派な椅子に、闇の帝王は堂々と腰を下ろしていた。 そして、その隣には一番の側近であるプラチナブロンドの髪を綺麗に撫でつけた青年が立っている。 全ての物事は自分を通してから伝えろと言わんばかりに、その存在は彼の人としっくり馴染んでいた。 まるで一枚の絵画のようだと、頭の片隅でちらりと思う。 自分とは、別の世界にいるようだ、と。 「か、必ずやご期待に添えるものですっ」 「貴様に期待など誰もしていない。報告があるなら、早くしろ」 と、ルシウス=マルフォイの冷たい視線が僕を射抜いた。 その余りの強さに、ここに来るまで期待と緊張で高鳴っていた胸が、別の意味でどきどきとしてくる。 誰よりも注目して欲しいと思っているくせに、 いざ注目されると、怖くて仕方がないのだ。僕は。 でも、そんな僕の臆病な心なんて、すっかりお見通しな彼の人は、 穏やかと言ってもいいような静かな口調で、「では、聞こうか」と先を促してくる。 思わずぱっと視線を上げたけれど、その深紅の瞳と目を合わせることはできず、 視線を彷徨わせたまま、僕はこれまでの経緯を洗いざらい口にした。 ダンブルドアに、ポッター家の子どもを狙っているのがバレていること。 その為に、ジェームズ達は『秘密の守り人』を作ったこと。 それになにより、その『秘密の守り人』が自分になったということ。 それは、今回、なにを置いても強調するべきことだった。 すると、その成果を聞いて、マルフォイはあからさまに胡散臭そうな表情をした。 『そんな大事な役目を、お前なんかにするはずがない』 その瞳は、そう雄弁に語っていた。 それはそうだろう。 多分、『秘密の守り人』の話が出た時点で、 マルフォイの頭には同じ純血のシリウスが浮かんでいただろうから。 でも、これは間違いようのない事実だった。 では、どうやって信じて貰おうか、と内心は冷静に考えていると、 次の瞬間。 不意に、名前を呼ばれる。 「ワームテール」 「!」 他ならぬ、ヴォルデモート卿に。 その声に抗いようのないなにかを感じ、 恐る恐る視線を合わせる。 と、途端に、内腑まで抉るような、どこまでも美しい瞳に視線を絡めとられた。 「…………っ」 その冴え冴えとした美貌に、声も出ない。 どこか蛇を思わせる、人間離れした顔は、 しかし、不思議と気品を感じさせて。 恐ろしいと思うけれど、同時に陶然と魅入ってしまう。 不死鳥の騎士団の情報を流すことに、抵抗が全くなかったわけではない。 自分の話したことで、誰かが死んだり、襲われたりしたことに、恐怖だって覚えた。 でも。 この人が、そのことで喜んでくれたから。 自分が認められているかのような錯覚を得られたから。 僕は、他人事に目を瞑った。 僕は悪くなんかない。 悪いのは、闇の帝王で。 こんな僕に期待しすぎた君たちで。 僕を認めてくれない世の中で。 僕は、悪くなんてないんだ、と。 煩い位に鳴る心臓に、かなりの時間が経ったような気がしていたけれど、 多分、実際、闇の帝王が僕と目を合わせていたのは、ほんの数秒のことだろう。 やがて、くすり、と帝王の唇が弧を描いた。 「よくやった、ワームテール」 「っっ!は、はははははいっ」 一気に闇の帝王の機嫌が浮上したのを見て、マルフォイが驚きに目を見張る。 「我が君、では?」 「ルシウス、お前の気持ちは分からなくもない。 だが、ワームテールは間違いなく奴らの守り人となったのだ。そうだろう?友よ」 「は、はい!ブラックが、その方が人の目を欺けるだろうからとっ」 「ほぅ……。敵ながら目の付け所は悪くなかったな」 「流石は我が君!感服いたしました」 そして、捲し立てるように、自分が選ばれた理由を言えば、 マルフォイがすかさず闇の帝王を持ち上げた。 今、この場で主役は自分のはずなのに、出しゃばってくる彼に不快感を感じずにはいられない。 「…………」 だが、それを表には決して出さなかったはずだ。 バレたが最後、あっちの方が圧倒的に立場が上なのだから、酷い目に合うに決まっている。 ところが、全てを見透かした彼の人は、 そんな僕を宥めるように、労うように計算づくの笑顔で口を開いた。 「素晴らしい働きだったな。ワームテール。 今回のことでお前は騎士団員を一人討ち取るより、遥かに俺様に貢献した」 「っ、も、もったいないお言葉で……っ」 闇の帝王から直々に褒められるなど、そうあることではない。 そのことからも、彼が如何に今回のことを重要視しているかが分かろうというものだ。 まぁ、自分を打倒する存在など、この誇り高い人には許せるものではなかったのだろう。 それが、例え生まれたばかりの赤ん坊でも。 ふと、脳裏にポッター夫妻が会わせてくれた、小さなハリーの姿がちらついた。 初めて会ったあの日。 リリーに似たアーモンド形の綺麗な翡翠の目が、僕を見上げて、笑みを浮かべていた。 おっかなびっくり触った髪は、ジェームズと同じでクシャクシャで。 抱き上げると、ふにゃふにゃと頼りのない感触がしていて。 お世辞抜きで、可愛いと思ったのは、確かだ。 ふと、あんな小さな子どもを差し出したことに、胸の奥がチクリと痛む。 ジェームズも、リリーも嘆き悲しむだろうし、傷つけてしまうことに罪悪感もあった。 けれど。 「後で褒美を取らせよう」 闇の帝王の言葉が、それら全てを打ち消した。 闇の帝王は忙しいため、 結局、ポッター家を襲うのは、ハロウィンの日ということに決まった。 僕は、とりあえずポッター家の場所を書いた紙を闇の帝王に渡し、 件の日は、ゴドリックの谷まで案内した後、近くで経過を見ることになっている。 マルフォイに貰った紙にポッター家の住所を書きながら、 僕は、もうこの住所を書くことは二度とないだろうな、と思った。 たった二回しか使われないなんて、折角新しい住所なのに勿体ないような気がするけれど、仕方がない。 (住人といえど、『忠誠の術』を使ってしまうと、家が見つけられなくなってしまうので、 ジェームズとリリーには、僕が書いた住所を見せてある) (それにしても、『忠誠の術』を使うのは初めてだが、 知っていたはずのものが分からなくなって、しかも見えなくなるなんて、本当に不思議だ) 緊張で手が震え、なんとも読みづらい字になってしまったが、 僕はそれを宝物でも差し出すかのように、恭しく闇の帝王へ向けて捧げ持った。 「ふむ。ゴドリックの谷か……。グリフィンドールらしい隠れ場所だな」 彼の人はマルフォイからその紙を受け取ると、納得したような満足そうな笑みを浮かべる。 確かに、地名になるほどその場所はゴドリック=グリフィンドールと関係が深い場所だ。 そこで、サラザール=スリザリンの末裔である自分が、 グリフィンドール寮所縁の人間を殺すことに、感慨深いなにかがあったのだろう。 彼の人は、見たこともないほどの上機嫌だった。 浮足立っていると言っても、良いほどに。 その後、闇の帝王は直々にハリーに手を下すつもりらしく、 死喰い人の多くが別の場所で、他の人間を襲うよう指示を受けた。 それは、不死鳥の騎士団からすると、同時多発テロとでも言いたくなるような、大規模な襲撃だった。 もちろん、襲う場所が増えれば増えるほど、返り討ちにあう可能性が高まるのだが、 闇の帝王は、ポッター家襲撃を一つの大きなターニングポイントだと考えているようだ。 どうせだから、ダンブルドアの戦力を根こそぎ潰したいのだろう。 そこで、僕はお茶目で明るい校長の姿を思い浮かべた。 ちょっと頭のネジが数本飛んでいるが、優秀な魔法使いではあるだろう。 でなければ、これほど闇の帝王が警戒するはずもない。 けれど、校歌を聞いて涙ぐんだり、< 陽気でチープな悪戯グッズに笑っている姿などを見ていた僕には、 とてもあの老人が闇の帝王が気にする程の人物には思えなかった。 (まぁ、スパイがいる訳でもないだろうに、闇の帝王の狙いを見抜いていたのは凄いと思うが) 「だから、大丈夫」 作戦が成功すれば、僕は一番の功労者として、他の死喰い人にも認められるはずだ。 「だから、問題ない」 僕は、闇の帝王から離れた後、マルフォイ家の豪奢な絨毯の上で、そう一人ごちる。 気づけば手の平に汗が浮き出ていて、慌てて服の端でそれを拭った。 手足が冷たい感覚もしたが、それは気のせいだ。 僕の体は、震えてなんかいやしない。 そう、己に言い聞かせる。 と、そうして自分のことでいっぱいいっぱいになっていた僕は、 声を掛けられるまで、傍に来たマルフォイに気づかなかった。 「おい、ワームテール」 「〜〜〜〜〜〜っ!!?な、ななななんだい!?」 飛び上がるほど驚く僕に、彼の整えられた眉が顰められる。 生粋のお貴族様である彼には、矮小で情けなく見える僕が、 多分気に入らないのだろう。 蔑むような声が、自然と口から突いて出ていた。 「お前に、友人を裏切るだけの甲斐性があったとは思わなかったが。 我が君をご案内する大役を仰せつかったのだ。万に一つもしくじりは許さん」 「も、もちろんっ」 その語調に、嗚呼、誰でもこんな時は同じ声が出るんだな、と思う。 死喰い人でも。 不死鳥の騎士団員でも。 下に見ている人間への態度は、いつだって偉そうだ。 『そこで俺は考えたんだ。ピーターが“秘密の守り人”になれば良いってな』 ねぇ、君たちは知らないかもしれないけれど。 見下された人間は、見下されていることを、ちゃんと分かっているんだよ? 『まさか、連中だってお前が守り人だなんて思わないだろう?』 分かっていても、傍にいることがあるって、知らないだろう? 君たちは、下になったことなんてないから。 『俺が囮になるから、お前はどこかに身を潜めるんだ』 教えてあげるよ。 それはね。 傍にいてメリットがあるからだよ。 だから、それ以上のメリットを他に感じれば、そっちに付く……。 そんなの、当然じゃないか。 ねぇ、シリウス。 『お前が、三人を守るんだ』 それは、僕に尊い犠牲になれってことだろう? 三人の為に体を張って。 びくびく、誰かに襲われるかもしれない毎日に耐えろって言ってるんだよね? 自分がそうできるからって、他もそうだなんて思わないで欲しい。 僕は僕が大事で。 僕以上の存在なんて持っていなくて。 唯一の持ち物であるそれを、そんな風になんの気なしに踏みにじられたから。 「もちろん、ちゃんとやるよ」 だから、僕は君たちを裏切れるんだよ。 僕は、目の前のマルフォイと。 記憶の中のシリウスとジェームズに。 綺麗な笑顔で頷いた。 僕のように絶望すれば良い。 ......to be continued
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