どちらかを信じろだなんて、貴女は言わなかった。 Phantom Magician、189 私が妊娠した、という報告をにした後。 彼女はリーマスを通じて短い返信を寄こしてきた。 “今夜九時に、二人の家で” あまりの素っ気ない文字に、思わずリーマスを見てしまったくらいだ。 彼女たちはまだ結婚をしておらず、当然子どももいない。 だから、もしかしたら、彼女を不愉快にさせてしまっただろうか、と不安になったのだ。 がしかし、私の不安そうな視線に、リーマスは笑ってそれは杞憂だと言った。 「は君からの手紙を見た後、それはもう嬉しそうにしていたよ? お祝いはなにが良いか、とか、妊婦さんには柑橘系だよね!とか大騒ぎしていたね」 「そう……?」 「返事が短いのは多分、嬉しすぎたからじゃないかな」 「……だと良いんだけど」 妊娠しているせいだろうか、ほんの少しの違和感が恐ろしくて仕方がない。 と、私の表情がいつまでも晴れないのを見たせいだろう、 リーマスは観念したかのように苦笑した。 「それにもし万が一、が君の妊娠を喜べないとしたら、それはきっと私のせいだよ」 「え?」 意外な言葉。 それに、反応が少しばかり遅れる。 「どうして……貴方のせいなの?」 「……こんなことを言うのは、自分でもどうかと思うのだけれど。 なにしろ、私はまだプロポーズの一つも出来ていないからね」 「!」 なるほど、彼女がもし私の結婚やらなにやらに嫉妬するとしたら、 それは、『結婚をしてあげない彼氏』のせいにもなってしまう。 貴方を責める気はなかったのだ、と慌てて言おうとした私は、 しかし、本当に複雑な表情をしながら、その心情を吐露したリーマスに遮られた。 「何度もしようとは思っていたのだけれど、中々決心がつかなくてね……。 ようやく言おうと思っても、なにかしら邪魔が入ったりなんだりして。 少しでもあやが付くと、別の機会にと思って先送りにしてしまうんだよ」 そのことを後悔しているような口ぶりで。 しかし、その瞳には、僅かな安堵が顔を覗かせる。 まるで、その邪魔を喜んでいるかのように。 きっと、彼自身、まだその心が定まっていないのだろう。 そんな気がした。 「それは……貴方が不死鳥の騎士団に入っているから? それとも、貴方の体質が影響しているの?」 「…………」 我ながら踏み込んだ言葉だったと思う。 けれど、それを言っても許されるくらいの、信頼関係は彼らと築いているはずだ。 すると、リーマスはその言葉にひっそりと微笑んだ。 まるで、「どちらもだよ」とでも言うかのように。 「…………」 そんなものを見せられてしまえば、こちらとしては黙ることしかできない。 と、押し黙った私に、リーマスは困ったように微笑み、念押しするかのように口を開いた。 「だからね。彼女が君たちへお祝いを言いに来た時に、 もし嘘くさく感じてしまっても、気を悪くしないでくれないかな?」 それは、言外にを擁護する言葉で。 私は思わず、それに対して笑ってしまった。 最初はあれだけ毛嫌いしていた人が、今ではもう、彼女に対して首ったけだ。 本当に、見ていて愉快で仕方がなかった。 「いいわ。ただし、が心から祝福できるようになったら、一番に教えてね」 「!……もちろん」 彼らの吉事を知る一番の権利は、譲れそうにない。 そして、軽い緊張に胸をどきどきとさせながら迎えた。 しかし、私はその彼女から聞かされる話に、人生最大の衝撃を受けることとなった。 + + + 家中を精いっぱい暖かくして、折角だからといつもよりしっかり目にメイクをして。 迎えた彼女は、私以上に緊張したような面持ちだった。 「久しぶり、リリー」 笑顔ではいる。 でも、そこにはやはり、翳りのようなものがあって。 嗚呼、本当にリーマスの意気地なし!と、思わず毒づきたくなった。 やっぱり、は両手放しで喜んでくれてないじゃない!と。 すると、私の表情が変化したことに気づいたのだろう、 の纏う雰囲気が更に重苦しいものへと変化した。 折角、彼女に素敵な報告をしようとしていたのに、とてもそんな空気にはならない。 どうしたものか、と二人で玄関先で固まっていると、 その空気を払拭するかのように、至って気軽な感じでもう一人の主役が登場した。 「二人して、なにをそんなに見つめ合っているんだい? 早く入ってくれないと、僕の入れたお茶が冷めちゃうよ?」 「ジェム……」 思わず、ほっと安堵の息が漏れる。 恐らく、彼はその微妙な緊張感に気づいていながら、敢えて無視をしたのだろう。 そういう強心臓は私にはないものなので、こういう時はとても頼りになる。 「そうね。お客様を玄関に立たせっぱなしなんて、失礼をしてしまったわ。 どうぞ、入って?はこの家に遊びに来るのは初めてよね?」 「……うん。素敵な家だね!」 も一旦、気を取り直したのか、自然な笑みを浮かべながら、リビングへと向かう。 小ぢんまりとした二階建ての我が家は、 少しでも居心地が良くなるように、とふんだんに木の家具を取り入れてあった。 自分で言うのもなんだが、アットホームでとても温かい雰囲気だ。 はそのことを指摘し、改めて新築祝いと妊娠のお祝いを言ってくれた。 「お土産がこんなので悪いんだけど、良かったら二人で食べて」 ずいっと突き出されたのは、小さめの段ボール箱だ。 お祝いというには素朴というか、地味というか、雑な代物である。 (まさか、それがお土産だとは思わなくて、少しびっくりした) TPOを考えるにしては珍しいな、と思っていると、 受け取ったジェムが早速中身を確認していた。 「?これは、オレンジかい??」 「えーと、ジャパニーズオレンジって言ったら良いのかな? 『みかん』っていう果物。今が旬だから、美味しいよ? 日本では、柑橘系の代表なんだ」 「ああ、妊婦は酸っぱい物が欲しくなるとかいうしね」 「!」 ジェムの言葉に、が私を慮ってくれたことが分かり、胸が温かくなる。 思わず「楽しみだわ」と彼女に満面の笑みを送ると、なにか思うところがあったのか、彼女は眉根を寄せた。 「リリーはどう?悪阻とか酷くない?」 「吐いたりはあまりないのよ?でも、ひたすらに眠くて、あとは体が凄く重いの」 あとは、温かい物の匂いを嗅ぐと、吐かないまでも気持ち悪くなったりする。 がしかし、これ以上彼女に心配を掛けたくはなくて、殊更なんでもないかのようにふるまった。 すると、それに便乗するかのように、ジェムが愉快そうに喉を鳴らした。 「今も実はちょっと眠いんだよね?僕の奥さんは」 「そうね。旦那さんが大いびきをかいて寝ていなければ、もう少しマシだったと思うけれど」 ちくり、と軽い嫌味を言ってやれば、ジェムは降参とでもいうように、諸手を挙げた。 最近、祝杯と称して連日飲んだくれているのよ、この男は。 アルコール類が駄目になってしまった私への当てつけかしら、と何度思ったことか。 私だって、サングリアとか飲みたいのに、我慢しているのよ? 授乳期間が終わるまで、当分アルコールは摂れないんだから、このくらいの嫌味は許されると思うのよね。 と、そんななにげない日常の一コマは、 しかし、にはなにか刺さるものがあったらしく「じゃあ、手短に本題に入った方が良いよね」と小さく呟いていた。 気を使わせてしまっただろうかと、慌てて訂正を入れようとするも、もう遅い。 は一度深呼吸をした後、真剣な表情で私達夫婦を見た。 「今日は、二人にお願いがあって来たんだ」 それは、どこまでも強くて。 どこから見ても壊れそうな、狂おしい瞳だった。 その、尋常ではない様子に、思わずジェムと視線を交わす。 二人とも、彼女の『お願い』には心当たりがないらしく、 代表して、ジェムが「お願いって、なんだい?」と先を促した。 「多分、これからあたしがする話は荒唐無稽に聞こえると思う。 でも、最後まで聞いて、そして、あたしを信じて欲しい」 「もちろんだわ。私が、貴女を信じないことってあった?」 ほとんど間髪入れずにそう答えた私に、は泣きそうに見えた。 もっとも、その表情は、瞬きの間に、能面のようなそれに変わってしまっていたけれど。 それから、しばらく。 私達夫婦は、が淡々と告げる言葉に、彼女の希望通り黙って耳を傾けた。 ただ、それは彼女との約束を守ろうとした、というよりは、 言葉もなかった、と言った方が正しいような有様だったと思う。 唇は震え。 足の感覚がなくなり。 いつの間にか、ジェムに抱かれていた肩だけが、熱かった。 「――リー」 「…………」 「リ……リー……?」 「…………」 「リリー」 はっと。 我を取り戻すのに、多分少しの時間がかかっていただろう。 気づけば、心配そうなはしばみ色の瞳が、私の目をのぞき込んでいた。 「あ……」 「大丈夫かい?顔が真っ白だよ。君は部屋で休んでいたらどうだい?」 どこまでも、優しい声。 それに、ふっと肩の力が抜ける。 と、同時に激しい鼓動の音が聞こえ、自分が随分心を遠くに手放してしまっていたことを知った。 意識して、そっとまだ少しも膨らんでいないお腹に、手を当てる。 「だい……じょうぶよ。ただ、少し、ショックを受けただけ」 だって、そうじゃない。 この、まだ生まれてもいない子が。 闇の帝王に狙われるようになるだなんて。 「大丈夫だから、もう一度聞かせて? 誰が、なにをするって言ったの??」 聞き間違いであって欲しい。 嘘であって。 悪質な冗談であってほしい。 その願いは、しかし、昏いの漆黒の瞳に飲み込まれていった。 その、柔らかそうな唇からは、聞きたくもない言葉が零れ落ちる。 ――ピーターが君たち親子を闇の帝王に売る。 「…………っ」 聞き間違いであって、欲しかったのに。 「どう、して……」 どうして、彼が。 どうして、私達の子が。 どうして。 どうして。 どうして。 「どうして、君にそれが分かるんだい?」 「!」 言葉に出来なかった疑問は、しかし、夫が代わって口にしていた。 知っている。 彼女が、こんな悪質な冗談や嘘なんて言わないことくらい。 でも、私達には本当に分からなかったのだ。 彼女の言葉が。 言っていることは分かるのに。 言っている意味を、脳が拒否する。 いつもの私であれば、一も二もなく彼女の手を取って、その言葉を信じるのに。 それをするということは、つまり「ピーターが闇の帝王と通じている」と信じることだ。 彼の、小柄な体躯が思い浮かぶ。 確かに、彼には人の顔色を窺うところがあった。 でも、それはどうしようもなく、彼が繊細だからでもあって。 彼が、ジェムやシリウスを尊敬している姿を思うと、とても裏切るだなんて思えなくて。 私はなにもすることが出来ない。 そして、二対の真剣な視線に、は目を伏せた。 「……予言が、あったから」 「予言?」 「そう、予言。誰が言ったとかは言えないけど。 絶対外れないってお墨付きの予言で」 酷く深刻な彼女の表情を見れば、がそれを100%信じているのが分かった。 でも、私はその言葉に拍子抜けしたというか、肩の力が抜けてしまった。 だって、予言だなんて。 こう言ってはなんだけど、あれほど不確かな分野は魔法にはないのだ。 もちろん、そんな予言がされたなんて、気分が悪いし、気味も悪いが。 そこまで、真剣に受け取る必要はないものである。 私は、思わず笑ってそのことを彼女に指摘しようとしたが、 隣で同じように話を聞いていたジェムに無言で制される。 「それで?そのことを踏まえて、僕らにどうして欲しいんだい?」 「……あたしも、『秘密の守り人』にして欲しいんだ」 「「!」」 彼女は語る。 これから、闇の帝王は私達の子を狙うようになり。 それを避けるために、ダンブルドアが『秘密の守り人』を作るように促してくること。 それに、私達はシリウスを選ぶであろうこと。 シリウスは、しかし、それをピーターにすべきだと言い出すこと。 それらを、あくまでも、理路整然と。 「二人に一番近い人間は、悪戯仕掛け人だよね。 でも、リーマスは言ってはなんだけど、狼人間で騎士団の中でも不信がある。 ピーターはと言えば、そんな重大な秘密を任せるには、ちょっと頼りない。 となれば、当然一番の親友で、頭も魔法の腕もピカ一のシリウスが『秘密の守り人』を務める……。 シリウスは、死喰い人も当然そう考えると、推測する。 だから、自分は囮になって、ピーターこそ本物の『秘密の守り人』にすべきだって、提案する」 まるで、すでにそれを見たことがあるかのように。 「……もし、提案されなかったら?」 私は、気が付けば、すがるような目を向けていたと思う。 すると、は優し気に。 寂し気に、微笑した。 「それなら、それで良いんだよ。 あたしが唯の嘘つきになるだけだから。 でも、もしその提案があったなら……」 「あったなら?」 「その時は、ピーターをこの家の『秘密の守り人』にして欲しいんだ。 そして、あたしを――……」 彼女の提案は、実に意外なものだった。 正直、そうする意味を、最初理解できなかったくらいだ。 ただ、ジェムにはそれが分かったらしく、「つまり、安全措置ってことだね?」と念押しした。 「そうすれば、ピーターも君も、二人が裏切らなければ、僕たちの安全は保障される。 つまりはそういうことだろう?」 「うん。そうなるね」 淡々と、はその言葉に頷いた。 その、いつもの彼女らしからぬ姿に、ふと、嫌な予感が胸をよぎる。 もし。 もし、目の前にいる彼女が、ではないとしたら? それこそ、闇の帝王の配下だとしたら、どうなるだろう。 まんまと私達をだまして、『秘密の守り人』になったら……。 がしかし、そこまで考えた私の目に、の手が映った。 握られた拳は、震えていて。 血の気がなくなる程に、白かった。 それを見て、私の中に「いや」と否定の声がする。 いや、例えそうだとしても、ピーターも『秘密の守り人』であるなら、ジェムの言う通りなんの意味もない。 彼女がもし、死喰い人であるならば、「自分だけを『秘密の守り人』にして欲しい」と願うはずなのだ。 二人共、『秘密の守り人』になんてする必要はない。 ジェムはそのことに一瞬天井を仰ぎ見て。 今まで見たことがない位、冷たい眼差しを、へと向けた。 「面白い提案だけど、それには二つ程、問題点があるね」 「なに?」 「まず、一つ目。もし万が一君が人知れず死んでしまったとしたら、 僕たちはどうなるのかってこと」 「っジェム!?」 「そして、二つ目。そんな馬鹿馬鹿しい話を、僕たちは信じる必要がないってこと」 例え話としても、なんてことを言うの!? と、批難も露わな私の声には構わず、二人のやり取りは続く。 思わず気遣うようにを見つめると、彼女はやはり、ほろ苦く微笑んだままだった。 そして、その反応を予期していたかのように、すらすらと返答する。 「あたしがうっかり死んじゃっても、心配はいらないよ。 『忠誠の術』は、守り人が死んでしまったら、その秘密を知る人が次の守り人になる。 つまり、あたしが誰にも秘密を洩らさないで死んじゃったら、 当事者であるリリーとジェームズが守り人になるだけだよ」 「あとは、僕たちの子だね」 「!ああ、そっか。そうだね。 で、二つ目の問題点だけど……」 彼女はそこで、少し言葉を切った。 多分、声が震えてどうしようもなかったからだ。 「それはどうしようもない。 あたしはただ、信じてって言うことしか出来ないんだよ」 今にも、泣いてしまいそうな表情。 ただ、そこには、例えようもないほど、私達を案じる気持ちが織り交ざっていて。 もしこれが嘘だったとしたら、彼女は不世出の名女優になれるだろう。 私は、思わずジェムを見つめた。 彼は、さっきからとても冷静で、きっと私より良い判断をしてくれるだろうと思ったから。 すると、彼は冷たい表情はそのままに、口を開いた。 「僕はね、。君のことを親友だと思ってる」 「うん」 「でも、それと同じ位、いや、それ以上にピーターのことも信じてる」 「……うん」 「君の言葉には、まるで根拠がない。 それに、君は元々ピーターを嫌っていたからね。 もしかしたら、酷い誹謗中傷の一つなのかもしれないとまで思うよ」 「…………っ」 の顔が歪む。 辛くて。 悲しくて。 悔しいほどのやりきれなさが、彼女からはにじみ出ていた。 それが見ていられなくて、私も思わず視線を外す。 だから、私は見られなかった。 「でも」 ジェムの言葉に、彼女がどんな表情をしたのかを。 「僕は僕に誓ったんだ」 「が例え今後どんな荒唐無稽なことを言い出しても」 「ほとんどの人間がを糾弾したとしても」 「を信じて、に協力するって」 「三年前のクィディッチフィールドで」 「!」 それは、もう遠い日の約束。 怖いものなしの少年が、初めて得意分野で完敗した、思い出の欠片。 「もちろん、君の言った通りでなければ、僕は僕の好きにさせてもらうよ?」 ジェムは、そう言って、それはもう意地が悪そうに笑った。 応える彼女には、もう言葉なんてあるはずもなかったけれど。 「……っ……うんっ!」 ただそっと、どちらも信じられる道筋をくれた。 ......to be continued
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