寒い、さむいと心が叫ぶ。





Phantom Magician、187





「……はぁ」


静かな部屋に零した溜息。
その、思った以上に大きな音に、気分が益々落ち込んだのを感じる。
何度も繰り返し開いている割に、少しも内容が頭に入ってこない本をようやく諦め、 私はテーブルにそれを置いて、目を閉じた。

ガランとしたログハウスは、酷く閑散としていて。
ここにいない彼女のことを、想わずにはいられなくする。


『リーマスの馬鹿!もう知らない!!』


が、そう言って出て行って、もう何日になるだろうか。
彼女が自分を案じて、不死鳥の騎士団を志願したのは分かっていた。
その気持ちが嬉しいと思ったのも、間違いはない。
でも。

どうしても、腹立たしかった。
許せなかった。

そして、口論の結果が、今の自分だ。
クリスマスも間近だというのに、一人侘しく家に籠っている……。
生憎、日雇いの仕事もここしばらくは入っておらず、 そもそもの元凶である不死鳥の騎士団からのお呼びもない。

いや、正確に言えば、仕事はわざと入れていなかったのだけれど。
満月も近かったし。
それになにより、彼女と、クリスマスの準備をするつもりでいたものだから。


「…………」


ちらり、と頭の片隅に、自室の机の中にある物がよぎる。
用意しておいたプレゼントも、こうなってしまうと、手持無沙汰だった。

がしかし、後悔をしようが、しまいが、現状はなにも変わらない。

彼女がいた時と、調度も灯りも、全ては同じもののはずなのに。
季節のせいだけじゃなくて、この家は、暗くて、寒々しかった。


「……どこにいるのかな」


誰も応えてくれない呟きが、ぽつり、と漏れる。
母国に帰られてしまったならば、自分にはどうする術もなかった。

ふと、そこで自分は彼女の家族のことを何も知らないことに気づく。
あまりに遠いからだろうか、彼女は里心がつくようなことは、ほとんどなにも言わなかった。
(まぁ、「○○が食べたい」だの、「××の続きが読みたい」だの、 食事や漫画に関することなどは偶に愚痴っていたが)

何処でどういう風に育ったのか。
どんな人達と暮らしていたのか。

自分には、分からない。


「…………」


でも、その気づきが私に与えたのは、驚愕でもなんでもなくて。
ひたすらな寂しさ。
この世に、今、息をしているのが自分だけのような錯覚。


「……ホットチョコでも飲もうかな」


再度、小さく溜息をついて、私はキッチンへ向かおうとした。
その時だった。


ガツッ!


ぎゃっ!』「!」


窓に、なにかが激突する音を聞いたのは。
なにしろ、それまでが酷く静かだったために、その音は暴力的でさえあって。
心臓が、嫌な感じに早鐘を打つ。
私は、驚かされた苛立ちと共に、音のした窓へと近づいた。
すると、窓枠のところに、一枚のとても綺麗な青い羽が落ちていた。


「……羽?」


がしかし、軽い羽があんな重厚な音を立てるはずはない。
嫌な予感を覚えながら視線を上に下にと走らせると、 真っ白な雪の上に、大の字になるようにして、その生き物――鳥は、倒れていた。


「なっ」


鳥を馬鹿だな、と思うのはこんな時だ。
特に小鳥に多いのだが、ガラスに気づかずに、窓に突っ込んでしまうことがあるのである。
もしくは、開いた窓に突っ込んで、その後、建物から出られなくなるとか。
(ちなみに、ふくろうは滅多なことがない限り、そんなヘマはしない)
目は良いはずなのに、謎だ。
脳みそが小さいせいだろうか。

とりあえず、死んでいないことを祈りながら、そっと様子を伺ってみると、 一応、胸が上下していることは確認できた。
どうやら、気絶しているらしく、起き上がる気配もまるでないけれども。


「…………」


私は少しばかり、顎に手を置いて考えた後、 雪で凍死しても可哀想なので、ひょいっと杖をふるった。
その美しい青さに、どこか懐かしいものを感じながら。







とりあえず、適当な籠にタオルを詰め、私はその鳥をそっとそこに横たえてやった。
久しぶりに感じる、自分以外の生き物の温度に、知らず知らず、口元が緩む。
幾ら暖炉に火を入れても、こんなに温かくは感じられなかったというのに。
撫でる鳥の柔らかい体が、酷く心地よい。

幸い、少し触った感じだと、特に骨に異常などは見られないようだった。
うっかりと折れていたりすると、この寒空だ。
下手をしなくても野生の鳥など、死んでしまうだろう。


「……そういえば、冬に野鳥ってなにを食べているんだろうね。
虫なんてそんなにいないだろうし」


ぶつぶつ、と気づけばまた独り言を呟いてしまうが、 今度はちゃんと聞き手がいたらしい。
不意に、鳥がぷるぷると震えだし、 ぱちっと、音を立てそうなほど唐突にその大きな目が開いた。
くりくりとした目と、思わず目が合う。


リーマスっ!』


ピチュ!っと、驚いたのかなんなのか、その鳥は大きな声で鳴いた後、 ジタバタとタオルの上で暴れだした。
まぁ、野鳥がいきなり人間を間近にしたなら、こんな反応にもなるだろう。
がしかし、あれだけの音を立てて、盛大にガラスにぶつかったばかりなのだ。
安静にすべきなのは間違いない。


「ああ、ホラ!頭をぶつけたばかりなんだから、大人しくしないと……っ」


慌ててそれを制し、興奮を収めさせようとする。
すると、言葉が通じたとも思えないが、その鳥はジタバタするのを止めて、 可愛らしい声で再度ピチュ?と鳴いた。


えっと、なんであたしここにいるの?』
「そうそう。まだ少し大人しくしておいてくれるかい?良い子だね」
ぐっは質問ガン無視だけど、良い声!!』
「君は、私の家の窓に突っ込んじゃったんだよ。幸い、今のところ元気そうだけど」
……うわぁお。マジでか

小首を傾げながら、こちらを伺う鳥は、なんだか話を聞いているようで少し可笑しい。
だが、微笑ましいのも確かなので、 私は適当にその辺にあったクッキーを砕いて、タオルのところに置いてやった。
鳥は、それがなんなのかよく分からなかったのか、クッキーと私を交互に見やる。


……これは食べろってこと?』
「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。クッキー、食べたことはないかい?美味しいよ」


とりあえず、自分でもクッキーを口に頬張って見せると、 鳥はどこか遠慮がちにクッキーの欠片をぱくつきだした。


もぐもぐもぐ……うん、分かってたことだけど、これめっちゃ甘い
「美味しいだろう?ホラ、まだあるから、たくさんとお食べ?」
ううぅ、コレステロールが……っ


ピチュピチュと小刻みに鳴く鳥。
可愛いな、と思う反面。

ここにがいたら、もっと可愛いく感じただろうな、と気分が落ち込む。

は、生き物全般が割と好きで。
多分、こんなお馬鹿な鳥がいたら、大喜びで手当をして。
目覚めたら、にこにこと満面の笑みで抱きしめるのだろう。

そう思うと……堪らない。

と、急に口を噤んだ私に不審を覚えたのだろう、 まるで「どうしたの?」と問いかけるように、その鳥はそっと私の手を突く。
(まぁ、ただ餌を催促しているだけなのだろうけれど)


リーマス?』
「……ああ、すまないね。ただ、ちょっと彼女のことを思い出していたんだよ」
『!』


その後、私は相手が人間じゃないのを良いことに、 のことを延々と語り続けた。

初めて逢った時から、変な子で。
寂しがり屋なくせに、一人でいるのも割と好きなこと。
料理に時間がかかること。
どちらかというと精悍な顔立ちなのに、笑うととても可愛いこと。
妙に使い魔と仲が良くて妬けること。
心配性なくせに、自分のことには無頓着なところ。
それをハラハラしながら見ている自分まで。
一から十まで。
余すところなく、声に出した。

そうして、言葉にしたことで、 改めて実感してしまう。


「……嗚呼、やっぱり私はがスキなんだな」
『!』


長所も短所も。
全てをひっくるめた彼女がスキだ。

心の底から大スキで。
愛していて。
守りたい、そう思う。


「……でもね。だからこそ、私は彼女に例のあの人と関わって欲しくないんだよ」
『…………』


不死鳥の騎士団になんてなったら、例え裏方であったとしたって、 他の魔法族よりも、例のあの人の話が耳に入る。
誰が死んだ、誰が裏切った、そんな話が。


「もちろん、実際の危険に遭って欲しくないって気持ちもあるんだ。
でも、それ以上に、私は彼女の心が傷つくのが怖い」


誰よりお人好しな彼女のことだ。
きっと、自分には全く関わり合いのないことでも、傷つく。
自分がその人に危害を加えたわけじゃなくても、 その人が自分の大切な誰かでなくて良かった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と、喜ぶ心で。
罪悪感でその身を焦がすだろう。

それは、嫌だった。
そんなは見たくなかった。


「私も、リリーも、皆、には翳りなく笑っていて欲しいんだ」


例え、ずっと傍にいられなくても。


「ただ、不死鳥の騎士団に彼女が入るのを止めたことで、 彼女が傷ついているのも、分かるんだよ」


自分だったら、大切な人が死ぬかもしれない危険な場所にいたら、 その人と一緒に行くことを選ぶだろう。
例え身代わりになったとしても、その人を守りたいから。
自分の知らない場所で、その人が傷つくのが耐えられないから。
だから、それを彼女に求めないでくれ、と言うのがどれ程酷かも知っている。
知っていて、の願いを切り捨てたのだ。

どうしても、腹立たしかったから。
許せなかったから。

そんなことを言い出す彼女が。
そんなことを言わせてしまう自分が。

情けなくて。
悔しくて。
キツイ言葉で彼女を責め立てて、八つ当たりした。
口から出てしまった言葉は、もう取り戻せないと知っていたのに。
彼女に傷ついて欲しくないのに。
なにを選んでも、自分は彼女を傷つけてしまう。


「私は……どうしたら良いんだろうね」


答えのない問い。
けれど、それに応える声があった。



『素直に、そのことを言ってくれたら良いのに』
「……え?」



それは、数年前に二度聞いたもので。
もう聞くことはないだろうと、思っていた、 けれど、決して忘れたことなどない、声だった。







『スキだから。心配だから。
不死鳥の騎士団に入るのなんか止めてくれって、一言言えば良いだけなのに。
小難しく考えすぎなんだよね、きっと。昔からそうだったけどさ』
「……君?今、なんて……」


思わず、籠ごと彼を持ち上げて、視線を合わせる。
真っ黒な瞳が、静かに僕を見つめていた。
それは、優しくて。
温かい瞳だった。
最後に見た時と、同じように。


「君、ひょっとして、昔叫びの屋敷にいた……?」
『……あれ?ひょっとして、言葉が通じちゃったりなんかしちゃったり……する?』


恐らく、夜も更けてきたからだろう。
私はまた獣に段々近づいてきていたのだ。

頷くことで、彼の質問に応えると、彼は目を丸くしていた。


『さっきまで聞こえてなさそうだったのに。いつから聞こえてたの!?』
「つい、今さっきからだよ。昔から小難しく考えすぎって辺りかな」
『うわぁ……』


器用に翼を使って顔を覆う鳥だった。
その妙に人間臭い仕草が可笑しくて、思わず口角が上がってしまう。


「それにしても、驚いた。君、成長したんだね」
『へ?』
「前はもっと小さかったし、羽の色も長さも違ったから。
話してくれるまで、君だってことに気づかなかったよ」
『まぁ、人間からしたら、鳥なんて全部同じに見えるよね』


そういう彼からしたら、きっと人間なんて全部同じに見えるのだろう。
でも、彼は自分を覚えてくれていたようだ。
そのことが酷く、嬉しくて。
泣きたくなるような気さえする。


「君に、話したいことがたくさんあるんだよ……」


君がいなくなった後、友達に狼人間であることを受け入れて貰えた。
大切な子が出来た。

声に出したことはないけれど、君はまさに私の幸運の青い鳥だった。

けれど、声が震えないように気をつけながら絞り出した私の言葉を、 しかし、彼はそっと首を振って遮った。


『そうだね。ただ、話は聞きたいけど、もう時間がないでしょう?』
「え?」
『君は人狼だから、あと少しで変身しちゃうんじゃないの?
だから、こうしておしゃべり出来るようになったんだよ?』
「……それが?」


要領を得ない彼の言葉に、私は首を傾げる。
話せるようになったからこそ、その時間を有効に使うべきだと思うのだけれど。
と、問題点がまるで分かっていない私に、彼は噛んで含めるようにこう続けた。


『だから、変身しちゃ駄目でしょ。この家・・・で』
「!」


なるほど、言われてみればそれはその通りだった。
唐突な幸運に喜んでいたせいで、そんなところにはちっとも気が回らなかったが、 確かにそれは大問題である。
家が離れていた間にボロボロになっていたら、も流石に怒るだろう。


「……けれど」


家を離れてしまうと、鳥目の彼とは、一緒にいられない。
もちろん、連れて行くという手もないではない。
けれど、彼は怪我人(?)である。
連れ回すのが良いこととは、とても思えなかった。

すると、私が心配して離れようとしないとでも思ったのだろう、 彼は、優しく微笑んだ。


『大丈夫だから。いってらっしゃい』
「……行ってきます」







そうして、夜が明けるまで、私は森の中で一人過ごした。
がいた時は、念の為、もっと遠くの深い森に分け入ったものだが、 今日は近場で済ませられた。
近くに人間がいないらしく、激しい興奮も凶暴性もなりを潜めている。
単純になった心は、ただただ、あの小鳥との再会に、喜んでいた。
もう少し頭が働いていれば、なにを話そうかとずっと考え込んでいたに違いない。

きっと、自分が家に帰るまでは彼もそこにいてくれるだろう。
言葉はもう通じないけれど、黙って耳を傾けてはくれるはずだ。
そう思うと、ガラではないけれど、心が弾む。

そして、暁光が差し込む頃、逸る気持ちを抑えながら戻った家には、


「おかえり、リーマス」
「え……」


あの青い鳥ではなく、がいた。

何処か罰が悪そうに。
所在なさげに。
ぽりぽりと頬をかきながら。


「昨日満月だったから……その、ちょっと心配でっ!?」


がしかし、彼女の弁解じみた言葉は、途中で途切れてしまった。
他ならぬ私が、彼女を抱きしめたからだ。

ドクドクと、の心臓が早鐘を打つのがよく分かった。

「うー…あー…そのー……リーマス?ちょい苦しいんですけども」
「……いつ、ここに?」
「えっと、さ、さっき?」
「危ないじゃないか。まだ私が狼だったらどうするつもりだったんだい?」
「や。あの、夜が明けたから大丈夫かなーって……」


いつも快活なにしては、酷く歯切れの悪い話し方だった。
恐らく、自分から飛び出していったものの、 こうして戻ってきている自分が情けないとかそんなところだろう。
ただ、その出戻りの理由が、どうやったって『私』なことに、愛しさだけが募っていく。


――スキだから。心配だから。
――不死鳥の騎士団に入るのなんか止めてくれって、一言言えば良いだけなのに。


ふと、そこでさっきまでいた彼の言葉を思い出す。
大丈夫だ、というのはもしかして、こういう意味だったのだろうか。
だとすれば。
彼はやっぱりただの鳥ではないのかもしれない。

私の心が空虚で仕方がない時にだけ、ああして来てくれるのだから。

その声に勇気を貰って、私はそっと腕の力を緩める。
そして、久しぶりに見た、彼女の顔を目に焼き付けるようにして、口を開いた。



「……なに?」
「君が不死鳥の騎士団に入りたいって気持ちをないがしろにしたのは、私が悪かった」
「……ん」
「けれど、君には安全な場所にいて欲しいって想いも、譲れない」
「……うん」
「だから、ここで、私の帰りを待っていてくれるかい?」


彼女は、私の囁くような願いに小さく頷いて。


「……うん。嫌」


と言った。
…………。
…………………………。
…………………………は?


「……それは『Yes』なのか『No』なのか、はっきりしてくれるかい」
「えと……Noで」


……どうしよう。
女性に手を挙げる趣味はまるでないのだけれど、 今この時だけは、彼女の頭を力いっぱい殴りたい気分になった。

いや、待て自分。
冷静にならないと、前回の二の舞にっ!
素直にお願いしたところで、了承して貰えると思ったのがそもそも間違いだ。
世の中はそう、自分に都合良く出来ていない。

深呼吸でどうにかこうにか気分を落ち着け、引きつる表情筋を叱咤する。
と、ようやく笑みらしき物を形作ってへ向けると、彼女は冷や汗をだらだらかきだした。


「あ、あのね?その、リーマスの気持ちは分かったし、
あたしのことを心配してくれるのも、実はすっごい嬉しいんだけど……」
「『けど』なに?」



「この広い家に独りでいるのは、ヤダ」



その、ぽつりと漏らされた言葉に、はっとする。
自分も、が出て行ってから、この閑散とした家が殊更に居辛かった。
寒々しくて、暗くて。
自分は今、独りなのだと嫌でも思わせられて。
君も、そうだったなんて。
知らなかった。


「だから、ね?不死鳥の騎士団に入るのは諦めるけど、 リーマスがいない間は、別のところにいて良い?」


恐る恐る、彼女から出された妥協案。
それは、が折れる形で。
だから、それを拒否することは、私にはもう出来そうもなかった。


「……そんな風に可愛くおねだりされたら仕方がないな」
「本当?」
「家に帰る時は、守護霊を飛ばすから、その時は帰ってきてくれるかい?」
「もちろん!」
「ああ、ただし……」
「?」
「浮気は駄目だよ?例え相手が猫でもね」


ぱちり、と片目を軽く瞑ってみせると、 はそこでようやく、花が綻ぶ様に笑った。





冬の終わりは君が告げた。





......to be continued