「先生、蜜月って何ですか?」





Phantom Magician、185





トン、と手にしていたトランクを一度地面に降ろし、 あたしは遠慮がちにその店の扉をノックした。
コンコンコン、と乾いた木が音を立てる。

がしかし、待てど暮らせど応答はなく……。
例えようのない不安に、手足の先から血の気が失せていく心地がした。


「…………っ」


営業停止なんてされていたらどうしようと思う。
もしくはヴォルデモートの魔の手の届かない遠方に避難とか……。
最近の情勢を考えるとない話ではないが、それだと困る。
なにが困るって……


「……叫びの屋敷を拠点にとか、あり得ないっ」


はっきり言って、漏れ鍋しか宿のアテがない!
脳内検索を掛けてみても、ここが駄目なら、あの廃墟しかヒットしないのだ。
(G〇ogleほどとは言わないが、もう少しレパートリー増やせよ、自分と思わなくもない)

いくらあたしだって、あんな不衛生極まりないところで寝起きはしたくなかった。
まだそこまで乙女は捨ててないよ!


『いっそ、もういい歳なんだからいい加減捨てろと思わなくもない』
「だまらっしゃい!恋する女はいつでも乙女なんだよっ」
『ふむ。じゃあ、君の親友はいつでも乙女ではないということだな?』
「ぐりさんはホラ、えーと……ピュ、ピュアっ娘だから?」
『意味が分からないね』
「理解は求めてませんー」


そんなこんな話しながらしつこく(十分は延々叩いていた)ノックをし続けていると、 居留守をするのもしんどくなったのか、 それとも面倒な客を放っておくともっと面倒なことになると判断したのか、 恐る恐るという様子で、店主の懐かしい顔が扉の隙間に現れた。


「これはっミス !」
「ただいま、トムさん。部屋空いてるかな?」


にこにこと、出来る限り友好的に微笑みながら、 あたしは掴んだドアノブを力いっぱい握りしめ、開いた隙間に足をねじ込んだ(え)
気分は押し売り業者の営業マンだ。
もちろん、返答は「是」しか認めない!







「いや、しかし驚きました。まだイギリスにいらしたとは……。
外国からいらした方は、早々に皆さんご自分の故郷にお戻りでしたから」
「いやぁ、愛しのダーリンがこっちにいるんで、戻れなくてー」


なんとも適当な答えを返しながら、あたしはキョロキョロと建物の中を見回した。
パッと見た限り、学校を卒業する前まで使っていた定宿は、何も変わりがないようだった。
チェックインとチェックアウトの狭間である今の時間が一番人が少なく、 また、食事をする人影もない……。好都合である。
人の口に戸は立てられないので、あたしがここにいることを知る人は少なければ少ないほど良い。


「そうでしたか。その方は今どちらに?」
「えーっと、一緒にはいなくてですね……」


具体的には、リーマスとかリーマスとかリーマスとかに、 ここにいられることを知られる危険は1%でも少ない方が良い。


『ああ、言えないよね。絶賛ケンカ別れ中です、とかね』
「別れてないっ!断じて別れてはない!!ただ……うん、今は一旦距離を置こう、的な?」
「……そうですか」


歯切れ悪くスティアに反論したのを、心優しき宿の店主は自分に言われたものと勘違いしたらしく、 酷く同情的な、沈痛極まる表情で頷いた。
多分、「ここにいてくれ!」だの、 「嫌よ、貴方のことは愛しているけれど、私こんな危ないところに住めないわ!」だのから、 喧嘩に発展したとでも思ったのだろう。
部屋に案内後、「運命は残酷ですね」という、とても生ぬるい励ましの言葉を残し、トムさんは去っていった。


「…………」


いや、実際、逆なんですけどね?

思い出すのも業腹だが、ええ、我らが愛しのリーマスは、 あたしが「不死鳥の騎士団に入りたいな☆」って言ったのを、「君は救いようがないね」と一蹴しやがったんですよ。
仮にもハニーに向かって言うことか、それ!?
あたしの身を案じてのことだとは思うのだが、それにしたって言い方ってもんがあるだろう。
「君にそんな危ないことさせられないよ」とか。
「僕以外の人間に君が傷つけられるのは許せないんだ」とか!


「……後半それで良いの?」
「うん?なにか問題でも??」
「…………ごほん。まぁ、それで結果、ド修羅場になったんだよね」


と、人目がなくなったことで、いつもの一瞬早変わり☆をしたスティアがしたり顔で頷く。
それはもう、他人事のように。
がしかし。


「いや、その元凶お前だけどな!?」


売り言葉に買い言葉じゃないけど、あたしとリーマスは、 あのロッジ風の家で、それはもう熾烈な言い争いをした。
(後で冷静に思い返すと、お互いに愛の告白しかしていなかった気がするんだが、まぁ、それは置いておいて)
まぁ、「入れて!」「嫌だ!」の繰り返しなのだから、どちらかが折れるまで話が終わる訳もなく。
お互いに、一歩も引かない攻勢だったのだ。
ところが、焦れてきたリーマスが、なにを思ったのかスティアさんの話題を引っ張り出してきた辺りから、 話は変な方へと転がって行ってしまったのである。


「〜〜〜〜〜リリーは入ってるんでしょ!?なんであたしはダメなの!?」
「リリーはジェームズと話し合って決めたことだ。私達には関係ない」
「よそはよそ、うちはうちって!?それはそうだけど、
だったら、あたし達もきっちり話し合おうって言ってるんじゃん!」
「さっきからそうしているだろう!?」
「してないよ!これの何処が話し合い!?お互い怒鳴ってるだけじゃんか!」
「君が最初に怒鳴ったんだろう!?」
「どっちが先かは問題じゃないでしょうが!怒鳴られても怒鳴り返さないでよ!」
「なっ!?」


まぁ、今から思えば、無茶苦茶なことを言った自覚はある。
怒鳴ってるくせに怒鳴り返すな、とか俺様すぎるだろう、幾らなんでも。
が、痛いところを突かれて、苦し紛れだったのだ。

案の定、リーマスはあたしの理不尽な言葉には流石にキレたらしく、 さっきまでの勢いをぎゅっと圧縮したような、異様な静けさで溜息を吐いた。
急に雰囲気の変わった彼を警戒しながら見つめていると、 リーマスはそこでちらりと我関せずを貫くスティアに流し目を送る。
で、衝撃の一言。


「……ふーん。君の猫・・・はそうしてくれるんだね?きっと」
「…………は?」『は?』
「怒鳴られても怒鳴り返さないんだろう、きっと。
なにしろ、彼は君の保護者・・・・・・・らしいから。
優しく笑って抱きしめながら・・・・・・・宥めてくれるってところかな?」
「…………はぁ?」


いや、スティアは一つ言ったら万倍返しくらいの勢いだけれども。

唐突な話題の転換に、愛しのダーリンに対して 「なんだ、コイツ頭打ったのか?」と思う薄情な彼女――あたしがいた。

今の今まで不死鳥の騎士団について話していたのに、何故にあたしの案内人に話が飛ぶんだ?
話を逸らすにしても、他に逸らしようが……って、あれ?
……あれ?あれあれ?


「……『抱きしめる』?」


猫があたしを優しく笑って抱きしめる→不可能。
でも、その『猫』というワードを『保護者』に置き換えると……?


「なにを、間の抜けた表情カオをしているんだい?
まさか、僕が今の今まで、君の猫が動物もどきアニメ―ガスだと気づいていないとでも?」
「!!!!」


リーマスの視線が、息をのんだあたしを抉るように射抜いていた。
そこに含まれるものは怒気ではなくもはや殺気と言っていいほどだ。
多大な妬み嫉みが含まれたそれは、話題を変えるために絞り出した、という感じでは全くない。
それこそ、ずっとずっと押し殺してきたものがなにかをきっかけに爆発してしまったかのような、激しさだった。
何か……当然、今の口喧嘩である。

いつバレ……嗚呼、でも、そういえば学生の時からちょいちょい二人でいるところ見られてんな。
いつからかは分かんないけど、この口ぶりからして結構前からバレてたっぽい?
そして、それをずっと言えないでぐつぐつ煮詰めてた感じ?
うーわー……。

あたしは一瞬にして上がった血圧にくらくらしながらも、 己の危機的状況を悟った。
つまり、これはあれだ……。

昼ドラでよくある、浮 気 が バ レ た 女 ポジション!

煎餅片手に「あー、こんなことしてたら、そりゃあその気なくても旦那キレるわw」とか思ってたドロドロ展開!
あたしとスティアがお互い男女としてスキかと言われれば即座に否定するが、 じゃあ、大事な存在じゃないんだな?と問われれば、超大事だよ!と即答しちゃう感じ。

世の中、愛とか恋だけじゃないじゃん?
でも、パートナーが異性と異様に仲が良いのを看過できるかとなると、それはまた別問題なのだ。
おまけに、スティアはあたしにとって、もう家族同然というか……。
リーマスと天秤にかけられる存在じゃないっていうか。
距離を置けるようなものではなく、切っても切り離せない関係である。

でも、このリーマスの今にも包丁を取り出しかねない空気から察するに、 あたし達の関係性を彼に納得させるというのは、ミッション インポッシブルだ。
…………。
…………………………。
……無理無理。あたしクルーズなトムじゃないもん。

なので、あたしは瞬きの間に腹をくくり。


「いや、スティアは人間に化けられる猫なだけで、猫に化けられる人間じゃないから!」


リーマスのスティアに対する認識を『間男』から『猫』へ変える方向を目指した。


『“間男”って酷くない?』


流石にスティアがあたしに不満そうな表情カオを向けたが、それは全力で無視し。
あたしは必死に、リーマスに対して、スティアがいかに猫らしい猫なのかを力説する。
がしかし。


「た、偶にネズミの死骸くわえてくることあるし!」
「私は見たことがないけれど?」
『僕もやったことないね』

「猫パンチとか結構強烈な奴放ってくるし!」
「そうだね。適格すぎるタイミングで漫才してるよね、君達」
『言っておくけど、爪は出してないからね』

「ミセス ノリスとラブラブだったし!!」
「へぇ。そうなんだ。それは知らなかったな……」
『だから!あいつとはそういうのじゃないって何回言わすんだ!!』


フシャーッ!


熱くなったスティアによって、その目論見は露と消えた。


「…………」
「…………」
「……違うって言っているようだけど?」
「ききき、気のせいだよ!!」


うわん、スティアの馬鹿!
そこは嘘でも頷いておくところだろうが!!


『いや、頷いたら、それはそれで猫っぽくなくてアウトだと思うけど』


ぼそっと、スティアからも突っ込みが入り、あたしはもう冷や汗で濡れ鼠である。
で、そんな引きつった表情カオをした奴の言葉に信憑性があるはずもなく、 リーマスは、問答がもはや意味をなさないと判断したのか、スティアへ向けて杖を構える。


「リーマス!?」
「別に攻撃する訳じゃないよ。動物もどきアニメ―ガス以外には何の効力もない」


…………。
…………………………。
……ここでまさかのアズカバンの囚人展開!?

と、あたしがうっかりときめいているその隙に、リーマスは魔法を放っていた。
スティアがそれを、「やれやれ」とでも言いそうな様子で平然と受け止めるのを、 あたしは結局、ただ見ているだけだった。







真っ白な光が、黒猫を包む。
確か、原作では鼠がピーターに急成長する様子が描写されていたはずだ。
となると、あたしの目の前で、スティアがケーの姿に……!
絵面的には、ピーターよりずっと幻想的で素敵だろうが、
かと言って、それを見たい気持ちと、こんなところで見てしまう現実は別物である。
まずいまずいまずい!と、今度は一気に血圧が下がる気持ちで、なす術もなくスティアを見つめる。


「…………?」


見つめるったら、見つめる。


「…………」


がしかし、スティアさんは浮き上がるでも、急成長するでもなく。
寧ろ、魔法の光は段々と薄れてきてしまった。


「…………」


で、結局、光がなくなっても、そこにはただ黒いにゃんこがいるばかり。
リーマスはそのことに、舌打ちせんばかりに極悪な表情をした後、 必要以上に力を入れて、レッツ☆リトライ!

ところが、結果はやっぱり同じ。
なにをやっても、スティアが正体を現すことはなく。
なにをやっても、ケーの甘いマスクが登場することもなかった。

くあ〜っと、彼はここで如何にも面倒くさそうにあくびをして、猫っぽさをアピールする。
季節はかなり遠いはずだが、ここにだけ麗らかな春の日差しが差し込んでいるかのようだった。


「…………」
「…………」
「……ほ、ほら!やっぱり猫でしょ?」
「…………」


理屈は不明だが、あたしはここでだめ押しとばかりに、声に出して結果を彼に突きつける。
すると、リーマスはスティアを凝視しながらも、どうにか杖を収めてくれた。
ふぃーっと、ようやく一息ついたあたしは、ローブの袖で額の汗をぬぐう。

リーマスの魔法無効果とかマジすげぇ……と、あたしは久々にスティアの魔法の腕に感動していた。
すると、スティアは尻尾をぱたり、と一度動かしてこう言った。


『いや、っていうか、僕動物もどきアニメ―ガスじゃないし。
分霊箱ホークラックスだし。猫の体が本体?だし』
「…………」



……あたしの減った寿命返せぇええぇぇえぇ!!



結局、その後リーマスは全然納得のいっていない様子だったが、 魔法が効かない以上あたしの話を信じるしかなかったらしく、 この話はここで終了となった。

が、しかし。

そもそも話していた不死鳥の騎士団への入団については、 なんの解決もしていなく。
ダンブルドアに直談判しようが、なにをしようがあたしを仲間外れにしようとするリーマスに、 「こんな家出てってやるぅううぅうぅ!!」とあたしが叫んで飛び出すのは、この数日後。

同居生活一年数か月という、短い蜜月だった。





「甘い月?そりゃあ、『萩の月』のことだろ?」
「ああ、あの一瞬で食べ終わる奴ですね」






......to be continued