守りたかった。 ただ、守りたかっただけなんだ。 Phantom Magician、184 サク サク と。 本来ならば硬い音を立てるであろう石造りの廊下は、しかし、 重厚な絨毯がひかれている為か、ほんの微かな音しか立てなかった。 そのことに、安堵を覚えるものの、 閑散としたその静けさに、結局のところ緊張は止まらない。 無駄に豪奢な建物は、自らが籍を置く組織の本拠であるにも関わらず、 酷く自分に対して余所余所しい気がした。 もちろん、それがスパイの真似事をしている自分の感傷あることは百も承知である。 が、有益な情報を持ってきた時くらい、この忌々しい空気がなくなれば良いものを、とも思う。 ……おそらく、建物の持ち主の嫌らしい性格を反映してのことに違いない。 プラチナブロンドの髪を綺麗に撫でつけた男のことをうっかりと思い浮かべてしまい、 私は舌打ちせんばかりの表情になる。 自分と違う、他者に認められている男の顔だった。 ルシウスは、死喰い人の拠点の一つに、なんの躊躇もなくこの自身の別荘を差し出したという。 もちろん、それだけでなく、奴自身の働きも、大いに闇の帝王を喜ばせている。 明らかに、他の死喰い人もルシウスには一目置いているし、 子どもの時から大人の中に身を置いていたせいだろうか? 自身の地位の作り方の上手い人間というのは、どこでもそうらしい。 羨ましくなどはないが。 不公平だという気はする。 自分は、半分マグルというせいか、卑下されることもあるというのに……。 闇の陣営に身を置いて、最初に思ったのは、 居心地の良い面もあれば、全くそうでない面もあるんだな、ということだった。 なんとなく分かっていたことではあるが。 どこへ行っても、結局自分は自分で。 他の誰かにはなれなくて。 「ここでないどこかへ行けば、認めてもらえる」だなんて幻想もいいところだった。 ありのままの自分を肯定できるのは、元々認められている人間だけだ。 ホグワーツでも。 闇の陣営でも。 おそらく、不死鳥の騎士団とやらだったとしても。 認められるには、きっと行動がいるのだろう。 そう。 だからこそ、今自分はこうして、闇の帝王と差し向かいで話すことを選んだのだ。 「失礼いたします」 「……嗚呼、セブルス。我が友。久しいな」 どこか夢見るような。 舞台役者のように、他者の心を鷲掴みにする声が、耳朶を打つ。 「……それで?重大な報告というのは、なんなのだ?」 「はい。実は――……」 もちろん、私はダンブルドアになされた予言を、包み隠さずに闇の帝王へ報告した。 この時が、おそらく自分にとって一番緊張した場面だったと、そう思う。 ケーから閉心術について太鼓判は押されていたものの、 全てを見透かすような、真っ赤な蛇の瞳を前に、自分の本心を隠すのはやはり冷や汗ものだ。 話す内容に嘘は一つもないものの、それで闇の帝王に取り入ろうという心持ちは、 その決意は、やはり隠しておくにこしたことはない。 といっても、途中邪魔が入ってしまったが故に、報告は中途半端な物になってしまったが。 そして、自分を打倒する誰かが生まれるという言葉を、 豪奢な椅子に座りながら聞いていた闇の帝王は、案の定、鼻で笑い飛ばした。 組まれた長い脚が、その途端、軽やかに揺れる。 「ふん。俺様を打ち破る力を持つとは、また随分と大きく出たものだ。 『生まれる』ということは、あの老いぼれを指す訳でもあるまい。 そんなものが、果たして本当に現れると思うのか、セブルス?」 ビリっと、一瞬自分へ向けた殺意が飛んできた。 「っ」 微笑みを称えた優美な唇の上には、しかし、全く笑っていない双眸がのぞく。 それは、返答次第では、自分の身が危ういということだった。 確かに、その予言に慌てるということは、そんな人間が現れると欠片でも思っているということ。 盤石なはずの闇の帝王を心配するということだ。 それは、おそらくこのプライドの高いお方には、屈辱ですらあるだろう。 私は、そのことに気づくと、敢えて口の端を持ち上げて、息を整える。 瞬時に背中を襲った怖気は、決して悟られてはならなかった。 「まさか。闇の帝王と渡り合える者など、かの創設者くらいのものでしょう」 「……ほう?」 「ただ、予言の言葉からすると、我が君がその者を知らぬというのも異なこと。 そのため、急ぎ伝えに戻った次第です」 そう、予言では『そして、闇の帝王はその者を――』とあった。 掴まえるのか、殺すのか、それは分からないが、 闇の帝王に存在を認識されるのならば、待っている未来は暗いことだろう。 気の毒なことだが。 どうせ、見つかるのならば、それ利用してなにが悪い? 半ば以上開き直った気持ちで、興味深そうに、嗜虐的にこちらを見る闇の帝王に対峙する。 念の為に人払いはしておいたので、他の死喰い人から与えられる威圧感はなくなったが、 彼の人と二人きりという状況を改めて思い出し、手の平を汗が覆った。 と、どうやらその物言いがお気に召したのだろう、 闇の帝王は、殺気を一度収めて、口元に白々とした手を当てた。 「なるほど。お前の言葉も一理あるな」 「では、その者を探されますか?」 「いや……」 すでに人の死に麻痺してしまった自分は、 まるで、それを探すことを志願するかのように、身を乗り出す。 がしかし、それに頷くと思われた帝王は、一瞬、考えを巡らせるように目を閉じた後、 それはそれは愉快そうに、唇を歪めた。 「この俺様に三度も抗って逃げおおせた者はそう多くはない。 せいぜいが、2、3人といったところか……。 ……嗚呼、そういえばセブルス。お前の同学年の男も、確かそうだったはずだな?」 「は……。同学年と申しますと……?」 その口調に、嫌な予感がしなかったと言えば、嘘になる。 がしかし、それが明確になる前に、 闇の帝王はその名前を口にした。 「なんといったか……そうそう、ポッター、だったか?」 「!!」 それは、今この場で。 この状況で。 決して浮上してはならない名前だった。 「っポッター?あやつなど、我が君が気に掛けるほどの者ではありませんが……。 それに、奴が三度も我が君から逃げおおせたなど、そのようなことがあるはずも――」 「俺様の記憶違いだとでも言うつもりか?セブルス」 「っっ」 ざわり、と殺気とは比べ物にならない悪寒と殺気に、体が震える。 なにか。 なにか言わなければと思うのに、頭が回らない。 ポッターなど、どうでも良い。 けれど、リリーが。 リリーが巻き込まれるのだけは、なんとしても防がなければ。 ――自分の存在意義が、なくなる。 急に足元が、グラグラと不安定なそれに代わったかのように。 崩れそうになる体を必死に抑える。 すると、一気に顔色の変わったのを見て満足したのだろう、 闇の帝王は与えていた威圧感から、私を解放した。 「まぁ、お前が知らぬのも無理はない。 一度目は俺様もほとんど意識していなかったくらいだからな。 どうやら、数年前に、クラッブたちが追いかけた学生がそうだったようだ」 「!?」 「妙なマグルの乗り物に乗った二人組でな。 片方がブラック家の者だったというから、もう片方は仲のよろしいポッターだろう。 丁度この間、そんな話になったのだ。……これも運命という奴かな」 くつくつ、と喉の奥で笑いをかみ殺す帝王。 それに対し、「他の人間が」だの「ポッターの妻は穢れた血で」だのと並べ立てる自分。 なんて滑稽で、見苦しいことか。 流石に、その狼狽え方に不審を覚えたのだろう、例の探るような瞳がこちらを見た。 その瞬間。 ほんの僅かに、リリーへの思慕が頭を巡る。 その笑顔に心満たされた日々が。 決別の胸の痛みが。 ポッターへの羨みが。 入り混ざって弾け飛ぶ。 その感覚は、以前に何度もケー相手に覚えたそれと同じだった。 「っ」 開心術を使われたっ そのことに気づいた瞬間、防壁を建てようと試みるも、 一度ガタガタに崩れてしまった心は、容易く闇の帝王の侵入を許してしまう。 閉心術で最も肝心なことは動揺しない、ということ。 そんなこと、分かっていたはずだったのに。 完全に、闇の帝王を締め出すことはもはや不可能だった。 「 っ」 せめてもの矜持をかき集め、私は最も触れられたくないリリーへの思い、 すでに彼がほとんど手中に収めかけている、ただそれだけを闇の帝王へと差し出した。 他の物は、全てひた隠しにして。 もう自分には、それくらいしか出来ることがなかったから。 体の中で一番柔らかい部分をズタズタに切り裂かれるような、そんな数分の後、 「……これは驚いたな。セブルス」 「…………」 「まさかお前が、そのポッターの妻を好いているとは?」 「っ」 初めて弱みらしい弱みを見せた私に対し、 闇の帝王は、心の底からであろう笑みを見せた。 それは決して、温かなものではなかったけれど。 人外に近づいてなお、冴え冴えとした美貌が、その冷酷さを強調する。 ことさら煽るような口調に、抗えば死が待っていることを直感し、 私は敢えて無様さを見せつけるようにその足元へひれ伏した。 「どうかっ!どうか、その女だけはお許しくださいっ」 「……ほう?」 「『闇の帝王を打ち破る力を持った者』とは、その子どものはずっ 母親は関係ありませんっ!どうか、なにとぞっ」 「くくっ。女さえ助かれば、その女の子どもなどはどうでも良いのか? その夫は?親類はどうだ?」 「……もちろんです」 苦々しい表情と、私の記憶から、ポッターとの関係はある程度推測できたのだろう、 闇の帝王は考え込むかのように、不意に私から窓へと視線を移した。 外は、まるで私の代弁をするかのような曇天で。 風が吹きすさんでいた。 やがて、どれくらい経ってからだろうか、気が付けば、窓に映る半透明の彼の口元は、 三日月のような弧を描いていた。 「――お前の言い分は分かった。 これまでのお前の働きにも、そろそろ報いてやりたいと思っていたところではある……」 「ではっ!」 「だがな、セブルス。お前を真に思うからこそ、その願いはきいてやれないのだ」 「なっ!?」 「穢れた血の女など、お前には相応しくないだろう? なぁ、セブルス。お前自身があの女をそう呼んだではないか」 「〜〜〜〜〜〜っ」 耳が。 聞くことを拒否する。 その後、闇の帝王は私に一言、二言声を掛け、 労うように、労わるように肩を叩いて、部屋を出て行った。 けれど、私には荒れ狂う風の音しか、分からなかった。 闇の帝王が去った後、私はどうやってマルフォイ家の別荘を出て、 家に戻ったのか記憶にない。 けれど、気が付けばケーを呼び出していて。 それでも落ち着かずに、ダンブルドアに連絡を取っていた。 ケーという化け物じみた魔法使いを信じていない訳ではない。 けれど、相手はあの闇の帝王なのだ。 自分に打てる手は、全て打っておくべきだった。 今から思うと、この時闇の帝王に見張りを付けられていたなら、とぞっとする。 ケーはともかく、あの宿敵であるダンブルドアに連絡だなんて。 バレれば、確実に殺されていたことだろう。 もっとも、バレずとも、命の危険はあったわけだが。 「さて、セブルス?ヴォルデモート卿が、わしに何の伝言かな?」 呼び出しに応じたダンブルドアは、今まで見たこともないくらい激しい表情で私に対した。 それはそうだろう。 自分は闇の帝王の配下で。 彼の庇護下にある学生では、もうないのだから。 今まで彼はずっと私に校長の表情しか見せてこなかったのだ、とここで初めて気づいた。 その表情は、つい最近、どこかで見たものによく似ていた。 そして、私の懇願を。 リリーだけでも。 リリーだけが無理なら、一家全員を助けて欲しいとの懇願を。 彼は軽蔑しながらも受け入れ、彼女を守ってくれると、約束した。 もちろん、それなりの対価――闇の帝王への裏切りを要求して、だが。 ケーがやってきたのは、そんな一手を講じ、私が冷静さをある程度取り戻した、そんな時だった。 彼は状況を聞くと、まるでそんなことは何年も前から知っていたかのように、 淀みなくリリーを守れると断言した。 そして、その為には、私の協力が必要だとも。 「……なにをすれば良い?」 「いや、そんな悲壮な表情しなくても、ダンブルドアみたいに危ない橋を渡らせたりしないよ。 これでも、僕は君のことが気に入っているんだからね」 「…………」 「そんな力いっぱい『嘘つけ!』って表情しないでよ。傷つくなぁ」 そんな軽いやり取りの後、彼から言われた協力は、確かに難しいことではなかった。 ただ、『ある時に』『ある場所へ』行ってくれればそれで良い、と。 そんな、協力とも思えないもの。 そこで何かをするのかと問えば、行けば分かる、とだけ微笑まれた。 それは、驚くほどに優しく。 多分、一生瞼の裏に焼き付いて消えない笑み。 + + + そして、『1981年10月31日午後7時に』『ホグワーツの校門へ』 向かった私が見たのは、大人びた、けれど見覚えのある女。 そいつは、身一つで、その場に呆然と座り込んでいた。 そう、着の身着のまま。 杖もなにも持たずに。 「ど、……しよ……」 嗚呼。 「セブ、どうしよ……ティア、が……っ」 確かに、来てみれば。 その名前を聞いてしまえば。 一目瞭然だ。 「スティアが死んじゃう……っ」 お前は、これを。 =を。 お前の唯一無二の宝を。 「助けて……!お願い、スティアを助けてっ!!!」 ここで守れ、とそう言うんだろう? 「……それは、できない」 「!!?」 縋りついてきた手は、記憶の中と違って。 酷く冷たい氷のようだった。 痛いほどに、気持ちが分かる。 ......to be continued
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