こんなつもりはなかったと嘆いても、もう遅い。 だから。 Phantom Magician、181 「暗い、な……」 ぼんやりと、何をするでもなく自室に佇み、 偶々目に入った窓を見て、そう思う。 いや、この部屋だけでなく、この家中の窓という窓はカーテンで遮られ、 そもそもが薄暗かった。 自分が『生きていた』時には、そんなことはまるでなかったのだけれど。 ……もっとも、これは何もできない今の自分にはどうしようもないことだった。 この家は、喪中なのだ。 唯一の跡取りを失って、窓からの光さえ拒否するくらい、沈んだ家。 まぁ、カーテンが開いていたりしたら、 自分の姿をうっかり見られて「ブラック家に息子が化けて出た!」などと言われかねないので良いのだが。 あまりに陰気な空気に、住んでいる人間の心身が病んだりしないだろうか、と心配になる。 兄は家を出てしまっているから、そういう面でも頼りにならないし。 忠実なしもべ妖精は、母がこれを是としている以上、やはり期待はまるで出来ない。 せめて換気だけでもしたいのだが……。 と、ふと、自分がそんな何気ないことを悩んでいる事実に思い当り、 なんだか凄く滑稽な気分になった。 少し前まではもっともっと、深刻な問題を抱えて、頭の中は混沌としていたというのに。 「ふふっ」 これも、あの人のおかげだ。 容赦なく自分を殺してくれた、あの人の。 + + + 「――……!」 「ぼっちゃ……ま…た、……だ、…ま、もどり……ま……し……」 その日。 クリーチャーが、見るも無残な姿で帰宅したのを見た時、 僕は、遥か昔、彼女に言われた言葉を思い出した。 ――その考え方だと、レギュラスはきっと、ついていけなくなるんじゃないかな。 クリスマスのイルミネーションが輝く夜。 悲しげに、苦しげに、彼女はそう言った。 彼女に見えていて、僕に見えていなかった物。 それこそが、目の前で苦しむ妖精の姿だった……。 帰宅を告げると同時に崩れ落ちたクリーチャーに慌てて駆け寄り、 その体を抱き抱えれば、忠実なしもべの体は汗かなにかで濡れそぼり、 微かに潮の匂いがしていた。 息は絶え絶えで、小刻みに痙攣する体は、 寒さに震えているようにも、恐怖に苛まれているようにも思えた。 「クリーチャー!いったい、なにが……!」 「闇の、てい、おうは……クリーチャーめで、お試しに、なりました」 「試し!?なんの試しを……」 いや、なんの試しでも良い。 大事なのは、それがクリーチャーをこれ程までに弱らせたという、ただ一点。 魔法でも、毒でも、魔法薬でも、なんでも構わない。 屋敷しもべが必要だと、言われたから。 だから。 信じてこそいなくても。 それでも信じたくて、クリーチャーを差し出したのに。 兄が家を出た後、母は今まで以上に純血主義に対して傾倒し、闇の帝王の考えを支持しだした。 今にして思えば、母も兄と同じで引けなくなっていたのだろう。 兄が言うことをきかなくても、いつかは自分の考えを改めるに違いない、と、 盲目的に信じていた分、それが裏切られた衝撃は筆舌に尽くしがたかったに違いない。 口では不出来だと責めながら。 それでも、やはり僕より兄の方が、母にとっては大事だったから。 ここ数年、ことあるごとに、僕に対して「お前はあれとは違う」と期待を寄せる姿が、眼裏に浮かぶ。 それは、どこか縋るような、弱々しいもので。 だから僕は、卒業を待たずして、死喰い人に参加したのだ。 誉れあるブラック家の次期当主として、純血主義者の集団での地位を確立する必要があったから。 そして。 彼らの行為に完全に賛同はできなかったけど、それでも、実力主義の世界は魅力的に思えたから。 認めて貰えるかもしれないと、夢想した。 けれど。 マグル風情がっ しょせん奴らは どうして 下等な オオ、ワガキミ 穢れた血め 止めてぇっ お許しくださいっおゆるしください 誰かっ 殺してやるっっ 消えろ 血を裏切る者が 馬鹿な奴だ 助けてっ 我が君 モウイヤだ アバダケダブラ! それによって得られたのは、夢は夢だという現実。 僕という人間は、何も見えていない子どもだったのが、よく分かっただけだった。 瞼の裏に、垣間見た『彼の人』の姿が思い出される。 自身に満ち溢れ、鋭利で冷たい瞳。 冴え渡る魔法。 人外に、近づいていく、その姿……。 時代を変えてくれる人だと思った。 その実力のある人だった。 でも、あの人の行為は、どこか歪んでいて。 今までずっとそれから目を逸らしてきたけれど、それももう限界だった。 ぎゅっと、彼女に貰ったネクタイピンを、握りしめる。 「すまない、クリーチャー!本当にすまないっ」 「……クリーチャーは、しもべ失格です。ぼっちゃまを、悲しませている」 健気なしもべが、自分を罰しようとする気配を感じ、 僕はそれを体で無理矢理押さえつけると、体調を治すことに専念するように申し付ける。 以前のように動けるようになるまで、一切の家事は禁じる。それが罰だ、と。 「ぼっちゃまは……お優しい」 「違うっ……僕は、僕は……優しくなんか、ない」 嫌な予感を感じながら。 それでも、あの人の元へクリーチャーを送り出し。 言うことをなんでもきけと言ったのは、他ならぬ僕だ。 後悔で胸が潰れそうな思いがし、呼吸さえ怪しくなってくる。 すると、そんな僕の姿に思うところがあったのか、クリーチャーは訥々と、 僕が如何に素晴らしい主人かということを語り始める。 それが、僕を針の筵に座らせる言葉だなんて、思いもせずに。 「闇の帝王は、クリーチャーめがもう死ぬと、そう思っていました。 クリーチャーは、いらないのです。 シリウス坊ちゃまも、クリーチャーめを見ると、酷く気分を害されました。 ずっとずっと、そうでした。 けれど、レギュラス様は違った。温かいお言葉を、毛布を、下さいました。 必ず帰ってくるようにと、おっしゃって下さいました……」 「っ」 「クリーチャーめは、レギュラス様が望むなら、なんでも致します」 そこにあったのは、全幅の信頼と、敬愛。 僕は、弱々しい笑みを浮かべる彼の体を抱き上げながら、その時、心を決めたのだ。 時勢に流されるのではなく。 己の信念に沿った行動をできる、 彼の信頼に値する人物に、なろうと。 それからの日々は、まるで矢のように過ぎていった。 闇の陣営と、ダンブルドアが率いる集団、それの力は拮抗しているとは言い難い。 客観的に見て、闇の陣営の方が手段を選ばない分、やや優勢だ。 だがしかし、個の力量を見る限り、ダンブルドアたちの方が優れている。 問題は、数と、組織形態だ。 闇の陣営が、完全なトップダウン形式であることと比べ、 ダンブルドアの側はボトムアップ形式。 個が優れているからこそ、各々が判断して動くことができるのだろうが、 やはり集団の意思が統一されていないというのは、代わりが利かないということに繋がる。 では、トップダウンに欠点がないかと言えば、そんなことはない。 寧ろ、その欠点こそ、僕が突くべきポイントだ。 「頂点の意思で動く集団ならば、その頂点さえなくなれば瓦解する……」 闇の陣営全てを相手取るような力量は僕にはない。 いや、そんなもの、例えダンブルドアにだってないだろう。 だが、それが闇の帝王ただ一人だったなら? 彼が最高峰の魔法使いであることは、自他共に否定しようがないだろう。 しかし、そんな彼に弱点の一つもないことがあるだろうか? 死喰い人になって分かった唯一のことは、彼が生身の人間であるということだ。 完璧なんかじゃない。 癇癪を起こし、食べ物を食べ、時にはダメージも負う。 僕と同じ、不完全な生き物なのだ。 なら、それが、倒せないなどということがあるだろうか? 答えは、否。 彼が、同じ魔法使いである限り、打倒の術はある。 それが、僕の結論。 僕は、クリーチャーに決して家から出ないよう命令した後、 死喰い人の集まりや、闇の帝王の呼び出しに積極的に応じ、 彼の弱点について掘り下げた。 そして、数か月後。 幹部連中の言葉の端々や、ベラが預けられたという禍々しいカップ等を見て、 僕は恐ろしい現実に向き合う結果になってしまう。 彼は、確かに僕と同じ魔法使いだ。 だがしかし。 同時に、不死の神となろうとしている……。 「…………っ」 「レギュラス様!ぼっちゃま!如何なさいました!?」 「クリーチャー……君は、確か、闇の帝王から魔法薬を飲まされた、んだろう?」 「っは、はい。水盆の中身を全て飲み干すように、と言われました。 それ以外の方法では、薬をなくすことはできないようです」 「そして、空になった水盆を、彼はどうしたって……?」 「なにか……金色の、ロケットのような物を入れていました。 『これで良い』と、同じ薬で、水盆を満たしました」 「…………」 死に等しいほどの苦痛を伴う薬を飲むことでしか、手に入れられないようにしたロケット。 それほどまでに守りたく、しかし、滅多な場所には置いておきたくない物。 特に金銭に興味がある風ではなかった彼のことだ。 純金であったとしても、たかが金のロケットをそんな厳重に守るはずがない。 ならば、それは……。 あらゆるピースが、僕に一つの可能性を示唆していた。 分霊箱。 遥か昔、家の書庫で見つけた、禁断の魔法を、思い出す。 それは、己の魂を他の物体に定着させて、魂の不滅を目指す試みだ。 それによれば、例え肉体が滅んだところで、分霊箱さえ無事なら蘇ることも理論上は可能だと書いてあった。 己の魂が入った品物なら、そう、なにより守るべきものだろう。 しかし、己の魂が入っているからこそ、なんでもない石ころなどには入れておきたくない。 あの人なら……きっと、己に相応しい入れ物を用意するはず。 例えば、貴重な宝飾品などであるかもしれない。 聞けば、彼の容貌は依然とは大分様変わりしているとのことだ。 それは、禁術に手を出したことによる副作用なのではないか……。 「…………っ」 もし自分の予想通り、そんな物が実在して、彼がそれを行っていたとすれば。 ダンブルドアには、勝ち目はない。 しかも、 「箱は、一つじゃない……?」 腹心の部下に「我が身と思って守れ」と預けたカップ。 厳重な守りを布いてまで隠した、ロケット。 少なくとも、彼は魂を2つの分霊箱に分けているのではないか……。 全て、当て推量の、確証もない考えだ。 だがしかし、それを完全に否定するだけの材料もなくて。 僕は気が狂わんばかりの苦悩の縁で数日過ごし、やがて確かめるしかないという結論に至った。 幸い、1つは場所も、取り方も分かっている。 なら、ここはもう思考ではなく行動の段階に至っていると考えるべきだった。 気が進みはしなかったが、クリーチャーに、彼が死にかけた洞窟へ連れて行ってくれるよう頼み、 僕は彼の反対を押し切って、そこへ向かった。 そして、死に沈む。 クリーチャーの話から、魔法薬が心を疲弊させるものだということは予想がついていた。 見たくもない幻を見せるものなのだろうと。 人によってそれは、過去や未来、現在の出来事かもしれないし、 心の奥底で恐れていることなのかもしれない。 だから、なにが来ても良いように、覚悟を決めた。 その、はずだった。 でも。 そんな覚悟、闇の帝王にとっては塵芥に等しい。 薬を一杯飲んだだけで、凄まじいまでの恐怖と罪悪感、後悔といった負の感情が胸に去来した。 死にたい、と何度も思った。 殺してくれ、と。 けれど、その度に、泣きそうな顔をしながら見守るクリーチャーの顔が目に入って。 彼は、僕がそうしろと言えば、どんなに嫌なことでもしてしまうだろう。 そして。 そして、そのことをずっとずっと、悔やみ続ける。 それだけは、嫌だった。 だから、薬を飲む時以外は、必死に口を閉ざし、苦しみに耐える。 けれど。 多分、それが余計な労力だったのだろう、 クリーチャーが分霊箱を手にした時には、僕はすでに限界で。 分霊箱から感じる禍々しい気配を感じただけで、心が挫ける。 嗚呼、もう死ぬんだな、と思った。 分霊箱と入れ替えたブラック家の家宝のロケットの中に、 偉そうに他の分霊箱も壊すと手紙を書いたくせに。 1つ手にするだけで、精一杯な自分。 そう、僕は兄と違って、不器用だから。 たった1つの物しか手に入れられないし、守ることもできない。 「クリー、チャー。その、ロケットを、は、かい、するんだ。 さっき、言った、だろう?」 「ぼっちゃま!ですが、しかしっ!」 「おね……がい、だ。クリー…ャー…に………か、まか、せら、れな……。 だい、じょうぶ、だから……」 「――……っ」 足には、もう力が入らない。 手も、体を支えられない。 ただ、ただ、喉が渇く。 僕は、昏くなる視界に彼の姿を収めながら、最後の力を振り絞った。 「家に、帰れっクリーチャー!この、ことは、誰にも言うなっ!!!」 「っかしこまりましたっ!」 ぽたり、と。 手に温かななにかが、落ちる。 温かな、水が。 水。 嗚呼、水が、飲みたい。 彷徨った視線はすぐ傍に横たわる、湖へと吸い込まれ。 そして。 そして……。 「レギュラス様――……っ!!」 そこから先は、まるで現実感がなかった。 湖の縁へ辿り着いたと思ったら、無数の手が僕を掴み。 一気に冷たい湖底へと僕を引きずり込んだ。 無意識の抵抗はあったかもしれないけれど、それも微々たるもので。 僕はただただ、昏い場所へと沈んでいく。 ごぼり、と自分の吐いた空気の音だけが聞こえて。 そこは、亡者の群れがいるとは思えないほどの、静寂に満ちていた。 水面が徐々に遠ざかる。 光が。 遠くなる。 母上、申し訳ありません。 立派な息子になりたかったのに。 父上も、すみません。 こんなに早く、後を追いかけることになってしまって。 でも、まだ、兄さんがいるから。 ブラック家は、続いていく。 僕が、いなくたって……。 『試合観てるよりレギュラスとおしゃべりしてる方があたしは何倍も楽しい』 「!」 がぼっと、肺からまた大きな空気の塊が吐き出される。 その人のことを思い出したら、強烈な感情が僕の全身を貫いたのだ。 死にたくない。 死にたくなんか、ないんだっ!と。 クリーチャーも言ってくれたじゃないか。 僕の為に、なんでもしたいのだと。 それは、確かに僕に向けられた言葉で。 なによりも確かな、僕の生きる意味。 僕が生きることを望んでくれている、彼らの意思。 ネクタイピンのある胸のあたりが、ただただ、熱くなった。 「ミ、ネコ……さ……」 音のならない声で、別れて以来、一度だって口にしたことのない名前を呼んだ。 と、その次の瞬間、霞む目に映ったのは、赤く輝く空を背景に、僕に手を伸ばす、女性の姿。 最後に会った時の、美しい蛍火のドレス。 「レギュラス――っ!」 死ぬ前に見るには、なんて良い夢だろうと、そう思った。 幸せな気分で目を閉じると、その瞬間、瞼を閉じていても見える程の、 強烈な光が僕を囲んだ。 だが、そのことに驚く間もなく、僕の腕に温かい何かが絡みつく。 さっきまで自分の周囲にいた冷たく静かな亡者などではなく。 それは、紛れもなくエネルギーに溢れた生者の物で。 気が付いたら、僕は水盆のある小島に引き上げられ、みっともなく咳き込んでいた。 世界に、音が戻る。 「ぶはっ!」 「げほっ……がっ……はっ……ぐぅっっ!」 「レギュラス、レギュラス、れぎゅらすっ」 ぎゅっと、濡れそぼる姿に目もくれず、その人は僕の体を抱きしめた。 その華奢な体は小刻みに震えていて。 ぽろぽろ、と、彼女は真珠のような大粒の涙を零していて、まるで人魚のようだ。 「よかっ……生き……っレギュ、死んでな……っ」 困った時は呼べと言われた。 飛んでくるから、呼んでくれ、と。 でも、本当にこうしてタイミングよく駆けつけてくれるだなんて、思いもしなくて。 我知らず、涙一粒分だけ、感情が溢れる。 嗚呼、貴女は。 いつだって、僕の知らない僕を、引きずり出してしまう。 けれど、それは不思議と不愉快ではなく。 その声が。 体が。 笑顔が、温かくて。 泣きたいほどに、懐かしい。 「ミネコ、さん……」 僕はまだ、貴女の隣に戻れるだろうか。 後悔は止めて、次は前を見よう。 ......to be continued
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