もし、あの時に戻れるのなら。 私は貴女に「ありがとう」と「ごめんなさい」と伝えたい。 Phantom Magician、180 「――?」 「ええ。あら?そういえば、アリスはあったことがなかったかもしれないわね。 貴女が卒業してから、彼女は転入してきたから」 私が、その『』という女性のことを意識したのは、 多分、他の騎士団メンバーから比べると随分遅かったように思う。 日に日に、知り合いが襲われ。 見知った場所が、戦場へと変わる。 大切な誰かが、いなくなってしまうという日常を過ごす中で、 不死鳥の騎士団でもない人とどうして関わることができるだろうか。 そう、彼女は騎士団のメンバーではない。 だというのに、騎士団の人が偶に口の端にその名前を乗せることがあった。 共通の知人として。 あるいは、得体の知れない謎の人物として。 特によくその人の話題を出すのが、ポッター夫妻だった。 その日は、騎士団の本部に詰めていたのが、 私達身重の女二人だというのもあって、 久しぶりに穏やかな話をしている時、リリーがポツリとその名前を出したのである。 「はね。私達のホグワーツの同期でとっても優秀な魔女なのよ。 そして、私の大親友で、リーマスとは恋人同士なの」 「まぁ、まぁ、まぁ!そうなの?道理で、リーマスは落ち着いた感じがすると思ったわ。 もう心に決めた人がいたのね?どんな人なの??」 「とってもチャーミングよ?東洋人だからか、ちょっと変わったところもあるけど、 優しくて、正義感が強くて。きっと、アリスもすぐ仲良くなれると思うわ」 「まぁー!それはぜひ会ってみたいわ! ……あら?でも、その人は騎士団には入っていないわよね? 写真撮影の時にもいなかったもの」 思い出すのは、先日の写真撮影のこと。 記念というと言葉があれだが、ジェームズ、シリウスを筆頭に、メンバーの結束を高める上で撮った代物だ。 (もちろん、外部に漏れれば死喰い人の格好の餌食になってしまうので、厳重に本部に保管されている) あの時、見回してみても年若い女性など、自分の他にはリリーくらいしかいなかったはずだ。 もちろん、騎士団に夫が入っているなら須らく入るべきだなんてことはないが、 正義感が強いというなら、入っていてもおかしくはない。 と、私の疑問に対して、リリーはどこか愉しそうに微笑んだ。 「それはね?本人は入りたいって言ったのに、リーマスが大反対したからよ」 「まぁ、まぁ、まぁ!」 なるほど。リーマスのあの慎重な性格を考えれば納得である。 大切な人であればあるほど、彼は危険から遠ざけようとするだろう。 彼の人間らしい一面に、思わず微笑ましい気持ちになっていると、 ふと、リリーの綺麗な表情が少し陰ったことに気が付いた。 「リリー?」 「私も、がここに来るのは反対だったわ。……彼女は優しすぎるから」 「?」 反対だったというのなら、今その人が参加していないことに安堵の表情を浮かべてもいいはずだ。 それなのに、何故リリーはそんな暗い雰囲気を纏っているのだろう? その彼女が心配だから?それとも、親しい友人とあまり会えないことによる寂しさだろうか? なんだか、そのどちらでもあって、どちらでもないような気がした。 私は、そのことにどこか不安な気持ちを覚えながら、「会いたいの?」と気が付けば口にしていた。 「え?」 「あの……だから、会いたいのかしらって。 ……ごめんなさい。変なこと言っちゃったかしら??」 「いいえ。そんなことないわ! ……そう。そうね。この子が生まれたら、リーマスに頼んでみようかしら?」 「それが良いわよ!その時は私にも紹介してくれると嬉しいわぁ」 にこにことなんでもないことのように言えば、そこでようやくリリーにも笑顔が戻る。 実を言えば、そのという人は、騎士団への入団の件でリーマスと大喧嘩をしており、 二人の愛の巣から、絶賛脱走中だったりするのだが、この時私たちはそのことを知らなかったりする。 がしかし、流石にリリーの出産についてはどこかで聞き及んだのかなんなのか、 リリーがわざわざ頼むまでもなく、彼女はそこだけはきっちりと抑えて、 ある日騎士団の利用している施設の一つにやってきたのだった。 それは、私と彼女の出産祝いのパーティーの席だった。 (本当はアラスターなどは大反対だったが、ジェームズ達がどうにか押し切って開催したらしい) 彼女は両手にいっぱいのベビー服やら毛布やらを抱えて、素晴らしい笑顔と共にお祝いに駆け付けてきた。 もちろん、連れてきたのはリーマスだろう。 その瞳が、少しの呆れと愛おしさで染まっている。 「リリー!出産おめでとう!!」 「……っ!」 手にしていた大荷物を、一瞬の早業でジェームズに手渡すと、 その人はバラ色に頬を輝かせたリリーを、赤ちゃんごとその手に抱きしめた。 見たことのない漆黒の髪と瞳が、きらきらと照明の光を反射して、 女の自分も見とれるくらい、とても素敵な人だ。 「久しぶりね。何か月?1年以上ぶりになるのかしら……元気だった?」 「もちろん!まぁ、極寒の地底湖に飛び込んだり、 ホープ・ダイヤ真っ青の超呪われ物品始末したりなんだりしたけど、 おかげさまで元気だよ!」 『産後の大変な人になんて暴露してるんだ、君は』 同じく漆黒の毛色をした猫が、リリーに挨拶でもするように小さく鳴いた。 どうやら、彼女の使い魔のようで、雰囲気がとてもしっくりきている。 リリーは、その猫にも「こんにちは、スティア」と親し気に声を掛け、 彼女のよく分からない発言は、さらりと聞き流していた。 荷物を押し付けられたジェームズ、シリウス、ピーターが同じく、 平然としているところを見ると、どうやらこれが彼女の通常運転らしい。 (リーマスは少し笑顔が引きつっていたが) なるほど、確かにちょっと変わっているようだ。 と、私の視線に気づいたのだろう、彼女と不意に目が合う。 夫のフランクなどは少し警戒して、私の肩を抱く腕に力がこもったが、 しかし、すぐに彼女の眦が優しく緩むのを見て、私は逆に力が抜けた。 それは、とてもきれいな笑顔だった。 疑ってしまうのが馬鹿馬鹿しくなるほどに。 「あ、そうそう。こちらはアリスと、夫のフランク。 凄いでしょう?私と一日違いに男の子を産んだのよ。ママ友って奴ね」 「アリス=ロングボトムです。リリーの親友のさん、ですよね?」 「はい、そうです。可愛い赤ちゃんですね。……お母さん似かな? おめでとうございます。大丈夫、ちょっと忘れっぽいけど良い子に育ちますよ!」 「(忘れっぽい???)……はぁ、ありがとうございます?」 ぐっと親指を立てて、太鼓判を押される。 まるでその姿を見たことがあるかのような断言のされ方だった。 (……くどいようだが、初対面である) 「もう、ったら相変わらずね。アリスとフランクが反応に困っているじゃないの。 ごめんなさいね、フランク」 「……いや」 名前とは反対に、フランクさの欠片もない夫は、 リリーの謝罪にゆったりと首を振った。 が、やっぱりさんに対しては夫婦で同じ印象を持ったようで、 軽く腰が引けている。 幸い、彼女自身にはそれは気取られなかったらしく、 さんは「えぇ!?」と心外そうな声を上げて抗議していた。 そして、彼女はリーマスからお祝いの品を渡され、 気を取り直したように私達にもそれをプレゼントしてくれた。 見たことのないその姿に、その場の全員が疑問符を浮かべる。 と、代表して、付き合いの長いらしいシリウスが疑問を声に出した。 「とりあえず、かぼちゃ柄のブランケットは良いとして……。 いや、なんで時期でもないのにかぼちゃなんだよって思わなくもないけれど、 まぁ、ブランケット自体は問題ないとは思うし、それは良いんだが……お前ら、それなんだよ??」 「うん?オムツケーキ特Lサイズ」 「「ケーキ!!?」」 「ああ、ケーキっていっても食べられる訳じゃもちろんないよ? オムツを包装してケーキ型にするだけなんだって。二人で作ったんだ」 「そうそう。リーマスが普通のケーキ人にあげる訳が……ゲフンげふん。 可愛いでしょ?割とあたしの国ではギフトであるんだよー。 オムツなら、絶対に必要だし!貰っても別に困らないでしょ?」 まさか、自分までお祝いを貰うだなんて思ってもみなかったので、 にこにこ笑いながら、おむつケーキ?を差し出す彼女に対し、目が丸くなる。 だが、考えてもみれば合同で誕生パーティーを開いたのだ。 主賓の一人に渡して、もう一人に渡さないなど、失礼にあたるだろう。 フランクもそう思ったのか、差し出されたそれを丁寧に受け取り、お礼を言っていた。 その後、とリリーは仲の良い女友達ということで、 他の人たちはそっちのけで二人の世界を作り、きゃいきゃいと愉しそうに食べ物の方へと向かっていった。 あんな風に童心に返ったリリーなどほとんど見たことがないので、酷く新鮮だ。 と、フランクもそう思ったのか、二人の様子をじっと見つめる。 「…………」 「……フランク?」 やけに熱心な視線だ。 がしかし、ここで「まさか夫が他の女性に目を奪われている!?」となるほど、私もお気楽には出来ていない。 (確かには綺麗だけれども!) そこに、どこ複雑そうな、苦し気な色を見つけ、 私はそっと彼の名前を呼んでみる。 それに、夫はなにをどう言ったら良いものかと、思案気な視線を返してきた。 フランクは、パワフルなお母様(一を言ったら十返ってくる)の影響があるのか、自分の気持ちをあまり言葉にはしない。 たくさん考えていることはあっても、それをまとめるまで少し時間がかかってしまうのだ。 ただ、大したことでないのなら、言葉を飲み込んでしまうことの多い彼が、 こうして何か言いたそうにしている様子に、私は心の準備をした。 そして、それから数分後、ようやく心の中に区切りがついたフランクは、 周囲に誰もいないことを確認した上で、そっと囁いてきた。 「マッド=アイが……前に言っていたのは、彼女だろう」 「アラスター?前にって……あ!」 酷く重い彼の口に、そして、挙がった名前に、私は思わず口元を覆う。 そう、それは忘れもしない、不吉な忠告。 ――我々の中に、或いはごく身近に内通者がいる。 これは私達、そして、ポッター夫妻に関わることなのだが、 ダンブルドアが得た情報によると、『例のあの人』が私達を狙っているかもしれないらしい。 私達なのか、ポッター夫妻なのかもよくは分からない。 ただ、7月の末に騎士団の中で子どもを産んだ家が狙われているようだ、とダンブルドアは言った。 きっと、赤ちゃんが生まれたという嬉しいニュースを、 不吉なニュースに変えてやろうというおぞましい計画に違いない。 あくまでもらしい、ということなので、具体性はまるでないが、 自分たちが狙われている可能性があると考えただけで、私は背筋が寒くなった。 だって、私達には可愛い坊やがいるのにっ! まだまだ、ふにゃふにゃと頼りなくて、柔らかくて、小さな私の坊や。 自分達が狙われるのは、例のあの人に対抗しようと思った時から仕方のないことだが、 この坊やに害が及ぶのだけは、どうあっても許せることではない。 もちろん、リリー達だって同じ気持ちだろう。 ジェームズなどは、ドラゴン疱瘡でご両親を失って、まだ日も浅い。 もちろん、そのことに例のあの人はまるで関係がないが、 これ以上家族を失うなど、彼にはきっと耐えられないに違いない。 だから、私達は最初、ダンブルドアが勧めてくれた「忠誠の術」で身を隠そうとしたのだ。 誰かの中に秘密を隠し、決して見つからないように。 がしかし、アラスターの言葉が、それに歯止めをかけてしまう。 「騎士団周辺に闇の帝王の手先がいる」という、言葉が。 『気を付けろ、ロングボトム』 あれは、夫婦で騎士団の本部にいた時のことだ。 まだダンブルドアから警告は受けておらず、 自分がまさか闇の帝王に直接狙われるだなんて、思いもしていなかったあの時。 そのどこか暢気な姿勢に気づいたのだろう、いつも通り魔法の義眼をぎょろつかせたアラスターが、 表情を顰めながら、こう告げてきた。 『間違いなく騎士団内部かその周辺に闇の帝王の手先がいる』 『なんだって……?』 『わしの見立てでは、ルーピンのところの女が特に臭い。 血縁関係はなく外国から来たとかいうふざけた女だ。用心しろ』 『女……?』 残念ながらその『女』について私達はまだこの時、全く心当たりがなかったが、 確かに今思えば、その特徴はリリーが話す『』のことだった。 彼がなにを根拠にそう言っているのかは分からない。 もしかしたら、私達の反応を見るために、わざとそういうデマを言ったのかもしれない。 (その位のことは平気でする人なのだ。アラスターという人は) けれど、死喰い人の動きが、内通者の存在を確かに感じさせてきて。 経験豊富な闇払いの言葉を、頭から無視することもできず、疑心暗鬼に陥っていく……。 秘密の守り人を選べば、私達の身は確かに守れる。 けれど、もし、選んだ守り人がすでに例のあの人に操られていたなら? 命を懸けて例のあの人を打倒しようとしている人達だ。 皆を信じているし、疑いたくなどはない。 けれど。 私は、私の家族を。 私の可愛い坊やを守らなければならないのだ。 だから、秘密の守り人を、私達は最後まで選べなかった。 本当は、この出産祝いのパーティーも、そういった人間のあぶり出しという目的があるのだろう。 そう思うと、折角皆が祝ってくれているというのに、気持ちが暗く沈んでいった。 そんなのはダメ、と思いながらも。 止められなくて。 煌びやかな装飾も、さっきと違って色褪せて見えて。 視線が下に下がってしまう。 そのことに自分自身が気づいたその瞬間だった。 「大丈夫ですか?」 「え?」 そっと、遠慮がちに肩を叩かれる。 一体、いつの間に近づいてきたのか。 私には、まるで分からなかった。 そして、分からなかったことが、とても怖い。 「気分悪いなら、椅子用意しましょうか?赤ちゃん抱っこしっぱなしって辛いでしょう?」 「……っい、いえ、あの、大丈夫、です」 ぱっと上げた視線の先に、漆黒の髪が揺れる。 その髪の持ち主に思い至ると、自然、体が強張ってしまった。 無意識の拒絶に、きっと彼女は気づいただろう。 赤ちゃんをぎゅっと抱きしめ直し、僅かに下がった足を見逃すはずもない。 けれど。 「…………」 彼女は、それに一瞬だけ悲しそうに目を伏せたけれど。 すぐに気を取り直したように笑ったから。 ずきり、と。 胸の奥の方が少し痛んだ。 「大丈夫なら良かった!お母さんが体を壊しちゃったら、赤ちゃんも悲しみますからね。 なにかあったら、すぐ言ってください。絶対、皆助けますから!」 「っ」 優しい、優しい瞳。 その言葉に、労わり以上のなにかを感じたものの、私は結局大したお礼も言えず。 彼女と会ったのは、本当にそれっきり。 会話だって、二言、三言。 正直、名前だってちゃんと覚えられなかった位の、短い邂逅だった。 けれど。 そんな彼女が自分達の命の恩人になるだなんて。 この時は誰も、分からなかったに違いない。 さん本人以外の、誰にも。 「――ぁああぁあぁあぁぁあぁ!」 「フランクっ」 炎が燃え盛る。 顔が熱気に炙られ、焼かれるような気持ちがする。 けれど、それ以上に。 「きゃーっはっはっはっはっはっは!」 フランクが上げる苦痛の叫びに。 耳にこびり付くような女の哄笑に。 燃えるような怒りが、憎しみが、沸き起こる。 普通の一日の終わり、そのはずだった。 ハロウィンであること以外、取り立てて変わりのない、夜だった。 けれど、穏やかな静寂は突如として破られ、 見慣れたリビングには、見慣れない何人もの死喰い人が立っていた。 そのどれもが、名前を知っている存在で、私は青褪めながら杖を必死に握りしめる。 そして、頭の片隅で、「嗚呼、ここにネビルがいなくて良かった」と、そう思った。 今日は任務で外に出ていた為、可愛い息子はおばあさまに預けてきていたのだ。 もちろん、死ぬつもりなんて微塵もない。 けれど、余裕の笑みでこちらを睥睨する彼らの姿に、嫌な予感は振り払うことができなかった。 と、そんな私の心をまるで読み取ったかのように、 先頭に立っていた、この場でただ一人の女性死喰い人――ベラトリックス=レストレンジが甲高い声を上げた。 「さぁ〜て、ロングボトム。お前らのところの小っちゃい小っちゃい小僧はどこだい?」 「「!」」 「闇の帝王がご所望だ。まぁ、とはいっても、お前らのところのは念の為ってところだがね。 念の為の念の為の念の為、その程度で殺しておこうっていうんだが。 大人しく差し出せば、お前達のことは見逃してやるよ」 「…………」 例のあの人が、どうしてウチの子を!? 悲鳴を上げそうになる私を庇うように、夫が無言で私の前で杖を構える。 狙いが息子である以上、私達に引く理由などあるはずもない。 そのことが分かっているのだろう、今の誘いも、ただただ言ってみただけ、とでもいうように、 彼らはその後、容赦なく呪いを浴びせてきた。 飛び交う呪文に、走る光線。 死喰い人のだみ声や舌打ち、倒れる音が一瞬の内に乱れ飛ぶ。 フランクは闇払いだ。 それも、とても優秀な。 私も、攻撃は苦手とはいえ、魔法が苦手な訳では決してない。 だから、簡単にはやられなかった。 そう、簡単には。 「麻痺せよ!」 「ぐあっ!」 けれど。 多勢に無勢というのは、絶対あって。 抵抗空しく、フランクの立派な体が、打ち倒される。 そこからはもう、悪夢のようだった。 禁じられた呪文が、何度も何度も、夫に向けて放たれる。 獣のように叫ぶ彼の声など、私は生まれて初めて聞いた。 「止めてぇっ!!」 自分もあちこち怪我をしていたものの、そんなものに構ってなどいられず、 押さえつけられた状態で、必死に手を伸ばす。 止めてやめてヤメテやめて! 酷いことをしないで!殺さないで! がしかし、懇願する相手は、死喰い人しかいない。 泣き叫ぶ私を蔑むように、満足そうに見下ろしながら、 ベラトリックスは、私の手を尖ったピンヒールで地面に縫い付ける。 「っっ!」 「『止めて!ヤメテ!やめて!や・め・て!』それしか血を裏切る者は言えないのかいぃ? 止めて欲しかったら、ガキの場所を吐けって言ってるんだよ?」 「!」 「あたし達も無駄に魔法族の血を流したいって訳じゃあないのさ。 ただねぇ。あんまりお前らの飲み込みが悪いもんだから、仕方がないよねぇ。 良いじゃないか、ガキなんて。旦那さえいればまた幾らでも作れるだろう?」 「なっ!」 ふざけるな! そう、怒鳴りたかった。 あの子はたった一人だ。 例えまた別に男の子が生まれても、それはネビルじゃない。 同じ人間で。 同じく夫もいる身だというのに。 相手の言っていることが、何一つ分からない。理解できない。 私は、動かせる方の手で砂を掴むと、 震える己を叱咤しながら、ベラトリックスへと投げつける。 「絶対に渡すもんですかっ」 「…………」 そんな体勢で投げた砂が届くはずなどない。 けれど、圧倒的に不利な状態で。 それでも抗おうとする私の姿は、彼女からしてみれば不愉快、この一言に尽きる。 ベラトリックスはフンッと鼻を鳴らすと、手の上から足をどかし、 そのままなんてことはないように、尖ったつま先で私の顔を蹴り飛ばした。 「きゃっっ!」 「あー。あーあーあーまったく!靴が汚れちまったじゃないのさ。 これだから豚の相手は嫌なんだよ。『苦しめ』」 「きゃああぁあぁあぁぁぁぁ!!」 「っアリスっっ!!」 フランクが私を呼ぶ声は、自身の悲鳴でかき消される。 身体がバラバラになりそうなほどの痛み。 頭が足が腕が心臓が。 ありとあらゆる全てが痛みに絶叫した。 いや、絶叫しているのは私だった。 かつてないほどの大声を上げ、与えられる苦痛から身をよじって逃げようともがく。 一瞬が永遠にも感じられる時間。 それから解放された時、私は胎児のように体を丸めて、地面に転がっていた。 周囲からは、それを嘲笑う下卑た死喰い人の声が上がる。 怖かった。 痛くて、辛くて、全てを投げ出したかった。 でも。 「ほらほら。あんたの大事なメス豚がブーブー泣いて助けを求めているよ? さっさと話して楽にさせてやりなよ、ロングボトム」 「っ」 必死に私を見つめる夫の瞳に言いしれない口惜しさと憤りと、申し訳なさを見て取って。 そんなことができるはずがないと、思い知った。 私も、この人も。 ネビルを売り渡したりなんかしたら、死んでしまう。 そうでしょう?フランク。 今殺されるのも、後で死んだように生きるのも同じこと。 だったら、私達は息子を守る。 例え、その為に、今の何十倍の苦痛が起こったとしても。 「ごめんね……。ネビル」 杖を向けられて。 またも緑の閃光に射抜かれる直前、私はまだ幼い我が子を想って涙する。 それは、絶望の色をしていた。 「護れ!」 でも、絶望があるということは希望だってあって。 けたたましい轟音と共に、希望は空からやってきた。 そのすらりとした長身に、安堵で目頭が熱くなる。 「あ、あぁ……っ」 そして、そのままその人は、死喰い人の数人を文字通り蹴散らすと、 この場の主導権を握っていた女に向かって皮肉な笑みを向けた。 「相変わらず化粧が濃いな、ベラ。 気の毒だが、アズカバンに化粧落としはないぜ」 「「……シリウス=ブラック!」」 「一族の恥さらしがっ!」 「フンッ。そもそも俺はその一族とやらの方がよっぽど恥さらしだと思うし、 あの臆病者のように利用された挙句お前らに殺されるなら、 殺られる前に戦う方が良いに決まっている」 あれは確か、マグルの乗るバイクとかいう乗り物のはずだ。 それを派手に乗りこなしたシリウスは、杖の一振りで私に飛びかかろうとしていた人達を牽制する。 「無事かっアリス!?」 「は、はい!」 無事か無事でないかを言えば、間違いなく無事ではない。 けれど、私は生きていて。 涙をぬぐうことが出来る。 だから、無事だと、答える。 その答えに満足したのであろう、シリウスは力強く笑うと、 私に向かって酷く見慣れた柄の布のような物を投げてきた。 「ちょっと、これ持っててくれ!」 「え?あれ……これって……」 それは、布の切れ端のようなものだった。 いや、もう少し正確に言うと、布の柄見本と言った方が近いかもしれない。 そして、そこに描かれていたのは可愛らしいかぼちゃだった。 疑問が顔中に滲んでいたのだろう、シリウスは私がそれを見つめるやいなや、 周囲に呪いを乱発しながらも、どこか愉しそうに目を細める。 「お前らのところに案内してくれた、奇跡のブランケットだぜ。 癪かもしれないが、あの馬鹿に感謝しろよ?」 「!それって……」 限りない親愛を込めて呼ばれた『あの馬鹿』という言葉。 それが、ブランケットをくれた彼女であることに、言われてようやく気付く。 けれど、声にならない疑問は尽きない。 「どうして……」 どうして、彼女が? どうして、私達の危機に? どうして、こんなにタイミングよく? けれど、その疑問に答える代わりに、シリウスは笑った。 「どうしてだなんて、考えるだけ無駄だ。 ただ、そうだな。あの馬鹿は昔っから限りなく怪しい上に挙動不審で、 しかもこれでもかって位にいけ好かない野郎なんだが。 ここぞって時には、ハズさない奴なんだよ。最高だろ?」 「助けてくれてありがとう」 「疑ってしまってごめんなさい」 その言葉は、結局言えずに終わるけれど。 ......to be continued
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