逃げるが勝ちとはいうけれど。 Phantom Magician、178 その人は、まるで流星のようだった。 さっきまで、世界中が酷く緩慢な動きをしていたというのに、 それを切り裂くように、瞬きの間にあたしに向かって落ちてきて。 「ぐっ!?」 体当たりでもするかのように、あたしを抱きかかえた。 目まぐるしく変わる情勢に、頭も、体も追いつけない。 ただ、その人の肩が胸に当たった瞬間に息が詰まり、苦しい。 生理的に、目が閉じ。 目の前のその人の首にしがみつくことしかできない。 頭の中は相変わらず真っ白で。 でも。 「げほっ、かっふ……っ」 なくなったのと同じくらい唐突に、音が戻る。 そして、あたしは情けなくその場で咳き込む自分を、発見した。 また同時に。 目の前で揺れる、鳶色の髪も。 「……ごほっ!り……す?」 あたしを抱えるその手が、酷く痛い。 きっと加減なんて出来なかったのだろう、ただ離すまいという意志だけがそこにはあった。 そして、その人はあたしを抱え上げているような恰好のまま、手近なベランダに足を下す。 ふと冷静になって見てみれば、どうやら彼は箒に乗っているところだったらしい。 よく使いこまれた箒の柄を片手で外すと、無造作に床に転がした。 ただ、あたしを放す気は未だにないらしく、空いた手が、あたしの背中へと回る。 きつくきつく、存在を確かめるように。 彼は、その間、何も口にしなかった。 「……リーマス?」 流石に痺れを切らして、その名を呼べば、彼はほんの僅かに力を緩めてくれた。 ようやく宙ぶらりんな体勢から、地に足を付けられて、心の底からほっとする。 ただ、あたしがちゃんと立ったのを確認した瞬間、 彼は今度はあたしの頭をその胸にしまい込んでしまったのだけれど。 「リーマス、ちょっ、苦し……」 「……怪我は?」 「え?」 「どこか、痛いところは……ある?」 てっきり震えていると思った声は、しかし、存外しっかりとしていて。 安心すると同時に、なんだか少しがっかりしたような気分になる。 これで、彼に箒で助けられたのは二度目だ。 でも、最初の時、彼はもっと狼狽えてくれたような気がしていたから。 心配で、震えてくれていたから。 仲良くなったといっても、こんなものなのかと、思ってしまった。 ただ、心配を掛けてしまったのは確かだ。 だから、あたしは、変に負荷の掛かった首やら腰やら、そんな物は知らない顔で、首を振った。 「ううん。大丈夫だよ」 にっこりと、最上級の笑顔を心掛ける。 すると、ようやくそこでリーマスは気が済んだのか、あたしを解放してくれた。 そっと距離を取ろうと、無意識に一歩下がる。 と、てっきり同じように安堵の笑みを浮かべてくれていると思ったリーマスは、 しかし、見たこともないくらい不機嫌そうな仏頂面になっていた。 「リー……?」 いや、不機嫌そうというよりも、寧ろ怒っているかのような。 一体、なにが彼の気に障ったのだろう、と不安な面持ちになっていると、 あたしがぼけっと考え込んでいることが分かったのだろう、 キッと彼は睨みつけながら、あたしの手を取った。 「嘘だ」 「え?」 「どこが大丈夫なんだ。こんなに冷たい手をしてるくせに」 「っ!」 馬鹿みたいに高いところから、落とされて。 でも、不思議と恐怖はなくて。 前ほどは、取り乱しもしていない。 けれど。 体は正直で。 末端の血の気なんて、残らず失せていた。 氷のような手になるくらいに。 そのことを見透かされたことに気づきながら、しかし、それでも無駄な抵抗をあたしは続ける。 「空の上が寒かったからだよ?あたし冷え性なんだ」 「初耳だけど」 「そりゃあ、わざわざ言うようなことじゃないからね」 そして、話を逸らそうと、リーマスの手を振り払って、 彼が投げ捨てた箒を指さそうとする。 がしかし、リーマスは手に力を込めて、それを阻止した。 「リーマス、あの、手……」 「君は馬鹿だ」 「……は?」 と、告げられた言葉の突飛さに、思わず目が点になる。 …………。 …………………………。 そんな、この世の真理を説くように、なにもそんなこと力説しなくても……。 が、あたしの戸惑いなんて他所に、リーマスの恨み言は続く。 「馬鹿で、格好付けで、お人よしだ」 「……はぁ」 「はっきり言って、君と一緒にいたら、心臓が幾つあったって足りないと思う」 「……えっと、ご、ごめん?」 おかげで、心配をかけたことを謝るにしては、我ながらかなり微妙な謝罪になってしまった。 いや、だって、こんないきなり愚痴めいた感じで文句を言われたら、 誰だって、殊勝な態度を取るとかできないと思うんだ。うん。 しかも、逃がさないとばかりに手を掴まれた状態で。 なんていうか、軽く追い詰められている気分である。 ところが、『軽く追い詰められている』どころか、 今あたしはまさに肉食動物に詰め寄られているうさぎちゃんだったことに、 次の瞬間、あたしは気づかされるのだった。 「でも」 「?」 「天文台の一番上よりも高い所から飛び降りてくれたから、付き合ってあげるよ。 これからずっと。いつまでも」 そして、リーマスはぽかんとしているあたしが逃げ出さない内にと、 あたしの唇を攫っていった。 …………。 …………………。 …………………。 …………………………!!!!? 唇に柔らかいマシュマロのような感触を感じながら、思考が停止すること数秒。 されど、その数秒は24時間テレビを見ているかのような濃密さだった。 なにが? どうして? なんで? なにを? いつ? だれが? どこで? どうして? どうなった?? 「!?!?!?!?!?!?」 はっ!と我に返って逃げようとしても、がっちりホールドされたリーマスの腕からは、とても逃げられない。 ならばと、お互いの体の間に挟まっている腕を突っ張ってみようとするも、結果は惨憺たるもの。 キス自体は大層優しいバードキスだっていうのに、何故こんなに拘束が強いのか? っていうか、 なにこれぇええぇぇえぇぇぇぇぇえぇぇぇぇえぇ!!? バイクの落下からここまでが怒涛の展開すぎて、駄目だついていけない!! っていうか、あまりの衝撃に、さっきのトラウマ体験が軽く忘却の彼方なんだけど!? なんで!?どうして!?WHY!? 何故、リーマスの唇はこんなに柔らかいの……って、ちっがぁああぁああぁう!! そして、ジタバタした結果、ふわりと舞い上がった芳香――リーマスの甘い匂いをかいでしまった瞬間、 頭にかーっと血が上り、あたしの中の羞恥心が大爆発を起こした! 「……っん……ふ……!」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ やだやだやだ!なんかやだ! なにがやだってことないけど、とにかくやだ!! 息が出来ない! 呼吸が怪しい!! 頭が酸欠で死んじゃいそう!! いーやぁー!!放して離して話してよぉおおぉぉー!! あたし達には今切実に会話が必要だって絶対!!? が、必死に暴れても、抜け出すことは適わず。 (狼男の力の強さをフルで発揮されているようだ。こんちくしょうめ!) いっそ押して駄目なら引いてみろ、じゃないけど、抵抗を諦めようかと、 ぼやけた頭で思考しはじめたその時、 「はい。そこまで」 べりっと粘着テープを剥がすような勢いで、あたしをリーマスから引きはがした人がいた。 こんな、前触れもなくホグワーツ城内に出没できる人物など、一人しかいない。 「スティア!」 「遅くなってごめんね?」 いつもより爽やかさ3割増しのセレスティア=スリザリン様である。 その金糸の髪も相まって、後光が射しているくらい有難い存在だった。 咄嗟にその後ろに避難をすると、「……?」と、地獄から響いてくるような声で名前を呼ばれる。 こっそり、スティアの影からその表情を覗き見て、 「っ」 見なきゃよかった!と心の底から後悔した。 般若が!悪鬼羅刹がいる!! 「何で逃げるのかな……?」 「そりゃあ、嫌がる女の子に無理矢理キスするような人間からは逃げるだろうねぇ」 「ばっ!!?」 なにいきなり人の性別バラしてくれてんだ、お前!? が、震えあがるあたしの心情など華麗にスルーしたスティアは、 ことさらのんびりしたような口調で、うんうん、とムカつく感じに頷いた。 ここまできたら性別をバラすバラさないなんてのは些細すぎる問題な気がしたが、 すでに大混乱をきたしているあたしに、そんなことは判別不能である。 ただ、今まで隠していたことをあっさりと暴露されたことに焦りが生まれた。 だって! だって、あたしの気が確かなら、さっきリーマス「付き合う」って!! それなのに、騙してたのがバレちゃったら、嫌われちゃうかもしれないじゃん!? 折角、両想いになったのに……っ 告白直後にキスってことは、そういうことでしょ!? だよね!? 普通に、冷静に考えてそうだよね!? ……あれ。 でも、ちょっと待って。 冷静? 冷静に考える? 冷静に考えちゃうと、今の現状って――…… あ り 得 な い ! ということは……はっ!! 何処だ!?何処にドッキリカメラ隊が隠れているんだ!!? ちゃっちゃちゃ〜ん!って出てくる看板がどこかにあるはずっ ……くっ!見当たらないだと!? 透明マント使ってんのか、あの眼鏡野郎!(ジェームズ確定) というか、あれか? 『あたしの気が確かなら』っていうか、あたしの気はすでにおかしいのか!? そりゃあ、上空〇mからの紐なしバンジーやれば気も変になるよね!? それか、頭 打 っ た か! これはあたしの楽しい夢なんじゃ!? それなら、リーマスに告白されてラブラブなんていう超展開も許されるはず!! そもそも、あたしが男だと思ってるリーマスから告白とかありえないもんね!? …………。 …………………………。 そうと分かっていればもっと、リーマスの唇堪能できたじゃん! ぐっは! 損 し た !! 「この変態」 と、あたしの迷走気味の思考をがっつり把握したらしいスティアは、 にっこり笑顔のまま、あたしに対して毒づく(器用だな) が、まぁ心外な言葉だったので、とりあえず反発しておくことにした。 「煩い!」「部外者は黙っててくれる?」 ら、リーマスの声と何故だか被った。 リーマスは、突如現れたお邪魔虫に対して、完全に迎撃態勢に移行していた。 視線には本来熱なんてないはずなのに、絶対零度ってこういうものなんだろうなと思わせる冷たさがある。 すると、その程度のことで怯むほど可愛げのないスティアさんは、 ずずい!とあたしを自分の前に連れ出し、後ろからハグするという、 あたしにもリーマスにも効果抜群の行動をとるのだった。 (ひぃっ!折角、リーマス直視しないで済むようにしてたのに!!) ピキっと、リーマスの米神に血管が浮き出る音が聞こえそうだ。 「部外者ではないよ?僕はこの子の保護者だからね」 まるで、お気に入りのぬいぐるみを抱く子どものようである。 そうして誇示されるのがあたしでなければ、なんと微笑ましい光景であることか。 だが、彼がぎゅっとしているのは、どうやったってあたしなので……えっと、修羅場?? 「随分若い保護者だね」 「精神的に大人だから別に問題ないんだよ」 「なるほど。精神的にはすでに老齢だと」 「君にとって『大人=老人』なんだ。否定はしないけど、それはまた歪んだ価値観だね」 怖い怖い怖い! 腹黒二人が揃っちゃうと、こんなに周囲に悪影響あんの!? 価値観っていうか、時空が歪んでるんじゃないかってくらい息苦しいんですけど! 昼ドラとか嫌だよぅ。 あたしもう帰りたいよぅ。 助けてセブセブー!癒しー!! 「いや、なに他人事みたいな空気出してるのさ?」 「!」 「そうだよ。君が当事者なんだからね?この保護者さんじゃなく」 「!!」 と、現実から目を背けていると、 刺々しい空気が、今度は容赦なくあたしの内腑を抉ってきた。 胃が痛い。逃げてぇー。 がしかし、後ろはスティアさんに固められ、目の前にはお冠のリーマス。 前門の狼、後門の虎である。(そこ!逆とか言わない!) 一般ピープルなあたしに逃げる術がある訳がなく、冷や汗をだらだらかきながら、 ぱっくりと喉元に喰いつかれるのを待つことしかできなかった。 「っていうか、さっき聞き捨てならないことを言われたんだけど。 、君、僕とのキスを嫌がってたの?」 「〜〜〜〜〜っ」 散々好きだスキだと言っておきながら、 キスは嫌だとかどういうつもりだ手前ぇ。コラ、この野郎! という、不穏な空気がリーマスから放たれていた。 いや、でも映画だの漫画だのじゃないんだから、 あの状況で「まぁ嬉しい!リーマス大好き!」と突然なる訳がない。 そんな女は普通に脳内お花畑のヤバい奴である。 がしかし、それをどう言ったら良いのかがさっぱり分からなかったので、 あたしは再び頬が熱くなるのを感じながら、ぼそぼそと言い訳をする。 「嫌がってたっていうか……。だから、その……。 展開についていけてなくて……?」 「展開?」 「……だから、その、リーマスと本当に付き合う感じになった?のか、とか。 恐怖体験の後にそんなこと言われても、どうしたものやらっていうか……」 「…………」 「は、恥ずかしいし……」 あたしの青春は二次元に捧げたから、こんな少女漫画みたいな展開ついてけねぇんだよ、ぶっちゃけ!! 段々やけくそになってきたあたしは、察しろ!とリーマスを睨みつける(逆ギレ) と、その勢いで色々な感情が一緒くたに掻き混ぜられて、溢れてきた。 「……泣かないでよ、僕が悪者みたいじゃないか」 「……な、泣いてないし!」 涙という形で。 だって、仕方がないじゃないか。 ようやくあたしっていう体に、感情が追いついてきたところなんだから。 恐怖も安堵も喜びも。 戸惑いも恥じらいも。 全部全部溶けてしまえば良い。 がしかし、流石にガンガン潤んでくる視界に危機感を覚え、袖で目元を拭う。 すると、その腕をリーマスに止められた。 「ほら。女の子がそんなに目を擦っちゃ駄目じゃないか。 不細工になっちゃうだろう?」 「元々不細工だから良いもん!……って、あれ」 さり気なく出てきた言葉に、びっくりして、思わずスティアと二人でリーマスを凝視する。 「えっと、ぱ、ぱーどぅん?」 「?『不細工になっちゃうだろう?』?」 「いや、その前!えっと、あの? リーマス、あたしが女の子って、そんなにすんなり信じちゃって良いの?」 こんな得体の知れない金髪美青年(スリザリン)が言うことだよ? 恐る恐る、仏頂面のリーマスの顔色を窺う。 すると、彼はなんだそんなことか、とでも言い出しそうなほどあっさりと、 「っていうか、女の子じゃなければ付き合ったりしないよ。 前にも言ったじゃないか、『女の子ならアリ』って」 などと、のたまった。 「…………」 …………。 …………………………。 …………………………は? 本日何度目になるか分からない、思考停止。 えっと。 告白?されたのは、スティアが来た後だっけ? え、違う? んっと。 じゃあ、キスの前には、もうバレてたってことで? 「じゃあ、助けてくれた時に……バレた?」 ああ、うん。なにしろリーマスとがっちり抱き合っちゃったもんね? その感触だか違和感だか知らないけど、そういうのでバレちゃったって、そういうことなのね? それは仕方がないなぁ、うんうん。 一人どうにかこうにか落ち着こうと、そんな風に己に言い聞かせていたあたしだったが。 しかし、リーマスの答えはにべもなかった。 「……いや。その前からだけど?」 「…………」 「…………」 「…………」 「……?」 「…………ふ」 「ふ?」 ふざけんなぁあぁあぁぁあぁぁあぁ!! 「その前っていつだよ! あたしが女だって分かっててセクハラしてたんか!? リーマスの馬鹿!鬼畜!変態!!」 「へん……っ!?僕だって、相手が女の子だったらあんなことしなかったよ!」 「エッチ!スケベ!変態!!」 「…………」 羞恥なのか、怒りなのか。 それとも別の要因なのか。 あたしの頭には通常の倍近い血液が集まっているような気がする。 血圧は急上昇し、全身が沸騰。 目の前は赤くて、頭が熱くて。 口は勝手に頭に上ったことを口走る。 すると、 「うわぁーん!もうお嫁にいけないぃいいぃ!」 「……分かったよ」 「……?」 「責任は取ってあげるから、こっちにおいで?」 にっこり、と今までの表情から打って変わった天使の笑みを向けられた。 もちろん、あたしがそれに弱いことは計算ずくの笑顔だった。 あれだけのパニックも問答無用で解消させる、もはや裏技である。 いつものあたしであれば、それにころっと参ってしまうところだが、 かつてないほどの感情の渦が沸き起こっていたあたしは、 「〜〜〜〜〜石になれ!」 「っ!」 あろうことか、リーマスに向けて杖を向けてしまっていた。 咄嗟のことだったので、いかに彼でも避けきれない。 結果、リーマスはその素敵すぎるスマイルのまま石化した。 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……うわぁ、リーマス、マジイケメン☆」 「……君さぁ――」 「言わないで!自分が馬鹿なのはもう、嫌ってほど分かってるから!」 「いや、だって……。どこの世界に、好きな相手に告白されて、相手を石化させる子がいるんだい?」 煩いな!この世界だよ!!見りゃ分かるだろ!! その後、青くなったり赤くなったり大忙しだったあたしは、 無情にも、リーマスをその場に残し、スティアと逃走した。 しかも、リーマス前でいつもの移動魔法を使う訳にもいかず、 結果、彼の手にしていた箒を奪って。 「……スティアさん」 「うん?なに??」 「箒の上で横抱きとか、あまりの怖さに死にそうです……」 「大丈夫だいじょうぶ。僕、両手放しでも操作可能な人だから」 「そういう問題じゃない!」 色々と後が怖すぎるんだけど! ......to be continued
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