急転直下という言葉が、あたしは嫌いだ。
だって。





Phantom Magician、177





その日は、朝から惰眠を貪り。
部屋でごろごろするところから始まった。


『いやいや、始まってないよ。君の一日はまだ少したりとも始まってない。
そろそろ起きないと、シリウスとの予定的にまずくない?』
「……ぬー」
『“ぬー”じゃないよ。君は狂乱の貴公子か。
とりあえず起きろ。顔を洗え。服を着替えろ』
「ぬー ぬー ぬー」
『狸寝入りって分かりやすいそのいびきを止めろやぁああぁぁぁあぁ!!』


失礼。
どんがらがっしゃーん、と布団ごとベッドから落っことされるところから始まりました。
心優しきリリーであれば、もっと爽やかに起こしてくれるのだが、 流石に日曜日の早朝まで起こしてはくれないので、こんなことになる。

嗚呼、くそぅ。朝日が目に染みるぜ。


「いってぇー……スティアさん、もっと愛ある起こし方してよ」
『前に優しく起こしてやろうとしたら、人のことを抱きつぶそうとしただろうが。
なに?リリーみたいに起こせっていうの?』
「うん。そう」
『分かった。じゃあ、今からちょっと“水よアグアメンティ”を――……』
「冷水浴びるのは勘弁!!」


スティアの尻尾がゆらりと不気味な動きをしかけたところを、慌てて止めるあたし。
そうですね、心優しきリリーだけど、結構起こし方エゲツな――げふん、ゲフン。
夏はまだ良いとして、今の時期にそんなことされたらね?心臓にメッチャ悪いのよ?
真冬は通り過ぎたとはいえ、ヨーロッパの春は寒いんですよ、ええ。


『君がすぐさま起きれば、リリーも僕もそこまでしないで済むんだよね』
「…………」
『???』
「……ぬー ぬー ぬー」


愚痴るスティアの相手が面倒&一緒に落ちた布団がまだあったかいということで、 あたしは床にくしゃくしゃと丸まった状態で狸寝入りを続行する。
絶対に後で悔やむ羽目になるのだが、そこはそこ、これはこれ。
嗚呼、ビバ羽毛布団……!


『…………』


がしかし、一人でぬっくぬくするあたしを、あのスティアさんが許してくれる訳はなかった。

取られまいと布団をしっかりと握りこんでいるあたしの手に、 すらりと伸びた美しい手が覆い被さる……。


「……このまま起きないのなら、 1 8 禁 の 世 界 に突入するのも吝かじゃないよ?」
「〜〜〜〜〜〜っ!!?」


さっきまでの声より数段低くて、それでいて蕩けそうなほど甘い声に、 比喩ではなく、全身の毛が逆立ち、あたしはその場で跳ね起きた。

そして、ゴ〇ブリもかくやという速度で、金髪の美丈夫から距離を取る。
にっこり、と朝日に負けないくらい眩しい笑顔だが、その背後に背負っているのは暗黒の光である。
わーい、背中がゾックゾクだぜ☆


「スススス、スティアさんっ今のものっすごく心臓に悪かったんですが!?」
「二度寝する君が悪い。それに、冷水よりはマシだろう?」
「いや、冷水の方がまだマシだった気がする!」


サラっと何てこと言い出してんだっ
マジ怖ぇ!18禁のヤンデレゲーム一直線な感じの声だったよ、アンタ!
完全にこれから監禁生活突入するフラグだった!
決して興味がないとは申しませんがあたしには無理ですヒロインだったら別の人を当たってください!


「興味があるなら良いじゃないか」
「それは怖いもの見たさって奴なんだよ、馬鹿野郎!」


ゲームと現実はきっちり区別する派なんです、あたし(っていうか、大体はそうだろう)

こうして、時間は多少かかりながらも、ばっちり目の覚めたあたしは、 絶対についてくんな!と厳命した上で、逃げの小太郎を見習ってそそくさと自室をあとにした。


「ああもう!なんで自分の部屋から逃げ出さないといけないんだよぅ。
助けてエリザベス!」


最近じゃ、ケーの姿のスティアにも慣れてきたので、大分あの麗しいご尊顔に動じなくなってきたというのに。
それはそれで面白くないのか、奴はちょいちょいわざと距離感を詰めてくることが多くなっていた。
まったくもって精神衛生上、教育上によろしくない。
うっかりあたしが惚れたらどうしてくれるんだ。
言っておくけどなー、スティアエンドになったら、お互い身の破滅しかないぞ?
あたしはスティアに頼りまくってベッドから一歩も下りないぽっちゃり姫になるだろうし、 スティアは歩く18禁指定生物になっちゃうんだぞ?
やっべぇだろ、それ。ビジュアル的に。
そして、最終的にはあたしが束縛から逃げだそうとして、スティアに殺されてー。
で、ぶち壊れたスティアがあたしの死体を愛でるとか、 後追い自殺するとか、きっとオチはそんなところに違いない。

ただの想像のはずなのに、やたらとリアルな結末が思い描けてしまい、ぶるりと身震いをするあたし。
これは、朝の肌寒さのせいだけじゃない気がするが……いや!この早朝の寒い空気のせいだよ、うん!
メッチャ厚着して着膨れてる上に、マフラーも巻いてるけど、いやぁ寒いなぁー!今日は!!

そして、無理やり意識を切り替えると、あたしは気を取り直して、目的地の扉をノックする。


コンコンコン


「おーい、シリウスー。来たよー」
「おう。ちょっと待て」


心なしか機嫌の良さそうな声である。
そのことにちょっぴり安心しつつ、シリウスが部屋から出てくるのを待っていたあたしは、 しかし、次の瞬間、声通りご機嫌な奴の笑顔に、不意打ち気味に直面することになった。


「じゃあ行くか!」
「っ」


ぐはっ!
無邪気なシリウスの笑顔って……!
破壊力絶大な上に、効果も抜群だ!
やべぇ、死ぬ!!水系ポケモンが『かみなり』くらったみたいに死ぬ!!

普通であれば、美形の笑顔を二度も見られたのだから、眼福を感じても良さそうなものだが、 残念ながらその手の攻撃に防御力の低いあたしは、HPをガンガン削られるのであった。

と、あたしがそんな風に悶え苦しんでいると、 身の危険を感じたのか、シリウスが怪訝そうに眉を寄せ始める。


「?なんだ??」
「……いやぁ、なんでもないよ?
ただ、輝く朝日とシリウスってクッソ似合わねぇなと思っただけ」
「なんでもなくないじゃねぇか!」


と、ふざけんな!と柳眉を逆立てたシリウスは、肩を怒らせて先に歩いて行ってしまった。
その前面に不機嫌さを押し出した背中を悪いなぁーと思いつつも見送り、首を傾げる。


「……うーん」


顰めっ面のシリウスに癒されるとか、あたしもう末期じゃね?







見慣れない物は心臓に悪いよね!と己を納得させようとしたが、 いや、スティアさんの笑顔は見慣れても心臓に悪かったな、ということを思い出す。
これはもう、散々虐げられた苦い記憶のせいじゃなかろうか。

今後、たっぷり甘やかされても、この心の傷は癒せなさそうだなーなどと思いながら、 あたしは小走りにシリウスの後を追いかけた。
すると、談話室を出た辺りで、苛々しながらも待っていてくれる人影を発見する。


「ほんと、なんなんだろうね?この安心感」
「あ?」
「いつも通り元気なシリウスであたしは嬉しいよ、って話」
「はぁ?お前が嬉しかろうがなんだろうが、凄まじくどうでもいいな」
「うふふー。そうそう、それそれ!」


すげない態度を取れば取るほど、あたしが元気になっていくというミステリーに、 シリウスはとうとう考えることを放棄したのか、でっかい溜息を吐いた後、そのまま歩き出した。
それに置いて行かれないように追いかけながら、あたしはうきうきと目的地を確認する。


「で、バイクは何処にあるの?まさか叫びの屋敷とか言わないでしょ?」
「そんなところに置いたら、リーマスに壊されるだろうが。
あれだ、ハグリッドの小屋のところに置かせてもらってんだよ」
「ハグリッドの?」
「そう」


嗚呼、そういえばユニバーサルなスタジオにあったハグリッドの小屋の横に、 かぼちゃやらなにやらと混ざってバイクがあったなーと納得する。
カメラで友達がメッチャ撮ってたんだが、如何せん見れたのが夜だったから、 いまいち詳細が分かんなかったんだよねぇ。


「買おうとした時に店員とちょっと揉めてな。
そこに丁度通りかかったハグリッドが助けてくれたんだよ」
「へぇー。良かったじゃん、買えて。
なに?態度が偉そうなガキには売れないとでも言われたの?」
「……お前が俺をどう認識してるかは分かってるけど、もう少しオブラートに包めよ。
まぁ、そんなようなもんなんじゃねぇの?
免許がどーの、車庫しょーめい?がどーのこーのって煩い親父だったぜ」
「……いや、それは至極まっとうな反応だと思う」


うん、そりゃあそうだよね!
免許がなくてもバイク自体は買えるかもしれないけど、 諸々の必要書類は揃えておかないと!
それに、バイク買えるほどの大金でしょ?
カードの扱いなんか知ってるはずもないし、絶対、即金でお買い上げでしょ?
「お前、その金はどうしたんだ?」ってお店の人が思うのは当然だ。犯罪の匂いがするぜ☆
おまけに、イギリスでも15歳で免許は取れないだろうから、そのままだと無免許運転をしかねない。
身分証明書を抑えようとするのは商売人なら当然の配慮と言えよう。

と、シリウスの文句を的外れだな、と冷静に分析していたあたしだったが、 だったら何故、バイクが買えてしまっているのか、という疑問にぶち当たる。
いや、買えてなかったら、今頃はあたしが凍死してたと思うので、悪くはないのだけれど。
あたしの常識で言えば、シリウスがバイクを買うのは不可能である。
えっと、で、ハグリッドが助けてくれたって?

思い浮かべるのは、成人男性を遥かに上回る、見事な体躯だった。
…………。
…………………………。
…………ふむ。強奪だな?

いや、まさかに金は置いてきたんだろうけど。
シリウスとハグリッドの直情コンビだなんて、穏便に事が済んでるはずないよねー。

ハグリッドもなぁ。
マグル出身の魔法使いは差別しないくせに、普通のマグルに対して偏見甚だしいからな。
きっと、強引にバイクを買っても、罪悪感などこれっぽっちもないに違いない。
マグルであっても良い人はいるし、逆に魔法使いだってロクでもないのはいる。
そう、例えばヴォルデモートとかヴォルデモートとかマルチとか。
残念ながら機会がないので指摘できないが、いつか言ってやりたいものである。

と、そんな風にごちゃごちゃと考え事をしている内に、 あたし達は気が付けばハグリッドの小屋へと辿り着いていた。
シリウスはハグリッドに挨拶してくるというので、一足先に小屋の裏手に回る。
すると、そこには漆黒のツヤツヤしたボディが、静かに主を待っていた。


「うわぁ!格好いい!!」


なにしろ、この間は意識がほぼない状態だったので、こうして間近に見るのは初めてだった。
その迫力ある姿には、感嘆の声しか出てこない。
バイクには詳しくないので、排気がどうのと言われてもよくは分からないが、 技術者の技巧が凝らされているのは、一目で分かる。
まぁ、あれだ。
SLがどういう構造になっているのかは知らないが、その武骨な格好良さは伝わるでしょ?
そんな感じだよ。

流石に指紋をべたべたつける訳にはいかないので、 あくまでも目で見るだけだったが、どの方向から見ても格好良い物は格好良い。
半ば興奮しながら、嗚呼、携帯かデジカメが欲しい!と、この世界に来て何度思ったか分からないことを嘆く。

すると、そんな中、シリウスがヘルメットを両手に現れた。
で、満足そうなドヤ顔で「どうだ?」と訊いてくる。
あたしは、なんとなく癪な気持ちになりながらも、結局は素直に、無言で親指を立てた。
(まぁ、ここでシリウスの機嫌損ねて乗れなくなるの嫌だし)


「じゃあ、お前はサイドカーに乗れよ?運転は俺がするからな」
「わざわざ言わなくたって、運転させろなんて言い出さないよ」


ぽんっと放られたヘルメットを受け取りながら、あたしはいそいそとサイドカーの方へと向かう。
ヘルメットのサイズが妙に大きかった(ハグリッドサイズ??)から、少々不格好だけど、 いざとなったら手で抑えれば良いだろう。

そして、シリウスも念の為なのか、スタイリッシュなヘルメットを装着しながら、 ひょいっと、軽々とした動作でバイクにまたがってくる。
足の長さも相まって、それが非常に様になっていて、世の女性陣が見ていれば悶絶するところだ。

自分の姿を思わず比べてしまい、そのギャップに思わず物申したくなってしまう。


「なんであたしのヘルメットこんなデカいのに、シリウスのはそんな恰好良いのさ?」
「そりゃあ、俺のはこのバイクとセットの奴で、
お前のはハグリッドが買ったものの、入らなかった特Lサイズの奴だからじゃねぇの?」
「ああ、うん。理解した……」


そりゃあ、あたしにはデカすぎるわけである。
かといって、安全上、シリウスがそんな邪魔な物を着けるわけにもいかないだろう。
あたしは、まぁ、運転するわけでもないし。

仕方がないと潔く諦め、ニヤリと挑発的な笑顔をシリウスに向ける。


「で?もちろん練習はしてきたんだろうね?シリウス?」


と、見上げているせいで、逆光の中に消えてしまったシリウスは、 しかし、間違いなく同じように笑っているであろう自信に満ちた声で、こう応えた。


「お望みどおりにな」







ブロンブロン、と暴走族ばりの轟音を立てながら、シリウスはエンジンをふかし、 その勢いのまま、一直線に雲へ向かって上昇した。
なんていうか、気分的にはジェットコースターよりもスペースショットの方が近い負荷のかかり方だった。
内臓が一瞬浮いたような気さえする!


「っシリウスっ!もうちょっとゆったり上がってよ!」
「煩ぇな!まだ、立ち上がりのコツが掴めてないんだよ!」


思わず後ろにすっ飛ばされそうになったヘルメットを戻しながら文句を言うが、 シリウス自身、思わぬ急上昇だったようで、さっきまでの余裕がどこぞへなくなっていた。
……スティアさんを置いてきたのは、痛恨のミスだったかもしれない。

ギャーギャー捲し立てて、また運転を誤られては危険なので、 あたしは早鐘のようになっている心臓を宥めながら、口を噤んで運転手を見守る。
すると、数分もすると、流石に体育で常に5を取っていそうな身体能力の彼のこと、 あっさりと運転に馴染んで、安定した状態の飛行を開始した。
最初が駄目で走れば大丈夫っていう、自転車乗り始めと同じような物なのかもしれない。

詰めていた息をはぁ〜!と大袈裟に吐き出しながら、 一応念の為「大丈夫?」と訊くと、「大丈夫に決まってんだろ」と無駄な自信と共に答えられた。


「人をサイドカーに乗せたことなかったからな。なんつーか、重心が違うっていうか……。
お前、実は重いんじゃねぇの?」
「……なっ!!?」


お前、乙女になんつーこと言いやがる!?

いっそ殺してくれようかと、あたしを女だとは思っていないシリウスに対して理不尽な殺意を抱いたあたしだったが、 しかし、そんなことには気づかないシリウスは、「それよりも」と全然別のことを口にした。


「周り見てみろよ。結構凄いぜ?」
「はぁ?周りなんて別に――……」


一気に極悪になった表情を隠そうともせず、 一応義理としてシリウスが顎で示した方へと視線を移す。
すると。


「っ!」


朝日が、スパンコールを散りばめたように光る湖だとか。
城の影と輝く芝生とのコントラストだとか。
一面に広がる、雄大な景色だのといったものが、目に飛び込んできた。
黄昏とは違う、もっと明るく静謐な光に照らされて、 ホグワーツ城はそこに悠然と聳え立っている。

箒に乗っている時は、安定感のなさが恐ろしくて、 ここまではっきりと景色を見下ろしたことがなかった。
けれど、なんて美しい場所だっただろう、と改めて確認する。

我ながら現金だとは思うけれど、その感動に残念発言をすっかり忘れたあたしは、 明るい声でシリウスに向き直る。


「ふわぁー!本当に凄いね」
「だろ?」
「しかも、早いから、なんていうか爽快感?そんなのがケタ違い!
あたし、バイク乗ったの実は初めてなんだけどさー。スピード感がヤバい!」
「そうなんだよ!箒と違うこの振動とかも良くねぇ?
すげぇエネルギーの物を、自分で乗り回してる感覚がさ。乗ってみたら癖になっちまって!」
「なんかシリウスっぽいよね!うん、似合ってると思うよ!」


素晴らしきかな、空飛ぶオートバイ。
おかげで、シリウスと二人ではしゃぐという、それはもう稀有な現象が起こった。

そして、そうこう話している間にも城が迫り、 あたしの為だろう、できる限りゆっくりした速度でシリウスはバイクを操作する。
ぐるぐると城の上空を旋回する形になり、 もしかしたら、今頃城の中ではこのバイクの音を遠雷と勘違いしてる人がいるかもしれない、なんて思った。
マクゴナガル先生辺りが窓の外をそっと見回している姿なんか思い浮かべると、 非常に微笑ましくて、なんだか愉快な気持ちになってくる。

と、一人にまにまと笑っているあたしが面白かったのだろう、 どこか笑い含みに、シリウスが「なんだよ?」と問いかけてきた。


「んーん。なんでも?ただ、凄いなーって」
「そればっかりじゃねぇか」
「だって、それしか浮かばないんだもん」


早朝で皆様を少し騒がせてしまっているかもしれないが、 昼間の目立つ時間に乗る訳にもいかないので、仕方がない。
(まず間違いなく、マクゴナガル先生に出所を追及されるに違いない)
(っていうか、オートバイって持ち込み不可なんじゃ?)
そんなに長い時間は乗らないので、どうか大目に見てほしい。

何週か、城の周囲を回っている間にも、日が高く昇っていき、景色が鮮やかに色づいていく。
まさかそんなことは出来ないが、鼻歌を歌いたい位、気分が良かった。

と、あたしがi−Podを恋しく思うほどこのドライブを満喫していると、 こつん、とヘルメットを手の甲で軽く叩かれる。


「どうだ?」
「?」
「少しは元気になったかよ?」
「!」


見れば、シリウスの青灰色の瞳が、柔らかく細まっていた。

嗚呼、そうか。
お詫びの気持ちも多分あるんだろうけれど。
あの時、あたしが落ち込んでいたから。
リーマスと話せないと、暗い表情をしていたから。
だから。
それを、元気づける為に、誘ってくれたのか……。

思わず、思い浮かべたのは、シリウスと出会ってから今までのあれこれ。
正直なところ、思い出したくもないような嫌なこともあったし、言われたけど。
でも。


「ありがとう、シリウス」


この嬉しさがある限り、ずっと友達でいるだろうな。
そう思った。

そして、嗚呼、ヘルメットがなければもっとよく表情が見れたのに、と。
あたしが少し残念に思ったその瞬間だった。


裂けよディフィンド!」


北の塔が近づいた、そのタイミングを見計らって、 激しい光があたしとシリウスの間を貫く。


「「!!?」」


なにが起こったのか、まるで分からなかった。
けれど、あたし達が事態を察する前に、 本体から切り離されたサイドカーは。


ガクン


その場で、落下を始める。

そこからは、まるでスローモーション。
絶叫マシンと違って、シートベルトなんて気の利いたもののないサイドカーから、 あたしの体は離れていく。
ヘルメットが飛んで。
シリウスが手を伸ばして。
でも。
届くわけもなくて。



世界が急に、音をなくした。



すぐに遠ざかったシリウスがなにか叫んでいるのに。
無防備な体が、空を切り裂いているのに。
何も、聞こえない。


――――――っ」


真っ白に塗りつぶされた思考で、空を仰ぐ。
前に落ちた時と違って、下を見ていないからだろうか、恐怖はあまりない。
多分、恐怖を感じる余裕もないだけだろうけれど。

空が、雲が、遠ざかる。

そして。


!!!」


豆のように小さかった、黒い点が自分に向かってくるのを、あたしはただ見ていた。





トラウマと思い出が蘇る。





......to be continued