先読みが出来ることと、先を語ることが出来ること。 そこにどんな違いがあるというのか。 Phantom Magician、172 「…………」 に注意が向けられた、その隙。 それを見計らって、透明な風が、僕の襟首をさらった。 いや、もちろん『風』なんていうのは比喩で、実際は物理的な力が加わってのそれだったが。 とにかく、僕はが宙づりにされたことに、周囲が気を取られている間に、 透明のベールを押し付けられた挙句、どこぞへと連れ去られたのである。 ぱっと我に返った僕のすぐ横には、案の定、金色の影があって。 気分を害すると同時にほっとする。 気がつけば、自分の意思に関わり合いなく、どこかの空き教室に立っているという現状にうんざりしても。 それでも、一応、自分の居場所があることに、安堵した事実は、変わらない。 「さて、ここまで来れば大丈夫だよ。セブルス」 「…………」 なにを考えているか分からない男で、人間かどうかも疑わしい。 自分を窮地に陥れている主犯格だ。 信用など欠片もできないというのに。 ――信じられることを、僕は知ってる。 僕はもう、コイツを信頼してしまっていた。 まるで、あの馬鹿のように。 「……今のは、姿くらましですか、ケー。 ホグワーツでは出来ないはずなのに」 が、それに気づかれたくなくて、僕はむすっと嫌そうな表情をしながら、 さっき自分を襲った浮遊感について言及した。すると、 「効果は同じだけど、原理はまるで違うね。これは校内限定、使用者限定の移動手段だよ」 青年は、けろりとなんでもないような表情でそう言った。 それはつまり、かの創始者の施した魔法の隙を付いているということなのだが、 彼には臆す様子がまるでなかった。 そして、この場から立ち去りたがっている僕などお構いなしに、 その辺の机に腰かけると、こう続ける。 「しかし、幾ら二人がかりとはいえ、負けるなんて」 「っ!」 「特訓が足りてなかったのかな?」 漆黒の、闇のような瞳が、まともに直視できない。 「っ……すみません」 「いや、謝る必要はないよ。透明マントに気づかれるとは、僕も流石に思い至らなかった。 っていうか、試験の日まで忍びの地図持ち歩いてんじゃねぇよって話だよね」 失敗失敗!と、朗らかに言う青年だが、明らかに空気は張りつめていた。 顔は笑っていても、目が少しも笑っていない。 が、どうやらそのことに自覚があったようで、彼は今度こそ楽し気な雰囲気で、 僕と目を合わせる。 「まぁ、怪我がなくて幸いだけど。残念だったねぇ、女子に腹チラ見られるなんて」 「〜〜〜〜〜っあ、あれは!」 「嗚呼、でも特訓の成果に黄色い声が上がってたから、寧ろ良いのか?」 「っっケー!」 「あはは、冗談だよ。ただ、僕にとってからかいがいがあるのは良いけれど、 あんな風にちょっかいかけられた時にまで、一々反応するのはいけないね」 「っ」 そう、今まで色々な特訓やらなにやらをされた時に、 この男からは『熱くなった方が負け』と、いの一番に釘を刺された部分である。 まぁ、もっとも。 熱くなった原因は、コイツに被せられていた透明マントを、 ポッターの馬鹿に取られたというのが大きいのだが。 (さっき移動の瞬間に男もろとも被せられたので、どうやら回収済のようだ) 「いつも言ってるじゃないか。『馬鹿とまともに接する必要はない』って。 結果、その馬鹿にけちょんけちょんにされた挙句、あんな醜態を晒すだなんて……ねぇ?」 「……っ!」 『あんな醜態』。 その言葉の示すものに、歯噛みを禁じえなかった僕。 彼が言うのはそう、茶番のような、彼女との決別だ。 『汚らわしい“穢れた血”の助けなんかいらない!!』 あんなこと、言いたくなかった。 彼女に、あんな表情をさせたくなかった。 今すぐに彼女のもとへとんで行って、撤回したいと心の底から思う。 それでも、用意していた『言葉』。 ケーの望みを叶えるならば。 闇の陣営に入るのならば。 いつか、彼女に言うことになるであろうと思っていた言葉だった。 なぜなら、それは、純血主義であることと、 彼女との決別をどちらも周囲に伝えることのできる、ものだったから。 でも、本当はもっと良い言葉があったような気がして。 もっと、彼女の為に良い別れ方があった気がして。 後ろめたさは消えない。 多分、ずっと。 永遠に。 「これで、縁を切ったのが公になるんだ。そっちだってその方が良いだろう」 泣きそうなリリーの声を振り払うかのように、僕は首を振ってそう口にした。 がしかし、てっきり苦笑の類が返ってくるだろうと思った僕の予想に反して、 白磁の青年はきょとん、と目を丸くして「は?」と妙な声を出すだけだった。 「……なにが『は?』なんだ?」 「……え、いや、うん?話が噛み合わないな……。 縁を切った?は?ごめんごめん。ちょっと僕の優秀な脳みそでも理解が難しいよ」 未だかつてないくらいに疑問符を連発するケー。 (しかし、こんな場面でもさり気なくナルシストっぷりを発揮するな、コイツ) 「えっと?今、僕たちは逆さ吊りパンツ晒しの刑について話してたんだよね?」 「いや、そんな話は微塵もしていないな(きぱっ)」 「えぇえ〜?ヤバい。電波障害キター」 「?ホグワーツに電波は元々入らないはずだが」 「うん、知ってる。っていうか、そういう意味じゃない」 ?と話していてもちょくちょく感じるが、妙な文章の言い回しがあるな、コイツら。 日本?の英語力の問題なんだろうか。(ケーはと日本で知り合ったらしい) と、僕が日本における英語教育についてあらぬ誤解をしていると、 小難しい表情で首を捻っていたケーが、「ちょっと確認なんだけど」と口を開いた。 「さっき僕が言った『醜態』は『逆さ吊りパンツ晒し』のことなんだけど。 セブルスの中ではひょっとしてひょっとすると、 『リリーとの喧嘩別れ』のことだったりしちゃったりなんかする?まさかね?」 「……分かっているじゃないか」 「!」 何故だか恐る恐る聞かれたことに素直に答えると、 ケーの表情があからさまに渋いものに変化した。 その変わりっぷりはというと、中々に劇的で見応えは抜群である。 と、ケーはまるで舞台役者のように大げさな仕草で、頭を抱えた。 (それが少しに似ていた、というのは哀れなので言わないでやることにした) 「うあぁああぁああぁ。が関わるとやっぱり、こうなるんだよ! 代替可能とか、こんなところで発揮されなくて良いのに。 またが凹むじゃないか……。フォローする僕の身にもなってよ、本気で。 ってことは今頃、はリリーを追って……?なら、デリバリーか……?」 とりあえず、何を言っているのかさっぱりだったが、 をフォローするのは、それはもう大変そうだなということだけは辛うじて理解したので、 一応「すまない」と再度詫びを入れる僕だった。 閑話休題。 「まぁ、過ぎたことは置いておこう。 とにかく、君とリリーは決別した。で、それを周囲――死喰い人に知らしめた。 そういうことで良いね?」 「ええ。……なにしろ、遠目ではありましたが、一部始終を見ていたようでしたから」 一旦冷静さを取り戻したケーは、先ほどの乱れっぷりが嘘のようにしゃんとした。 それに合わせて、僕もいつの間にやら乱れていた口調を整えて対峙する。 思い出すのはそう、自分のルームメイトの高慢ちきな顔だ。 ニヤニヤと、僕が悪戯仕掛け人の馬鹿共に不意打ちを受けているのを見ていた、あの。 奴らとは、別に仲が特別良い訳でもなんでもない。 だから、向こうも僕に手を貸そうとなんてしないし、僕もそれを期待していない。 同じ寮のよしみなんて言葉も、奴らの辞書には存在していないだろう。 けれど、互いに有用だとは思っている。 だから、奴らは僕の命に関わる程の諍いなら、きっとそれを口実にに乱入してきたことだろう。 が邪魔をしさえ、しなければ。 そこまで考えて、ふと、アイツはきっとまた怒るだろうな、と他人事のように思った。 リリーを傷つけたのだ。 あの、お人好しで、リリーにべったりの馬鹿が僕を非難しないはずはない……。 ぎしり、と。 壊れたブリキ細工のような嫌な音を心臓が立てる。 すると、そんな僕の様を見ていたケーがシニカルに笑った。 「なら、後悔たっぷりの表情はここまでだね。 言いたくなかったのが、欠片でも連中にバレたら、意味がない」 「……分かっています」 表情なんて、変えてしまえば良い。 ずっと眉間に皺を寄せて、黙って人を睨んでいれば、全部解決する。 今までずっと、そうだったように。 そして、僕は重苦しくなってきた空気を変えようと、ちらりと思い出したについて、口にする。 「そういえば、をあのまま放ってきて良かったんですか? 仮にもあいつは女ですし。僕みたいに服がめくれたりなんかしたら……」 「え?ないよ?」 「は?」 「だから、の服が捲れることなんてないない。だって、簀巻きにしてきたからね」 「…………」 「…………」 「…………」 「…………」 「……はぁ?」 何を言っているのか、言葉が右から左に流れ出たかのように、よく分からない。 すると、理解力の悪い子どもに言い聞かせるように、 ケーはぴっと指を立てて解説した。 「まぁ、めくれても、素敵な男子の腹筋が見えるくらいなんだけどね。 流石に可哀想だし、なにより僕の気分が最低だから、無言で『縛れ』かけたんだよ」 幾らなんでも長時間逆さづりだと誰かが止めるだろうし。 そろそろ下に降ろされて魔法も解けてる頃じゃないかな? と、にこにこしながら言う男の後ろに、真っ黒い影が見えたのはきっと気のせいではないだろう。 「…………」 考えてもみれば、いや、考えるまでもなく、この独占欲が非常に強そうな男が、 大切にしている存在をそんな風に晒し者にさせるはずがなかったのである。 その反応の速さには、感心すると同時に、酷く呆れた。 「よくもまぁ、咄嗟にそんなことができたものですね?」 「うーん。なにしろ、ってやることなすこと僕の予想の斜め上を行くっていうか。 あの子が関わると、大体計画通りにいかないっていうか。 まぁ、大体のアクシデントには対応できる力が身につくよね。 これぞ『生きる力』って奴?」 「はぁ」 それは良いことなのか、悪いことなのか。 正直どちらか難しいところだったが、諦念の感も露わにしているケーに、 それ以上言うのは止めておく。 ケーも、この話は不毛と判断したのか、軌道修正を図ることにしたらしい。 ごほん、とひと際大きな咳をした後、組んでいた足を下した。 たったそれだけの動作なのに、一気に場の空気が引き締まる。 人間、姿勢だけでこれだけの違いが出せるのか、と僕は少し驚いた。 「今までの話を総合すると、セブルスはこれからはもっと大っぴらに、 純血主義であることを主張できるようになったってことだよね」 「?まぁ、そうも言えますが」 「だろう?ぜひそうして欲しいところなんだ。死喰い人の誘いが来るくらいに」 「…………」 「まだ来てないんだろう?エイブリーからも。マルシベールからも」 「……ええ」 それとなく、死喰い人に対してどう思っているのかを聞かれたことはある。 けれど、まだ同室の彼らは、僕に具体的な話はなにもしてきていない。 まぁ、家の連中がすでにそうなっているのと違い、 学生を直接勧誘、だなんて危険な賭けには中々出辛いのかもしれない。 ただ、ケーはそれでも僕に勧誘が来るという確信があるらしかった。 「今回の件で、まぁ、多分連中も動くだろうけど。 一応、マグル出身者は影でガンガン蔑んでみてよ。リリーに言ったのと同じ言葉で」 「…………」 僕は確か『リリーと決別した』と言っただけで、 『リリーをマグル出身者として蔑んだ』とは一言も言っていないはずなのだが。 ……やっぱり、さっきのは演技で、実は僕に透明マントを被せた後、 一部始終を見ていたのではないかという気もしてきた。 「なんだったら、その辺の人を闇の魔術の実験台にしても良いし」と、 であれば間違っても言わないような物騒なことを言うケー。 僕は、改めて、コイツを信用しすぎないようにしようと肝に銘じる。 まぁ、もっとも。 「見返りは『リリーの安全』ってことで。一つよろしく」 信用していようがいまいが、なにも変わることはないのだけれど。 「君は僕の為に『闇の陣営の情報を渡す』。 その代わりに、僕は僕の身命に賭けて、『リリーを守る』」 それが契約。 僕と、ケーが交わした『破れぬ誓い』。 「その為には、内部に潜り込んでもらう方が簡単だ。 頼んだよ、セブルス」 彼の目的は知らないし、分からない。 興味はあっても、聞き出そうという気にはならない。 けれど、にこやかに笑う彼に、ふと、訊いてみたいことがあったのを思い出した。 「……前から一度聞きたかったのですが」 「なんだい?」 「何故、僕なんです?幾らだって、他の人間がいたでしょうに」 思い浮かべたのは、最初に僕とケーを引き合わせたスリザリン生。 ケーの手下があれだけのはずはないだろうし、 あれだけの信望者なのだ。 ケーにやれと言われれば、喜んで危険にも身を晒すだろう。 がしかし、そんな僕の予想を、ケーは鼻で嘲笑って、一蹴した。 「闇の帝王に心を覗かれて、本心を隠しておける人間がそういる訳ないじゃないか。 あんな小物じゃ、一発でバレて殺されるか、逆に取り込まれてこっちが情報漏洩の危機だよ」 「……随分、高く買われたものだ」 「君は自己評価が低いからね。信じられないのかもしれないけど。 はっきり言って、かなり優秀なんだよ、君は。 嘘だと思うなら、もう少し待ってごらん?きっと――……」 そして、意味深な言葉を残して、ケーはの元へと向かっていった。 なんでも、空腹のまま試験を受けさせる訳にはいかない、ということらしい。(僕にも食べろと言っていた) 嗚呼、そういえばまだ実技試験が残っていたんだな、思うと同時に、どうしても、違和感ばかりが先に立つ。 この数十分後に、試験官に魔法を披露している自分の姿が、とても想像できなかった。 がしかし、思い描けなくても、それは確実に来る未来で。 「なるように、なれ」 僕は、日常と、非日常を、スイッチでも使うかのように切り替える。 まるで、閉心術の練習のように。 心と、体を、切り離す。 それを続けていればきっと。 闇すらも、簡単に受け入れられるだろう。 「セブルス、少し良いかい?」 この日の夜。 自室で僕は、死喰い人へと誘われた。 ケーの言った、その通りに。 『嘘だと思うなら、もう少し待ってごらん?きっとヘッドハンティングが現れるよ』 君は予言者。 ......to be continued
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