神様、かみさま。 立ち向かう勇気のない僕を、許して下さい。 Phantom Magician、171 目の前で、が宙吊りになり。 皆が慌て騒ぐ中、『彼』の声が聞こえたのは、果たして偶然か空耳か。 ストレスだったO.W.L試験もほぼ終わりが見え。 きっと全員に、気の緩みのようなものがあったのだろうと思う。 明るい外の日差しに誘われるように室外へ出た僕たちは、 最初は酷く和やかな雰囲気で談笑していた。 シリウスがセブルスを見つけるまで、の間だけれど。 「それを返せ!」 リリーが散々訴えたことだが、嫌いなら放っておけば良かったのに。 闇の魔術が大嫌いな、ジェームズとシリウスは、 それを行使しようとするセブルスを、結局のところ無視できなかった。 忍びの地図で彼を炙り出すようにして、二人はいつものごとく攻撃を開始した。 他のことならなんとか僕でも抑えることができるけれど、 こと、セブルスに関してだけは僕が彼らを制止できた試しがない。 「……スニベリーの家に透明マントを買うなんてお金があるはずはないよね」 「オイ、プロングズ。お前の透明マントは?」 「部屋に置いてあるはずだけど、分からないな。最近あまり使っていなかったし」 「ってことは、それはお前の物って可能性が高いよな?」 「!」 「嗚呼、その通りだ!友よ」 「なにを訳の分からないことを……っ。それは人に預けられている物だ! さっさと返せ!!」 そんなことが5年も続いたせいだろう。 僕は気付けば不快な表情はしつつも、彼らがセブルスに突っかかっていくのを見過ごすようになった。 「…………」 今だってそうだ。 絶対止めた方が良いと思いながらも、僕はただ手元の本に目を落としているだけで。 彼らに立ち向かおうとはしないでいる……。 偏見で、貶められることがどれほど辛いか、誰よりも分かっているはずなのに。 貧乏だと言われるのが嫌だ。 みすぼらしいと言われるのが嫌だ。 陰でひそひそ言われているのを見ると、自分のことかと肝が冷えるし、 離れた場所でくすくす笑いを聞くと、馬鹿にされているんじゃないかと身構えてしまう。 けれど、なによりも応えるのが、 汚らわしい化け物だとバレた時。 お前は汚いのだと。 お前は不吉だと。 石を投げられ、攻撃される、あの瞬間。 満月の夜以外に危険はないのだと、なにを言っても信じては貰えない。 存在としての、悪。 あれはそう。理屈ではない感情での嫌悪だった。 向けられるそれが、僕はずっと痛くて痛くて、苦しかった。 「やはり、一人で向かってくる度胸もない腰抜け共だな!!嘘つきのペテン師めっ! 今に見ていろ。貴様らのような下衆は――……」 「口が汚いぞ、スニベルス。清めよ!」 「ぐっ!げほっ!!!」 セブルスも、きっと痛いのに。 体じゃない。 体もだけど、なにより心が、痛くて痛くて、堪らない。 彼の屈辱に満ちた怨嗟の声が。 怒りに燃える瞳が。 僕には血を噴き出しているかのように見えた。 周囲を見渡しても、そんなセブルスを助けようとする人間は一人も見えない。 何故なら、彼の敵は、ジェームズとシリウスだったから。 学校で一番人気のある人間の反感をわざわざ買う人間がどこにいる? そんなことができるのは精々同じくらいの人気者か、 そう、僕のようにそうすべき立場――監督生しかいない。 それが分かっていても。 「止めなさい!」 僕は動かなかった。 動くことが、できなかった……。 できたのは、駆け付けた同じく監督生の、揺れる髪を見つめることだけだ。 「リリー……」 輝く赤銅色の髪に、居た堪れない気持ちが沸き起こる。 女の子を矢面に立たせて、自分は安穏とした道を選んだという、罪悪。 それに身を焼かれながらも、成り行きを見ているだけの僕。 僕は、シリウスもジェームズも素晴らしい友人だと思っている。 こんな人狼を怖がらずに受け入れてくれて、 一緒に馬鹿が出来る、最高の親友だ。 でも。 だからこそ、動けない。 そんなことはないと、知っていても。 頭で理解していても。 僕が、セブルスを庇った瞬間に、彼らが離れていくのではないかと、考えてしまうから。 せっかく手に入れた、居心地のよい場所がなくなってしまうのが、怖くて怖くて、仕方がない。 彼らと、一緒にいたかった。 例え、そのせいで苦しむ人間がいたとしても――…。 例え、そのせいで泣く人間がいたとしても――…。 「――じゃないか?そもそも盗人は晒し者って相場が決まってるだろ。身体浮上!」 それが、この時の僕の選択。 そして、そんな臆病者を非難したのは、リリーでも、セブルスでもなく。 最近増えた、友人だった。 ――なんで止めないの? この時、がこう言ってくれなければ、きっと僕は後悔をし続けただろう。 いや、後悔をするならまだ良いけれど。 時間が経てば、何事もなかったかのように忘れてしまったかもしれない。 人を傷つけたということも。 臆病であったということも。 自分に都合の悪い、全てを。 一緒に正義を振りかざすことも出来ず。 かといって、理不尽を止めることも出来ない僕。 どっちつかずの態度こそ、卑怯と謗られるべきだろう。 分かってはいるものの、今日も僕は傍観者であり続けてしまった。 でも。 そのことを、は面と向かって叱ってくれた。 本当なら、必要などないはずなのに。 リリーを。 セブルスを。 慰めれば、それで済んだ話だったのに。 僕らに、過ちを正す機会を、はくれた。 だから、僕は感謝している。 その気持ちに、男だの、女だの、そんなのは一切関係がなかった。 リリーがこの場を去った直後、まるでタイミングを見計らったかのように颯爽と表れた。 そして、突然マンドレイクをぶつけられたシリウスがキレ、彼を宙吊りにした瞬間、 僕の狼に程近い耳は、俄かに信じがたい声を拾ってしまった。 「仮にも女に対してなにをっ!?」 「え……?」 お、んな……? なにが? 誰が? その言葉を発したのは、生真面目で、決してこんな場面で冗談を言わない青年――セブルスだった。 思わず漏れてしまったとでもいうような、微かな声は、僕でなければきっと聞き逃していたことだろう。 ともすれば空耳にも感じられるくらい、小さな呻き。 けれど、その言葉のあまりの突飛さに、僕は彼を凝視する。 彼の表情は、さっきまでの世の中全てを憎むようなものではなく、 憤慨するような、恥じ入るような、焦るような、混沌としたものだった。 冗談でも、聞き間違いでも。 ましてや嘘なんかではありえないことを雄弁に物語る表情で。 それに、僕の胸がぎしりと、嫌な音を立てて軋む。 「っ!」 『女に対して』……? 今、が逆さ吊りになったことに、そう言ったのか? なら、は……女、の子? そんな物を見てしまったがために、疑問が混乱を呼び、 僕の頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。 が。 で。 僕がスキ。 ゲイ? リリーの友人。 よく笑って。 よく泣く。 逆さ吊り。 セブルスが怒った。 女の子? いつから? 最初から? 「――――っ」 すると、その時。 横合いではジェームズがシリウスを叩く、鈍い音がしてきて、僕はふと我に返る。 「てっ!なにすんだよ、ジェームズ!?」 「なにすんだはこっちの台詞だよ!君、なにやってるんだい!? よりにもよって、を逆さ吊りにするだなんて!!」 「はぁ?」 のろのろと視線を移せば、珍しく本気で怒っているジェームズがいて。 彼は、セブルスと同じ表情をしていた。 普段であれば、ジェームズは人を喰った表情で悪戯をしたり、 おちょくったりはあっても、基本的に直に手をあげたりしない。 それなのに、咄嗟に手が出る、だなんて。 しかも、その相手がシリウスだなんて、史上初といっても良いのではないだろうか。 彼が、そこまで怒る理由……。 疑問は、すでに確信へと変わっていた。 「……」 思い出すのはそう、=の今までの言葉。 仕草。 行動。 そうだ。彼は、いつも感情のままに行動していて。 理性的でないそれが理解できないと、何度も思った。 それなのに、妙に可愛らしいところがあって。 放っておけないと、思ったこともある。 まるで女の子と対したように。 そして、その度に、自分はノーマルのはずなのにと言い聞かせてきた。 そういう、同性にときめく人がいるのはもちろん知っているが、 自分が、女の子ならともかく、男子に心惹かれるはずはない、と。 でも。 それもこれも、実は『彼』が『彼女』だったからだとしたら? 『リーマス。お願い、をちゃんと見てあげて』 『男だとか、告白してきたとか、そういうことを一度忘れて、自身を見て頂戴』 リリーの言葉も、別の意味を成してくるのではないか。 そういえば、ずっと不思議ではあったのだ。 リリーに惹かれるジェームズが。 例え人畜無害でも。 例え、別の男がスキだと公言しているゲイ相手でも。 特定の男子が、リリーと特別仲が良いだなんて、よく許したものだ、と。 ある時を境に、妙にを労わるようになったジェームズ。 僕らの中では、一番と仲の良い彼のことだ。 もしかしたら、彼は気付いているのかもしれない。 だからこそ、逆さ吊りにされたに、過敏に反応したのかも……。 と、そういえば肝心のはどうなったんだ、と今更ながらに思い至った僕は、 ぎゃーぎゃーとシリウスと応酬している方へと目を向ける。 「っ!」 そして。 「え、なに?お前自分で咄嗟に自分縛ったのか?どんなマゾだよ?」 「違うわ!っていうか、いい加減下ろしてよ、馬鹿! 脳味噌が茹で上がるでしょうが!!」 何故だかロープでぐるぐる巻きになった、の体のラインに目を剥いた。 さっき、シリウスに向かっていった時は、確かに、『彼』だった。 がしかし、今目の前で逆さ吊りにされているのは、どう見ても女性で。 膨らんだ胸も。 腰回りも。 さっきまでのとは、明らかに違うシルエットだった。 中性的だとは思っていたが、しかし、ここまで女性的に見えたことは一度だってない。 「っ!?」 まさか、なにかの拍子に変身したのか、と思わなくもなかったが、 そうであれば、周囲がなんらかの反応を示していても良いはずだ。 がしかし、シリウスも他の人も、ごく普通に、 何事もなかったかのように『彼女』に対している……。 おかしくなったのは僕の目だとでも言うかのように。 そして、僕は例えなにがどうであろうとも、 女性が縛られた上に逆さ吊りという光景に耐えられず、 いつまでも下ろそうとしないシリウスに、冷えた声で注意した。 「……シリウス?」 「っっっっっ」 と、僕の不機嫌を察したのだろう、逆らうことなく、を下へと戻すシリウス。 そうして、ようやく地上に降りたことで、 逆さ吊りでないの姿を僕は観察出来るようになった。 「くっそ。セブセブを阻止したのは良いけど、なに、この敗北感? ローブの人間、身体浮上するとか、マジで馬鹿じゃないの? 嗚呼、馬鹿じゃないな。唯の変態だったわ。 前も人のこと押し倒した挙句に服捲ってきたわ」 女の子というと少しばかりガサツな気がしないでもなかったが、 羞恥にほんのり染まった目元や耳、 華奢な手の平など、視覚情報は、を女性だと認識していた。 以前、パーティードレスで着飾っていた『彼女』が、素のままでそこに立っている……。 そのことに、酷く動揺すると同時に、納得する自分がいるのも、また確かだった。 そして、僕に凝視されているとも気付かずに、 は大体のあらましを僕たちから聞きだし、激昂した。 「……んの、馬鹿共が!!」 「っ」 がすっと。 鈍い音を立てて、頭を叩かれる。 拳骨を喰らったのなんて、一体何年ぶりのことだろう? 驚いた表情をしているシリウス、ジェームズなど、 普段が甘やかされているし、もしかしたら初めてのことかもしれない。 けれど、そんな新鮮な気持ちなどお構いなしで、は叫んだ。 お前らの行動は間違っている。 間違っていることは間違っていると言え、と。 「「「!」」」 彼らにあったのは、全てが全て悪意ではない。 寧ろ正義感故の行動だとも言える。 それでも、やったことが間違っているのだと、彼女は言う。 そして、それを見ていた僕たちにも、見逃すなと訴えた。 当事者だけでなく、傍観者も同罪なのだと、断罪するように。 が大人しい人間だとは思っていないが、 だからといって、こんなに大勢の人間に説教をするようなタイプでもない。 現に今も、見ているこっちがはらはらする位、顔色が悪い。 集まる視線に、無言の威圧感に、彼女が怯んでいるのがよく分かる。 「――らも、見てんじゃない!」 けれど。 彼女は、止めない。 己を奮い立たせるようにしながら、それでも、言葉を重ねて続けていく。 本当だったら、僕が言うべき言葉を。 その横顔から、目が離せない。 「嗚呼……」 知っている。 これが、『勇気』というものだ。 シリウスやジェームズのように、悪者に、敵に向かっていくような激しさはなくても。 周囲を敵に回してでも、己の足を踏みしめるこの震える姿こそ、グリフィンドールに相応しい。 最初、僕にはできなかったことをするが、酷く眩しく感じた。 でも、平然と行えているわけではない。 今にも逃げ出したいのを懸命にこらえながら、彼女はそこに立っていた。 そのことが、握りこんだ真っ白い指先から、伝わってくる。 だからこそ。 だからこそ僕は、その弱くて、脆くて、無様に過ぎる、その姿が、好きだと、そう思う。 リリーのような毅然とした強さがないのに。 迷っても。 苦しんでも。 それでも、正しくあれる彼女を、僕は尊敬する。 人として。 異性として。 美しいと、素直にそう思う。 ただ、そのことを伝えるには、少しばかり気付くのが遅すぎたけれど。 「…………」 …………。 …………………………。 …………そう、遅すぎたのだ。 なにもかも。 あらゆる全てが。 「……だって」 あれだけ散っっっ々、無視して貶してセクハラした後に、なにが言えるっていうんだ!? 駆けて行く彼女の背に、僕は結局、声を掛けることもできず。 ただ、他の面々と同じく立ち尽くすのみだった。 友達の前に立ちはだかるのは、僕にはまだできない。 ......to be continued
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