予想外と予定調和。 Phantom Magician、168 その後の数か月は矢のように過ぎ去った。 百合を愛でて、鹿と戯れ、犬をいじり、狼に弄ばれ……。 クリスマス前後の殺伐とした空気など、もはや微塵も感じられない程、穏やかに。 試験勉強に追われていたのがなにより大きいが、不穏な影が見えつつも、日常は滞りなく流れていく。 けれど、小さな波紋は拡がっていて。 いつか、大きなさざ波となる。 それをなくすことができないと言うのなら。 あたしはせめて、防波堤を築こう。 被害が最小になるように。 「……おはよう、スティア」 『おはよう、。いよいよだね』 「うん。遂に来ちゃったよ」 『テストに夢中で、メインイベント忘れないでよ?』 「もちろん。とりあえず、サポートよろしく」 『了解』 数日続いたO.W.L試験最終日、あたしは気合と共にベッドから起き上がる。 時期が時期だけに、まだ外は薄暗いが、 それでも真冬よりよほど早く上がった太陽によって、周囲は段々明るくなってきていた。 本当だったら、寮全体がようやく起き出す位の早めの時間だが、 今日は試験前の最後の悪あがきをする人がいるのか、すでにある程度の喧騒が生まれている。 あたしは手早く身支度を整えると、黒猫さんと共に今日の動きを確認した。 試験についてはベストを尽くせばいいが、問題はその後。 そう、今日こそ試験最終日にして、セブルスの逆さ吊り事件が勃発する日なのだ。 「……ネビルの時とは違う。今度こそ、上手くやる」 一番良いのは、悪戯仕掛け人が湖のところに行かないようにすることだろう。 そうすれば、セブルスを見つけることもなく、そこがいじめの現場になることもない。 ひいていえば、リリーと仲違いすることもないはず。 万一の時の為の備えは事前にしてあるが、しかし、その備えは無駄になってくれて構わないものである。 「ええと、あたしはとにかく悪戯仕掛け人を湖から引き離せば良いのね?」 『そうだね。方法は任せるよ。で、僕がセブルスを引き受ける、と』 「セブセブは逆に湖から動かないようにするんだね?」 『うん。下手に別のところに行かせようとして、ハチ合わせるのもマズイからね』 リリーとセブセブだけなら、別に近くにいようがどうしようが関係はない。 基本は、昔馴染みだっていうのを秘密にしてるから、人目につくところで話さないしね。 問題は悪戯仕掛け人(特に鹿と犬)をどうやって別の場所に誘導するかだが。 「普通、試験のことで話振れば一発なんだけどねー」 あいつら食いつかなさそー。 終わった物に興味ないもんな、基本。 勉強できるし、無駄に自信満々だし。 『色恋沙汰だとシリウスがどっかいなくなりそうだよ?』 「ですよねぇー」 となると、悪戯の計画に関することが無難なのだが、 え?あたしが悪戯するの?マジで??ってなもんである。 東洋系優等生としては、そんなものの片棒担ぎたくない。 だが、背に腹は代えられないのも確かだった。 『試験が終わった記念ってことで、花火でも打ち上げてみたら? ある意味お騒がせだし、悪戯の範疇に入るんじゃない?』 「んー、良いアイディアだとは思うけど。試験終わりの時間ってまだ明るいじゃん」 『今晩だよ、今晩。どこから花火を上げたら良いかの打合せとかで良いじゃないか』 「うぅ〜ん」 その後、十分ほど悪戯仕掛け人を誘い出す口実を考えたあたし達だったが、 花火以上のものは中々思いつかず。 結局、それを採用することにして、スティアは試験が始まるまでの僅かな間に、花火調達を請け合ってくれた。 (試験中はホグワーツにいてくれないと、魔法が使えないのでマジで困る) ちなみに、そんな早くから店が開いている訳がないので、どうするつもりか聞いてはみたものの、 返ってきたうすら寒い笑顔に、あたしは十字を切って天に祈りを捧げる。 こうして、怒涛の一日が幕を開けた。 魔法史、マグル学、最後に闇の魔術に対する防衛術。 筆記試験はあっさりというか、拍子抜けするほど淡々と消化されていった。 スティア特製の羽ペンも、見事に役目を果たし、 あたしが書いた日本語の解答は、きちんと翻訳されて用紙に記載されている。 え?いつ羽ペンをすり替えたのかって? それはだね。ジェームズのところから透明マントをパクってきたスティアさんが、ひっそりと入れ替えてくれたのだよ。 (なんで透明マントが必要だったかについて説明をざっくり省くと、 普通に透明になる魔法だとカンニング防止の魔法にひっかかっちゃうんだって) 伊達に死の秘宝とかいう大層な名前付いてないよね。そういうの全スルーらしよ、透明マント。 まさかグリンデルバルドも死の秘宝が試験への不正?に使われているとは知る由もないだろう。 そもそも普段の用途が悪戯便利グッズ扱いだし。最強の杖との格差、マジ半端ねぇ。 あ、でも、危なかった場面がなかったわけじゃない。 試験の監督をしてるフリットウィック先生が見回ってた時! 日本語で解答してるのを見られたら、後でおかしい!ってなりかねないので、 先生がいなくなるまでは、見直しをしているフリをしなければならなかったのだ。 おかげで、書き終わるのがぎりぎりになってしまい、無駄にどきどきさせられた。 と、少しばかり恨みがましい視線を先生に向けると、丁度時間になったのだろう、 件のフリットウィック先生がいつものキーキー声を張り上げて、筆記試験終了を告げた。 「はい、羽ペンを置いて!」 ほっと、まだ気を抜いてはいけないのは理解しつつも、安堵の息が漏れる。 まぁ、変身術の実技がまだ残っているとはいえ、それ以外の試験自体は大過なく終わったと言えよう。 5年以外未履修だった割には、そこそこ解答用紙が埋まった気がするし。 あたしは別に『O 優』が取りたい訳ではないので、『A 可』以上であればそれで良い。 こんなこと言うと、リリーに怒られそうだから言わないけど。 流石、家庭教師陣が優秀だったなー。 リリーにセブセブ、マクゴナガル先生とダンブルドア、おまけに元創設者っていう超豪華ラインナップ。 こうして一息つけるのも全て、ポイントを抑えたご指導のおかげである。 後でお礼の一つも送らなければいけないだろうか、と、そんなことを思っていると、 「――いように!『来い』…ぐっ!」 解答用紙を回収しようとした先生が、問題用紙の束の直撃を喰らって、ひっくり返った。 なんとあたしの目の前で! そりゃあね!百以上の羊皮紙が一気に自分目がけて飛んできたらそうなるでしょうとも!? はっきり言って、陰険教授が同じことしたって吹っ飛ぶよ! なんで先生凄腕なはずなのに、そういうお茶目な失敗するかな!? 「せ、先生、大丈夫ですか!?」 「ああ、ミスター 。ありがとう、ありがとう」 慌てて、先生の肘を掴んで、数人がかりで助け起こす。 オイ、コラ!そこのくすくす笑ってんの! 見てないで羊皮紙拾うくらいするでしょうが、普通! と、あたしの非難するような視線に気付いたのか、 それまでボケっとしていた連中も慌ててこっちを手伝い出す。 で、人助けをしているのは良いのだが、あたしはこのハプニングのせいで、 見事にスタートダッシュを決め損ねた。 「さあ、みなさん、出てよろしい!」 フリットウィック先生の掛け声と同時に、生徒の群れが動き出してしまったのである。 あたしは慌てて、自分の荷物をまとめるのもそこそこに、 特徴的なくしゃくしゃ頭達と合流すべく、周囲を見回す。 「……いたっ!」 で、一瞬見失いかけたイケメンシリウスの横顔を発見し。 大急ぎで追いかけようと、一塊で移動する悪戯仕掛け人に向かって駆け出した。 (女子と違って、待っててくれないあたり、男子って気が利かない) がしかし、である。 そんなあたしの行く手を遮る影があった。 「ミスター 。良かったらこの後お茶でも――……」 「ごめん、また今度!」 「、テストの出来はどうだった?一緒に自己採点をしない?」 「ごめん、自分でやりたいから!」 「ようやく筆記試験終わったな!この後、変身術の練習やらないか?」 「ごめん、疲れてるんだ!」 何人かが、それはもう晴れやかな笑顔と共にお誘いをかけてくるのである。 まさか無視する訳にもいかず、一言二言でその場を切り上げるものの、時間ロスはいなめない。 とはいえ、あたしが慌てている様に、少しは遠慮しようという輩もいる訳で。 教室を出る頃には、あたしに声をかけてくる人間もいなくなってきた。 で、先行する悪戯仕掛け人が廊下の果てにいるのを見つけ、 ようやく追いつける!とあたしが胸を撫で下ろしたその瞬間、 ぽん、と肩口を軽やかに叩かれる。 そして、視界に揺れるのは綺麗な赤毛。 「、どうしたの?そんなに急いで」 「リリーっごめん、テストについては後で報告するから!」 ブルータス、お前もか!って気分だが、リリーなら分かってくれるだろう。 拝み倒さんばかりに手を合わせ、ぞんざいな対応についての謝意を表す。 で、微妙に見失った悪戯仕掛け人に「うわぁぁああぁ」と内心呻きながらも、走りだし。 途中、思いついたように、あたしはリリーを一瞬振り返った。 「リリー!悪いんだけど、色々ややこしいから湖の方には来ないでくれる!? お願い!!」 「え?ええ、それは良いけれど。湖が一体――……」 「ありがとう!じゃ、また後で!!」 怪訝そうなリリーだが、承諾が一応取れたことに満足したあたしは構うことなく走り出す。 さて。そんなこんなで、万が一の時に備えて、念押しも済んだし。 あとは、悪戯仕掛け人をとっ捕まえるだけだ! あたしは、湖への道のりを思い浮かべ、時間を短縮するべく、人通りの少ない廊下へと足を踏み入れた。 わらわらといた人ごみを抜け、少しばかりの回り道を選択したあたし。 ああいう風に人が多いと、走れないし、ピーブズが襲ってきたりもするので、 実はこっちを通る方が早く目的地に着けるというのは、以前リリーに聞いた情報なので確かだろう。 あたしが迷う程複雑な道じゃないしね。 途中、廊下から芝生へと飛び降り(土足万歳)、あたしは乳酸の溜まった足を叱咤する。 今、全力でダッシュすれば、ぎりぎり校舎を出たあたりのところで、悪戯仕掛け人と接触できるはずだ。 冷たい空気が肺に容赦なく突き刺さるが、呑気に文句を言っている場合じゃない。 がしかし。 ぜぇはぁしながら、建物の角を曲がったその時だった。 「うわっ!?」「きゃあっ!」 ドン、と体に衝撃が走る。 (はい、出会いがしらの人身事故発生ー。飛び出し注意ー) 咄嗟に、自分が弾き飛ばしたそれに手を伸ばし、しっかと捕まえると、 可愛い目を白黒させている下級生の姿が目に入った。 「ごめん、大丈夫!?」 「は、はいっ。だい、じょうぶです」 健気に、目からぼろぼろ涙を流しながら首を振る女の子。 「いやいやいや、大丈夫じゃないよね、それ!?どっか痛い!?怪我した!?」 「あ……あの、違うんです。怪我とかじゃなくて、元々泣いてて……」 ばっ、と少女の全身をチェックするが、確かに彼女は怪我一つしていないように見えた。 がしかし、こんな大人しそうな女の子が敷地の隅で泣いてるとか、いじめの気配しかしないんだけど! いつもであれば、話を聞いてあげるところなのだが、いやでも、今それどころじゃないんだよね、あたし!? のっぴきならない現実に、どうしたら良いんだ!?と、数秒考え込んでいると、 彼女はあたしの考えていることが分かったのか、慌てて「いじめじゃないですよっ」と首を振った。 そう否定されると、寧ろいじめ説が現実味を帯びてきちゃうのだが、彼女はそれが分からないらしい。 で、いよいよあたしが困った表情をしていると、少し恥ずかしそうにそれを指さした。 「あの、いじめとかじゃないと思うんです。 ただ、私の鉢の中身が引っくり返されてて。別の植物が植わっているみたいで……」 いや、それどう聞いてもいじめにしか思えないんだけど! 見れば、確かに彼女が指さした先には、クラス分と思われる鉢が幾つも並んでいて、 その内の一つに、明らかに種類の違う草が植わっていた。 で、元はそこに入っていたのであろう、彼女の育てていた植物は無残にも芝生の上に転がっている。 授業で育てているであろうものを、こんな風に駄目にするなんてやることが陰険である。 がしかし、直接的な涙の原因が分かっているのなら話は簡単だ。 いじめについては後程、監督生のリリーに報告するなりなんなり対応することにして、今は原状回復をすれば良い。 あたしはこの場を早急に立ち去る為にも、むんずと彼女の鉢の植物を引っ掴んだ。 「なら、植え戻さなきゃね。早くしないと駄目になっちゃうよ」 「え?あ、はい!」 気分は小学生の時、散々させられた校庭の草むしりだ。 できるだけ草の根本に手を当てて、あたしは一気にそれを鉢から引っこ抜く! すると。 ぴぎゃーっっっっっ!!!!!! あたしが抜いたその大根だか蕪だかよく分からない物体は、 脳天を貫くようなけたたましい悲鳴を上げた。 ブラックアウトする視界に映ったそれは、いつかどこかで見たもので。 どんなに急いでいようとも、どんなにそれどころじゃかなかったとしても、 魔女であるならば、絶対に気づかなければいけない植物だった。 「 っ!」 あたしは、己の迂闊さと不運を呪いながら意識を手放すことしかできなかった。 「――イ、どうする?マダム呼んだ方が良いよな?」 「寧ろ、連れて行った方が早くないかしら?」 「頭打ってるかもしれないだろ。マダムを呼ぼう」 「それが良いだろうな。でも、なんでマンドレイクなんか……」 「結構前に、スプラウト先生が1匹いなくなったってぼやいてなかったか?」 「そうだっけ?」 「そうそう。そういやそんなこと言ってたよなー」 「探したかったんだけど、クィディッチの日で人手が集まらなかったんじゃなかったかしら?」 「ああ!思い出した!……え、じゃあ、あれから数か月逃げ回ってたってことか?」 「かもしれないよねぇ。だって、ホラ。こんなに貧相になっちゃってまー」 「とにかく、俺ちょっと医務室行ってくるわ」 「…………」 近いような。遠いような。 ざわざわとした話し声に、あたしはぼんやりと目を開ける。 すると、途端に青い空が目に飛び込んできて、若干以上眩しい。 はて?あたしは一体どうしたんだ?? 芝生に横たわる前後がはっきり思い出せず、ゆっくりと体を起こすと、 周囲にいた人達から歓声が沸き起こった。 「あ!目が覚めた!!」 「マンドレイクが弱ってたから、効果が薄かったのかな? 普通、何時間か目が覚めないけど」 「かもね。でも、こっちの子ももう起きそうよ」 「大丈夫?気分はどう??」 「良かったな。成長しきってたら死んでるところだ」 「……え、あ……大丈夫……かな?」 …………。 ……………………。 って、全然大丈夫じゃねぇー!!!! 「今、何時!?」 あらゆる全てを思い出したあたしは、どっと噴き出した汗に構うことなく、 手近な一人に詰め寄る。 心優しきハッフルパフ生は、お礼も言わないあたしに気分を害した様子もなく、 寧ろ気の毒そうに時計を見せてくれた。 「なにか急ぎの用事があったのかい?大丈夫だよ。 マンドレイクの叫び声が上がってから、まだ15分も経ってないから」 「!!!!!」 まだ15分、ではない。 もう15分近く、だ。 「そうそう。近くで猫が急にばたばた倒れたもんだから、 フィルチ先生のところに行こうとして、君たちを見つけたんだよ」 「で、君がマンドレイクを握りしめてたから、察しがついたって訳。 どう見たってマンドレイクなのに、なんで抜いたりしたんだい??」 「う……あ……ぅ……っ」 と、どうしよう、どうしよう、と頭の中が恐慌状態に陥ったあたしの頭の中に、 唐突に響く声があった。 (…………返事をするんだ…………) 「…………ぃあ」 いや、押し殺したようなその声は、実は起きた時から聞こえていた。 ただ、起き抜けの働いていない頭が、言語として認識しなかっただけで。 あたしは泣き出しそうな安堵と共に、彼の名を呼ぶ。 スティア。スティア、どうしようっ 気絶しちゃってて、あたし、足止めできなかっ……! っ!そうだ、そっちは!?セブルスはどうなってるの!? (……はぁ。まだ何も起こっていないよ。今迎えに行くから、そこを動かないで) 色々と言いたいことを飲み込んだような溜め息の後、 スティアは強い口調でそう指示してきた。 その待ち時間の長いことといったらない。 ハッフルパフの人々が口々に労わりの言葉をかけてくれるけれど、 スティアとの会話に必死のあたしは、気の利いたことも言えず。 あたしは数十秒後、自分目がけて走ってきた黒猫をひしっと抱きしめた。 『とりあえず、人目のないところまで走って!』 「うんっ!」 一応、姿くらましができなくなっているホグワーツで、 いきなり目の前から消えてしまう訳にはいかない。 逸る心を抑えながら、あたしは周囲で不思議そうにあたし達を見ている彼らに、下級生をお願いし、 すぐ傍の灌木の茂みに向かって走り込んだ。 「ごめんっそこの女の子まかせて良い!?」 「へ!?あ、うん。良いよ。分かったー」 「君も医務室行った方が良いんじゃ……?顔、真っ青だよ!」 「ありがとう!でも、大丈夫!じゃあ!!」 言うが早いか、茂みに飛び込み。 視界から外れるや否や、スティアが魔法で湖の方まで飛ぶ。 ぎゅっとおへその中を引っ張られる感じがした後、一瞬の酩酊感を体験し、 気が付けばあたしは湖から一番近い木の陰に移動していた。 そして、あたしが現在地を把握するその間に、目にしたもの。 それは、 「盗人は晒し者って相場が決まってるだろ。身体浮上!」 「っっっ」 奮闘虚しく、逆さまに宙吊りにされる、セブルスの姿だった。 結局、なにが起こるか分からない。 ......to be continued
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