不穏な影にご用心。





Phantom Magician、166





「マクゴナガル先生、遅くなりましたー。入りまー……」


ガチャリ、とノックとほぼ同時に開けた、変身術の教室。
だがしかし、そこに愛しのにゃんこではなく、お髭の素敵なおじいちゃんの姿を見つけ、 あたしは反射的に扉を閉めたくなった。


――せん!入りません!失礼しました、間違えました!」
「ふむ。間違えとりゃせんよ。開けアロホモラ
「ぎゃふっ」


が、まぁ、希代の魔法使いにそんな手が通じるはずもなく、 あっけなくも魔法で扉は開け放たれる。
ノブを掴んでいた自身の腕が引っこ抜けるかと思った。いや、マジで。

うああぁあぁあぁあぁあああぁぁ。
こうしてダンブルドアが出張ってくる時って、絶対なにかしらある時じゃん!
もう嫌な予感しかしないんですけど、ちょっと!?


「ええぇえーと。あの、あたし、マクゴナガル先生と補習のお約束がですね?」
「マクゴナガル先生はお忙しい身じゃから、急な出張が入ってのぅ。
わしが代わりを務めることになっておる」
「うぇっ!?」


いやいやいや、マクゴナガル先生とダンブルドアで、どっちが忙しいかは明らか過ぎるだろ。
っていうか、校長の代わりを務めるのが副校長なんじゃないのか。
役割反対だろ、それ。おかしいだろ、絶対!

と、この不自然な状況に内心で異を唱えていたあたしは、そこでふと、 ついさっきスティアに言われた言葉を思い出してしまった。

そう、『教師へのセクハラ反対』という、恐ろしい言葉を。

ま、ままままままさか!?
ついに、あたしの所業に耐えかねて、上司へ報告を……っ!?
ええぇえぇぇぇ!?
確かに、あんまりきゃわいいにゃんこなもんだから、 喉の下撫でたり、耳の下撫でたり、っていうか、全身くまなく撫でたりしたけど!
いや、だって相手猫だよ!?触るでしょ!?
触るのが普通でしょ、寧ろ!?
それでセクハラとか言われちゃうと、あたしもう猫を愛でられないじゃん!
嗚呼、いやでも、心がマクゴナガル先生な訳だから、先生的にはセクハラに……。
いやいやいや!でも、あたしそんなつもり一切なかったし!
痴漢して鼻息荒くしてるおっさんとかと一緒にされると心外としか思えないっていうかっ
でもでも、こういうのって、被害者の意識の方が大事なんだっけ?……あれ?

俄かに、自分犯罪者説が現実味を帯びてきて、あたしの顔からは血の気がさぁ〜っと引いていく。
と、すると、それをどう勘違いしたものか、ダンブルドアはにっこりと笑って。


「っっっ」


目の前の机を、立派なポニーに変えてしまったりする。
お、おおおお、脅されたってなにもでででででないよっ!?
ビッグDと違って、ピンクの豚ちゃんも多分似合わないしっ!

まさか、ダンブルドアがハグリッド並みの脅しをかけてこようとは露とも思わなかったあたしは、 ガタブルで、アミガサタケ(キノコ)が何個かくっついたかのようなデザインの杖を見つめる。
そ、そういえば、これって死の秘宝だったなぁーあははー。
最強の杖とかいうチート武器だったよねぇー。

…………。
…………………………。
やべぇ。マクゴナガル先生、本気だ。
実は、『動物もどきアニメ―ガスへのセクハラを考える会』の会長とかしてたらどうしよう。

これはもう、とりあえず土下座をするしかないだろうか、と思わず床に視線を落としたその時、 ダンブルドアは、しかし、意外な言葉を口にした。


「なに、そう心配せんでも、これでもわしは昔変身術を教えておったからの。
中々、教えるのは上手いはずじゃよ?」
「いや、あたしが心配しているのは、自分の今後の行く末なんですけど」
「?」
「??」
「「???」」


お互い、噛み合わない話に、疑問符が飛び交う。
がしかし、そんなこんなで、明らかに挙動不審な態度のあたしに対して、 ダンブルドアはその青い目でにこにこと、こちらを見るばかり。
そこには敵意も説教をする気配もまるで感じられず、なんだかまるで普通に補講に来たかのようだ。

その様子から、どうやら今すぐセクハラの件で怒られることはなさそうだと判断し、 あたしは、少しばかり前に進み、そのポニーの背中を撫でてみる。


「おおっ!あったかい!」
「気に入ったかね?では早速――……」


ビクっ


「ふむ?」


『ダンブルドア=意味深の塊』
そんな認識のあたしにとって、彼と二人っきりなんていうのは、 セクハラの件を抜きにしたって、恐怖でしかない。

そんな思いを反映してか体が硬くなってしまったりもしたが、 身構えるあたしが滑稽だったのか、ダンブルドアはどこか茶目っ気たっぷりに笑い。
美味しい紅茶を呼び出しながら、さらさらと黒板に、 あたしが丁度困っている変身術の基礎中の基礎についての理論を書きだした。


「お茶を飲みながらで良いから、少しばかり耳を傾けてくれるかの?
まずは、物体を変えるための基本の術式じゃが、
これは静物から静物に変える場合と、静物から生物に変える場合、 生物から静物に変える場合では、それぞれ形が違っていて――……」
「…………」


あれ?予想に反して、ふっつーに授業始まる感じ??

まぁ、確かにいつもの意味深な会話の時と違って、今は校長室ではない。
いつ人が来てもおかしくないっちゃおかしくない、休日の教室だ。
お茶が出てる辺りが普通の補習と違う点だが、和気藹々と授業しようということだろうか。
ぶっちゃけ、大歓迎ですけども!

ということで、まさかの校長御自ら変身術の講義を、マンツーマンでされるというVIP待遇なあたしだった。







「ふむ。大体こんなところかの?」
「…………」


ごくごくあっさりと告げられた補習終了のお知らせに、あたしは思わず時計を見た。
現時刻はというと、そろそろ夕食の時間も半ばを過ぎたあたりで。
4時間はみっちり勉強をしたという現実を認識した途端、どっと疲れが押し寄せる。
(自主学習の2時間をプラスしたらと考えると、うんざりする数字だ)
緩急つけた話し方やら、分かりやすい板書でなかったら、多分とっくの昔にリタイヤしているところである。

たかが数時間と侮るなかれ。
内容としては、1〜5年を網羅するという、鬼のような詰め込み具合だったのだ。

どうやら、なにがしかの情報から、あたしがそもそも、 変身術の基礎の段階で躓いていることを看破したらしいダンブルドアは、 特別メニューをわざわざ組んで、この補習に臨んで下さったということだった。
なんでも、国が違えば教える内容やらカリキュラムにも差が出るので、ある意味仕方のない措置なのだそうな。
(確かに、同じかけ算だって、インドじゃ20×20とか暗記してるみたいだもんな)

本来ならば、多忙な中、そんな余計な仕事を増やしてしまった、ということで、 足を向けて寝られないくらいの感謝を捧げるべき行為だ。
それは間違いないのだが、しかし。
疲労困憊なあたしの脳味噌が、そんな常識的なことを考えられるはずもなく。


「……校長先生、スパルタですね」


非難じみた恨みの声しか、出すことが出来なかった。
すると、校長は特段気分を害した様子もなく、したり顔で紅茶のおかわりを差し出してくる。
で、すでに飲み過ぎて水っ腹のくせに、反射的に受け取ってしまうあたし。
餌付けか?餌付けなのかこれは?
……でも、校長の入れる紅茶美味しいんだよなっ

結局、後悔すると知りながらも、あたしはティーカップを傾けた。


「そうかの?じゃが、このくらいしないと、後で困るのはじゃからのぅ」
「まだ、実技が混ざってれば違ったんですけどねぇ。延々座学は辛いです……」
「お主に必要なのは理論じゃから仕方があるまい。
実技については問題なしと、マクゴナガル先生から太鼓判を貰っておるよ」
「はぁ……そうですか」


これで、O.W.Lふくろう試験当日に実技が悪かったらどうするんだろう、この人。
ああ、いや。ショックを受けたりするのはどっちかっていうと、マクゴナガル先生か?

と、そんな風に、寮監かつ担当教師がぴりぴりする姿を思い浮かべていたあたしは、 だから、次のダンブルドアの言葉を、うっかりとスルーしてしまった。


なにしろ、死喰い人デスイーターを捕まえるくらいじゃからの」
「へ?あ、はい?」


なにを言われたのか聞き取れなかったため、もう一度聞こうとしたあたしだったが、 ダンブルドアはそれに気づかずにどんどん話を前に進めてしまう。
まぁ、大事な話なら繰り返すだろう、とあたしも呑気に会話を続ける。


「これは余談じゃが、しばらく外出は控えた方が良いじゃろう。
独りになるのも、あまりお勧めはせん」
「え、あ、はぁ……」


…………。
…………………………。
え、なにそれ。あたしの学力、そんなにヤバイの!?
休日返上で勉強して、しかも、友達連中のサポート必須ってこと!?
えぇえええぇえぇ?
流石に上位には入れなくても、平均くらいいけるんじゃないかと楽観視してたのに!
常々スティアが馬鹿にしてたのって、実は事実を言ってるだけだったとか!?嘘だろ!

我ながら、どよん、と周囲の空気が重くなったのが分かる。
すると、脅し過ぎたと思ったのか、「普段通りで大丈夫じゃよ」とダンブルドアも慰めてきた。
いや、どう考えても普段通りじゃ駄目だろ。
アンタさっき、「このくらいしないと」ってスパルタ、評してたじゃん!
ぐぬぬぬぬっ
仕方がない。ハーマイオニーじゃないけど、学習計画もうちょっときっちり立てとくか。

そうと決まれば、善は急げだ。
あたしは脳味噌に栄養補給をするべく、ダンブルドア先生にお礼を言った後、 猛然と大広間の夕食へ向かって走り出した。


「……なにごともなければ良いが」


もちろん、校長が呟いた言葉なんて、耳にせずに。







「たっまにっは、わっしょくがったっべたっいなぁ〜♪……っと」


流石に、変身術の教室からずっと走り続けることは無理なので、早歩きをすること数分。
すでに空腹を満たした生徒の姿が、ちらほらと廊下に見受けられるようになってきたので、 あたしは慌てて独り言を口の中に引っ込める。
平日のようにまとまって出てきた集団に聞かれるよりは良いのだが、 2人でも3人でも、独り歌っているところを見られたら、ぼっちと間違われかねない。

道に迷ってるような時は、全然他の人に会わなかったりするのに、人生ままならないよねぇ。
え?今日はいつものように迷ってないのかって??
ふふん。確かにあたしは方向音痴だけど、道を覚えちゃえば、迷ったりしないんですよ?奥さん。
あたしが迷うのは、イレギュラーが起こった時がほとんどだということを、思い出してほしい。
今回のように、変身術やら魔法史やらの教室から大広間は、昼食の時によく使う道のりなので、 数か月も生活していれば、きちんと覚えられるのである。

そして、なんとか夕食には間に合いそうだなーと、あたしが胸を撫で下ろした時だった。
ふと、こっちに向かって歩いてくる人影が、ひらりと手を振った。
……これはあれだ。自分にかなーと思って手を振り返したら、 実は背後に人がいたっていう、よくあるパターンの奴!
あれ、間違いに気付いた時が一番恥ずかしいんだよねー。

が、まぁ、万が一ということも考えて、一応背後を見てみる。


「…………」


あれ。誰もいない。

視線を戻す。
……やっぱり、手を振っている。


「……え、あたし?」


思わず自分を指さして確認すると、人影はこっくりと頷いた。
はっきり言って、遠目に見る限り、見覚え皆無な二人組なんだけど、一体誰なんだろうか。
背格好からすると、同年代男子に見えなくもない……けど。
外人さんの年齢ってさっぱり分かんないんだよねぇー。
最初、天使かってくらい可愛いのに、いきなり老けるじゃん?
ラ○クリフとか、3、4巻でいきなり男臭くなってすげぇショック受けたよ。

まぁ、最近(O.W.Lふくろう試験間近)多い知ったかさんかな?と、 適当な当たりをつけて、あたしはなんの警戒もなくそちらへと近づいていく。


「やぁ、ミスター 。ひょっとしてこれから食事かい?」
「はぁ、まぁ、そうですけど」


和やかに掛けられた言葉に、しかし、 あたしは怪訝な表情になるのを止めることができなかった。
知らない人間に話しかけられたから、ではない。
ここは日本ではないので、やたらとフレンドリーな人間がいるっていうことに、あたしだっていい加減慣れた。

ただ、どうして?という気持ちは消えない。
何故なら、目の前の青年の首にあったのは……緑色のタイだったから。
思わず、相手から2〜3mのところで足が止まる。


「何かご用ですか?」


スリザリンでも、女子と話をしたことはある。
だが、この数か月の間に、スリザリンの男子から単独で声を掛けられた、なんていうのは、 クィレル先輩(変わり者)を除いて皆無だった。
しかも、穏やかにとか、レアすぎるんじゃないか?あたし、グリフィンドールだぞ?

あんまり疑ったりはしたくないが、こうなるとなにか裏がありそうに感じてしまう。
と、あたしの警戒が分かったのだろう、さっきからしゃべっている方のスリザリン生が、 一瞬、こちらを馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
……うわぁ、回れ右してぇ。


「いやなに。君にちょっと訊きたいことがあるんだ」
「はぁ……」
「なに、大したことじゃないよ。ただ……――


どこか勿体ぶった話し方は、どこかマルコを髣髴とさせる。
ついでに言うと。



――君、クリスマスにホグズミードにいたよね?東洋人の女の子と一緒に。



「…………は?」


ちょっと的外れな辺りも。


「あれ?違ったかな?」
「……そうですね。申し訳ないですけど、人違いだと思います」


自信満々でドヤ顔してるところ悪いけど、 あたしには東洋人の女の子の知り合いなんてものはこの世界にいないのだ。
それなのに、一体どうやってクリスマスデートなんてものができるんだ?
確かに、クリスマスの日にリーマスとホグズミード行ったけどさー。
周りに人なんてほぼいなかったんじゃなかった?


「っていうか、そもそもクリスマスは店やってないんじゃ……――


と。
クリスマス当日を思いながら、そう呟いたその時に。
あたしの脳裏に、蘇る光景があった。

美しい街並みと。
輝く銀世界。
そして。



そして、燃え盛る焔に。
ダミーへ投げつけられた、緑の閃光。



「っ」


それに気づいた瞬間、ぞくっと背筋に悪寒が駆け巡る。

あのクリスマスの日。
東洋人の女の子なら、いたじゃないか。
死喰い人デスイーターに姿を晒して、時間稼ぎをした、女の子――あたしが。

思わず、適当にしか見ていなかったスリザリン生の表情を、見つめる。
そこには、どこか拍子抜けしたような、納得がいかないような複雑な色の中に、


「おかしいなぁ。確かに、東洋人の女の子がいたはずなんだけど」


ぞっとするような、冷たい敵意が混ざっていた。
見れば、その手はポケットの中に納まっており、隙あらば杖を取り出そうという意思が感じられる。
もちろん、それは隣でひたすら無言の青年もまた、同様に。

クリスマスの日にいた東洋人の女の子に、見ず知らずのスリザリン生が敵意を持つ理由。
それは……なんだ?
なにが考えられる?


『しばらく外出は控えた方が良いじゃろう。
独りになるのも、あまりお勧めはせん』



何故、ダンブルドアはあんなことをわざわざあたしに言った?

今更ながらに、校長が出張ってきた理由が、あたしの背筋を冷やしていた。
諸々気になりはしたものの、嫌な予感に、できるだけ早く会話を切り上げようとあたしは首を振る。


「ちょっと心当たりないですねー。すみません」
「本当に心当たりはないのかい?君、だってクリスマスにホグワーツに残ってたんだろう?
親戚が逢いに来たっていう可能性とかもあるんじゃないかな」
「……いや、なにしろ遠いですからね。こっちに親戚もいないし。
親戚が逢いにっていうのは、まずないと思いますよ」
「じゃあ、友達とかはどうだい?」


がしかし、向こうは引く気はさらさらないらしく、なおも食い下がってくる。
今や、指先は緊張で氷のようになっていたが、それを押し隠し、あたしはことさら朗らかに返答した。


「来れば連絡の一つも寄越すでしょうし。分かりませんねぇ」
「…………」


そして、目を細めてこちらを伺う彼らに、表情がいい加減引き攣りそうになっていると、 よく話す方の青年が、今までずっと無言だった方へと声をかける。


「どう思う?エイブリー」
「……そうだな。嘘は吐いていないようだが、気になる部分もある」
「ということは?」
「……今なら、教師に見られる心配はないだろう」


不穏な響きの会話に、今すぐ踵を返したいところだが、 背中を彼らに向けるのは非常に勇気がいった。
だから、あたしは自分に杖が向けられる様を、網膜に焼き付けるように見入ってしまう。

距離が、ない。
逃げられない。


苦しめクルーシオ


閃光が一直線に自分目がけて飛んできて、とっさに顔を覆う。


「っっっ」
「「!」」


がしかし、何かが弾かれるような音がした他は、痛みも苦しみも、なにも感じられなかった。
おそるおそる顔を上げてみると、スリザリン2人組は杖を掲げた状態で、 酷く気分を害したような、苦々しげな表情をしていた。
もちろん、あたしが魔法で咄嗟に防いだ、なんてことはない。
となると、誰かが助けてくれた……?

ぱっと思わず背後を振り返ると、そこには、予想外の姿があり、あたしも思わず目を丸くする。


「こんな場所で『許されざる呪文』を使うとは……随分と浅薄だな」
「「「!」」」


いつもなら、ここで黒猫さんか金髪の美青年の登場があるところだが、 生憎、頼れる案内人は必要の部屋に籠っているはずなので、ここにはいない。
そこに立っていたのは、誰あろうスリザリンの監督生クィリナス=クィレル先輩だった。





目には目を。歯には歯を。毒をもって毒を制す!





......to be continued