人間、思いこみっていうのは一度してしまうと、なかなか訂正できないものだ。 だから、それにつけこまれ、認識を歪められたら、どうしようもない。 Phantom Magician、61 「編入生?貴方が?」 半ば茫然とした呟きに、と名乗った少年は微笑みながら頷いた。 そのあまりにも当然のことを言っている様子に、しかし、私は混乱を禁じ得なかった。 確かに、他の魔法学校と交流はある。 だがしかし、過去、ホグワーツにおいて転入や転出があった記録などはない。 恐らく、他の学校でもないのではないのだろうか。 その要因として、魔法学校のほとんどが全寮制であることがあげられる。 マグル達は引っ越しなどで住居が変わると、新しい学校に入ることがある。 しかし、それは遠くて通えなくなるからであって、寮で暮らす分には転校の必要性はないのだ。 それなのに、目の前には転校してきたという少年がいる。 それは、私にとって未知の領域だった。 「一体、どこの学校から?ダームストラング校?」 「いや、違うよ。……ホグワーツにとても似ていて、でも決して同じじゃない所」 『……』 僅かに苦笑する少年を、改めて見てみる。 どうみても東洋人と思しき人だったが、 しかし、自分にはそれが中国人なのか韓国人なのか、または日本人なのかさっぱり分からなかった。 留学でもしているのかしら?それとも、東洋の魔法魔術学校から? いずれにしても、目の前の人物が酷く例外的なのだということだけは理解できた。 「分からないわ……。一体どうして転校なんて?」 そう問えば、は一瞬、ほんの一瞬悲しげに表情を歪めたが、やがて先程と同じ笑みを貼り付けた。 それは、おそろしく社交的で。 西洋人であれば、まず浮かべることのない笑みだった。 「うーん。家庭の事情って奴だよ。詮索しないでくれると嬉しいな。えーと……」 「リリーで良いわ」 こちらを見ながら、困ったように言い淀む彼に、私はそう言った。 恐らく名前を言った時に上手く聞き取れなかったか、聞いていなかったかだ。 そう思いながらの一言だったが、それは恐ろしく効果的な一言だったらしい。 は、その名前に大きく目を見張って、私をじろじろと無遠慮に見つめてきた。 「君が……?リリー?リリー=エバンズ??」 「そう言ったつもりだったけれど、言い間違ったかしら?」 あまりにデリカシーに欠ける視線に、つっけんどんな物言いになってしまった。 すると、彼は慌てて謝罪し、どうにかその場を取り繕おうとした。 「ああ、ごめんなさい!まさか、こんなすぐに出会えるとは思ってなかったから!」 「出会える?私のことを知っているの??」 「へ?あ、えーと、すっごく頭が良くて可愛い子がいるって聞いてたから……」 『……馬鹿』 怪しい。 何故だか、酷く泳いでいる目も、直前に見せた「あちゃー」という表情も、何もかも。 露骨に、訝しがっている表情を作ると、は話題を逸らそうと試みた。 「えーと、あの……そうだ!リリーはコンパートメントを探してるんでしょ? じゃあ、此処にいなよ。まだ席空いてるからさ」 「……そうね」 しばし考えて、この人物から目を離すという行為が許容できなかった私は、彼の斜め向かいにゆったりと腰を下した。 それに、やっぱり目の前の人物に好奇心が刺激されたせいもある。 (本来ならコンパートメントを確保する必要もないし、早く監督生の集まりに参加しなければいけないのだけれど) だから、私はいつでも距離をとれるようにしておきながら、彼と会話してみることにした。 「……可愛い猫ね?名前は?」 「あー、コイツ?いや、可愛いっていうか生意気なんだけど……。 名前はスティアっていうんだ。でも、呼ばない方が良いと思うよ?機嫌悪くなるから」 「あら、そうなの?でも、それなら貴方はなんて呼んでいるの?」 「いや、普通に……。だよね?スティア」 『一応、君の案内人だからね。それで呼ばれるのも許してあげるよ』 黒猫は、ちろりと主人を見やった後、つまらなさそうに「にゃー」と一声鳴いた。 「だって。すげぇ、生意気でしょ?」 「そうかしら?とっても可愛いと思うわ」 「どこが?確かに見た目は可愛いかもしれないけど、どこが?」 ものすごく不可解そうに眉根を寄せる少年に、男の子はそんなものかしら?と思う。 よくよく考えてみれば、 男子はふくろうやネズミ、タランチュラ、カエルなどを連れている場合がほとんどで、 猫はあまり好まないように思える。 同じ生きものなら、ふくろうの方が郵便も運んでくれるし便利だからだ。 どうして、好いてもいない猫を連れて、ふくろうを持っていないのか、試しに訊いてみた。 「や、猫は好きだよ?猫は。手紙関係なしに飼うんだったら猫を選ぶね」 「あら、そうなの?」 「そ。んで、ふくろうって苦手なんだ。鳥は好きなんだけど。 それに手紙届ける相手も特にいないし……」 『はトラウマあるもんね。あのクロースとかいうのに』 「煩いなぁ。ヘドウィグは可愛いと思ったよ!真っ白もふもふで!」 『最初、逃げ腰だったじゃないか』 は猫を相手に、独り言を言っていた。 それにしては随分はっきりとしていて、まるで会話のようなそれだったが、 私には黒猫が時折にゃごにゃご言ってるようにしか聞こえない。 そこで、ふと閃くものがあった。 「貴方、ひょっとして猫と話せるの?」 「え?あ、うん。っていってもスティアの言葉しか分かんないけど」 「私、今まで猫を飼っている魔法使いをたくさん見てきたけど、話ができる人は初めて見たわ」 感心してそう言ったが、彼はそれに対して少しバツの悪そうな表情をするだけだった。 「あー、日本では、魔女は黒猫がお供で話ができるのが当たり前なんだよ。 それで、宅急便しながら生計を立てるんだ」 『いい加減、ジ○リを例に挙げるの止めなよ』 「世界のジブ○を馬鹿にすんなよ」 少し置いてきぼり感のある会話だったが、私はその一言で彼が日本人だということを知った。 「じゃあ、貴方は日本人なのね?」 「うん。そうだよ」 「東洋のどこかだとは思ったんだけど、てっきり中国人かと思ってたわ。 それにしても、日本では魔女は黒猫って決まっているのね。知らなかった。 でも、貴方は魔女じゃないし、フクロウもとても良いものよ?」 一息にそう言うと、は酷くキョトン、とした表情になった。 目を丸くしてこちらを見てくる様はまるで邪気がなく、僅かに傾けられた首にさらさらと髪が滑る。 「は?僕が魔女じゃない?何でそんなこと分かるの??」 「何でって、見れば分かるわよ。確かに貴方は綺麗な顔立ちだけれど、女の子には見えないわ」 その仕草や表情が、涼しげな雰囲気とは打って変わって可愛らしく、 思わず微笑ましく思っていると、はしかし、私の言葉に大げさな位反応した。 「……僕って男顔だったの!!?」 「は??」 「いや、確かに常々女の子らしくはないと思ってたけど! でもまさか面と向かって言われるなんてっ!! 酷いよ、リリー!幾ら僕でも、そんなこと言われたら傷つくって! 僕がリリーに一体何をしたっていうのさ!?」 「ええっ?」 突然にうろたえだしたに、こちらこそ面食らう。 どちらかと言えば褒めたつもりだったのに、そんな涙目になられるとどうして良いかまるで分からない。 『女の子には見えない』なんて何気ない一言で傷つくなんて……。 え?あ……もしかして……っ!? 『あー、言い忘れてたけど、今の君、男に見えるようにしてあるんだよ』 「は!?何それ!?」 『だって、あの狼男と仲良くなるには女の子よりも男友達のがすんなり行くじゃないか。 それに、女の子が男子寮にずかずか乗り込んでくのはどうかと思うんだよ』 「おっまえ!なんてことしてくれたんだ!?それじゃ、僕がリーマスにアタックできないじゃんか!」 『すれば良いじゃないか』 「お前は僕にホモの濡れ衣を着せたいのか!?」 『外国は日本よりはそういうの寛容だから大丈夫だよ』 「僕が大丈夫じゃねえぇえぇえぇー!!」 ほとんど半狂乱になって、少年は猫の首を絞めていた。 それに対して、気づけば自分のカートを掴んでコンパートメントから出ようとしている私。 どうにかこのまま気づかれませんように、とドアに手を掛けた所で、彼はそれに気づいた。 「わぁ!?待って待ってリリー!行かないで!怪しいもんじゃないから!」 「どこをどう見ても怪しいわ!ああ、いえ、勘違いはしないでね? 別に同性愛がいけないことだって言ってる訳でも、女装趣味が悪いって訳でもないのよ? でも、私はここにいない方が良さそうだから……」 「いやいやいや!居て!っていうか居て下さい!」 は必死だったが、こっちも必死だった。 悪い訳ではないが、どうしても私の理解の範疇を超える。 何故もっと早くこの決断をしなかったかと悔んだが、その悔やむ間に、彼はこちらに杖を向けていた。 「開くな!」 呪文を言ったわけではない。 しかし、その命令に杖は白い光線を発し、慌てて飛び退いたドアへと直撃した。 その後は、いくら私が押しても引いても、ドアはビクともしない。 「!?どうしてっ!誰か!セブ!!」 「……言っておくけど、この部屋の話は外には漏れないようにしてあるんだ。 反対に、外の音も入らないけどね。だから、助けを呼んでも無駄だよ」 『……すっかり悪役のセリフだね、』 どこかの三流役者のようなセリフを言いながら、杖を私に突き付ける。 それにどうにか抵抗しようと、私は手にしていたカートの柄に力を込めた。 「とりあえず、落ち着いて。別にとって喰いやしないから」 「杖を突き付けられて、落ち着いてなんていられるはずがないでしょう!?」 「いや、まぁ、それはそうなんだけど……」 こうなると、カートの中の杖の存在が酷く頼りなく感じる。 まさかこんなことになるなんて思いもしていなかったから、まだ出してもいなかったのだ。 次からは杖を肌身離さず身に付けていようと、決意する。 そして、同時にどうやったらこの窮地から脱出できるかについて思考を巡らせた。 どの程度相手の話を信じていいものか分からないし、どうやったら注意をそらせるかしら……。 しかし、考えあぐねている私の前で、彼はもう一度杖をふるった。 そして、途端にコンパートメントを覆う窓という窓が一瞬だけ鈍く輝く。 一体何をする気かと身構えていると、彼はおもむろに来ていたローブを脱ぎ出した!? 「なっ!?」 『ちょっ!?何やってんの、!』 「煩い!」 『煩いじゃない!公衆の面前で何やってるんだ!』 「マジックミラーにしたから、公衆の面前じゃねぇ!」 あわや貞操の危機かと、本気で冷や汗が吹き出している私を余所に、彼はどこ吹く風で下着姿になっていた。 引き締まった体躯と……女性物のランジェリーが一瞬、視界をよぎる。 「よしっと。これで信じてくれた?リリー」 なんとも無邪気に笑いかける少年に、眩暈がした。 一体、何を、どう信じろって言うの? 寧ろ、自分の女装趣味疑惑が確定したようにしか思えない。 が、確定したところで、それは私の身の安全を保証するものではないのだ。 同性愛者でも、女性が愛せないワケではないのだから。 (確か、どこかの国では同性愛者を装って女性を襲った男とかいうのが話題になっていたはずだ) 自分で考えておきながら、その想像に思わずぞっとする。 「ね?どっからどう見ても女でしょ?」 「どこからどう見ても、貴方は男だわ!近寄らないで!!」 その言葉に、しかし、はやっぱりキョトンと不思議そうだった。 「ちょっと、スティア。どういうこと?」 『とりあえず服着て!服!なんて格好してるんだよ!?』 「いや、だって見せた方が早いじゃん。何焦ってんの?」 『あのね!君が幾ら服脱いだって、君は今、魔法で男の子として彼女に認識されてるの! それなのにいきなり服なんて脱いだらただの変態だよ! っていうか、多分ブラつけてる男にしか見えないって!この変態!!』 「はぁ!?何それ!意味分かんないんだけど!」 にゃごにゃご必死に話しているらしい黒猫と話していたかと思えば、は私の方へと視線を向けてきた。 思わず、ビクリと体が震える。 すると、彼は途端に申し訳なさそうな表情になった。 「ごめん。えーと、すぐ魔法解くから。スティア!」 『はいはい……。終わったら早く服着てよね』 そして、何故だか猫の名前を呼んだ少年は、見る見る内に、少女へと姿を変えた。 もっと大きかったはずの体躯は、自分とそう変わらないものに。 涼しげだった目元は、もっと柔らかく優しげな印象に。 そして、何より全体のシルエットが、女性のものとしか思えない丸みを帯びたものへと変わっていった。 私は、それを悲鳴を呑み込みながら見ていることしかできない。 そして、完全にその変化が終わったところで、少年――いや、少女は小首を傾げて見せた。 「えーと、もう大丈夫?あたし、ちゃんと女に見える?」 「あ……あ、あ…………」 豊かな胸が下着の合間から見えていても、私は目の前の出来事が受け入れられずにいた。 「う、嘘よ……未成年の魔法は、禁止されているわ……」 「リリー……嘘じゃないよ。あたし、れっきとした女だよ?」 「嘘よ!だったらどうして、性別を変える必要があったの?それに、それはとても高度な魔法だわ!」 「それは……、まぁ、色々あって」 どうしよう、とばかりに少女は視線で黒猫に助けを求めた。 『……はぁ。分かった。じゃあ、僕の言うことを繰り返してよ』 そうして、彼女は己の身の上話を始めた。 流石に裸を見せつけられた上で告白されたら、思いこみなんて吹き飛ぶけどね。 ......to be continued
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