こっちを見てくれと、声がする。 Phantom Magician、158 「そんなに嫌なら、家を出れば良い」 冷静に、淡白に。 そう言った弟は、今までに見たことのない表情をしていた。 「レギュラス……?」 呆れた表情をされたことはある。 困った表情も何度もさせた。 でも。 「出て行ったら良い。この家にシリウスはいらないから」 これだけ冷たい瞳を向けられることだけは、なかった。 俺は実家が嫌いだ。 久々の帰省だというのに、会話らしい会話もない帰路。 見栄とプライドで凝り固まった母親の冷たい横顔。 なにを思い返してみても、これは一般的な家族ではないように思う。 『家族』っていうのはもっとこう……ジェームズの家のような物を言うんじゃないのか。 馬鹿な話で盛り上がって。 偶に喧嘩をしながらも、最後は温かい手料理で機嫌を治す。 そういう関係が、そうだと思う。 ただ血がつながっているだけなら、それは『家族』なんかじゃない。 同じ家に住んでいるというだけでも駄目だ。 『一緒にいる』こと。 これが、きっとなによりも大切なことだろう。 分かってはいるというのに。 けれど、自分にはそんな『家族』は一人だっていなかった。 別に、生粋のお嬢様として育ってきた母に手料理を作れとは言わない。 (それよりも屋敷しもべ妖精の作るものの方が美味いのは確実だしな) ただ、そう。 例え料理を作らなくても。 家事なんて何一つやらなくても。 もっと母親らしくあって欲しいと思ったことはある。 そういう人間がいることを知っていたから、なおさらに。 今より随分幼い時に、褒めて欲しい、笑いかけて欲しいと願ったことくらいはあるさ。 それが、叶わない望みだとは知らなかったから。 物心つく前から、母が自分に求めたのは「ブラック家の長男として恥ずかしくない息子」だけだった。 だから、そうじゃない振舞いばかりの俺は自然、叱責ばかりを受けるようになって。 おかしいのは俺なのかと思った。 闇の魔術に傾倒している家族やら親戚連中が嫌いな自分は、 闇の帝王が周囲を苦しめているのに憤りを感じる自分は、なにかおかしいのか、と。 ……まぁ、そんな殊勝な考えは、ホグワーツに行った途端、消え去ったけどな。 親が「碌なものじゃない」って言ってたマグル生まれの連中は、自分となにも変わらなかったし。 エバンズに至っては、女だというのにかなりの腕の持ち主だ。 そうして、純血主義がどれだけ馬鹿な考えかを肌で感じれば、それ以外の親の考えの歪さにも気が付いてしまう。 自分の考えを持つようになってくれば、もう、親の言葉なんて耳を傾ける価値すら見いだせなかった。 そう、結局のところ、俺がおかしいんじゃない。 俺の家がおかしかったのだ。 我ながら、よくその中で悪の道に染まらなかったものだと思う。 今では、闇の魔術に傾倒しきり、自分たちが王族ででもあるかのように振る舞う様子には吐き気を催すくらいだ。 「…………はぁ」 だから、クリスマス休暇なんてのは煩わしい物でしかなく。 学校でのクリスマスパーティーが賑やかで楽しかった分、 実家に辿り着いた時の薄暗い感覚は、体に、いや、心に堪えた。 調度品の類は一級品だから、家の中は一目見ただけでも圧倒されるくらいの美しさだ。 シャンデリアは明るく灯り、窓の類が少ない割には部屋の中は光で満ちている。 がしかし。 それだというのに、俺にはなにか黒い幕が下りているように感じられた。 ここでは。 暗くて、淀んだ空気が周囲を覆っている。 自分の家だというのに、どうしても馴染めない。 それはもう、水と油のように。 「おかえりなさいませ、お坊ちゃま」 「ただいま、クリーチャー」 「お荷物をお持ちしましょう」 「いや、自分でやるから必要ない」 「しかし……」 「それより、母上に飲み物をお持ちして差し上げてくれないか」 「かしこまりまして」 と、気がつくと、隣では、レギュラスがそつなく屋敷しもべ妖精と再会を果たしていた。 まぁ、俺と違って『良い子』のコイツのことだ。 こんな家でも、なんの気兼ねもなく生活していけるのだろう。 が、しかし。 俺には、背後で威圧するかのように背筋正しく立っている母に監視されながら、 指折りホグワーツへ戻る日を数える毎日が待っている。 「なにをしているのです?早くお入りなさい」 「…………」 高圧的な言葉に、苛立ち交じりの視線で応え、俺はずかずかと毛足の長い絨毯を踏みしめた。 汚れ一つなかったそれに土が付くが、知ったことか。 クリスマスのプレゼントが届く時以外は、部屋に籠城することを心に決め、 俺は屋敷しもべ妖精の生首が並ぶ階段を駆け上がる。 ……生まれ育った家なので最初は違和感なんてなかったが、 よく考えると、正直、このセンスは名門のお貴族様にしては酷すぎると思う。 何で生首飾ってるんだよ。 しかも、ユニコーンだのなんだのといった美しい代物ではなく、 よりによって不細工な屋敷しもべ妖精どもだ。 呪われそうだとか思わないのだろうか。 ……嗚呼、でもクリーチャーの奴の夢はこの生首の仲間入りすることらしいから、 案外、家の守り神みたいになっているのか? ……考えただけで気色悪いが。 うっかり、ゴーストのように家の中を漂う屋敷しもべ妖精を思い浮かべてしまい、 げんなりと肩を落とす俺。 その後ろ姿をじっくりと見つめている目があることに、しかし、その時の俺は気づくことができなかった。 一日目は、学校で出された課題を片づけ。 (流石に名門と言われるだけあって、参考になる蔵書はいたるところにあった。 もっとも、『マグル学』以外は、だけどな) 二日目は、学校へ戻る為の準備を整えた。 (持って行こうと思っていた物を詰める程度で、さっさと終わってしまったので、 鬱憤を晴らすためにも、部屋の壁にマグルのグラビアポスターをべったり貼り付けてやった。 俺がいなくなった後に、金切り声を上げる母の姿が見えるようだ) そして、三日目に、俺はいい加減嫌気が刺してきたので、クリスマスの買い出しと称してダイアゴン横丁を訪れた。 クリスマス間際で、稼ぎ時とあって、そこは人波で息が詰まりそうなくらいだ。 けれど、不思議と、閑散とした家の中よりも、ずっと大きく息が吸える場所だった。 親に手を引かれて箒を眺めている子どもや、欲しい物をねだってごねている姿など、 鬱陶しいだけの光景が、酷く目に眩しい。 沈んでいた気持ちが引き上げられるような心地がしながら、俺は手当たり次第に店の中を覗いていった。 で、数時間後。 あらかたの奴への買い物は済んだのだが、ここで一つ大きな悩みが出てきてしまった。 「へって、なにやったら良いんだ……?」 目の敵にしていた、妙な転入生。 だけど、最近はそれなりに仲良くもなってきたし、プレゼント位はやらないとマズイ気がする男。 (あのお人よしな性格だ。絶対に俺にもなにか寄越してくるに違いない) がしかし、嫌がらせに終始してきた時間の長かった俺にとって、 あいつが喜ぶものなんて分かるはずがなかったのである。 知らねぇよ、あいつの好みなんてっ! 「…………っ」 いやいやいや。よく考えてみろ、俺! 一応、ストーカー紛いのこともしていた訳だし、 ちょっと思い出せばの好きそうな物なんて分かりそうなものじゃないか! そして、あの馬鹿が嬉しそうにしている表情を必死に思い浮かべ。 「……リーマス関連しかねぇっ!!」 驚愕の事実にブチ当たる。 いや、エバンズと楽しそうに話してるだとか、下級生の女子に囲まれているだとか、 そういう光景も浮かぶには浮かぶのだが、如何せん、リーマスが関わっている時と比べることはできそうにない。 となると、リーマスが関係している物をくれてやるのが一番喜びそうなのだが、 そんな物がダイアゴン横丁に売っているはずがなかった。 っていうか、本人以外の誰が持ってるんだ?そんなもの。 かといって、 「にやるから、お前の私物を俺にくれ」……? …………。 …………………………。 …………言えるか馬鹿! ただでさえ、金銭的に困窮しているというリーマスにそんなことが言える訳もないし、 っていうか、自分が好きでもない相手が、自分のものを大事に持ってるとか普通に気持ち悪いわ!! 偶に私物を盗んでいこうとする変態がいるが、正直、悍ましさ以外のなにかを感じたことはない! そんな申し出をしたが最後、血を見る結果になるだろう。(もちろん俺の血だ!) 「エバンズとなにか揃いで買ったりなんかしたら、ジェームズの奴が煩そうだし。 っていうか、エバンズになにかやったら送り返されるだろ、絶対」 ぐぬぬぬぬ、と考えれば考えるほどに、深みに嵌っていく思考。 他の物はすんなりと決まっただけに、刻一刻と過ぎていく時間が恨めしい。 なら、適当な物をやれば良いと思わなくもないが、 変な物を送って「あいつセンスねぇー。マジウケルw」とか言われた日には、腸が煮えくり返りそうだ。 どうせなら、の奴をギャフン!と言わせられる位の物を送りつけてやりたいところである。 がしかし、そんな物はそうそう思いつくはずもなく。 自然と、あいつと今までに交わした会話をリピートしていく。 ぐるぐる、ぐるぐると。 で、考えに考えた俺の頭に、ふっと、あいつに最後に会った時の出来事が再生された。 『ほんと、シリウスとかなら分かるけど、僕の奴なんかどうするんだろうねー』 あれはそう、ひたすらにくたびれた表情をしたあいつが、駅にエバンズやらなにやらを見送りに来て、 知らない間に俺たちの『あれ』が出回っていたのを、偶々見つけた時で。 (コイツ、案外鈍いところがあるんだな、と思ったのを覚えている) それで、少し話をして。 それで――…… 『お前なら、リーマスのが欲しいとか言い出すんだろ?』 『いや、そりゃあそうだけどさ。買ったら怒られそうだし。 それに、どうせなら自分で色々とりたいよねー』 「!!!」 どこか物欲しそうにしていたその横顔を思い出し、そこでプレゼントが決定した。 となれば、善は急げということで、俺はグリンゴッツへ向けて駆けだす。 途中、いきなり走り出した俺に通行人が悪態を吐いていたが、 そんな物はすっかり自分の考えで興奮していた俺の耳には入ってこなかった。 目当ての物は、マグルの町に繰り出し、適当な主婦を捕まえて道を聞けば、すぐに見つけることが出来た。 しかも、なんと日本製! 俺にはなんとも分からない感覚だが、日頃から「日本食が恋しい」だのなんだのと言っていて、 あいつは自分の国が好きらしいので、メーカー名を見ただけで喜ぶこと間違いなしの逸品だ。 「思ったより安かったし、我ながら良い買い物だったな」 そもそもの相場が分からない上に、高額な商品だと聞いていたので、 実は結構な大金を下ろして来た俺にとって、提示された金額は拍子抜けするくらいだった。 まぁ、流石に自分でも持って来すぎた自覚はあったんだけどな。 変なテンションだったし。 それに、魔法界の金と違ってぺらぺらの紙に価値があるとか、やっぱり少し疑わしいせいもあるよなぁ。 最初換金した時、あんまり軽いもんだから、慌てて追加しちまったじゃねぇか。 残念ながら、マグルの世界に梟郵便は存在していないので、 荷物を送るためにももう一度ダイアゴン横丁へ行かなきゃな、と来た道を引き返す。 金も戻さなきゃいけねぇし。 っていうか、マグルの連中は住所?とかいうのがないと荷物も送れないとか、面倒じゃねぇのか? 一体、普段どうやって生活してるんだよ。ったく。 姿くらましできれば早く済む用事だが、如何せんまだ未成年の自分はそんな気軽に学校外で魔法なんぞ使えない。 歩くことが嫌いではないのだが、時間を無駄にしているような気がして、俺はこの時、若干以上うんざりしていた。 だから、だろう。 「!」 通りがかった店で、それに目を奪われてしまったのは。 つやつやと輝く漆黒の体に、曲がりくねったパイプ。 大の大人でさえ普通に見えてしまいそうな、圧倒的な存在感。 大型のバイクが、そこには鎮座していた。 「…………」 一目で心を鷲掴みにされたその威容に、思わずそっと手が伸びる。 隣には寄り添うように白いサイドカーが付いており、荷物などを運ぶのにも便利だろう。 こんな風に面倒な移動に時間を取られることもない……。 と、しかし、そんな俺に店の人間が気づくと、手垢を付けられるとでも思ったのか、 それはもうぞんざいに「冷やかしは帰れ」などと怒鳴ってきた。 ……正直、むっとした。 頭ごなしなところも、こっちを舐めてるような態度も全部気に入らない。 水を刺された気分で、気が付けば店の親父を睨みつけ、 俺の口からは、殊更馬鹿にしたような言葉が飛び出していた。 「なんで俺が冷やかしなんだ。金ならあるぜ?」 「あぁ?どこぞのボンボンか?金があってもお前、免許なんぞ持ってるのか?」 「免許?……あるに決まってるだろうが!」 そういえば、マグルの鉄の乗り物には免許が必要だったな、と思い出した俺は、 そんなものもちろんないにも関わらず、大声で啖呵を切っていた。 ボンボンだなんて、馬鹿にされて引き下がっていられるか! がしかし、流石にそこは玄人。 俺の嘘を見抜いたらしく、ずいっとそのソーセージのように太い指を突き出してきた。 「ほーう?なら見せてみろ」 「……っ今日は歩きだから持ってきてねぇよ」 「なら売る訳には行かねぇな。そもそも、こんなガキにいきなり売る店なんざ、ある訳がねぇ。 他にも車庫証明に保護者からの同意書やらなにやらいるんだぜ?お坊ちゃん」 「っ」 「世間知らずはお家に帰んな」 分かりやすく侮蔑の視線を寄越されたものの、しかし、それに反論できない自分。 そのことに凄まじいまでの怒りが込み上げてきたその時だった。 自分に、小山のような大きな影が差しかかってきたのは。 「シリウスか?おめぇさん、こんなところでなにしちょる?」 「!」 幾度となく聞きなれたその声に、ばっと背後を振り返ってみると、 店の親父が子どもに見えるくらいの体格をした、大男が立っている。 マグルへの変装のつもりなのか、雨でもないのにピンク色のビニール傘を持っていたのが少し間抜けだった。 「ハグリッド!」 「な、なんだ、このデカブツ!」 だが、天の助けとばかりに顔を輝かせた俺と違い、店主はぎょっとしたように足を引いた。 その二者の雰囲気に、ハグリッドも察するところがあったようで、 じろり、と店主の方に視線を向ける。 「この子がなんか?」 「い、いや。その……買う気もねぇのに、商売の邪魔してやがったんだ」 「してねぇだろ!買う気だってある!」 「証明もなにもないくせになに言いやがる!」 そして、俺相手になると途端に居丈高になる親父に歯噛みしながら、 なおもぎゃんぎゃんと口論していると、「シリウス、おめぇこのバイクが欲しいんか?」と、 事情を理解したハグリッドが尋ねてきた。 「そうだよ!」 「だが、おめえさんの家族は嫌いだろう?マグル製品は」 「っ」 そして、暗に示唆された内容に、言葉が詰まる。 分かっていたはずのことを。 しかし、理解りたくなんてなかった現実を突き付けられた気分だった。 今、自分が持っている物だってそうだ。 たとえどんなに素晴らしいものだって、マグルが作ったというだけで価値を無くす。 それが、俺の家の『常識』。 決して変わることのない、両親の主義主張。 そんなところに、こんなものはたとえ買えたとしても持っては帰れなかった。 すぐに消失させられるのがオチだからだ。 店主が、思わぬ味方ができたと顔色を明るくさせるのを横目で見ながら、悔しさに拳を震わせる。 ハグリッドが悪いんじゃない。 意地が悪くて言っている訳でもない。 寧ろ、俺の為を思うからこその言葉だとは分かっている。 けど! それなら、あと俺はどれだけこんな状況に耐えなきゃならないんだ。 「…………」 何度経験しているかしれない、暗澹たる気持ちに、ゆっくりと沈みかける。 がしかし、そんな俺を、 「あー……その、なんだ。まぁ、バレなきゃ良い話だけどな」 「……え」 ハグリッドの一言が掬い上げた。 「ちぃーっと待っとれ。すぐ終わる」 思わず顔を上げた俺に、にかっと小ざっぱりとした笑顔を見せた後、 ハグリッドはずんずんと店主の方へと歩いて行った。 その声に、気づく俺でありたい。 ......to be continued
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