懸念があれば、心穏やかに過ごせようはずもない。 Phantom Magician、152 象牙色の肌に、黒い髪。 パーティーがもうすぐ始まるという喧噪の中、 その色を見た瞬間、脳天に甘く痺れるような衝撃が走った。 「っ」 呆然としたのはほんの数瞬だが、その間に彼女が消えてなくならなくて良かった、と心から思う。 動悸のする胸に手を当てていたのは、ほとんど無意識の産物だろう。 思わず彼女の名前を叫んでしまいそうになる。 呼吸がままならず、頭がくらくらする。 けれど、それは驚愕からくる体の変調だということを、私は頭のどこかで理解していた。 それほど、彼女の姿は、私にとって待ち望んでいたものだった。 手の中からすり抜けてしまう彼女。 その背が遠ざかっていきそうで、私は思わず杖を取り出していた。 がしかし。 「石化せよ」 「…………」 パアァン 真紅の民族衣装を着こなした少女は、私の方を見ることもなく、 その魔法を無言呪文で相殺していた。 そして、ゆっくりと、その赤い唇が正面を向く。 「盛大な歓迎痛み入るよ。ミスター マルフォイ」 それは、どこまでも蠱惑的な声だった。 以前見たことのある豪奢な中国風の衣装。 それを身に纏った彼女は、刺すような眼差しで私を射抜いていた。 距離にして数メートルはあるというのに、 漆黒の瞳が、闇を塗り固めたような密度でこちらを見つめる。 「いきなり魔法を放ってくるとは……もっと優雅な足留めをしてもらいたいものですね。 薔薇園に誘ってくれた前回の方がもう少しスマートでしたよ?」 「っ」 その、よく通る低い声に、ぞくりと背中が粟立った。 反射的に、違う、と思う。 これは違う、と。 化粧は確かに夜会向きのくっきりとした物になっているものの、 その服も、髪形も、顔の造作も同じはずなのに。 目の前の少女から受ける印象は、以前とはまるで比較できないものだった。 妙な中国訛りがなくなっていることもあり、 まるで姿の違う別人を相手取っているような気分がしてくる。 がしかし、そんなはずはないのだ。 自分がここに来ることは、直前まで誰にも話していないから、身代わりを立てるのは不可能だし、 前回の彼女との会話を他の人間が知っているはずもない。 また、彼女にはこちらを避ける理由などないのだから、 間違いなく、目の前にいるのはあの時の子どもなのだ。 「…………」 きっと、彼女に確認しなければいけないことの背景に、らしくもなく萎縮しているせいで、 実際以上のプレッシャーを感じてしまっているのだろう。 そう納得して、私は不敵にこちらを見つめてくる少女に近づこうとする。 「っ」 がしかし、だ。 その瞳に射竦められてしまうと。 自分はこうして対峙することを望んでいたはずなのに、足が前に進んでいかない。 まるで、そうすることがとんでもなく愚かな行動ででもあるかのように。 これは、由々しい事実だった。 「ミス 珊璞」 自分ではどうにもしようがなく、仕方なく羊の皮を脱ぎ捨てた狼のような彼女に呼びかけると、 彼女は絶対君主のような威圧感を僅かにおさめ、ゆっくりと目を細める。 そして、周囲の人間が不意の魔法戦に仰天しているのを見咎めると、 視線だけで、人の少ない壁際の移動を指示してきた。 私にはそれに従う義務などありはしないのだが、不思議とそれに抗う気持ちは起こらない。 示されるままにその場所へ向かう。 すると、 「さて」 「っ!」 ひょこっと気軽な動作で距離をつめられた。 その無造作な様子には肝を潰される。 何故なら、油断している時ならいざ知らず、今の自分は余すところなく警戒していたからである。 そんな緊張状態で、ここまでの接近を許すなど、断じてあってはいけないことだった。 がしかし、現実には、下から覗き込んでくる漆黒の双眸がある。 無邪気を装う、毒々しい笑みに、得体の知れなさばかりが増えていく……。 と、私の驚愕に満足したのか、少女は猫のようににんまりと唇を開いた。 「くすくすくす。そう警戒しなくても良いじゃない。 わざわざ、私に会いに来てくれたんでしょう? ホグワーツの理事という立場を使ってまで」 「っ」 「ここは普通、ダンスに誘ってくれるところですよ?」 おどける様に、少女はその場でくるりとターンをする。 この少女とダンス。 それは、先日までのびくびくと怯える彼女であれば望むところだが、 今は考えるだけでも恐ろしい未来図だった。 しかし、私は威厳をかき集めるように咳払いをして、口元を吊り上げる。 自分はあのお方の――闇の帝王の配下なのだ。 いつまでも主導権を握られていて良いはずもない。 例え、どれほど相手が見透かしたようなことを言ってきても、それは許されることではないのだ。 如何にこの少女が手強いと言っても、所詮は10代の小娘。 闇の帝王と相対することを考えれば、なんという程のものでもないだろう。 「淑女。是非ともそうしたい所だが、生憎私も多忙の身でね。 君との会話だけに集中したいのだよ」 「あは!それは光栄だね」 わざとゆっくりと話しながら、頭が目まぐるしく僅かな会話を考察する。 わざわざ、私に会いに来てくれたんでしょう? ホグワーツの理事という立場を使ってまで。 少女は、自分が彼女に会いに来たことを知っている……。 もしくは、会いに来るだろうと、予測を付けていた。 それは何故だ? ところが、その考察が終わっていない内に、意外なことに少女は自らその答えを披露した。 「まぁ、こんなホグワーツの人間かも怪しい女、探すなって方が無茶ですが」 にこやかに少女は問う。 自分のことを知る人間なんて、見つけられなかっただろう?と。 確かに、少女がホグワーツ生を名乗ったのを受けて、 自分の後輩や教員にまで話を聞きこんだものの、芳しい成果はまるで得られなかった。 セブルスも、レギュラスも。 この、明らかに曲者めいた少女のことは知らない、と。 そもそも、東洋の血が入っている、というだけでこのイギリスでは酷く目立つのだ。 どうやら今年珍しく転入生があったようだが、それは男で、 しかも以前に見かけたあの凄まじく不愉快な男のことらしい。 以前、ハロウィンにかこつけて直接生徒に話を聞いてはみたものの、 それ以外にめぼしい東洋人はまるでいないということなので、 彼らの話を信じると少女はホグワーツ生ではないことになる。 だが、そうなると、自分の進退は窮まってしまうのだ。 何故なら、その事実は完全にあのお方のノートを見失ってしまったということを指し示すからである。 彼女と初めて会った賭博場を訪れてみたりもしたが、やはり見つからず。 一縷の期待を込めて、今日はこうしてやってきたのだった。 少女は、そんな一連の流れを見事に読み切り、敢えてこの場に立っていた。 「そう。お察しの通り、私はホグワーツの人間じゃありません。 ついでに言うと学生でもない。いわゆるスパイって奴ですかね。 イギリスの魔法界のことをちょっと調べに来てたんですよ」 「こんな目立つ人間がスパイ、かね?」 「今は貴方に見つけて欲しくて、わざとこんな目立つ姿でいるだけですよ? 普段はもっと地味ーな、ゴミ箱でもあさってそうな姿をしてます」 「私に見つけて欲しい、だと?」 意味深な視線に、嫌な予感しかしてこない上、胡散臭いことは間違いないが、 これは確認せざるを得ない言葉だった。 そして、彼女はそんな私の内心を嘲笑うかのように、可愛らしく口元に手を当てながら、 再度口を開いた。 「イギリスから帰る前にミスターに話したいことがあったんです」 「なに……?」 「期待しても、私はホグワーツを恐怖のどん底に叩きこんだりしませんよ?」 「!!!」 その言葉が私に与えた衝撃は、彼女が無言呪文を使った時の比ではなかった。 一瞬で自分が顔色をなくしたことをどこか冷静な部分で自覚しながらも、口が「何故」と問う。 何故、自分がそれを彼女に期待したと分かった? 半ば以上その答えを分かっていながらも、問いかけずにはいられなかった。 すると、彼女は悪戯っぽく目を輝かせながら、決定的な言葉を花のような唇に乗せる。 「あんな怪しいノート、気づかないはずがないでしょう」と。 「とっくの昔にマートルのトイレに流してしまいましたよ。 今頃は……どこにあるんでしょうね?」 「っ!」 少女の視線がちらりと闇に覆われつつある外を見やる。 その意味するところは明らかだった。 ホグワーツの下水関係は、正面の湖に行くというのは周知の事実だ。 彼女の宣言通り、トイレになんて流されたのだとしたら、行きつく先はそれしかない。 しかし、こともあろうに、あんなところに処分するだなんて! あのお方からお預かりしたものの行く末に、音を立てて血の気が引いていく。 が、彼女はそのくらいで話を終わらせる気はないらしく、追撃とばかりに言葉を紡いでいく。 「まぁ、もしかしたら心優しい水中人がダンブルドア校長に届けてくれるかもしれませんねぇ」 「!」 そうなったら、間違いなくあのノートは処分されてしまう。 あの校長は、闇の帝王が唯一人警戒する人物なのだ。 どうあっても、あの老人にだけは見つけられるわけにはいかない! がしかし。 そこで、私はふと、自分の思考に待ったをかける。 見つけられる訳にはいかない。 けれど、本当に、見つけることが、あの老人にできるのか……? 「…………」 彼女の言葉に焦ると同時に、私は一縷の活路を見出すこととなった。 あのお方が直々にお作りになった品物が、水に濡れたくらいで駄目になるはずはない。 となれば、水中人が拾う可能性も決して低くはあるまい。 少女はそれをダンブルドアがさも手にするかのように言っているが、 それはあのノートが危険物であったり、貴重品であったりすれば、の話である。 私でさえただの日記帳にしか見えなかったものが、水中人如きに看破できるか? 冷静に考えてみれば、答えは明白だった。 となると、殊更偉そうな態度を崩さない少女の態度が滑稽なそれに思えてくる。 と、私の態度が急に変わったことに、少女は不満そうに眉根を寄せた。 「なにがおかしいんです?」 「いやなに。君はその怪しいノートを、どうして燃やしてしまわなかったのかと思ってね」 「…………」 そして、私の思わぬ追及に口を噤んでしまう。 嗚呼、やはりそうだ。 この少女は、危険性こそ察知したものの、破壊するところまではいけなかったのだ。 闇の帝王所縁の品だ。簡単に破壊などできるはずもない。 となれば、あのノートは無事、と言ってしまっても良い。 それなら、今後、愚かな生徒の手に渡ることもまだ十分ありえるではないか。 その相手を純血に絞れないことがなんとも心残りではあるけれど、 この曲者の少女に破壊されなかっただけ、僥倖と思うべきなのかもしれない。 闇の帝王には、このことは報告しなくても良いだろう。 余計な事は語らないのが一番なのだ。 となると、目の前の少女の口も封じる必要が出てくるわけだが……。 少女は、私が回復してきたのを見て取ると、あっさりと踵を返してしまった。 「なんだ、つまんないの。折角色々脅し取ってやろうかと思ったのに」 「君になら私の方から喜んで贈り物をさせて貰うが?」 「嫌ですよ。私は、人から物を奪い取るのが好きなんだから」 「再見」と、繊手がひらりと私に向けられる。 それは、彼女にはもう会うつもりがないという事実を、私に悟らせるのに十分な仕草だった。 懲りずに、また彼女に向かって魔法を浴びせかけることはできるだろうが、 一見無防備に見える彼女の背中は、やれるものならやってみろ、と語るかのようだ。 間違いなく同じように防がれ、場合によっては反撃してくることもあるだろう。 『帰る』という言葉のどこまでが本当かは分からないが、 おそらく彼女が私の前に現れることは二度とあるまい。 それならば、ここは見逃しておくのも一興かと、そう思えた。 ホグワーツの滞在時間は僅か1時間程。 その内、彼女と話したのは、なんとたった2曲分の短い時間でしかなかった。 誤解という名の安息を。 ......to be continued
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