「友達?そんなものである訳がない」 そう言えば、彼はきっと笑うだろう。 Phantom Magician、150 「ふむ……」 大広間に足を踏み入れた瞬間、突き刺さるように浴びせられた視線を軽やかに受け流し、 私は普段とはまるで違う視界に目を細めた。 ヒールのおかげでそこまで小さくはなっていないはずなのだが、 女性目線というだけで、見慣れたはずの景色が酷く新鮮だ。 ふわふわと頼りのない足元といい、ひたすら重い胸といい、 女性陣はよくこんな体で日常を過ごせるものだと思う。 不快でこそないものの、なんとも奇妙な感覚を感じていると、 そこにすっと、さりげなくの腕が差し出された。 「?」 「歩くの大変だったら、掴まってて良いですよ?」 「!」 にこっと、それはもう王子然とした爽やかな笑顔を見せた。 おかげで、私の背後では息を呑む声が続出だ。 そんなに笑顔を大盤振る舞いしていると、いつかこの青年は後ろから刺される気がする。 「では、お言葉に甘えようか」 「どーぞどーぞ。男と女じゃ重心違いますもんねぇ。歩き辛いったらない」 「なんだ?そんなにしみじみ溜め息を吐くくらい経験があるのか?」 「……えーっと……せっかく魔法使いになったんだからーと思いまして」 なんだかひたすらに後ろめたそうなの態度に、思わず首を傾げる。 敢えて公言することでもないが、自分の体をどうしようが特に悪いことでもないだろう? 日本人はシャイだというし、仕方がないのだろうかと思いつつ、ついつい口から思ったことがもれた。 「別に自分の胸を触っても面白くもなんともないと思うが……。 でもそういうことをするんだな」 「なんで胸触ってるの前提!?違いますよ、別にそういう目的じゃないです!!」 ら、は予想以上に慌てふためき、耳まで真っ赤に染めてしまった。 首を振っただけなのに、ブンブンと風を感じるほどの勢いだ。 図星を突いたにせよ、なんにせよ、随分と過敏な反応である。 実はかなりの衝撃を受けたのだろう、後ろが少しばかり騒がしくなっても、 彼はまるで気づく様子もなかった。 「そう否定せずとも、健全な男子学生なら普通だと思うがな」 「そんなこと言われたって全力で否定しますよっ!冗談じゃない!!」 全身の毛を逆立てたは、吐き捨てるかのようにそう言った。 そして、「あーもうビックリしたー!」と、熱くなった頬を手で仰ぎだす。 それを見ている限り、大広間に入る前に発生した疑惑はどうやら当たっていそうだ。 だが、そうなると。 こうしてドレスローブ姿でダンスに参加させられた、というのはにとって大層嫌な出来事のはずだが、 この青年は驚くほど、私に対してなんの含むところもないようだった。 先日はルーピンとの一件にもどうやら水を差したようだし、そろそろ嫌われても良さそうなものである。 長く付き合えば付き合うほど嫌われることの多い自分にとって、 こんな風にいまだ悪感情を見せないは、酷く不可思議な存在だった。 と、私の視線に気付いた彼は、からかわれているとでも思ったのだろう、 話題を変えるように視線を遠くに転じた。 「はぁー、もういいですから、中央行きましょうよ。 愛しのリリーがトップバッター務めるはずなんですから」 「ああ、エバンズか……。相も変わらず仲が良いな」 「そりゃあもう、心の友ですから」 先ほどと打って変わって、うきうきと顔を輝かせている様は、本当に誇らしげだった。 自分にはないものでも素直に賛美できる姿は、よほど良い育ちをしたのだろうな、と思わせる。 だから、だろうか。 だから、自分を嫌うこともないのだろうか。 良い育ちをして、お人よしだから? 自分の心の声に、口に出さずに答えを返す。 いいや。そんなことでは、きっとない。 自分は寧ろ、そんな良い人間はどうやったって好きになんてなれないのだから。 が、なら何故だ、と思うと思考は迷宮の中を彷徨うかのようだった。 と、エバンズの美しさについて力説しながら移動しようとする青年に、 はっと我に返った私は、しかし、待ったを掛けざるを得なかった。 「悪いが、どうしても中央に行くなら一人で行ってくれないか」 「へ?でも、最初のパートナーって踊るまで離れちゃいけないんじゃないですか?」 「確かにその通りだが、私は中央には行かない方が良いんだ」 「え、どうしてですか?」 きょとん、とが目を丸くしているのを見て、 これは誰と踊ろうとしているか全く意識していなかったな、と再確認する私だった。 「よく考えてみろ。私は誰か」 「?クィリナス=クィレル先輩ですよね。スリザリンの」 「そうだ。スリザリンの監督生である、私だ」 「!!」 仕方がないので、噛んで含めるようにはっきり告げてやると、その精悍な顔が面白い位に固まった。 つつ、と冷や汗が伝うようである。 「このパーティーでは監督生が最初に中央で踊ることになっているというのに、 スリザリンの監督生は一人、体調不良で欠席。 そこにのこのこ、その監督生によく似た謎の女が、転入生と連れ立って行ってみろ。 悪目立ちした上に、私のことに気付く連中だって出てくるぞ?」 「!」 恐らくはまるで縁がないだろうが、スリザリンの中に過激な連中が最近は出始めている。 変に目立った場合、なにをされるか分かったものじゃない。 ただでさえグリフィンドールとスリザリン生が険悪なムードにならない、というだけで珍しいというのに。 魔法で姿を変えてまでダンスした、などとなったら立場が危うくなりかねない。 それに……、と先ほどの騒ぎの際、視界を駆け抜けた色を思い出す。 あの男はすでに卒業していったはずだが、見間違えるはずもない。 自分と同じで酷く特徴的な色――プラチナブロンドの髪を持っているのは、あの男位なのだから。 なにをしに来ているかは知らないが、 積極的に関わりたい相手でも、関わるべき相手でも、まるでなかった。 それはきっと、目の前の青年も。 見つからない方が、良いに決まっている。 「普通に踊る分には、恐らく大丈夫だろう。 だから、中央には一人で行け」 「……先輩」 と、掴んでいた腕を放そうとした私の腕を、自分の物より大きな手が捕まえる。 思わず見上げると、酷く真摯な色を湛えてこちらを見つめる漆黒の瞳があった。 「!」 捻くれてるだの、情緒がないだのとよく言われる自分だが、 この時はそれを素直に綺麗だと思った。 透明な、夜の色だ。 そして、ほんの一瞬見惚れた私を現実に引き戻す、声がした。 「ひょっとして……それ、あたしの為ですか?」 「…………」 「悪目立ちって言っても、先輩そういうの気にしないですよね? それに、スリザリンで、しかも監督生の先輩になにかしようって人は中々いない。 下手をしたら、先輩一人なら『面白そうだから』って理由で中央で堂々と踊ってたかもしれない」 「…………」 「それなのに、そんな風にこそこそするなんて、矛盾してます。 普段の先輩らしくない。それって、あたしの為でしょう?違いますか?」 畳み掛けるように、どこか縋るように。 は怯えを滲ませた声で、問いかける。 認めてほしいけれど、認められてしまったらどうしたら良いのか分からない。 そんな複雑怪奇な表情だった。 「…………」 それがなんだかひどく滑稽で、私は気づけば口の端が緩んでいた。 「!」 「……そうだと言ったら?」 自分は、の友人のセブルスではない。 自分は、の想い人のルーピンでもない。 だから、その問いかけに妙な謙遜も反発もする気はなかった。 あくまで淡々と、絶句している青年に問いかける。 「そうだと言ったら、君はどうするんだ?」 のことは嫌いではない。 コロコロ変わる表情は見ていて飽きないし、 自分にはまるでない発想や考えは、瞠目に値した。 けれど、手に入れようとは、思わない。 大切にしてやろうとも、思っていない。 ただ、互いの立場が危うくなりかねなくても踊ってみたい、 そう思う自分に、抗わない程度には気に入っている。 それだけだ。 だから、詰めていた息を吐き出し、囁くように告げられた言葉は、全くの的外れだった。 「……どうも、できないですけど。でも、お礼なら言えます」 「礼なんて、私は求めていないと言ったら?」 貰う道理もないものを請求する程、自分は甘ったれてはいない。 そんなものはが言う必要もないのだと、言外に主張すると、 やがて、は、困ったように、泣きそうに、破顔した。 それは覚悟を決めたようにも、いまだ迷い続けているようにも見える表情だった。 「なら、あたしにあげられるものをあげます。感謝を込めて」 「あげられるもの?」 「はい。……忠告を、一つだけ」 アルバニアの森に、行ってはいけない。 行けば、貴方は消し炭となる未来を呼び寄せるから。 「……随分と物騒な予言だな。火事でも起こるのか? それとも、その文言では私が火事を引き起こす、とでも?」 「……そこまで詳しくは分かりません。 ただ、友達で、やたらと未来のことに詳しいのが一人いるんです。 多分大丈夫だとは思うけど、保険の意味で知っておいてもらいたくて」 「それに私が従う必要性はないことを理解しているか?」 「もちろん。これはただの情報ですから」 は笑う。 気丈に、痛々しく。 そうでなければ、『お礼』とは呼ばないだろう、と。 確かにそれはそうだ。 命令ならば、懇願ならば、それは寧ろ『見返り』として要求されるものである。 それでは、お互いの立場があべこべだ。 だから、は行くな、と言っている訳では決してない。 どれほど、その表情が、行かないでと叫んでいても。 「…………」 予言なんて突拍子もない。 大体、行くなと言うのは簡単だが、それはどの位の期間なのかも不明だ。 特に行きたい場所でもなんでもなくても、選択肢から一つの場所が減るというのも業腹である。 ただ。 「そうだな。心には留めておこう。留めておくだけだがな」 「!」 活用するしないは別として、礼を受け取る位はしてやっても良いと、そう思えた。 そうこう話をしている内に、さっきが向かおうとしていた中央からは潮騒のような拍手の音が聞こえた。 すでに監督生によるダンス披露は終焉を迎えてしまったようだ。 通りで、途中からこちらを見てくる人間が減った訳である。 幾らなんでも、聞き耳を立てられ続けるのは私だって気分がよくない。 そういえば、セブルスが便利そうな魔法を使っていた気がする、とそんなことを考えていると、 ふと、隣で笑み崩れるが目に入った。 …………。 多分、これに純粋に慕われるというのは、そんなに悪い気分ではないのだろうな。 最初はそうでなくとも、好かれれば好きになる、というのはよくある話である。 が邪気なく、良い人間であればあるだけ、 ひたむきな想いを寄せる相手に重ねられている青年が、憐れだった。 「ルーピンも気の毒に」 「はい?先輩何か言いました??」 「ただの独り言だ。気にするな」 「?」 そして、拍手が完全に止んだところで、曲が次に移る。 周囲も別段なにか声掛けをした訳でもないのにそれに合わせて動きだし、 それぞれが優雅に礼をとった。 「あ……えっと、お手をどうぞ?先輩」 差し伸べられたのは、綺麗な骨ばった手である。 どうせなら心に合わせて、そのまま女になってしまえば良かったのに、と思う反面、 それだとこんな風には踊れないのだろう、と思ったら酷く愉快な気分になった。 心が男の女と、心が女の男、そんなもののダンスなんて二度と関わることもないだろう。 なら、僅かな時間を堪能する方がずっと賢い選択だ。 きっと、本人としては不本意極まりないことだろうが、 そんな風に取ったの手は、 自分の手が小さくなっているのもあって、随分と頼りがいのあるそれだった。 「ああ……お手柔らかに」 本来ならダンスに集中するのが望ましいのだろうが、 そこに重きを置いていなかった私たちは、やれ「視線が痛い」だの、 「(私の)ドレス姿に見惚れている男連中が不憫すぎる」だの、 他愛もない話に花を咲かせながら踊り続けた。 少しばかり心配していたのだが、ぎこちなくはあるものの、はきちんと型通りの足運びができていて、 足を踏まれる心配はしなくても良かったのが有難い。 結局、大した危なげもなく一曲踊り終え、穏やかに一礼した私たちは、 さて、この後どうするかと互いに問いかけようとして、 しかし、驚愕も露わな声を掛けられたことによって、言葉を飲み込んだ。 「……っ!?」 その呼びかけに、ぱっと、が満面の笑顔になる。 その笑顔の先にいたのは、先ほども話題に上がったリリー=エバンズだった。 踊り終わった後、パートナーとはすでに別れたのか、 彼女は一人で佇みながら、こちらを凝視していた。 なんとも見栄えのする姿に、自分でさえも思わず目を見張る。 元々、赤毛でなにかと目立つ存在の人間ではあるが、今日の彼女はまた一段と華やかに着飾っていた。 真紅のドレスは一見、酷くシンプルだが、その分エバンズのスタイルの良さが際立って見える。 さながら、大輪のダリアのようだ。 が、しかし、その花のような顔は、お世辞にもご機嫌とは言い難かった。 大きく見開いた目はこぼれんばかりであり、 見れば、その唇は打ち震えているようだ。 「とても心の友に偶々会った、という表情ではないな……」 それよりは、もっと。 生き別れた誰かを見つけてしまったような。 愛おしい亡霊に行き会ってしまったような。 そんな、甘くも切なく、狂おしいそれだ。 激しい衝撃に、どうやら息も乱されたらしく、 エバンズの白い手がぎゅっと胸を押さえる。 と、そんな彼女の反応は、ずっと前から分かっていたとでも言うように、 どこまでも柔らかい表情でがその前に進み出て、その手を掬い上げた。 「っ貴女……どうして……そんな恰好でっ」 「どうして、とは随分なご挨拶だね、リリー。 もちろん、リリーと踊る為に決まっているだろう?」 「!!」 …………。 ……………………。 いや、私と踊る為だろう。 「だからって……っ」 「びっくりさせてごめんね。でも、どうしてもリリーを喜ばせたくて」 喜ばせるだけなら、サプライズは必要ないだろう、絶対。 「、本当に、貴女って人は……っ」 「駄目だよ、リリー。君が言って良い言葉は『イエス』だけだ。 それ以外の言葉は聞いてあげない」 「!」 なんという横暴さ……っ あんまりといえばあんまりな台詞の数々に、心の中はつっこみの嵐である。 思わず呆れたような視線を向けてしまうが、 驚いたことに、半径数メートルにいた女生徒のほぼ全員が、 うっとりと陶酔するかのような表情で二人に注目していた。 よくできた恋愛物の舞台を目の前で見せられているかのようである。 全くそんな物に興味のない自分にとっては、喜劇以外の何物でもないが。 「僕と、踊って?リリー=エバンズ」 「〜〜〜〜〜っ」 そして、まるで観客に応えるように、はノリノリでエバンズの手の甲に唇を寄せた。 その瞬間、悲鳴を飲み込んだような奇妙な呻き声が、各所で頻発したが、 もちろんそれは当のエバンズさえも例外ではない。 彼女は初心な少女のように頬を染め、何とも言えない声を漏らしながらも、 やがて涙目でこっくりと小さく頷いた。 「……貴女って、卑怯よ。」 苦し紛れの悪態さえも、今着ているドレスのように真っ赤な耳で言っていては効果は薄いだろう。 どうやら、もそれを実感しているらしく、どうにか彼女のご機嫌を取ろうと、 茶目っ気たっぷりな笑顔でウィンクした。 「だって、折角こんな恰好するんだから、楽しまなきゃ。ね? だから、笑ってよ。リリー。泣かないで」 「っ」 がしかし、泣くな、という言葉は完全に逆効果にしかならなかったらしく、 感極まったのか、見る間に翡翠の瞳には涙が盛り上がってくる。 それを見て、流石の私もこれはまずい、という気が起きてきた。 これは、今回の化粧をするに当たって知ったのだが、 化粧のウォータープルーフなるものは全く信用できず、 泣けば大層悲惨な顔面になるものだ、ということである。 どうやら盛り上がっているらしいこの場で、そんな顔面が登場するのはどう考えても宜しくない。 グリフィンドール生であるエバンズに対して好意も悪意も持ってはいないが、 まぁ、やはり女性に恥をかかせるべきではないだろう。 なので、私はそっと懐に忍ばせていたレースのハンカチを差し出した。 「これを」 「あ、ありがとう………………?」 と、反射的に受け取ったエバンズの瞳が、私を見る。 「?」 最初は瞳を、次いで顔を。 「え?」 そして、徐々にその顔には疑問の色が見え始め。 胸元から、爪先、そして最後に頭――正確には髪の色を見咎めて、 彼女の顔から、一気に血の気が引いた。 「〜〜〜〜〜〜っ!?あ……、貴方……っ」 どうやら、私が誰だか分かったらしいエバンズに、 とりあえず、彼女が夢に見るほど華麗な笑顔で口を開く。 もちろん、ただの嫌がらせだ。 「私のパートナーを君に貸してあげよう。 遠慮せず受け取ると良い。同じ監督生のよしみだ」 「っ!!」 後程、には餌を丸のみにしようとするイグアナのようだった、と言われた。 ちなみに、驚愕のあまり、エバンズの涙は見事に引っ込んだ、ということだけは言っておこう。 「友達と先輩じゃ違うに決まってるよ」 不思議な距離感を、きっとそう、笑うだろう。 ......to be continued
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