商売繁盛のコツ、ですか?
なんでしょうね。やはり、お客様のことを考える、というのが一番のような気は致しますが。






Phantom Magician、59





+ + +



8月20日 曇りのち晴れ
宿泊人数:1人
今日は東洋人の随分若いお客様がやってきた。
短い黒髪・・・・がとても似合う可愛らしいお嬢さんだった。
家出でなければ良いのだが。
9月1日まで滞在する予定とのこと。



8月22日 晴れ
宿泊人数:4人
今日は昨日のお客様――ミス と今年からホグワーツに入学するというマグルの親子連れが泊まった。
ダイアゴン横丁で新入学の買い物をするらしい。
ミス も今日は大量の教科書を買ってきたようだ。



8月23日 晴れ
宿泊人数:4人
今日も昨日と同じお客様が泊まった。
どちらも外出したので、部屋の中を徹底的に掃除した。
ミス は「帰らなかったら通報してくれ」と少し不吉なことを言っていたが、無事帰って来たので良かった。
マルフォイ家に行ったらしいが、凄まじく疲れた表情カオをしていたので、 滋養強壮に良い食材をディナーに出した。大変喜ばれた。



8月24日 晴れ
宿泊人数:6人
ミス と、親子連れ、若い夫婦が泊まった。
その容姿から言って、恐らく夫は吸血鬼だろう。
ニンニク料理を出す予定だったが、急遽、魚料理に変更した。
親子連れは盛んに買い物に出ている。



8月25日 雨
宿泊人数:4人
ミス と親子連れが滞在中。
流石に今日はどちらも外出しないようだ。
ミス に至っては、昨日から一歩も部屋から出てこない。



8月26日 曇り
宿泊人数:4人
ミス と親子連れが滞在中。
マグルの少女は杖を買ってもらったらしく、盛んに私に杖を見せてきた。
自分が初めて杖を持った時のことを思いだす。
ミス は今日も部屋から出てこない。



8月27日 晴れ時々曇り
宿泊人数:4人
ミス と親子連れが滞在中。
今日は店が危うく壊されそうになった。
だが、それほどの轟音がしたにも関わらず、 賑やかな親子連れとは裏腹に、ミス の部屋からは物音ひとつしない……。



+ + +



「……ふう」


閑散とした店内が見えるカウンターの中で、そっとペンを置く。
一週間分の宿泊記録を整理し終わり、思わず溜め息が漏れた。

というのも、ここしばらく滞在している少女――ミス の様子が心配で仕方がないからである。
保護者がついているならば私もここまで心配はしないのだが、 仕事の都合がつかないとのことで、彼女は一人でここに滞在していた。
あの年でこんな遠く離れた異国に滞在するのだ。
きっと、色々な事情があるのだとは思う。
思うが、しかし。
あんな幼い少女が……と考えてしまう。
にこにこと笑っていた少女は年の割に大層落ち着いていたこともあり、酷く印象が良かっただけに、 私に何も言わないまま部屋に籠ってしまっている現状が気にかかる。

なんでもミス は今年からホグワーツに留学をすることになったのだそうだ。
長いことこの漏れ鍋で商売をしているが、そのような話は初めて聞いたので大層驚いた。
よほど優秀な魔女なのだろう。
少しの所作を見ていても、彼女が同じ年頃の子どもたちより大人びているのが分かる。
……まぁ、見た目は寧ろ幼く思えるのだが。
それは東洋の神秘、という奴だろう。


「……やはり、マルフォイ家に行ったことが原因なのでしょうか」


思わず、頭上の彼女が滞在している部屋を振り仰ぐ。
少女が部屋に籠るようになったのは記録にもある通り、意味深な発言をして出かけて行った後である。
あの日、彼女は見たこともない美しい衣装を身にまとい、見るからに気合いを入れて身支度を整えていた。
ウィッグまで付け、綺麗にセットされた髪型なども変装と見紛うばかりだ。
だから、思わず私は出かけようとする彼女にデートかと訊いてしまったのだ。
がしかし、こちらを振り返った表情カオを見た瞬間、私はそれがそんな甘やかなイベントではないことを悟った。


『……ふふ。デート?デート、ですか』
『ミス ?ど、どうされましたか?』
『いえ、何でもないです。ただ世の無情に泣きたくなっただけで。
こういうのを苦行って言うんですよね。愛の試練だと思えば乗り越えられる気がしなくもないです』
『は?』
『……トムさん。今日あたしがマルフォイの家から帰らなかったら、 “ルシウス=マルフォイが少女誘拐をしているのを見た”って魔法省に通報しておいて下さいっ!』
『ルシウス=マルフォイ……?お知り合い、なのですか?』
『他人以上知り合い未満です』
『はぁ……??』



格好とは裏腹に、少女は出かけることを嫌がっているようだった。
が、その口から飛び出した名前に、得心もいくというものだ。
あのマルフォイ家の次期当主に会うとなれば気も重くなるだろう。
どのような繋がりがあるのかは分からないが、少なくとも彼女には付き合い以上の何物でもなさそうだ。
そのあまりに不吉な言葉に、一抹の不安を覚えながら見送ったのを覚えている。

そして、帰ってきた少女の表情カオは、なんというか……戦地から戻ったかのようだった。
つまりは、それほどに憔悴しきっていたということ。


『……ただいま戻りました』
『ミス ?ど、どうされましたか!?』
『嗚呼、トムさん。あたしはもう駄目です。視線で穢された気分です』
『は!?』
『もう二度とあたしマルチと二人にはならないと心に決めました。
っていうか、マルチと接触しないと決めました。奴はもう用済みです。ノーセンキューです』
『……マルチ??』
『ってことで、おやすみなさい。とりあえず、自分を癒すのでしばらく起こさないで下さい。
ご飯は扉の外にお願いします……』



そうして、フラフラと部屋に戻った彼女に急いで食事を運んだのが、その姿を見た最後になった。
一応、扉の所に置いておく料理はいつも綺麗になくなっているので、いることは確かだと思うが。
それでも、うんともすんとも言わない部屋に、どうしても心配になる。
同じ年頃のホグワーツ生が今日食堂を訪れたが、彼らはこんなに大人しくはなかった。
(何しろ、店内で決闘の真似事を始める始末だ。一緒にいた少年が諌めてくれなければどうなっていたことか)
性別の違いももちろんあるだろうが、それにしても、部屋が静かすぎる。
いよいよ、明日も出てこなければ様子を伺ってこようと決意し、私は自室へと戻った。







そして翌日。
やはり、少女は朝食の時間になっても、昼食の時間が過ぎても部屋から出てこなかった。
余計なお世話とは分かりつつ、しかし、店のことは他の者に任せ、スペアキーを手に2階の部屋へと向かう。


とんとんとん


「ミス ?いらっしゃいますか?」


ノックとともに問いかける。
が、予想通り返答はない。

そのことに小さく溜め息を漏らし、中で倒れていては大変だから、と誰にともなく弁解しながら扉に手をかける。
鍵を開けてしまえば、特に抵抗もなくノブが回る。


「ミス ?」


カーテンが引かれた薄暗い部屋で最初に目に入ったのは、床に所狭しと積まれた本の数々だった。
それは、ホグワーツで使われる教科書もあれば、それ以外の本もあり、かなりの量である。
勉強でもしていたのか、テーブルには書きかけのノートなども開かれたまま置かれていた。
そして、次に目に入ったのがベッドで規則正しく上下する毛布の塊だった。
どうやら、少女はまだ寝ているようだ。

そのことにほっとしつつも、起こすのは忍びないので踵を返すことにする。
例え下心などない老人といえども、未婚の女性客の部屋に無断で入っている事実に、今更ながら慌てたのもある。
が、しかし。


「……?」


ふとベッドサイドに置かれた薄い冊子に目がいった。
黒い背表紙をした小さなそれは、マグルの日記帳のようである。
自身が営業日誌などを付けていることもあり、奇妙に興味をそそられる。
いけないことだとは分かりつつも、ついついそれに手を伸ばしてしまった。
もちろん、日記の内容が見たいワケではなく、その形式が物珍しくて、である。
そして、幸いにもミス タケイは日記をまだ書いていなかったらしく、ノートの中は真っ白だった。

ぱらぱらとページを捲る音が部屋に響く。


「…………」


好奇心から手にしたそれだったが、日付が書いてある以外特に見るべきところはなかった。
そのことにがっかりしつつ、しかし、何故だかその日記を戻す気が起こらない。
この日記を見ていると、文字が一つも書いていないことが罪のような気までしてくるのだから不思議なものである。

気づけば私の視線は、何か書くことのできるものはないものかと部屋の中を彷徨っていた。
すると、そこで、私は書きかけのノートの上に乗る一つのペンらしき物体を見つける。
そして、思わずそれを手に取り、ノートに近づけた瞬間、


ふしゃーっ!!


「なっ!?」


ばしっと乾いた音を立て、ミス の魔法猫が私の手から日記帳を叩き落とした。
そして、そのままその猫は日記帳の上に降り立ち、威嚇するように毛を逆立てる。
その鬼気迫る様子にはっと我に返り、さきほどまで自分が何をしようとしていたかに気づいて青くなる。
お客様の物に勝手に触った上に、何か書こうなどと正気の沙汰とは思えない。
思わず、私はそれを止めてくれたその猫に目線で感謝を告げた。

と、その騒動に気付いたのだろう、視界の隅で毛布がごそごそと動きだし、 そこからどこか寝ぼけた瞳をした少女が顔を出した。


「……スティア?」


ぼんやりと彼女の視線が床を彷徨い、そこで日記を踏みつけている猫とそれに対峙する私を見る。
そして、彼女は私と目が合った瞬間、大きくその目を見開くと、素っ頓狂な声を上げた。


「え、スティアご乱心!?」
『なんでだよ!トムがリドルに誘惑されてたの!』
「え、自分で自分を誘惑?」
『違うっ!』


まるで猫と会話をしているかのように、少女は首を傾げる。
と、少ししてこの状況に納得がいったのだろう、 どうしたものかと所在なさげに佇む私を余所に、彼女は猫をどかし、その日記帳を床から拾い上げる。
ぱんぱん、と埃を払い、表情カオを顰めた。


「……宝貝パオペエもなしに誘惑テンプテーションをマスターするとは、リドル恐るべし。封神だな、封神」
「も、申し訳ありません、様!お客様の物に勝手に触るなどっ!!」


その表情カオに、なにはともあれ謝罪をすると、少女は快活にそれを笑い飛ばした。


「あ、トムさんが悪いんじゃないですよー。これ、ぶっちゃけ呪われてますから。しょうがないです」


それは、酷く心優しく、それでいて可愛らしいそれだった。
こんな少女の物になんてことをしようとしていたんだと、改めて恥じ入る気持ちである。
そして、少女はにっこり笑ったまま、そのノートをクマのリュック?らしき物体に押し込んだ。

今日は、彼女のために腕を振るおうと決意し、私は部屋を後にした。


『そうそう。全部、こんなところに危険物出しっぱなしのが悪い』
「えー、だって全然普通の日記じゃん」
『魔力のない君にはそうでも、他の人には違うの!』








+ + +



8月28日 晴れのち雨。
宿泊人数:10人
ホグワーツの準備のため、人数が段々増えてきた。
これからがかきいれ時である。粗相のないように、店内の清掃を強化するよう話をした。
ミス は部屋から出てこないものの、食事を持って行くと顔を出してくれるようになった。
どうやら、ホグワーツの子どもたちと顔を合わせるのが恥ずかしかったらしい。



8月29日 雨。
宿泊人数:13人
今日は一日土砂降りだった。
そのせいで、店内は一段と騒がしかった気がする。
おまけに宿泊客の中には、妙な爆発音をさせる人間までいるようだ。
誰かは分からなかったが、恐らくは2階の人間だろう。
あのミス を見習ってほしいものである。



8月30日 曇り。
宿泊人数:14人
今日はホグワーツのお客様だけでなく、傷だらけの魔法戦士もやってきた。
甲冑を来た彼らは見るからに勇ましいが、血の気も多そうなので、子どもたちが怯えないか心配だ。
がしかし、後一日なのでどうにかなるだろう。



8月31日 晴れ時々曇り。
宿泊人数20人
今日は宿泊数が多かったので、息を吐く間もないほどだった。
がしかし、ダイアゴン横丁で過ごす最後の日となるお客様も多いので、心を込めておもてなしした。
いつもより少し材料費などを奮発してしまったが、よしとする。



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9月1日になり、多くのお客様が漏れ鍋をあとにする日がやってきた。
いつもこの日は、急に静かになってしまうので落ち着かないことが多い。
長年やっていてもこの感覚には慣れないものだ。
いや、寧ろ、年を取ってきた最近の方が耐えがたくなってきている気もする……。

そして、見送りのために入口に待機していると、 誰よりも早く荷物をまとめ、部屋から出てきたのはミス だった。
真新しいローブに袖を通した姿は、どこからどう見ても立派なホグワーツ生である。
そのことを素直に称賛すると、褒められることに慣れていないのか、少女は照れ臭そうに笑った。


「とてもよくお似合いですよ」
「えへへーvありがとうトムさん!あ、夏になったらまた来るんで部屋1個開けといて貰って良いですか?
夏休み中もずっとそこにいたいんで!」
「もちろん構いませんが……お国には戻られないのですか?」


が、しかし、私のその言葉に明るかった少女の表情カオが一瞬だけ曇る。
と、そんな彼女だったが、すぐに表情を苦笑にすり替えた。
まるで、そんな表情カオをしたことがないかのように。
取り繕うかのように。
誤魔化すように。


「……うーん。ちょっとそれが難しいんです」
「そうですか……」


けれど、私の目には、まるで焼き付けたかのようにその寂しげな表情カオがいつまでも残った。
ならば、と私は精一杯の誠意を込めて、その場で頭を下げる。


「では、お部屋をご用意してお待ちしております」
「はいー、お願いしますー」
「いってらっしゃいませ、様」


いってらっしゃい、その何気ない一言に。
少女は大きく目を見開いた後、それは嬉しそうに大輪の笑みを咲かせた。


「っ!はいっ!」


次にこの可愛らしいお客様がいらっしゃった時のために、茶菓子のレパートリーを増やそう。
そう、雲ひとつない晴天に、まだ来ぬ夏を想ったある日の出来事。





私はお客様のお求めの物を、料理であれ言葉であれ、お出しするだけですよ。





......to be continued