何かを手に入れるには、それなりの対価が必要だ。 そして、好奇心の対価は。 Phantom Magician、55 「〜〜♪〜〜♪〜〜〜〜〜♪」 気持ちの良い日差しの中、ふんふん、と思わず鼻歌が漏れだす。 今日は本当になんて良い日なんだろうかっ! 天気は良くてデート日和! おまけに、ちょっと寄り道した店で素晴らしいものが格安で手に入ったとなれば、もう気分は最高だ。 顔を隠すためのマントは暑苦しかったが、それを我慢したかいがあったというものである。 (最近、私のお目当ての物は公に買いにくくなってきたので、趣味を続けるのがとても大変なのだ) 時代が時代なので、あまりおおっぴらに浮かれてもいられないが、今日くらいは良いだろう。 嗚呼、本当に素晴らしい。見慣れたダイアゴン横丁の景色でさえ、普段と違って見えるくらいだ。 「ん?」 いや、とふと目に入ったものに、さきほどの自分の思考を訂正する。 実際に、普段とダイアゴン横丁は違っていたのだ。 「あれは……」 視線の先には、マダム マルキンの店の前でショーウィンドーを見つめる一人の少女がいた。 何か欲しいものでもあるのだろうか、視線が店内を忙しなく彷徨い、その横顔は難しく考え込んでいる。 「うーん……」と小さく唸る時に、その腰より長い黒髪がさらりと顔にかかった。 「歳はまぁ、これで良いとして。流石にこの格好じゃあ賭場はなぁ……」 『ローブは魔法で伸ばすと耐久力がなくなるからね。 他にサイズ合ってる服もないし、こうなるとやっぱり追剥か盗人か……』 今の時期、ホグワーツはなるほど、夏休みだ。 こんな歳の女の子が一人で買い物をしているのは見ていて危なかしげだが、しかしそこまでおかしくはない。 では、一体何が私の目に止まったのかといえば、彼女の服装にあった。 メリハリのある体を覆う、そのワンピースが私の目を射抜いたのである。 ワンピース。そう、ワンピースだ。 ローブでもマントでもなく、ワンピース。 そして、その象牙色の肌に彩りを添えている、真っ青なそれはダイアゴン横丁ではまず見ることのない形で。 それは。 それはつまり、マグル製であるということっ!! 「そこの君っ!ちょっと良いかな!?」 それに気づくと、私は思わず彼女に勢いよく声をかけてしまっていた。(ナンパじゃないよ、モリー!!) と、その声が自分に向けられていることに気付いたらしく、少女はきょとん、と不思議そうにこちらを振り返った。 東洋人をこんな間近で見るのは初めてだが、 大きな黒目が、その格好も相まってとても神秘的だ。 幼げな容貌に見えるが、その雰囲気から少女の年齢が少し判然としない。 と、声をかけた人間が、見知らぬ男だと分かった瞬間、その綺麗な瞳に若干の不信感が混じる。 今のご時世なので、それは仕方のないことだろう。 なので、それには気付かないふりで、できる限り親しみを込めた笑みを浮かべた。 「突然ビックリさせてしまってすまないね。ただちょっと、君に訊きたいことがあって」 「……あたしに、ですか?」 「そうなんだ。君は見たところ、マグル出身じゃないかい? そうだったら、この『火炎ホーシャーキー』についても知ってるんじゃないかな!? 実はさきほど手に入れたものなのだけれど、使い方がイマイチ分からなくて。 是非教えて欲しいんだよ!!」 ……いや、わざわざ浮かべなくとも、実は満面の笑みだった。 まくしたてるように言い募り、彼女の目の前に、『火炎ホーシャーキー』を差し出す。 言うまでもなくマグル製品で、一目見た瞬間から、用途もよく分からないのに衝動買いしてしまったものだ。 マグル製品が忌避されている中、こんなものに出会えたら買わないでいられるワケがない。 「か、火炎ホーシャーキー……??」 「そう!火炎ホーシャーキーだよ!!」 オウム返しのように繰り返す少女に、力強い頷きを返す。 火炎、というからには火が関係してくるのだろうけれど、 この軽い缶と小さな容器で一体火をどうするというのだろう!? 缶を振ってみたら、カコカコと中で何かがぶつかる音がしたけれど、それが何を意味するのかも分からないし。 この容器に至っては、透明の液体が入っているけれど、ほんのわずかな量だ。 マグルのものなのだから、これが魔法薬ということもない。 こんな少しの量で一体何ができるというのか、もう一から十まで分からないことずくめだ。 「本当に、マグルの発想は面白すぎる!」 昔から、私は自分達と同じようで全く違う思考を行うマグルには多大な興味関心を持っていた。 傷口を縫う!? 何十キロも遠くに行くのに、鉄の塊(車や電車)を使う!? その独特の発想は、嗚呼、まるで芸術のようだ! 学校でもマグル学を専攻はしたものの、その文化や思想はまるで理解の範疇外である。 どれだけ学んでも、マグル出身者に話を聞いても、日々分からないことだらけだ。 結局、あまりにその魅力に魅せられてしまって、とうとうマグル関係の職にまで就いてしまった。 そんな私が、マグル出身者にこうもタイミングよく逢った機会を逃すはずもない! それも、例のあの人が台頭し、多くの人間がマグルであることを隠そうとするご時世に! 本当に、今日はなんて良い日なんだろう!! と、詰め寄る私に少女は何か思うところがあったらしく、小さな声で何事か呟きだした。 「コイツ……ロン父かっ!禿げ散らかしてないけど!」 「うん?何だい!?分かるのかい!?」 不快そうな表情ではなかったので、悪態の類ではないだろう。 嗚呼、なんて言ったんだ? 聴き逃すなんて、なんてもったいないことをっ! 「え、あ、いや……まぁ、多分、分かると言えば分かりますけど。 火炎ホーシャーキーじゃなくて、火炎放射器ですよね?」 「うーん、そうだったかな??マグル製品を扱っているところで、護身用にって売っていたんだよ」 「はぁ……でも、それ、火炎放射器じゃないですよ?」 「ん?やっぱり火炎ホーシャーキーなのかい?」 「って、そうじゃなくてっ!」 噛み合わない会話に、大量の疑問符が浮かぶ。 すると、彼女は小さな子に噛んで含めるような口調で丁寧に、私が手にするものについて説明をしてくれた。 で、それを要訳したところによると、つまり、火炎ホーシャーキーというものはないということ。 多分、私が手にするものは火炎放射器という名目で売っていたのだろうということ。 そして、それらは本来、別の役目をするものなのだということだ。 「右手に持っているのは整髪料って言って、髪を整える時に使うスプレー。 で、左手に持っているのはライターっていう火を付ける為の道具です。 本当は危ないからやっちゃいけないんだけど、この二つで確かに簡易の火炎放射器っぽくなるんですよ」 「髪を整える?この缶で??髪を巻きつければ良いのかな?」 「いや、違くて……」 彼女からしてみれば、トンチンカンなことばかりを言う私に、 しかし彼女は困ったような表情をしつつも、説明を続ける。 これではどちらが年上か分からないが、マグルのことに関してはあちらの方が先輩なのだから仕方がない。 そして、彼女は口で言うより見せた方が早いと思ったのか、 私からスプレーを受け取ると自分の髪に向けて何かを噴射した! 「!?!?!?」 なななな、何だ!?白い、気体?液体??何かそんなものが飛び出した!? ああ、何だか、守護霊の呪文の練習に失敗した時みたいだ!! 「こうやって髪に整髪料つけてこう…髪をくるくるってすると、その形で固定されてですね……」 「ああ!マグルの若者が魔法も使わずに髪をツンツン立たせてたのは、これを使ったのか!」 「あー、そうですそれそれ。っていうか、若者ってお兄さんも十分若いでしょうに」 お兄さん、などと少女に言われて、少しばかりこそばゆいような気持ちになる。 自分がこのくらいの歳の時は、私みたいな人間にこんな呼び方はしなかったものだが。 民族性なのか、彼女の性格によるものなのか、その呼びかけは酷く少女に似合っていた。 「22も越えれば君みたいな子にはおじさんだろう?」 「いや、22なら7歳っきゃ変わらないですけど」 「7歳?君、じゃあ15歳とかなのかい?」 「一応、今の肉体年齢的には」 「驚いたなぁっ!東洋の人は若く見えるっていうのは本当だね!」 「はぁ、よく言われます」 にこにこと会話を続ける。 初めて逢ったというのに、こんな風に和やかに話していられるのは、少女の対人スキルの高さ故だろう。 まぁ、それにしては少女の相槌が微妙な気もしたが、まぁ、気にするほどでもない。 そして、その雰囲気に後押しされるようにして、 私はなおも体の内側からあふれ出してくる疑問を彼女に問いかけ続けた。 そう、ムクムクと湧きだしたのは貪欲なまでの好奇心だ。 「あ、それはそうと、私の恩師、ダンブルドア先生だよ――もライターというのは持っていらっしゃった気がするんだけれど、 でも、あれと比べるとこれはただの容器にしか見えないんだ。本当にこれがライターなのかい??」 「ああ、火消しライターね……。あれは高級のジッポーで、こっちは百均でも売ってるような安物ライター」 「そうなのか。ところで、ジッポとヒャッキンってなんだい!?」 「……オイルライターの俗称と店の名前です」 「へぇ。で、オイルライターとライターは何が違うの?」 「…………」 『……君が余計なこと言うからだよ、』 その後、少女に浴びせかけるように疑問を解消して貰い、会話がひと段落すると、 喉が渇いてきたので、とりあえず少女に近くの売店で売っていたコーヒーを奢る。 少女はたくさん話すことに慣れていないのか、くったりと少し疲れた様子を見せていた。 魔法猫が気づかわしげにしているところを見ると、もしかしたら病弱なのかもしれない。そうは見えないが。 「……もう嫌だ。日本人体質嫌だ」 『Noと言えない日本人の典型だったね。……お疲れ』 「ロンだったら断れたのにっ!なんだよ、この良い人オーラっ」 不意に少女からの視線を感じたので、首を傾げて見つめると、彼女はふいっと顔を逸らしてしまった。 どうも、その横顔を見るに、大分機嫌が悪くなってきているらしい。 よくよく考えてみれば、見知らぬ他人に長時間拘束されているのだ。 そろそろ嫌気がさしてきても不思議ではない。 そのことに、無性に申し訳ないような気がしてくる。 がしかし。 今、私は無性にその火炎放射器がどのようなものなのかが気になってきてしまっていた。 彼女は、危ない、と確かに言っていたので、それを一人で試すのは些か不安だ。 ちょっとだけ。 ちょっとだけ、試してみるくらいなら、大丈夫だろうか? ひっそりと、少女の顔色を窺うようにして見ると、彼女も横目で私を見てきた。 「!」 そして、ぶつかった視線に慌てて目線を逸らされる。 ……これは、ちょっとくらいなら許してくれそうな気がするなぁ。 少女の人の良さにつけ込むような形になってしまうが、 ここまで迷惑をかけたからには、もう今更だ。 そう開き直ると、私は少女もよく見えるように、 彼女のやや隣に向けて、先ほど教わった通りライターとスプレーを構えた。 「ええと、これを火炎放射器にするには、こうするんだったね」 「へ?あーそ……うっ!!!!!?」 そして、少女が制止の声を上げる前に、私はライターに火をつけた。 「っっっっっっ!!」 ゴウゥッ! と、ドラゴンが火を吹く様を連想させるくらい、勢いよく炎が飛び出す。 それは、私が思った以上の勢いで、おまけに私の操作が何かよくなかったのだろう、 炎は何故か真っ直ぐにではなく、横に開くように広がった! 弾かれるように少女は横に飛んで逃げたが、彼女のその豊かな髪、それはその動きについていけず。 辺りに、独特の焦げ臭さが漂う。 そして、少女の髪が一瞬炎にされされたな、と互いに認識した瞬間、 『っ!!』 どこからともなく、大量の水が彼女の全身を滝のように打った。 一瞬の出来事だったために、ボタボタとすぐワンピースからその水が滴り落ちる。 「「…………」」 地面に両手をついた彼女と、それを見ていた私はしばらく声を出すこともできなかった。 がしかし、少女が起き上がる際に発したうめき声に、ようやく思考が復活する。 「君っ!!?」 慌てて火炎放射器を放りだし、少女に駆け寄る。 「っつ〜〜〜っ!」 少女は、転んだために足を擦りむいてしまったものの、それ以外に目立つ怪我はないようだった。 そう、怪我は、ない。 そのことに安堵のため息を漏らしつつ、しかし、 「嗚呼……なんてことだ」 濡れ鼠のような姿と、艶の一つもなくなってしまった髪に自分の表情が歪んだことが分かった。 おしゃれに着こなしていたワンピースも、もはやぐちょぐちょで見る影もない。 前々から、お前は夢中になると周りが見えなくなると言われ続けてきたが、これがその結果である。 嗚呼、モリーから髪は女の命なのだと、散々言われたことがあるというのにっ! 元が美しい黒髪だっただけに、今の少し縮れてしまった姿は無残だった。 「危ないから、本当にやっちゃ駄目ですよ」と事前に言われていたにも関わらず、 好奇心を抑えられなかった自分が一から十まで悪いという事実に、安否を確認する言葉も碌に出てこない。 「す、すまない……っ」 「…………」 できたのは、精々蚊の鳴くような声で謝ることくらいだった。 髪を伸ばす呪文は、残念ながら未熟な自分には分からない。 どちらかと言えば魔法薬の分野なのだろうが、髪を戻す薬……? そんなものがあれば、世の年配の男性陣は嘆き悲しまないだろうっ!?!? と、私のよほど情けない表情で混乱しているのが分かったのだろう、 少女は、最初こそ、死んだ魚のような遠い瞳をしていたが、やがて苦笑を浮かべてみせてきた。 「……そんな死にそうな表情しなくても。あたしなら、まぁ、大丈夫ですよ? 怪我も大したことないし。ぶっちゃけ伸び過ぎたんでばっさり切る気だったし」 「!」 その気遣いが嬉しい反面、本当にどう償ったら良いのかが分からない。 おろおろと、とりあえず、彼女の濡れた服と怪我をどうにかするために杖を振るうが、 そこから先、私は見事に固まってしまった。 本来であれば慰謝料でも支払うのが良いのだろうが、まだまだ貯えがあるわけでもない若輩者だ。 おまけに、実家も色々家計が厳しいのに、まさか金を貸してくれだなどと言えるはずもない。 モリーが嘆き悲しむ姿が思わず浮かんでしまい、目の前が真っ暗になりかける。 がしかし、完全に視界が闇で覆われる前に、目の前に差し出されたのは、少女の手だった。 まるで、それは一筋の光のように。 「まぁ、気にするなっても言えないし。 とりあえず、お詫びの印ってことで、お兄さんが持ってるそのマント?くれません?」 「……え?」 「えーと……流石にこの格好でうろうろするのは、あたしもちょっと嫌なんで! そのちょーど姿形がすっぽり隠せそうなマント下さい!」 『っていうか寄越せ』 顔を上げてみれば、飛び込んできたのは見たこともないほど輝く、良い笑顔だった。 そして、その表情に、私は一もニもなく、手にしていたマントを差し出す。 すると、彼女は必要以上に嬉しそうにそれを受け取りながら、私に向かってこう言い放った。 「んで、まぁ、約束しましょう。 二度と、危ないって言われたことはやるなw あと、マグル製品に関して自重しろw」 「……はい」 蛇足だが、彼女と別れた後、遅刻気味だったモリーとのデートに向かえば、 事情を説明された彼女からも『マグル自粛令』を頂戴することになる私だった。 追剥に見えない追剥。 ......to be continued
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