それは、彼女の知らない舞台裏。





Phantom Magician、52





「……まったく、やってくれる」


自室に入った瞬間響いてきた声に、今にも叫び出しそうなミネルバを手で制する。
だが、青年はそんなこちらのやりとりに気付いていながら、まるで気に留めるそぶりもなく、 ゆったりとした動作で振り返った。
さらり、と眩いばかりの金色の髪が揺れ、漆黒の双眸と相見える。
その冷たく整った顔には、皮肉気な笑みがひらめいていた。


「そうは思わないか?アルバス=ダンブルドア」
「……さて、なんのことかのう?」







それは、つい1時間程前のこと。
ミネルバに来年の入学者宛の手紙を書いてもらうために、入学者名簿に目を通していた時だった。


「……うむ?」


そこに、一つの名前を見つけた。
昨日までは確かになかった、酷く特徴的な名前を。

ホグワーツにおいて、入学予定者はある一つのアイテムによって名簿に記される。
(そして、名簿に記された以後、在学中は常にその者の現在地の住所が名前の隣に浮かび上がるのだ)
そこに例外はなく、それに記されなければ、ホグワーツに通う資格なしと見なされる……。


「これは……どうしたものかのう」


すっと名簿から視線を横にずらし、そのアイテム――創設者が用いたとされる自動筆記羽ペンを見やる。
今は沈黙しているそれだったが、ある特定の範囲内で魔力の発現があればすぐさま動きだすのだろう。

だがしかし、である。
その名前が突然に記されたことに、戸惑いと疑問を禁じ得ない。
記された以上、この人物がホグワーツに通う資格を持ち得ていることは確かだが、「今更?」という想いがある。
名前が記されたのは、今年の入学予定者の欄だ。
もっと早くに、それこそ生まれた時に記されてもおかしくはないものを、何故?
そして。
そして、この人物の現在地がここホグワーツであるという、事実。

……早急になんらかの動きを起こす必要性を感じたものの、 この人物が広大なホグワーツのどこにいるのかを把握しきれていない自分には、 ミネルバの元を訪れ、実際に名簿を確認させるため校長室へ彼女を呼ぶことくらいしかできなかった。
考えうる可能性がないでもなかったが、どれもこれも確証が薄い。
実直で見識ある彼女と話をすることで、自身の頭を整理したかった。

だが、その思惑は外れ、校長室で待ち受けていたのは、名簿だけではなかった。
まるでそこにあることが当然とでもいうような自然な姿で、『彼』はそこに佇んでいた。
歳は、精々が15かそこらの、少年の域をようやく脱した程度のものだ。
けれど、その雰囲気が、魔力が、学生のそれとはまるで思えない。
奇妙に老成していて。
驚くほど深く。
あまりにも、圧倒的な、それだった。

そして、その魔力を感じた瞬間、悟らざるを得ない自分がいた。
彼が、そう・・だと。

と、こちらの戸惑いなどまるで意に反さない青年は、興味深そうにこちらを見やってくる。


「恍けるか……とんだ喰わせ者のじいさんだな」
「……っ!アルバスに、なんという口の利き方をっ!貴方は何者です!?」
「良いんじゃよ、ミネルバ」
「ですが、アルバス……!」


青年の言葉に過敏に反応するミネルバを、言葉と視線で落ち着かせる。
彼女の態度も分からなくはない。
なにしろ、ホグワーツの重要拠点ともいうべき校長室に、副校長である自分の知らない人物が我が物顔で入り込み、 おまけに不遜ともいえる態度で校長に接したのだから。
そこに友好的な雰囲気を見出せという方が酷である。
そのことは彼自身分かっているようで、 「すまないな。ここにいると、口調が性悪になっていけない」と苦笑してみせた。

がしかし、そんな風に浮足立って相対できるほど生易しい相手ではないことは、もはや明白だった。


「さて、ここでわしは立場上、お主に『ここで何をしているのか?』と問わねばならないワケじゃが。
何か言うことはないかの?」
「『何者だ?』はなくても良いのか?校長」
「分かりきっておることを訊くのは、お互いにとって時間の無駄じゃからのう」
「……違いない」


くすり、と酷く薄く青年が唇の端を歪める。
その顔色はおよそ生きているとは思えないほど白いが、ゴーストとは違う圧倒的な存在感に、 ミネルバともども、思わず息をのむ。
ここが自分の城であるかのように、彼にはまるで焦った様子はない。
どこまでも、静かに。
驚くほどの余裕を覗かせて、彼は口を開く。


「問われて答える義務などはないが……そうだな。ここには入学者名簿の改竄のために来た」


「どうも、アレにはそれもお見通しのようだが」と、そうあっけらかんと彼は言った。
まるでそれが、なんでもないことのように。
生真面目なミネルバは不愉快そうに鼻をならしていたが、自分が制した手前とりあえず沈黙を守っている。
そのことに感謝しつつも、「それで?」と続きを促す。


「何故、名簿に手を加える必要があったんじゃ?」
「……今年、ホグワーツに一人の少女がやってくる。
その少女をここで生活させたかった。それだけだ」
「もしや、その子に魔力は……?」
ない・・。あればわざわざこんなことをするものか」
「!そんなっ!ホグワーツに魔力もない子どもを入れるだなんて、貴方は一体何がしたいのです!?」


流石にその言葉は聞き逃せなかったのだろう、とうとうミネルバが堪らず青年に詰問した。
すると、そんな彼女に対して、彼は凍るような視線を向ける。
そこには親しみも、温かみも、およそ人に対する敬意もない。


「言ったはずだ。その少女をここで生活させたいだけだと。
その耳は飾りか?ミネルバ=マクゴナガル」


ただただ、青年は冷たかった。


「っ何故、私の名前を……」
「どうでも良いことを尋ねるな。自分の頭で考えろ。そこのじいさんのようにな」


突き放すかのように、それからはミネルバから視線を外し、彼はこちらを見てきた。
その瞳は爛々と輝いており、容赦などまるでない。


「それで?彼女の入学を認めてくれるのか?『校長』」
「……認めぬ、と言ったらどうするつもりじゃね?」





「別に大したことはしないさ。貴様らの記憶も改竄するだけのこと」





「っ!」


うっそりと笑むその姿に、空恐ろしいものを感じる。
ミネルバもそれは同じだったようで、彼女が杖を握りこむのが分かった。
彼は間違いなく、己の目的を果たすだろう。
手段を選ばず。
そのことに欠片も表情を動かすことなく。

だが、無用な争いをしたいワケでは互いにない。
油断なく彼の動作を見やりながら、慎重に口を開いた。


「ふむ。その少女の名前が名簿に記されておらん以上、認めるワケにはやはりいかぬな」
「……そうか」


青年の腕がすっと動く。
だが、それに先んじる形で紡いだ言葉によって、彼の動きが止まった。


「だがしかし、その少女はともかく、お主の入学は認めよう・・・・・・・・・・
「ほう……?」
「もっとも、お主がトムと関係がなければ、じゃが」


探るように、その闇のような瞳を見つめる。
この人物が、名簿に載っている通りの名前であったならば、 何を置いてもこれだけは確認しないワケにはいかなかった。
常に、この学校には闇のかいなが伸ばされている。
目の前の彼がそうでないという保証は、どこにもなかった。
トムがこのホグワーツに執着しているのは、未だに変わらない事実だからだ。

すると、その一言に、


「トム?それはトム=リドルのことか?」


彼はさきほどのミネルバに向けたものとはまったく次元の異なる、侮蔑の光を宿し、


「……あんな、自身が恵まれていることも分からずに闇に堕ちた愚者と関係があるか、だと?
あるワケがない。……あんな奴と一緒にするなっ!」
「「っ!」」


心底忌々しげに吐き捨てる。
それは、まるで。
血反吐のように。

そこにあったのは、凄まじいまでの嫌悪と憎悪。
さきほどまでの凪いだ気配の持ち主とはとても思えないほどに、激しい感情が体から迸るかのようだ。
彼はただ、その激情のままに叫ぶ。





「アイツは、違うくせに!望めば、手に入れられたはずなのに!
人が欲しくて欲しくてたまらないものを・・・・・・・・・・・・・・・・・・ドブに捨てるような奴・・・・・・・・・・と!?
頼まれても、あんな奴と関わり合いになんてなってたまるものかっ」





それは、ただただ焦がれるような表情だった。

ミネルバと二人、その言葉に、叫びに、言えることなど何もなかった。
そこには疑いの入り込む余地などまるでない。
その激情に、嘘偽りなどあろうものか。







そして、寧ろ、出逢ったその瞬間に禁断の呪文を発しそうな青年に、 ならばと用意していた言葉を告げる。


「……お主の名前は名簿に記されておる。わしは、お主を歓迎しよう。
そして、お主が使うべき部屋や机をどうしようが・・・・・・・・・・・・・・・・・・、それはお主の勝手じゃ」
「アルバスっ!?」


今度はミネルバがこちらを制止しようと名前を呼んだが、 すでにその言葉は青年の耳に入ってしまっていた。
彼は、それを聞くとその雰囲気を一変させ、満足そうにひとつ頷く。


「そうさせてもらうこととしよう」
「じゃが、忘れてはならん。入学を許可されたのは一人だけ、部屋も机もひとつだけじゃ。
お主が隠れるのも分け合うのも自由じゃが、周囲の生徒に対しては配慮してほしい。
また、お主が男である以上、男子寮で生活してもらう必要があるが良いかの?」
「……?男子寮?」
「そうじゃ。お主やその少女が世界を救いでもしない限り・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、例外はなく、の」
「……嗚呼、そういうことか。構わない。寧ろ、今はその方が好都合だ」


彼が何を思ってそのように言うのかはまるで分からなかったが、 ひとまずは、ここに魔法が飛び交うような事態にはならなそうだった。
そのことに、内心安堵しつつも、ふと気になった事柄について口を開く。


「ちなみに、その子の名前を聞いても良いかのう?
なにしろ、名簿に名前がないとわしには名前の知りようがないんじゃよ」


と、そこで、不意に彼を取り巻く雰囲気がほんの僅かに柔らかいものに変化した。





「…… だ」





それは、おそらく彼がこの部屋にやってきてから初めて浮かべた、心からの笑み。
まるで宝物を披露するかのような、それはそれは嬉しそうな、年相応の表情カオだった。

隣りでミネルバが酷く驚いていることを気配で察しつつも、 その笑みに後押しされるようにさらに言葉を重ねる。


「……ふむ。それで、その子は幾つじゃね?
お主と同じ程度なら、ちと面倒だと思うんじゃがの?」
「面倒、とは?」
「新入生の中にお主ほどの年齢の生徒が混じっていれば、酷く目立つ。
そのせいで、余計な邪推が入るのは、お互いあまり歓迎できんのう」
「ならば、編入生という形を取れば良いだろう。新入生よりはまだマシだ。
実際、学年など意味がないのだからな。新入生だろうが、編入生だろうが関係ない」


青年のその言葉に、少女がやはり彼とあまり変わらない年齢であることを悟る。
そして、彼の言うことにも一理あることを確認し、ミネルバを一瞥した後、頷きを返した。


「確かにその通りじゃ。では、5年生に編入、ということにしようかの?」
「嗚呼、それで良い。他の学年では、が落ち込む」
「?」
「こっちの話だ」


こうして、話がひと段落したことに、一瞬だけ気が緩む。
すると、


「さて、では準備がいるな……」


その瞬間を彼は見逃さなかった。


忘却せよオブリビエイト
「っ!?」
「ミネルバっ!!」


輝く光が、自身の隣に向けて放たれ、ミネルバがくず折れるようにその場に倒れた。
それに手を伸ばしつつ、青年に向けて魔法で応戦すると、彼はひょいと身軽な動作でそれを避ける。


「おっと。なかなか過激だな」
「……どういうつもりじゃ?」
「どういうも何もない。
恍けながらを探るつもりでいる貴様はともかく、 腹芸の出来ないマクゴナガルにここであったやり取りを覚えていられると面倒そうだからな。
彼女にはこの部屋を訪れる前後の記憶を忘れてもらった。ただそれだけだ」
「それだけ、じゃと?」
「危害を加えるつもりはない。彼女はの大切な『先生』だ」


「心配しなくても、それ以外のことは何もしていない」そう言葉を残して、 彼はふっと掻き消えるかのように姿を消した。
姿くらましでは、ない。
まるで煙のように消える静かなそれは、自身の知る魔法のどれとも違っていた。
そのことに、今更ながら背筋が冷たくなるような心地がする。
彼が、もし本気で自分と相対したならば、恐らくその実力はあちらの方がやや上、か……。
少なくとも、現存する魔法使いの大多数では・・・・・・・・・・・・・・、相手にもなるまい。
歳老いた我が身が、やはりこんな時は口惜しい。

まるで、何かに化かされたかのような感覚ばかりが、校長室に残った。
だが、先ほどまでのことが夢ではないことの証として、ミネルバの重みが腕にかかる。
そして、肖像画の囁きが部屋の中を満たした。


“大丈夫か、ダンブルドア?”
“嗚呼、まさかこのようなことがあろうとはっ”
“何故、今更彼の人が現れたのか……”
“おお、なんと、なんと光栄な!”
“しかし、不遜にすぎるのではないか?”
“何を言う!?話ができただけでも素晴らしいではないか”
“そうだ!”
“ええい、何故私の代ではなかったのか!”
“それにしても、『少女』とは一体……”
“それも、時が来れば分かるだろう”


青年本人がいた間はじっと沈黙を保ってきた彼らも、もはや黙ってはいられなくなったらしい。
口々に先ほどまでのやり取りや、青年に関することを捲くし立てる。


「証拠は残さぬ、か。……見事な狡猾さ・・・じゃ」


だが、その視線は全て、机の上に広げられた入学者名簿に新たに加わった名前だけを見つめていた。
そう、そこに黒々と記された、スリザリンという文字を――……。





知るのはただ、彼らのみ。





......to be continued