その選択だけは避けたかった。 Phantom Magician、51 その日、私はかなり機嫌が良かった。 というのも、ずっと憧れていたホグワーツという魔法魔術学校に就職することができたからだ。 父が世話になったというあの校長――アルバス=ダンブルドアの働きかけによるものである。 若干胡散臭い男だと思わなくもないが、雇ってくれるというのだから、文句も言えない。 そもそも、酔狂でなければ、この私を雇おうなどとは夢にも思わないだろう。 こんな若くもない、しかも、スクイブである私など。 ニャーオ と、私が新しい職場でそのように物思いにふけっていると、足元でミセス ノリスが美しい声で鳴いた。 この猫は私の両親が年甲斐もなく息子の就職を祝って買って寄越したものである。 (確かに、この歳まで生まれ持ったハンデのせいで職場を転々としていたのだから、その喜びようも分からなくないが) 当初は、どうしたものかと頭を悩ませたが、彼女は優秀で頭が良い。 特に面倒事をかけることなく、自分に親愛の情を寄せてくれる彼女を邪険になどできようはずもない。 気づけば共に行動することの多くなった彼女は、私の気持ちが沈んだのを敏感に察知したのだろう、 そんなことよりも、早くこの城の構造を覚えましょう、とその瞳が語っていた。 嗚呼、そうだ。 自分は、この城を探検(幼稚な言い方で嫌だが、これが最も適切な表現だろう)していたのだった。 「……はぁ。どうして私が、こんなことを」 ここの管理人になったのだから、まずは誰よりもその構造を熟知しようと思い立ったのが、数時間前のこと。 前任者から引き継ぎの際に一通りの案内はされたが、 この訳の分からない城を一度で覚えようなどとは無茶も良いところだ。 (何故隠し扉や通路があちこちにあって、おまけに意味のない階段などがあるのか、さっぱり分からない。 開校当初から城の構造などは変わっていないらしいので、これを建てた創設者とやらは間違いなく変人である) が、覚えていないと、業務に差し支える。 管理人とやらはなんでも、城の雑務をこなす他、夜中の見回りや校則違反者の取り締まりも行うらしい。 なにしろ、前任者を胃痛で退職に追い込むほどの糞餓鬼どももいるとの話だ。 その連中を追いかけて、私が迷子になりました、などということになったら目も当てられない。 「まぁ、仕方がない、のか……すまない、ミセス ノリス」 当初の予定を思い出した私は、ミセス ノリスに感謝しつつも、せかせかと足を動かしだした。 地図も何もないこの場所では、自分の目と耳と足が頼りだ。 この広大な城の構造を覚えようなどと思えば、のんびりとなどしていられない。 とりあえず、大広間までの道のりはしっかり把握しているので、 まさか迷子などという馬鹿げたことにはならないだろうが、場所が場所である。 かなり歩き回ることになることになるだろう。 間違いなくしばらく筋肉痛で悩まされそうだ、と思いながらも、きょろきょろと歩を進める。 「……」 「…………?」 と、しばらく教室名と場所を照らし合わせる作業を黙々と行っていると、 不意に近くの教室でボソボソとした話し声が聞こえてきた。 「……?……気絶したのか」 「仕方がない。僕も……流石に、疲れた」 「幾ら逆転時計があるっていっても、 僕にはまだ、時を超える魔法を使うのは……無茶だったかな」 「でも……終わってない。行か、ないと……」 扉越しであるために、内容まではとても聞き取れない。 けれど、その声の若さと響きに、該当する教授陣が誰一人としていないことくらいは分かる。 つい先日休暇に入ったばかりのはずだが、まさか、生徒が忍び込んだ、なんてことだろうか……? そうだとしたら、私が捕まえる栄えある第一号だ。 思わずごくり、と喉を鳴らしながら、慎重にドアノブに手をかける。 がしかし、扉の先に広がっていた光景は、想像していたものとまるで違うもので。 思わず拍子ぬけをするとともに、別種の緊張が私を包んだ。 「……誰だっ?」 埃に塗れた空き教室の、その真ん中に。 粉々に砕けた砂時計と、うつぶせに倒れる少女の姿があった。 バラバラと豊かな黒髪が散らばる様は、いっそ幻想的で。 けれど、ピクリとも動かない顔に掛かったそれのせいで、少女の顔色を窺う事ができない。 「にゃーぉ」 そして、その少女を守るように、漆黒の毛並みの猫がこちらを睨みつけていた。 爛々と燃える瞳に、一瞬気圧される。 がしかし、まさか倒れている子どもを、放置するワケにもいかないだろう。 仕方がなく、猫は猫同士ということで、足元のミセスノリスを見た。 すると、彼女は心得たとばかりにひとつ頷くと、するすると慎重な足取りで近づいていく。 『貴方、見かけない貌ね。ホグワーツに一体何の用!?』 『……キンキン喚くな。煩い奴だな』 『何ですって!?』 『……?ああ、なんだ。アンタか。随分、若いな』 『アンタだって十分若いでしょ!それに、私はアンタなんか知らないわ!』 『……ふん。なら、あそこにいるのは管理人か。丁度良い』 『アーガスに何の用!?』 『……アンタは変わらないんだな』 生憎猫の言葉は私には分からない。 しかし、ミセスノリスが、黒猫に対して威嚇をしているのが分かり、心持ち、落ち着かない。 お互いまだ幼いとはいえ、喧嘩になどなったら、あの美しい毛並みがどうなることか! 仮にそんな気配を見せたら、多少のけがをしようとも手を出そうと身構える。 『別にアンタのアーガスに手を出そうとなんか考えてないさ。 ただ、そこの女の子を医務室に運んでもらおうと思っただけだ。 僕に運べないワケじゃないけれど、僕にはすぐにやるべきことがある』 『……アンタの飼い主、かしら』 『僕に飼い主はいない。彼女はただ、僕が――』 がしかし、私のその心配は杞憂だったらしい。 黒猫はひとしきりミセス ノリスと話した後、よろよろと見るからに危なっかしい足取りで少女から離れた。 威嚇されなくなったことは良いが、あまりに弱々しいその姿に思わず手が伸びる。 「にゃっ!!?」 「ああ、コラ暴れるな!具合が悪いのなら、大人しく主人の傍にいろ。 一緒に医務室に連れて行ってやるから」 『ふざけるな、放せこの馬鹿!僕にはやることがあるんだよっ』 ふしゃーっ!と、牙を剥き出しにして黒猫が睨みつけてくる。 が、そこに先ほどの気迫(?)のようなものはなく、首根っこを捕まえたままどうにか宥めようと試みる。 と、そこに見かねたのかミセス ノリスも加わり、 『いい加減大人しくしなさい!』 『〜〜この馬鹿共がっ!』 『なぁんですってぇ!?良いこと?アンタが大人しくついてこないと、あの子がどうなってもしらないからね! 大事な主人なら、男と二人っきりになんてするんじゃないわよ! まぁ、百万が一にもアーガスに限ってそんなことはないけど!』 『は僕の主人じゃないっ!!』 『煩いわね!そんなことどうだって良いのよっ!!大事な事に変わりないじゃない!』 『〜〜〜〜〜っ』 私の肩にひょいと飛び乗った彼女に諭され、黒猫はやがて沈黙した。 『くそっ!勝手にしろ』 その姿が不貞腐れたようで、人間臭くて。妙に笑えた。 そして、私は大人しくなった猫を一旦床に下ろし、倒れ伏す子どもを抱き上げる。 随分と小さな少女だった。 東洋人だろうか、象牙色の肌は少し血の気を失っていたが、規則的な呼吸にほっと安堵の息が漏れる。 忍び込んだのか、迷い込んだのか、それとも倒れ伏したまま取り残されたのかは分からないが、 とりあえずは、医務室へ向けて私は歩きだした。 ……マダム ポンフリーが煩そうだがな。 結局、そうせざるをえないのだけれど。 ......to be continued
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