「夢と現実、その境はどこにあるのですか?」
そう、問うた。すると――……






Phantom Magician、49





、もう朝よ。起きなさい」


あくる日。
昨日の雪が嘘のように蒼穹がのぞく朝。
いつベッドに潜り込んだかも分からないままに迎えたその日も、いつもと変わらぬ声で幕を開ける。
けれど、その優しい声をあたしの意識は拾うことができなかった。
拾うことのできる状態に、いなかった。

昨日、鏡の中で信じがたい映像を突き付けられたあたしは、正直に頭が真っ白になって。
もうどこをどうやって自室まで帰って来たのか、まるで記憶にない。
そして、その後も寝ているのかそうでないのか曖昧な状態が続いて。
どこからが夢で。
どこまでが現で。
そんな、簡単なことさえ霧のなかを進むように判然としない。


?」


呼びかけるハーマイオニーの声に、怪訝さが混じる。
彼女は、反応のないあたしのベッドに近づき、いつもと違いそっと布団をめくった。
それを虚ろな瞳の端で捉え、しかし、あたしはやはり何の言葉も返さなかった。


っ?貴女……具合でも悪いの!?」


そのあまりの異様さにハーマイオニーが一気に心配の色を濃くしたのを感じ、 あたしは億劫ながらも「ん……」と小さく肯定を示す。
それは、別に彼女に心配をさせたくないという友達を想う理由からではなく。
医務室に引っ張っていかれてはたまらないからだった。


「すぐにマダムポンフリーに……っ!」
「あー……いらない」
「でも、!」
「ただの女の子の日だから。今日寝てれば治るよ」


適当に。ぞんざいに。
ありふれた言い訳で、彼女の優しさを拒絶する。

その明らかな態度で彼女もあたしが一人になりたいことを悟ったのだろう、 ハーマイオニーはどこまでも心配そうな態度は崩さないままではあったが、部屋を出て行った。
後ろ髪を引かれるような表情で「食事は持ってくるわね……」と。
けれど、あたしには。
そんな年下の少女の心遣いも響かない。


「…………」


しん。


と、あたし以外誰もいない場所で。
瞼を閉じても浮かぶのは、鮮やかな笑みを浮かべる写真の中の青年。
確かに、知りたいと願った。
どんな人間なのか、逢って色々なことを確かめたいと思った。
でも。
こんないきなり、何の心の準備もない状態で知りたくなんて、なかったのに。


「これは、夢だ……」


だから、あたしの知る人間が、キーパーソンになることはなんらおかしなことではない。
誰だって、覚えがあるはずだ。
夢の中で、自分の家族が。友人が。同僚が。
普段と違う関係で自分の前に現れるなど。


「でも、だったら……」





――なんであたしはこんなにショックを受けているのだろう。





『可能性を捨てられないからじゃない?』


と、独り言に答える、生意気な声があった。
ぼんやりとそちらに目を向けると、予想に違わぬ漆黒の毛並みが目に映る。
嗚呼、そうだ。ここには、コイツがいたのだったか。


「スティア……」
『君は、恐れている。この世界が“夢でない”可能性を』


あまりにこの夢がリアルだから。
だから、夢が夢でないという、小説にありがちなことを考えた。
それは、何度も何度も何度も。
今まで、数えるのも馬鹿らしくなるほどに頭をよぎった一つの可能性。

だが、この夢が現実であったなら?
そこに自分とよく似た青年――父親の若かりし姿が映るという、その理由は。
父親が、この異世界に渡ってきたという、更なる非現実を突き付ける。
それがそう簡単に受け入れられるか?
答えは――否。


「だって……怖くないはずがないじゃないか」


馬鹿げているとは思っても。





「スティアは一度だって、これが夢だなんて……言わなかった」





もし、この案内人がただ一言『これは夢だ』と言ってくれたならば。
嘘かもしれなくても、適当でも、言ってくれたならば。
あたしは諸手をあげて、それを歓迎したというのに。
どれだけ馬鹿げた会話を思い返してみても、黒猫はそんなこと言っていなかった。

それに気づいた時、自分の考えに裏付けが何一つないことにも思い至り。
込み上げた恐怖。倍増した困惑。
足もとが、ぐらついた。

そして、それを掠れた声で指摘すれば、スティアは少々目を見張り、感心した風な声を上げる。


『……へぇ。気づいてたんだ』


それが、本当に感心して出たものなのかは分からないけれど。


「……そこは否定しろよ、案内人」
『やだなぁ。事実を偽るのは偽証行為っていう立派な犯罪だよ?』
「犯罪犯してでもあたしの精神的苦痛を軽減しろや」
『えー、ごめん僕、根が正直なもんで』
「それこそ嘘だろ」
『うん、まぁ嘘だけど』


……このシリアスな場面で何故ボケる。


「あたし、アンタの冗談に付き合ってる余裕、今ないんだけど」


あくまでもローテンションを崩すことなく、あたしは奴から視線を外す。
だから、あたしはぽつりと次の一言を発したスティアの表情を、見逃した。





『この世界は……“夢”だよ』
『君はこの言葉を嘘だと思うかもしれない。でも、“夢”だ』
『たとえ君が何度否定しようとも、これは“夢”なんだよ』





『だから君は自分の行為にも、自分じゃない誰かの行為にも、責任を感じる必要はない』





この世界のことは、この世界の人間に任せてしまえ。
なに、気にすることはない。
君はこの夢の主人公で。
けれど帰ることのできる世界を。
帰るべき現実を、持っているのだから。

それは、優しくて甘い囁き。
夢であっても、自分の行為には責任を持つべきだと思うのに。
自分でなくても、自分が関わっていたら、何かを感じずにはいられないのに。
その言葉は、そんなあたしの考えを全て見越した上で施された救いだった。


「……スティアは、酷いね」


蜘蛛の糸のように、それはあまりにも残酷だったけれど。


「今のこの状況でそんなことを言われたら、あたしはその言葉を嘘だとしか思えないのに」


言って欲しかった一言。
でも、それは、あくまでも過去形で。
今言って欲しい言葉ではなかった。

促してから得られる言葉は、哀しいほどに空々しく。
真実であろうと、そうでなかろうと、等しく受け入れがたい。
そして、そのことを。


『だろうね』


目の前の彼は、知っている。


『仕方がないじゃないか。僕の言葉に、君は縛られちゃいけないんだよ』


頼って良い。
縋っても良い。
だけど、依存だけはするな。

それは、自分の願いを些細なものでさえ口にすることのない案内人からの、一つの言葉。
それが一体どれほどの想いから出たものなのかを、あたしは知らない。


「……今まで散々、色んな情報寄越して人の行動操作してきたくせによく言うよ」
『だから、肝心のことは色々ぼかしてきてあげたじゃないか』
「いや、あれどう考えても素だろ。そんな配慮じゃなくて、完全に適当な性格のせいだろ」
『何故ばれたし』
「分からいでか」


……嗚呼、もう。
なんだか真面目に相手するのが疲れてきた。
あたし、これでも結構精神的に疲れてるんだよ?分かってる、ちょっと。


『分かってるよ。……でもそれなら君の精神的苦痛を少し軽減してあげようか』
「は?」
は色々勘違いしやすい子だけど、今回のは特にそうだね。
君が見た写真に写っていたのは、君の父親じゃない・・・・・・・・
誓って、それだけは言える。それだけは誓う』


テンポよく(?)進んでいた会話だったが、その言葉にあたしの思考と言葉は停止した。


「な、に……?」


言われている意味が、分からない。
キミノチチオヤジャナイ?
何が。
どうして?
待って。
頭が、追いつかな……――


『あの鏡には細工がされていた。仕組まれていたんだ。
“名もなき魔法使い”の正体を知りたい人間があの鏡に映れば、予め決められたものを見せるように。
……僕は、君の願いを、知っている。少し思っていたのとは違ったけれど。
それでも、あんなものじゃ、ないんだ

「そ、んな……」


それじゃあ、あれはただの他人の空似だとでも?
確かに、世の中には自分に似た人間が3人はいるっていうし、 過去の人間も含めれば、それなりに考えられないことじゃないのかも、しれないけれど。
でも。
そんな、都合の良いことがある、ものなのか。

それとも、自分を探る人物がホグワーツに来た時に、誤った情報を与える為?
それなら、なくはないかもしれない。
どうやら、彼がホグワーツ出身なのは周知の事実のようだし。
がしかし。
わざわざ、そんなことをしなくても、様々な記録を弄っているのだから、まず情報自体が極めて少ない。
そんな間違ったことを植えつけるほど、『名もなき魔法使い』に近づける人物はいないだろう。

分からない。
分からない。

もう、あたしには何も分からない。
けれど、そんな自分とは裏腹に、あたしの口は至極どうでも良いことを訊ねていた。


「一体、誰が、そんな……」
『決まっているよ。そんなこと、当人以外にできるはずがない』


その一言に、あたしは心底思う。
やっぱり『名もなき魔法使い』一度ぶん殴りてぇ、と。







そして、あたしを散々混乱させた後、スティアは魔法省へ出かけて行った。
こんな時期にあたしを残してわざわざ出て行くその理由を詳しくは教えてくれなかったけれど、 それは結構大切な用事らしい。
もしもの時のため、とかなんとか抜かしてたけど、全くふざけた奴だ。
こんな情緒不安定な乙女を一人にするとかどういう了見だ。

と、ひとしきり八つ当たりの言葉を吐き出して、 すでにオーバーヒート気味の頭をどうにか空っぽにすべく、あたしは一人寂しくベッドにもう一度潜り込んだ。
がしかし、


とんとんとん。


?」


うとうととまどろむほどの間もなく、部屋の戸を叩く音がした。
その、おっかなびっくりの声に、苦笑が漏れる。
いつも自信に溢れている彼女に、そんな声を出させたのはきっとあたしくらいのものだろう。


「……起きてるよ。ハーマイオニー」


剣呑な声を出さないように苦心して声をかければ、どこかほっとした様子の彼女が顔を覗かせた。
その手にはバスケットが握られており、サンドイッチなど食べやすそうなものが一通り並んでいた。
……あー、こんなに年下の子に気を使わせちゃって、ダメだなぁ。

鬱状態だったとはいえ、自分で自分に呆れ果てる。
すると、その様子をどうとったのか、ハーマイオニーは一瞬泣きそうに表情カオを歪めて、 「ご、ごめんなさい!これだけじゃ足りないわよね!すぐに他の物を……っ」と踵を返そうとした。
ので、慌てたのは寧ろこっちである。


「いやいやいや!足りる足りる!寧ろ多すぎるくらいっ!」
「っ!!そうよね!多いわよね!すぐに処分を……っ」
「はぁ!?いや、処分って……っ!あーっもう良いから!ちょっとこっち来て!!」


どうやら色々とパニックになってるらしい。
あたしに食べ物を持ってきたくせに、どうしてだか全部捨てようとしだすハーマイオニーを大きな声で呼ぶ。
一体どこのコントだ、と思ったが、本人たちは至って真剣である。
と、あたしに呼ばれたことで少し浮上したらしいハーマイオニーは、 ちょこちょこと、まるで悪いことをした子どものように上目遣いで近寄ってきた。
……すげぇ罪悪感である。
なので、あたしは、ハーマイオニーが口を開く前に先手必勝で頭を下げた。


「……あの「ゴメンナサイ」
「え……?」
「朝の態度は、ちょっと悪かったなーって。幾ら具合が悪くても。
だから、ごめんね。ハーマイオニー」
「…………っ」


具合が悪いとかは嘘なのだが、まぁ、ここでカミングアウトする必要性は全くないので、 このまま吐き通すことにする。(方便だ)
すると、ハーマイオニーは殊勝なあたしの態度に、今度こそ落ち着いたらしく、慈愛溢れる表情カオで快く許してくれた。
その素敵な度量の広さをロン辺りにも発揮してくれると嬉しい。
(だって、その方が面倒がない)

が、まぁ、そんな内心のことを言うとそれこそ面倒臭くなりそうなので、 どうにか自分の思考を逸らすべく口を開いた。


「あの、さ。ハーマイオニー、ちょっと訊いても良い?」
「……?なにかしら?」
「この前言ってた『本』の話なんだけど……」


それは、軽い気持ちでした質問だった。
自分の整理をつける為にした行為だった。
だけど、それはこの後のあたしの運命を大きく動かすことになる。

そして、あたしはハーマイオニーが目線で続きを促すのに応えて、 自分が今最も気になっている事柄を、例え話として口にした。


「主人公がね、物語のキーパーソンっぽい人間の写真を見つけるの。
それで、それは主人公のお父さんによく似ててね。
でも、主人公のお供をしてる人は、それはお父さんなんかじゃないって言うんだ」
「はぁ、それで?」
「……主人公とその写真の主って関係あると思う?」


あたしの唐突にして意味不明な質問に怪訝な表情を浮かべていたハーマイオニーは、 しかし、話を聞き終わった後、むむむっと困惑気味ではありながらも言葉を紡いでくれた。


「あまり話が分からないのだけれど……あるんじゃないかしら」
「っ何で!!?」
「だって、そうじゃないとお話が面白くならないじゃない。
その人はお話の重要人物なんでしょう?主人公と関係とか因縁がない方が不自然だわ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「それは……まぁ、普通ならそうなのかもしれないけど」


でも、主人公あたしは、本当のところ『主人公』じゃ、ないのに。


「なに?その本は普通じゃないの?」
「普通じゃないっていうか……まぁ、確かに普通じゃないんだけど。
なんて言ったら良いんだろう。主人公って言ってもあくまで傍観者みたいな立ち位置で」
「?よく分からないわ」
「ええと、第三者視点じゃなくて、主人公の視点でお話が進むのってあるでしょ?あんな感じなんだけど。
で、そのお話には主人公以上に主人公っぽい人が出てくるっていうか」


敢えて言うなら、ホームズにおけるワトソンのような存在なのだ。
そう言えば、流石イギリス。嗜みの一つとしてシャーロック=ホームズシリーズは読んでいたらしく、 ようやくハーマイオニーの瞳に理解の色が浮かんだ。


「つまり、主人公なのに、事件にはあまり関わり合いのない人物ってことなのね?」
「あー、うんそう!それ!」


通じた話に、あたしも自然と笑みが浮かぶ。
(別にあたしが読んでる本が推理物だと言った覚えはないが、まぁ、なんとなく分かるので良し)
けれど、次に続けられた彼女の言葉はそんなあたしの表情を凍らせるのに十分な威力を有していた。


「そう、なら確かに関係がないかもしれないわね。
普通のキャラならともかく、物語の重要人物ともなると、 寧ろホームズや犯人との関係の方が作者は強調したいはずだわ。
もっとも、最終巻とかだと、その誰よりも事件に関わり合いのない人物とか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ホームズその人が・・・・・・・・真犯人だったりする・・・・・・・・・こともあるかしら」
「え…………?」
「まぁ、これは、作者が意表をつこうとしてやりすぎてしまう例のひとつだから、 考えなくても良いとは思うけれど。あくまでも、可能性の話よ?
何にしてもあまり考え込みすぎないことね。
どこまでいっても、それは所詮『作り話』なんだから。
読み進めていけば、必ず答えは出るはずだわ」


「分からないなら、休むついでに確かめてしまったら?」
その一言に、あたしは終ぞ答えることができなかった。





「夢と現実、そこに境はあるのですか?」
そう、答えが返ってきた。






......to be continued