狂った現実。狂った未来。 Phantom Magician、43 「今のは……下の階から?」 ふっと、リーマスの周囲を覆っていた雰囲気が色を変える。 温かかったそれが、固く、冷たいものへと。 一瞬で、『リーマス』から『教師』の表情になった彼に、あたしもはっと我に返る。 そして、耳を澄ませて……。 ――オォオォーン―― 続く騒音が気のせいでないことを確認した。 「……今の時間なら、生徒はもう大広間のはず。何故?」 「……………」 「ピーブズ……にしては、おかしい。これは……壁? 何か大きなものが暴れている……?」 「……………」 冷静に五感を使って状況を確認するリーマス。 人狼であるせいか、彼は結構感覚が鋭い。 だからこそ、僅かな空気の振動やらなにやらから、すぐに答えを出すだろう。 あたしと同じ、答えを。 でも、そんな馬鹿な、と思う。 どうして、アイツが、この場面で? 現れるはずなんて……なかったんじゃないのか。 違っていてくれ、と思う。 どうか、どうか、ただの双子の悪戯であってくれ、と。 だけど、そんなあたしのささやかな願いは、次のリーマスの一言であっけなく砕かれることとなる。 「……っ!この匂いはっ!!」 「――…トロール?」 思わず漏れた呟き。 リーマスが一瞬、こっちに目線を向けてきたが、あたしが未だ惚けているように見えたのだろう、 彼は厳しい表情で扉へと向き直り、あたしに一言だけ「ここにいるんだよ、」と言って出て行った。 あたしに構っている場合じゃないと判断したらしい。 きっと、このまま一目散に音の発信源――女子トイレに駆けこむのだろう。 でも、今からじゃ、きっとリーマスが着く頃には全てが終わっている。 その決着の仕方は、あたしには分からないけれど。 「……スティアっ!!」 『……ふぅ。まぁ、仕方がないね。どこにでも、案内してあげるよ。約束だからね』 焦燥に駆られて呼べば、スティアは諦めたように囁いた。 『』 そして、その瞬間。 テレビのチャンネルを切り替えたかのように景色が変わる。 部屋の中だったはずが、廊下へ。 目の前にしていたリーマスの部屋の扉が、数時間前に見た女子トイレの扉へ。 突然の認識の変化に、正直に感覚はついていかず、眩暈が起こる。 そのことに驚き戸惑いはすれど、今はそれどころじゃないとばかりに扉を蹴破る勢いで開けた。 「ハーマイオニーっ!!」 果たして、そこには。 今まさに、トロールと格闘をしている三人組の姿があった。 「!?君、何で……っ!?」 「駄目よ!!逃げてぇええぇえー!!」 驚きのあまり、こっちをぎょっと見てくるロンは、とりあえず大事なさそうだ。 一際大きな声をしているハーマイオニーも、今のところは怪我なし。 問題は。 「なっ!?だってっ!?」 すでにトロールの首筋にへばりついているハリーだった。 丁度、あたしがドアを開けた瞬間に飛びついたのだろう、 ハリーは中途半端な感じでトロールにくっついて、こっちを見ていた。 原作通りなら、しっかりとしがみついて杖をトロールに突き刺していなければならないというのに、 あたしが突然現れたせいで、奴の服にぶら下がっている形になってしまっている。 振り落とされるのは、時間の問題だった。 「…………っ!」 どうしようどうすべき? ここからトロールを吹き飛ばしたらハーマイオニーが潰れちゃうし、 かといって、このままだとハリーがやられるっ! すでに答えを持っているというのに、焦ったあたしにはどうしようどうしようという思いしかない。 見たこともない、それこそ想像上の生き物のような気味の悪い生き物を前にして、 冷静に行動できるほど、あたしは人間できちゃいなかったのだ。 まず、鼻につく異臭。 天井すれすれの体躯に、不吉な灰色。 人間ではありえない、長すぎる腕と丸太みたいな棍棒。 その姿ひとつひとつが、あたしというちっぽけな人間の恐怖を煽る。 あたしの声に反応してこっちを見てくる目に、知性はない。 けれど、そのまるで焦点の合っていない瞳に、あたしは戦慄した。 話など、通じない。 小手先の技など、意味がない。 必要なのは、圧倒的な暴力。 そのことを、まざまざと痛感させる、瞳だった。 ならばと杖を取り出して攻撃しようとするが。 「しまっ……!!」 焦ったせいで杖はローブに引っかかり、あたしの手から離れてしまった。 それも、よりにもよって、奴の足元へ。 『言っとくけど、君、杖なしじゃ魔法使えないからね。今度から肌身離さず持っててよ?』 不吉な黒猫の言葉が蘇る。 魔法のない今のあたしなんて、ただの11歳の子供だ。 何一つ、満足にできない、役立たず。 が、しかし、トロールはそんな子どもに対しても、容赦なく迫り、 その場にいた誰もが息をのむ中、あたし目がけて棍棒を振り下ろした。 「「「()っ!!!!」」」 けれど。 「息絶えよ」 けれど。 その瞬間、あたしのすぐ横から、低い囁きが聞こえた。 冷たく。 固く。 それでいて、酷く面倒くさそうな、そんな声が。 そして、倒れるトロール。 ハリーは、どうにかその腕を解き、ほうほうの体で床に転がりこんだが。 トロールは、動かない。 ぴくりとも。 当然だ。あの魔法に反対魔法など、ないのだから。 トロールなんかに、対抗なんてできるはずもない。 「……ふぅ」 ふっと、隣で許されざる呪文を行使した存在が、溜め息を吐いた。 あたしは突然のことに、隣を見ることができない。 ……けれど、視界の隅には、流れるような金の糸が映った。 見覚えのある、色だった。 「ごめんね。とっさのことだったから、思わず。 ……驚かせちゃったかな」 ブリキ人形のようにぎこちない動きで隣を見やる。 「でも、良かった。が無事で」 そこには、作り物めいた精緻な美貌があった。 あたしを前に助けてくれた時と同じ、とても。とても綺麗な顔。 こっちを見てくる瞳には気遣いが溢れ、とてもじゃないけど、さっきの声の持ち主とは思えない。 けれど。 「ケー……」 「うん?なんだい?」 ――ハリーを、殺す気? けれど、あの魔法を行使したのは紛れもなく、彼で。 トロールの動きが鈍かったから、狙いが外れなかっただけで。 ほんの僅かズレれば、ハリーに魔法が当たっていた。 当たっていたんだ。 考える。 わざわざ許されざる呪文を使う必要性が、今あっただろうか? いや、ない。そんなものあるはずがない。 武装解除呪文でも、ロンがやったように浮遊呪文でも、もしくは一般的に麻痺呪文でも構わなかった。 本来であれば、大人が数人がかりで倒す存在であっても。 ホグワーツの守護者だとかいう、御大層な存在なら、一人でどうとでもできたはずだ。 だが、ケーが使ったのは、許されざる呪文。 何故、わざわざそんな禁じられた呪文を、生徒のすぐ傍で使う必要がある。 けれど、まさか二度も助けてくれた恩人にそんなことを言うわけにもいかず。 あたしは強張った表情のまま、相手を見ることしかできなかった。 だが、その表情で十分だったのだろう、あたしの呼びかけに、ケーは微笑んだ。 優しく。 易しく。 笑わない、瞳で。 それは、何処までも酷薄で。 冷たい美貌に、これでもかと言う程似合う狡猾なものだった。 まるで蛇のように細まったその双眸に、泡のようにある人物の名前が浮かぶ。 さながら、連想ゲームのように。 「サ、ラ……?」 ぽつりと。 こんなところで出てくるはずのない、名前。 それが、何の抵抗もなく口から零れた。 普通であれば、皆怪訝に「突然何を言い出すんだ」と思うことだろう。 が。 ケーは、しかし、その言葉に戸惑うでも不思議そうな表情をするでもなく。 「……君のそういうところ、嫌だな」 ただただ、笑みを深めた。 嗚呼、でも。 あたしには、その表情が……泣きそうに、見えるのは気のせいだろうか。 「っ!!」 奇妙な緊張感のある空気を破ったのは、その場にいた人間ではなく、第三者――リーマスの声だった。 まるで魔法を解かれたかのように、ばっと視線が廊下の向こうに集中する。 リーマスは驚愕に目を見開きながらも、こっちに向かって激走してくる。 すると、そんなあたしの肩を叩き、ケーは軽い足取りで走りだした。 「じゃあ、またね。」 「え……」 さっきまでのやり取りなんてまるでなかったかのように、あっさりと。 弁解も、言い訳も何一つしないまま、ケーはいなくなった。 霞のように、とは言わない。 けれど、そのあまりの軽やかさは。 あっけのなさすぎる、退場は。 まるで、最初からこの世界に存在などしていなかったかのようだった。 けれど、彼は幻でもなんでもないのだろう。 トロールの死体という確かな痕跡を、この場に残したのだから。 茫然と見送るしかなかったあたし。 すると、そんなあたしのところにリーマスが駆けつけ、肩を掴んだ。 「!今の彼は……っ!?」 「え、あ、うん……?」 「とにかくっ!君はここにいるんだ!私は彼を追うっ!!」 ばっと全身を見て、あたしに異常がないことを悟ったらしく、 リーマスはあたしをその場に残して、ケーの後を追い始めた。 きっと、彼を今回の犯人だとでも思ったのだろう。 不審な第三者。 それも、許されざる呪文を、あっさりと行使できるような人間だ。 でも。 でも、あたしは。 何かがおかしい、と思い始めていた。 その後、あたしたちはマクゴナガル以下、何人もの先生方にこってりと絞られ、 原作のように一人5点の加点とハーマイオニーの5点の減点を頂戴して、この場はお開きになった。 (ちなみにハリーたちは、ケーの姿を見ていなかった。 誰かは分からないが、誰かの杖腕がドアから現れ、自分たちを助けて颯爽といなくなったと思っている。 許されざる呪文に対してはぞっとしていたが、使われた相手がトロールということもあり、 ロンあたりは、『格好良いよなー!』なんて憧れ口調で話していた。とりあえず殴っといた) そして、ハーマイオニーは以前より規則破りに寛容になり、ハリーたちと仲良くなり……。 と、予定調和のように、物語はつつがなく進行した。 けれど。 けれど、ただ一人。 ケーの姿を見たリーマスだけが、あたしにひとつだけ問いを投げかけた。 君は、彼を知っているのか、と。 けれど、それに対してあたしが持つ答えは「知らない」。 ただ、二回。 あたしのことを助けてくれたという、それだけだ。 よく知りもしない人間があんな風にあたしを助けてくれたという事実に、妙な居心地の悪さを覚えたが、 リーマスは彼のそんな行動をまるで当然のことのように受けとめ、納得した。 あたしでさえ、我ながらおかしな返答だと思ったのに、あっさりと。 そして、それどころか、リーマスはケーのことをダンブルドアに報告すらしなかった。 幾らなんでも、それは不自然だ。 ホグワーツの守護者だろうがなんだろうが、 良いことをしたんだろうが悪いことをしたんだろうが、 教師には、特異な事柄を校長に報告する義務があるはず。 けれど。 「……彼のことは秘密にしておいて欲しい。 きっと、理由があるはずだから」 そう、妙なことを告げる彼の表情は。 『教師』ではなく『リーマス』の表情だった。 実際に狂っているのは、何だ。 ......to be continued
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