他人のために怪我を忘れられる人間って凄いよね。 Phantom Magician、39 広大なホグワーツ城を縦断するように、けたたましい足音がふたつ鳴り響く。 その音にある教授は不思議そうに歩みを止め。 事情を知らない生徒たちは、一体何が始まったのかと首を傾げた。 だが、彼らは部外者でしかない。 だから、何故、唐突なガチレースが勃発しているのか。 何故、走っている二人の女生徒が泣きそうになりながらもその足を止めないのか、分からないことだろう。 ……当事者のあたしも、段々訳分かんなくなってるんだけどねっ! 「ハー、マ、ニー!ハーマイ、ニー、ちょっ!待っ!?」 そう、あたしとハーマイオニーは気づけばリア○鬼ごっこでもしているかのように必死の形相で廊下を爆走していた。 読書人間とは思えないほどの身体能力の高さを見せるハーマイオニー。 対するは、ホグワーツに来てからようやく運動不足が解消されつつあるあたし。 結果、あたしたちの鬼ごっこは見事な均衡を保っていた。 距離が近づいたかなーと思ったら離れ、離れたなーと思うと近づき。 わざとじゃないかっていう絶妙な距離であたしたちはひた走る。 「〜〜〜〜来ないでっ!」 秀才にはあるまじき、冷静さの欠片もない声でハーマイオニーが怒鳴る。 最初は悲劇のヒロイン然としていたハーマイオニーも、もはやそんな大人しげな姿をかなぐり捨てていた。 あたしも大概余裕がないが、彼女もそれは同じだ。 もうここまで来てしまうと、あとは運動神経うんぬんじゃなくて、精神力(っていうか、意地?)の問題だ。 ああ、もう!絶対捕まえてやるかんな、この馬鹿! ハーマイオニーは、あんだけ注目を浴びる形で教室を飛び出したものの、 まさか、追ってくる人間がいようとは思ってもみなかったらしい。 あたしが名前を連呼して近づいてくるのを見た彼女は目を見張ったかと思うと、 なんと脇目も振らずに逃げ出してしまったのだ。 どう考えても、ロンならともかくあたしから逃げる必要性はないはずなのだが。 そこは、少々パニックを起こしてしまったのだろう。 で、ならどうにか落ち着けるのが先決なのだが、どうもさっきから上手くいかない。 それもこれも全てはこのデッドヒートが原因だ。 こんな全力で走ってたら、とてもじゃないが頭に酸素が行かない。 「ハーマ、ニー!マジ、止まれっての!!」 「嫌よ!貴女、こそ、止まって、頂戴っ!」 「止まれと言わ、れて、止まる、馬鹿、いるかぁー!」 「その、言葉、そっくり、そのまま、返すわ!」 なんでか二人ともケンカ腰。 走りながら大声で叫び合うってどんだけー? でも息切れしてるから若干間抜けだよね。我ながら。 嗚呼、凄ぇ酸欠。駄目。頭回んない。 徐々に体力の限界が見え始める。 「ゼッ…はぁ…ゼッ……ハァっ!」 呼吸が乱れる。 マラソンであればともかく、今行っているのは果てのない全力疾走だ。 ハンターの一次試験でもそうだったが、そういうものは精神的にも辛いものがある。 やがて、ハーマイオニーが付き当たりの角を曲がったのを追いかけて、足を踏み出したその時。 ビキッと嫌な音とともに視界が傾く。 「っ!!?」 あっと思った時には、あたしは豪快にすっ転んでいた。 とっさに床に手をついたが、腕一本で人ひとり分の体重を支えられるワケもなく。 べしゃっとそのままの勢いで、床に身体を投げ出すこととなった。 当然、ハーマイオニーはそんなあたしに気づくことなく走り去る。 遠ざかる背中を見て、慌てて立ち上がろうとしたあたしだったが、手首と足首に走った激痛に、声もなく崩れ落ちる。 「〜〜〜〜〜いったっ!」 あまりの痛みに目の前の景色がちかちかと点滅した。 思わず足首に手をやる。 が、ほんの少し触っただけでも、痺れるような痛みが広がるために、ぶっちゃけ涙目だ。 「……はぁ、は、げほっ、は、うぅうううぅー……」 うあー。これ、完全に捻ってる……っ 痛ぇ。マジ、いってぇ! え、これってまさかの捻挫!? やだー!靴下の下がどうなってるか見るのが怖いっ! と、あたしが痛みに悶えていたその時、廊下の後方から誰かがこちらに向かって走ってくる音が聞こえた。 そして、力強く抱きあげられる身体。 「っ君!大丈夫かい!?」 「〜〜〜〜〜っ!」 が、その刺激が追い打ちになることを何故察してくれないのか。 心配してくれてるっぽいことは分かるよ?分かるけれども。 まずはただ声掛けることから始めてくれよ、マジで。 痛い痛い痛い痛いずきずきする痛いマジ痛い痛い泣きたい痛い。 あたしは、軽い恨みを込めて、自分を支えているどこの誰だか分かんない奴を睨みつける。 (え、涙目?そんなの関係ねぇっ!) 「ああ、これは酷いな。 でも、安心して?すぐに医務室に連れて行ってあげるからね」 が、カナリア・イエローと黒のタイをした少年?青年?はそれに気付かず、 言葉通りあたしを安心させるようにそれは柔らかく微笑んだ。 「!」 「足が痛いんだね?あ、肘も擦りむいているな……。 あとは?他に痛いところはないかい?」 気を遣いながら、丁寧にあたしの怪我の具合を確かめる彼。 前に倒れたというよりは横倒しになった、と言った方が正しいため、怪我がなかなかに広範囲に及んでしまったようだ。 が、まぁ、彼のおかげでその痛みへの意識は、見事に散らされた。 じんじんするし、熱持ってる気配もするし、本当だったら、それ以外に意識なんぞ向かないのだが。 「だ、だいじょぶ……です」 「……君は、随分と我慢強い子なんだね」 ふんわり、と。 彼が笑っただけで、初夏の爽やかな空気が満ちる。 そりゃあ、目の前に見たこともない爽やか系美青年がいて微笑みかけられたら、気も散るさ! 今の自分より2、3年上であろうその、少年と青年の挟間の男の子は、間違いなくイケメンだった。 この世界の美形率はハンパないと思っていたが、うん。すげぇイケメン。 現代日本で普通に生活していたらまず拝めない美貌に遭遇するのは、果たして何度目だろう。 リーマスはほんわか鋭い腹黒美人さんでー。 ジェームズは茶目っけたっぷりなイケメンでー。 シリウスは野性味あふれる美形。 えーと、あとスネイプ先生は冷厳な感じの別嬪か。 ハリーは素直で可愛い美少年で、マルコは正統派美少年。 ケーはお人形さんみたいな精緻な美貌で、目の前の彼はスポーツ系爽やか美青年だ。 しかも、ことごとくがタイプの違う美系ってこれ如何に。 ってか、地元の友人を含めてこんだけ美形が傍にいるのに、誰一人あたしの彼でないという事実が哀し過ぎるw ……目の保養にしろということなんだろうか。 でも、あたし眼福ばっかりより、ささやかな幸福が一個欲しいんですけど! と、全身の痛みから逃れるためにも、目の前のイケメンに対して意識を集中する。 えーと、タイの色からすると……ハッフルパフの人か。 怪我人に真っ先に駆け寄ってくるとか、その気質にどんぴしゃりの行動だ。 たまーにすれ違ったりするけど、あの寮の人達ってホントほっとするよね。見てて。 グリフィンドールは無鉄砲多いし、スリザリンは高慢ちきだし、レイブンクローは頭の良い馬鹿ばっかだし。 そんななかに存在するハッフルパフって、ホグワーツの良心じゃね?とか思うよ。 で、そのホグワーツの良心ことハッフルパフの先輩は、よしよしと頭を撫でた後、 細心の注意を払ってあたしの背中とひざ裏に腕を差し込む。 「痛いかもしれないけれど、もう少し我慢してね」 うわー。見かけによらず逞しい腕だこと……って、ちょっと待ってくれ。 明らかに自分がさっき行こうとしていた方向と逆に行こうとする青年に、慌てて通路の奥を見る。 もちろんそこに、豊かな栗毛色の髪の持ち主を見受けることはできない。 今ここで医務室になんぞ行ってしまったら、さっきまでのあたしの全力疾走は? まったく無意味で骨折り損(嗚呼、くそ文字通り)になるんじゃないの? マダム ポンフリーのことだ。 こんな大けがをしてしまったら、今日は医務室に缶詰めにされるに違いない。 それじゃあ。 それじゃあ、ハーマイオニーは誰が追いかけるんだ? ああ、うん。考えるまでもない。 誰も。 誰もきっと、追いかけない。 ハリーも、ロンも、あの教室にいた誰一人。 多少心配して捜すくらいはするかもだけど、追いかけたりは、しないのだ。 それは、なんて寂しいことなんだろうと思う。 都会の人ごみでひとりぼっちなのも、果てない草原でひとりぼっちなのも、 泣きたくなる場所であることは同じなのに。 一人で泣いているであろうハーマイオニーを思い、一瞬だけ瞑目する。 「……これっきゃないか」 ふぅっと小さく嘆息して腹をくくる。 かなり気が進まないが、仕方がない。 「?何か言ったかい??」 そしてあたしは、ぼそりと呟いた一言を拾い上げた青年に、手を合わせて懇願した。 この体勢と怪我なので土下座は勘弁して頂こう。 「……逢ったばっかで申し訳ありませんけど、あたしのアッシー君になって下さいお願いします!」 「………………は?」 アッシー君――ようは交通手段の意。主に犠牲はお父さん。 日本人以外では通用しないその意味と事情をかいつまんで教えると、美青年は柳眉を顰めて難色を示した。 まぁ、当然だろう。 あたしだってそんなこといきなり言われたら「あんたバカぁ!?」と言いたくなる。 初対面で頼むことじゃないし、怪我人が頼むことでもない。 が、今この場ですぐあたしが頼れるのは、見るからに良い人そうな目の前の彼なのだ。 たとえ常識外れの行動でもなんでもやらねばなるまい。 ハーマイオニーはきっと、そろそろあたしが追ってきていないことに気づいて、 どこぞのトイレにでも引きこもっているはずだ。 仕留める(違う)には今が絶好の機会! 他の仲良い人探すのは時間かかるし、そもそも同級生じゃあたし抱えらんないし。 で、それを踏まえて。 あたしの考えうる最善は、この人にアッシー君をしてもらうことだった。 (アクシオで箒を呼び寄せて乗るとかいう選択肢はあたしにはない。だって次こそは死ぬ) が、あたしがどうしても行きたい場所があると言っても、彼はその場から動かない。 頭から無視されて医務室に直行されないだけまだマシだが、これはこれで困る。 「…………」 「ええと、迷惑なのは分かってるんですけど、お願いします……」 「…………」 無言か! 無言なのか! 医務室に連れてく時間くらいで良いから、ちょっと付き合ってくれても良くない!? 「あの……あっちの方行きたいんですけど」 「…………」 「早くしないと色々まずくてですね?なんだったら置いてってくれても良いんですけど。 できれば、連れてってくれると嬉しいなっていう……」 「…………」 ……駄目だこいつ。 ちっともさっぱり動く気配がない。 徐々に困惑していく青年に見切りをつけ、さっさと床に下してもらおうと再度口を開く。 が、あたしが声を発する前に、青年はようやくそこでぽつり、と呟いた。 「君が、グリフィンドールだからかな……」 「はい?」 「こんな酷い怪我より人を優先するのは、勇猛果敢とかじゃないんだよ。 それなのに、『行かなきゃならない場所がある』だなんて。 本当に、それは君じゃなきゃいけないことなのかい?怪我をおして?」 「!」 確信を突く一言に、息が詰まる。 それに対してあたしが持つ答えは「NO」だった。 だって、それは本来、あたしの役割ではない。 成り行きで駆けだしてしまったが、それが最善でないことをあたしは知っていた。 あたしはハリーなりロンなりに対して、 「さっさとハーマイオニー見つけて謝ってこい大馬鹿野郎が!」とでも尻をひっぱたくのが本当なのだ。 あたしのせいで三人が仲良くなれる機会を失くしたというのなら、それを作るのが最善であり当然だった。 トロールとの戦いが仲良くなるきっかけだとしても。 それがなかったとしても。 きっかけはきっかけで。 あれだけ馬が合う三人なのだ。 少し冷静になってちゃんと話をすれば、ゆっくりでも仲良くなれるはずだと思う。 でも、あたしは感情に任せて文字通り突っ走ってしまったのだ。 それは、最善ではなく、自分を優先した行動。 きっと、ハーマイオニーに追いつけなかったのも、 こうして怪我をして追いかけられなくなったのも、天の采配という奴だ。 でも。 「……ヤなんです」 「嫌?」 「はい。すっごく、気に入らない。 友達未満の人に、友達を慰める役を取られるのが、ものすごく」 これから友達になるかもしれない人間とかそんなん知るか。 それが、今のあたしの偽らざる本音。 ロンやらハリーやらとなら、現時点での優先順位は間違いなくあたしのが上だ。絶対。 なんで、そんな自分から動きもしない連中のお膳立てをあたしがしなきゃいけないんだよ、面倒臭い。 ハーマイオニーは、多分この世界に来て初めてできた友達なのに。 リーマスが好きだけど、友達にはなりえないしなりたくない。 シリウスは同居人って扱いだと思う。 ハリーは微妙だが、気分的には仲の良いクラスメートの男子って意識が強い。 (ちなみに、ロンは名前通り論外――いや、寧ろロン男だ。) だから、この世界であたしが間違いなく友達だと言えるのは、誰を置いてもまずハーマイオニーなのだ。 そして、ハーマイオニーにとっても、あたしが初めての友達だと思う。 だから、自惚れ抜きで、あたしが一番楽にハーマイオニーを引っ張り出せる人間じゃないか。 ああ、いや、ごちゃごちゃ色々思うところはあるけど、ようは。 「っていうか、ハーマイオニーがあたしのこと友達だって言わないで逃げ出したのが一番むかついた」 それなりに仲良くなったつもりだったあたしが、それじゃ馬鹿みたいじゃないか。 即答はできないまでも、ちょっとくらい悩めよ、マジで。 「あたしは友達だと思ってるけど、はどうなのかしら?」とか思えよ! あたしだったら、まずちらっと相手の顔色窺うよ! 気まずそうに目を逸らされたりしたら泣きたくなるけど、あたし逸らしてなんかなかったじゃん! メッチャ顔覗き込んだのに、目も見なかったのはハーマイオニーじゃん! 自分本位とか言われても全然良い。事実だし。 ただのあたしの我儘だ。甘んじて受け入れよう。 「だから、まず文句言わないと、あたしの気がすまないんですよ!」 高らかに宣言する。 なんのことはない。 あたしが動いているのはハーマイオニーのためとかじゃなくて、 罪悪感とか怒りとか、そんな「自分のため」なのだ。 あたしみたいな人間が、他人のためにこんな痛み我慢できるワケないじゃん。 そして、青年はあたしが拳を握っているのを見て、目を細める。 その仕草は、ほんの少しリーマスを思い出させた。 「怪我をしているのに?」 「してるけど、しょうがないじゃないですか。人間我慢も大事です」 「痛いんじゃないかい?」 「当たり前じゃないですか!超痛いですよ!」 「でも行きたいの?」 「文句は生モノだから、さっさと叩き売らないといけないんです!」 良いからさっさとアッシーになるかあたしを下すか選べ、このイケメンが! と、あたしが梃子でも動かない気配を察し、青年は呆れたように溜息をつきつつ、「分かった。連れて行くよ」と言った。 さっさと見切りをつけられると思っていただけに、大変嬉しい。 覚悟はしてたけど、この怪我だから、ちょっと歩いただけで前言撤回しかねなかったし。 望む答えに思わずぱっと顔が明るくなったあたしだったが、彼の次の一言に思わず赤面する。 「そのハーマイオニーって子を探して、早く医務室に行こう。君が心配だからね」 あくまでも彼の中では、怪我人を手当てするのが最優先らしい。 清々しいまでに良い人だ。でも、天然だ。 なんて末恐ろしい。 ハッフルパフにこんな外見内面ともに好青年がいるとは思わなかっ……ん? 美形。ハッフルパフ。好青年。スポーツ系爽やか君。 なんとなく、それにことごとく当てはまる人物の名前が頭の中を掠める。 いや、でも、ねぇ? あたしまだ一年生でニヵ月くらいしか経ってないのに、逢うはずが……。 「…………」 試しに、こっそりと目の前で揺れるタイをひっくり返して見る。 (このタイは、入学後に学校側からプレゼントされるもので、なんと名前の刺繍入りなのだ) 「…………はぁ」 そして、予想通りの「セドリック=ディゴリー」の文字に、 本気で人生何度目になるか分からない夢ご都合主義を感じるあたしだった。 あたしは自分のためだったら、怪我をいったん置いておくくらいできるかな。 ......to be continued
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