その手は酷く温かかった。





Phantom Magician、12





リーマスと二人、地上に降り立つと、そこでは真っ青な顔をしたハリーが出迎えてくれた。
あたしもあたしで怖い想いをしたけれど、ハリーだってそれは同じだ。
まさか、軽い気持ちで勧めた箒で、こんな事故が起こるなんて思ってもみなかったことだろう。


!……っ大丈夫!?けがはない!?」


彼は可哀想な位、びっしょりと冷や汗をかいてあたしの手を握った。
がしかし。
あたしがそれに対して応える前に、あたしの手はリーマスによって回収されていた。


「……ハリー」
「っ!」


リーマスは見たこともないくらい、怖ろしい表情でハリーを見ていた。
が、声はそれとは裏腹に、奇妙なくらい静かだ。
そして、その声を聞いた瞬間、あたしとハリーの背筋に戦慄が走った。


「君が、箒に慣れているのは知っている。
でも、この子にまで箒を勧めたのは……感心できないね」


その圧力は殺気といってもいいほど、激しいものだった。


「う……ご、ごめんなさい」


もはや蛇に睨まれた蛙状態で、ハリーはつっかえながら謝罪する。
その姿は、見ているこっちの方が謝りたくなってくるほど、悲壮なものだ。
ところが、リーマスの憤りは、その程度では全く沈静化してくれなかった。


「ハリー。世の中には、謝って済む問題とそうでない問題があるんだよ?
たまたま、私が間に合ったから良かったようなものの、間に合わなかったら、は今頃死んでいた。
分かっているのかい」
「「!」」


その言葉に、思わず先ほどの恐怖を思い出す。
そう。リーマスが正義の味方よろしく現れてくれなければ、今頃自分は、それこそ潰れた蛙状態だ。
こうして、自分の足で地面に立つこともなければ、 何かを考えたり思ったりすることもなかったはずだった。

それを思えば、今更ながらに体が震えだす。
と、あたしの震えを、手を通じて感じ取ったのだろう、 リーマスはこっちを見ることさえしなかったものの、その手をぎゅっと握りしめてくれた。

その手の暖かさに救われる想いをしながら、あたしは未だリーマスの怒りに晒されているハリーを見る。
視線の先で、彼は事の重大さに打ちひしがれ、酷くうなだれていた。


「……本当に、ごめんなさい」
「謝る相手が違うだろう。に謝るんだ」
「っ!」


リーマスはにべもない。
と、そのあまりにも厳しい姿に、あたしはそこでようやくハリーのフォローをすることを思い立った。
もともと、誘ったのはハリーでも、それを了承したのは自分だ。
なら、ハリーだけこんな風に叱られているのはおかしい。理不尽だ。
正直、リーマスに怒られるのは、大金を払ってでも遠慮したいところだったが、 これも可愛いハリーを救うためだ、と覚悟を決め、なけなしの勇気を振り絞る。


「待って、リーマス……。あたしも楽しそうだからってやっちゃったの。
だから、ハリーのことをこれ以上叱らないで」
「…………」
「……


ハリーがほんの少しだけ肩の力を抜くのが見えた。
が、リーマスはしゃべらない。
無言で、厳しい視線を今度はあたしに向ける。
……う。怖い。


「ハリーは、ちゃんと教えてくれたんだよ。でも、なんだか箒が暴走しちゃって……。
だから、ハリーは本当に悪くないの」
「…………」
「あの、だから……」
「…………」
「……ごめんなさい。多分、悪いのは箒のド下手くそだったあたしです」


沈黙に居たたまれず、あたしは思わず、ないはずの罪を自供した。
気分は「すいやせん、自分がやりやしたーっっ!でも、でも、あれは事故だったんです!」ってところだ。
……取り調べを受ける人ってきっとこんな気持ちなのね。
知りもしたくないものを知ってしまった。

そして、たっぷり数十秒は経っただろうか、リーマスは「はぁ……」と盛大な溜息を洩らした。
どうでもいいことかもしれないけど、あたし、最近周りの人の溜め息率を凄い勢いで増やしてる気がする。
し、幸せが逃げちゃうゾ☆
……ごめんなさい。


「……もう二度と、こんな心臓に悪いことはしないでくれるかい。
が投げ出されたのを見た時は、本気で寿命が縮まったよ」
「「……ご、ごめんなさい」」


ひたすら恐縮するしかない、子ども組だった。





そして、リーマスの家に帰り着いたあたしたちだったが、 とてもじゃないが、これから入学祝いだなんてやってる気分ではなくなってしまった。
当然だろう。ぶっちゃけ、死にかけたんだから。
なので、入学祝いは急遽延期して、ポッター親子は早々に自宅に戻ることとなった。
ハリーは、何度も何度もあたしに謝ってくれて、 もしあたしが何か困ったりしたら真っ先に駆けつけてきてくれると約束してくれた。
実際にはそれも難しいだろうけれど、その心遣いだけで、もう十分だった。
それに、あたし自身は先にリーマスが怒髪天を突いてくれたおかげで、ハリーに対しての怒りは皆無だ。
寧ろ、あたしのせいで、その後散々怒られたのを見て、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

そう、あたしたちが帰ってきて、その顔色の悪さを説明した時の、 シリウスとジェームズの反応はそれはすごいものだった。


「「箒に乗せた!?」」


もう、大合唱である。
シリウスの顔は一気に血の気が失せ、ジェームズはあの余裕たっぷりの笑顔をかき消してしまったのだ。
それを見た瞬間、安易にかなり危険なことをしてしまったのだと、嫌でも思い知ってしまった。

……すみません。あたし正直、箒のこと舐めてました。
だって、ハリーはあっさり乗ってたし、あのロンでさえちゃんと乗れるんだし。
せいぜい、自転車くらいの危険度だと思ってたワケよ。

が、とんでもなかった。
大人たちの様子を見る限り、それは裸でライオンに挑む並の暴挙だったらしい。
シリウスは普段の素気ない態度をかなぐり捨てて、あたしの安否を確認しだした。


「大丈夫なのか!?骨は!?頭は!?内臓は無事か!」
「……落ち着きなよ、シリウス。
流石にそんなことになってたら、リーマスがこんなに冷静でいるはずがないじゃないか。
もう、とっくの昔にハリーが殺されててもおかしくないよ」


……この父親、自分の息子 殺 し や が っ た。
っていうか、シリウス。
なんだか心配の仕方が色々おかしい気がするのはあたしだけだろうか。内臓って。


「……ん、それもそうだな。ハリーは?怪我はないのか?」
「う、ん……。僕は、見てただけだったから」


ハリーは歯切れ悪く答える。
その視線の先にリーマスがいることから、その言葉が彼の不興を買わないか心配しているのだろうと知れた。
うん。体は無事だけど、心が重傷って感じかな。

しかし、その保護者たちは、そんなハリーの様子には気付かないらしい。
二人は、顔色の悪い彼の顔を覗きこむようにしながら、懇々と、まるで諭すかのように口を開いた。


「そうか……。それにしても、なんて馬鹿なことを……」
「そうだね。ハリー、僕の自慢の息子とも思えない暴挙だよ、それは。
よりにもよって、この子を一人で箒に乗せようとするだなんて」
「もう二度とそんな恐ろしいことはするんじゃない」
「そうそう。被害が甚大すぎるからね。それだけはやっちゃ駄目だ」


待て。
そんな『よりにもよって〜』だとか『恐ろしい』だなんて言われるほど、あたしはお前らとお近づきになった覚えはない!
それに、自慢じゃないがあたしは運動神経も良い方だ。
見た目だって、そんなか弱いタイプではない。
箒に乗れるかどうかは、本人でさえ実際に乗ってみるまで分からなかったのだ。
それなのに。
どうして!お前らは、あたしが箒が乗れない前提で話を進めているんだ!?喧嘩売ってんのか!

声を大にして抗議したいところだ。
がしかし、どうもあたしを心配してくれてもいるらしいので、そこは大人なあたしがぐっと堪える。
ああ、もう。
ひょっとしてマグルの女の子は箒が下手だとかいうジンクスでもあるんだろうか。
確かハーマイオニーがど下手だった気もするし。
……そんなくだんないもん作った奴出てこい!ぶん殴ってやるっ。





そして、ハリーはその後、二度とあたしに箒を勧めないことを誓わされて、 せっかくのケーキも食べないままいなくなった。
で、残されたのは、リーマスの家に住む、いつものメンバーだ。
本当なら、楽しい午後となるはずだったのに、皆に流れる空気は酷く重たい。


「…………」
「…………」
「…………」


リーマスはまだ、怒りの余韻が収まっていないのか、寡黙になってしまっているし。
あたし自身、助かったことに安堵はしても、浮かれる気分になれるはずもないし。
シリウスはそんなあたしたちの気持ちを浮上させるほど、器用なタイプでもない。よって同じく沈黙。

結果、ダイニングは重苦しい雰囲気になってしまっていた。

こんなはずじゃ、なかったのに。
せっかく、本の主人公であるところのハリーと出逢って、仲良くなるチャンスだったのに。
それに、リーマスもシリウスも、ジェームズが来るのをとても楽しみにしていた。
本当だったら、悪戯仕掛け人の3人が、愉しそうに話しているのを見れたはずだったのだ。
もしかしたら、あたしでも知らないリーマスの昔話とかが聞けたかもしれない。
そう、あたしがあんなことにならなければ。
そう思うと、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいだ。


「…………」


……リーマス、きっとがっかりしてるよね。

さっきまでは、怒っていてそれどころじゃなかったと思うけど。
段々と冷静になってくれば、怒りよりも残念さの方が勝るに違いない。
で、その内あたしに対する怒りも湧いてくるワケだ。
馬鹿なことをしてくれたものだ、と。
こいつさえいなければこんなことには、と。
もしそのせいで嫌われてしまったら、と思うと、浮かれられるはずもない。

こっそりとリーマスの様子を伺ってみる。
表面上は、いつもと変わりない様子に見えるけれど、内心どう思っているかまではとてもじゃないが分からなかった。
実は、リーマスがあたしのために怒ってくれて、ちょっぴりだけ嬉しかったのだ。
ちょっぴり、いや、かなり。
だって、シリウスはともかく、リーマスとはあんまりしゃべれてなくて、距離を感じていたから。
あたしはリーマスと一緒に暮らせて嬉しいけど、リーマスの方はそうじゃない。
きっと、嫌われてこそいないものの、好かれてもいないだろうな、と思っていたのだ。
それが、あたしのことを心配してくれて、助けてくれた。
これが嬉しくないはずがないじゃんか。

でも、そんなこととても言い出せる雰囲気ではない。
というか。
い、居たたまれない……。
そして、あたしはこの空気にとうとう耐えられなくなり、かたん、と席を立った。


「……疲れちゃったから、部屋で寝てるね」
「……ああ」
「……そうだね。ゆっくり休むといい」


案の定、二人はそんなあたしを止めなかった。





「あー……」
『…………』
「うー……」
『…………』
「だああああああああー!!」
『煩い』


べしっと、顔に猫パンチを繰り出される。
…………………。
……………………………………。
……まぁ、確かに、部屋に戻るなり30分とか1時間とか隣で唸ってたのは悪いと思うよ。
思うけどさ、傷心の人間に対して、あんまりな反応だと思うのはあたしの気のせいかなぁ!?


『気のせいだよ。寧ろこんなの軽い位だ』
「……はぁ!?どこが!」


確かに、大して痛くはなかったけれども!
心に負った傷は浅くはないぞ!?

そう思って、スティアの方を睨みつけてやろうとしたが、あたし以上に不機嫌そうな瞳を目前にして引っ込めた。
スティアさん、普段より5割増しでご機嫌斜め。
眉間の皺はオプションですか!?
いやだ。そんなオプション、ちっとも嬉しくないっ!!


『あのさー。僕、今結構怒ってるんだけど』
「なんで!?箒から落っこちたことなら、止めなかった方にも責任あると思うよ!?」


そう、この黒にゃんこはあたしの絶体絶命の危機を事前に止めなかった。
それどころか、助けてもくれなかったのだ。
いや、助けてもらう前提で話をするのって、もの凄く都合良いから嫌なんだけどさ。
でも、助けは期待してなかったとしても、それで怒られるのは理不尽だと思うワケで。
助けてくれなかったことは自業自得なので責めないから、せめて怒りは解いてくれないかなぁ!?


『そうじゃないよ。が箒から落ちるのなんて、予想付いてたし』
「うおぉおぉーい!?そこは教えとこうよ!?ねぇ!」
『僕が怒ってるのはそういうことじゃなくて……』
「スルーかよっ!」


必死になってつっこみをするが、スティアはそんな言葉の数々を華麗にスルーしてくれやがった。
もう、こうなったら、意地でもあたしの相手をさせてやるっ!
と、妙な決意を新たにしていたあたしだったが、次のスティアの一言に硬直する。



『なんで君が罪悪感なんて感じてなきゃならないのかって事だよ』



「!!!」
『……自覚はあるんだね』


不意打ち気味の一言に、ひゅっと息をのむ。
嗚呼、そうだ。
この猫はあたしの心が読めてしまうのだった。


『そうだよ。だから、無理にテンション上げる必要はないし、意味もない』
「…………」
『嫌なら嫌だって言って良いし、怖かったら泣きわめいたって良いんだ』


淡々とした言葉。
慰めなんかじゃなくまるで事実を言っているかのようなそれに、心がストンと落ち着く。
悔しいから、絶対に口にしてなんかやらないが。


「……だって、スティア文句言うじゃん」
『そりゃあね。いつまでも愚痴愚痴言われてたらウザイじゃないか。
でも、まぁ。僕はの心の声が聞こえちゃうんだから、今更だよ。もうとっくの昔に慣れた』


言葉は辛辣だったが、それに反して、あたしの頭に乗せられた前足は温かい。


「……肉球、触っても良い?」
『適度になら』


嗚呼。本当に。もう。
普段は全く頼りになんてさせてくれないくせに、この猫はあたしの傍から離れない。
そのことが無性に嬉しくて。悔しくて。
気が付けばあたしはポロポロと涙を零していた。


「怖かった」
『うん』
「死んじゃうかと思った」
『うん』
「リーマス、助けてくれたの」
『うん』
「でも、すっごくビックリしてた」
『うん、だろうね』
「でも、あたし嬉しかったの」
『うん』
「でも、あとになったら、すっごく悪いことしたなって」
『なんで?』
「だって……」


本当はもっと楽しい午後になるはずだったのに、あたしがぶち壊した。
それなのに、あたしは助けてもらえたことに浮かれてて。
本当に、罪悪感で人が死ぬなら、あたしが真っ先に死んでると思う。

ぽつりぽつりと。
懺悔をするかのように独白を続けるあたしに、しかし、スティアは問いかける。


『そこが、のおかしなところだよね』
「え?」
『どうして、君が罪悪感を感じるの?』


どうして、と言われて。
自明のことを訊かれて、戸惑う。


「だって、あたしのせいで、ハリーは怒られたし。帰っちゃったし……」
『違うよ、。ハリーが怒られたのは当然だ。
自分が得意だからって、一回も箒に乗ったことのない女の子を、大人もいない状況で箒に乗せたんだから』
「でも、乗りたいって言ったのはあたしだし……」
『いいや。勧めてきたのは向こうだ。が是非にって箒を掴んだワケじゃない』
「でも……」


『でも』『でも』『でも』……。
口を突いて出るのは、否定の言葉ばかり。
けれど、悲しいかな。
この会話の主導権も、正当性も、あたしは何も持っていなかった。


『“でも”じゃないんだよ。君は卑屈になりすぎる。
君は、勧められたから乗ったんだし、そのせいで起こったできごとも全部君のせいじゃない』


全部、なんてことはないと思う。
例えが悪いが煙草やら何やらと同じだ。
圧倒的に悪いのは勧める側だが、勧められた側も、断固としてNOと言わなければいけないのだ。
でも。


「スティアも、偶には優しいんだね」
『失礼だな。僕はいつだってに優しいのに』


案内人の、不器用な慰めに、あたしはいったん涙を引っ込めることにした。





君の言葉も温かかった。





......to be continued