探偵のパートナー





憧れ、というものがあった。
それは一部の人を除いて、馬鹿馬鹿しいと一笑に付される類の感情であったし、 人生を決めるきっかけとして感心されるものでもあった。
正直、彼女の周囲の人々が浮かべていたのは苦笑いではあったが。
それでも、彼女は現状、自身が選択した職業を愛していたし、 なにより、その技術が遺憾なく発揮できる相手にも恵まれ、満足していた。
もっとも。
技術の向上と引き換えに、安心、などという言葉は幻想になってしまったのだけれど。







陽光眩しい、小春日和。
ようやく灼熱の季節が終わり、徐々に周囲の木々が色づく街中を、二人連れの少年たちが歩いていた。


「いや、しっかし、けったいな行列やのぅ」


色黒で精悍な顔つきのかろうじて少年と言えるくらいの彼は、関西圏出身なのだろうか、 エセ関西弁ではなく、流暢な発音でそう言った。
そして、話しかけられた少年――どう見ても幼気な年齢の眼鏡をかけた少年は、色黒の彼の視線を追う。


「ああ、今流行りのタピオカ屋か。最近、どこもあんなんだろ?
大阪は違うのか??」


遥かに年上の人物に対するとは思えない、大変気軽な口調である。
対等とも言えるその態度に普通の人間ならば、生意気だと思うところだろうが、大阪少年は気にした素振りもない。


「いやぁ、俺はあんなん見かけたことないわ。っていうか、タピオカって結局なんなん?
気持ち悪いやろ、見た目」
「俺に聞くなよ」
「お前、ああいうこまっしゃくれた物飲んでそうやんか」
「失礼な奴だな!」


まるで同世代のような会話だった。
傍から見ていた通行人は、そのやり取りに彼らの関係を考えてしまうのだが、そんなものは当人達はお構いなしだ。
正解者など出ないのが普通なのだから、構うまでもないのである。
彼らが本当はそのままの意味で同い年であり、東と西を代表する高校生探偵であることなど、このやりとり程度で看破できる人間は異常だろう。
そもそも、高校生が小学校1年生まで退化してしまっているなど、一体誰が考え付くというのか。
よくてオカルト。
悪ければ精神疾患を指摘されてもおかしくない、妄想の類だ。
まぁ、問題は、その人一人が年齢、身分、その他諸々を詐称していることに気づいている異常者が、この米花町には多すぎる、ということなのだけれど。
そして、今日、その栄えある異常者がまた一人、増えようとしていることに、当人はもとより誰一人気づいてはいなかった。







「誰かっ誰か助けて……っ!」


歩けば事件に遭遇する、という嫌な探偵ジンクスを体現する二人は、 今日も今日とて、助けを求める叫び声を耳にした。
コンマ1秒で、彼らはそのか細い声の持ち主を振り返る。
すると、そこには街路樹の木陰の下に設置してあるベンチと、横たわる女性、涙を流すその友人が見えた。
SOSはその友人から発せられたもののようで、彼らは猛然とそこに駆け寄る。


「どないしたんや!?ネェちゃん!!」


すかさず周囲へと視線を走らせるが、怪しい人影などはない。
だが、先ほど二人で話していたタピオカのミルクティーが地面には転がっていた。


「毒か!?」


とっさに眼鏡少年――江戸川 コナンはハンカチを取り出し、そのタピオカ飲料の容器をひっつかむ。
毒物ならば、その中身を特定する必要があるからだ。
だが、そこからは優しいミルクティーの匂いしかせず、少年は舌打ちをした。
ここで、アーモンド臭でもしようものなら、即座に青酸カリを疑うことが出来たのだが、流石に毎度毎度そううまくはいかない。

と、そんな少年の様子に、泣いていた友人の女性は、「違う、違うの!」と首を振った。
そして、その手には注射器が。
思わず、大阪少年――服部 平次は目の前の彼女が直接毒物を注射したかと身構えるが、それにしては様子がおかしい。

もしそんなことをしたのだとしたら、それを持ったまま、周囲に助けなど求めるだろうか?

見れば、そもそも、その注射器には針がついていなかった。
一瞬で怪訝な表情になった彼らに、可愛らしい女性は真っ青な顔で、友人は糖尿病なのだ、と告げた。
血糖値が高くなると、度々こうして具合を悪くし、酷くなると倒れてしまうのだ、とも。

そして、恐慌状態のまま、必死に現状を説明する。


「普段は、こんなことないんですっ。でも、待ち時間が長くて。それで!
だから、いつもしてる注射、してなくて……っ私、それでやってあげようとしたんです。
でも、手がっ手が震えて……!助けて、くださいっ」


華奢な手は、確かに突然の事態にわなわなと震え続けている。
どうやら、後付けする針もつけられないでいるらしく、訴え続ける間も針を何度も取り落としていた。

日頃、毒物だ爆弾だと相手にしている高校生探偵二人は、その言葉にほっと息をついた。
もちろん、そんな場面ではないのは確かだが、周囲を警戒しつつの救命行為と、そうでないものならば、後者の方が断然警戒せずに済むからだ。


「よっしゃ!任せとき!」


その女性が可愛らしい顔立ちであることもあり、服部は頼もしい笑みを浮かべた後、彼女の手から注射器を受け取る。


「ありがとうございますっ針は押しつけて回せば付くって、言っていました!」


希望に顔を輝かせた女性の見ている前で、服部は鮮やかな手際で針を装着する。


「おい工藤、ところでここにあるメモリはなんや?」
「ああ、糖尿病の場合、食事の度にインスリンを入れるからな。
一本の注射器に何十回分も薬が入っているんだ……」


もちろん、衛生上の観点から、針は毎度取りかえる必要がある。
友人の女性はそのことを理解しているようだし、 「3だの、4だの彼女が言っていた」とインスリンの単位も覚えていたことが幸いし、迅速に注射が打てそうだ。
自身にも、その注射する部位が腹だの太ももだのといった場所で、服の上からも注射可能であるという知識もある。

だが、何故だろう。
コナンの探偵としての第六感が、救命行為に待ったをかける。

なにか。
なにか自分は盛大な見落としをしてしまっているのではないか、という直感。

そして、彼はその直感が、時として論理よりも先に真実を見抜くことを、知っていた。
だが、一刻も早く女性を救わなければ、と使命感に燃える服部の手は淀みない。
根拠もなくその行為を留めることは、本来ありえないことなのだが。

それでも、その直感を無視できず、声を上げようとしたその時。


――待て、服部っ」
「君は、犯罪者になりたいの?」


その勇んだ手に、ひんやりとした白い手が添えられた。
その不穏な言葉に、服部の手が流石に止まる。


「なんやアンタ?人にケチつけおってからに」
「ケチじゃありませんよ。私は親切にも確認をしてあげただけ。
君は、人の命を背負えるのか、と」


淡々と。
いっそ無表情といってもいいくらい静かな表情で、新たな登場人物は立っていた。
シックなパンツスーツに真っ黒なコートという、モノトーンのコーディネイト。
それだけで、コナンの警戒指数は天井知らずだった。

(く、黒ずくめの……女っ!?)

真っ黒な髪に一部白いメッシュが入っていることが、堅気の人間らしい恰好をぶち壊しているのもいけない。
どこか浮世離れした、美しい相貌が、こんな状況にも関わらず落ち着き払っていたのもまずいだろう。
首元の細いリボンと、少しも緩まない薄い唇だけが、鮮やかな赤で目を引いた。

思わず敵意をむき出しにする少年の姿に、黒ずくめの女の視線が一度だけ動く。
髪と同じく漆黒のそれが、ほんの少し、細められた。
どこか訝し気に。
どこか探るように。

だが、それにコナンが全身を冷や汗で濡らす頃には、女性は服部の手から注射器を奪い取っていた。


「医師、歯科医、看護師等の免許を有さない者による医業は医師法17条及び保健師助産師看護師法第31条その他の関連法規によって禁止されているの。知らない?」


医者でもないのに注射をすることはできない。
それを、女性は平然と示唆する。
目の前に、倒れている人間がいるにも関わらず。
すると、その、あまりに四角四面で感情を伴わない言葉に、連れの女性が激昂した。


「緊急事態なのよ!?はやく、はやく助けて!!」


顔面を蒼白にし、ぼろぼろと涙を流す女性に、周囲で遠巻きに見ていた人間から、非難に満ちた視線が黒ずくめの女に注がれる。
だが、彼女は揺るがない。
いや、どころか、周囲を混乱へと引きずりこもうとする女性に、冷ややかな視線を送り、懐へと手を滑り込ませる。
その仕草に、荒事に慣れきっている探偵二人は反射的に身構えた。


「なにをっ」


がしかし、彼女が取り出したのは黒光りする銃火器の類ではなかった。


「あめ……だま?」


そう、彼女が取り出したのは、大阪人が常備していると言っても過言ではない、飴玉である。
まさか、この状況で「アメちゃんいる?」とでも言い出すのだろうか、この女は?

……まぁ、察しの通り、そんなことを彼女は間違っても言わなかった。
ただただ無言で。


「「「なっ!!」」」


倒れ伏す女性の口をこじ開け、その飴玉をねじ込んだのである。
当然、慌てたのは連れの女性だ。
そんな暴挙を行った黒ずくめの女に対し、力の限り平手を振り上げる。
と、女性は飴が出てこないよう、倒れる女性の口から手を放すことなく、平然とその平手に後頭部を差し出した。
避ける気は皆無なその姿に、誰もが響き渡るバチンという音を想像した、その時。


「……避けるとかしません?いくら、手が離せないとはいえ」


女性の手首をつかみ、静止させる青年が現れた。


「……側頭部は避けたけど?」
「いや、当たる部位が良ければ良いという話ではありませんよ」
「凶器もない一般人の平手打ちでケガなんてしないわ」


一見するとチャラいと評される金の髪に、褐色の肌。
だが、その瞳は、チャラさなどと無縁の硬質な輝きを放っていた。
そのギャップに満ちたお馴染みの姿に、思わずコナンは叫び声を上げる。


「安室さんっ!?」


そう、誰あろう、毛利小五郎の一番弟子にして、黒の組織の幹部、公安警察のゼロでもある、トリプルフェイスだ。
瞬時に、女の姿と彼を見比べてしまったコナンに、罪はないだろう。
安室、と呼び掛けてはみたが、この場にいる女と知り合いであることを考えると、 目の前にいるのはバーボンとしての彼の可能性があった。


「放してっ!」


が、コナンの焦燥などまるで知らずに、安室に拘束された女性は、必死の抵抗を試みる。
そこに、先ほどまでの可憐な様子は微塵も残っていない。
よほど心配なのだろう、何度も彼女は友人が口を塞がれている姿を見て。
やがて、ガクリとその場にへたり込んだ。

だが、安室はそんな女性を普段のように優しく慰めたりなどしない。
寧ろ、油断なく目を光らせて、こう言った。


「傷害未遂での現行犯逮捕、といったところか」
「「!?」」


だが、そんな彼に、誰より早く不満を唱えたのは、誰あろう黒ずくめの女だ。


「馬鹿を言わないで。殺人教唆・・・・に決まっているでしょう」


思わずぎょっとした視線が集まる中、女は飴が口から出てこないことを確認したところでようやく手を放し、 どこからか取り出したゴム手袋を装着した上で、テキパキと倒れた女性の体や荷物をまさぐる。
もちろん、そこに厭らしさなどはなく、物取りというよりは警察の身体検査のような動作だった。
そして、荷物からの謎の機械を見つけると、倒れ伏す女性の指先に針を刺し、血の玉にその機械を近づける。


「……ん。52か。もう少しね」
「っっ」


最も女の言葉の意味を正しく理解できたのは、連れの女性だった。
唇を震わせ、その瞳に怯えの色が見える。

そのことに気づいた瞬間、高校生探偵たちの頭に閃くものがあった。
それは、糖尿病という病に対する先入観。
そして、自分たちが行おうとした行為の、その果て。


「ま、さか……っ」
「低血糖を狙って……?」


愕然とする二人の少年に、黒ずくめの女は器用に片眉を上げる。


「あら……。まさか理解できるとは思っていなかったけど。
まぁ、君の知り合いのようだし、異常なのが寧ろ正常かしら」
「相変わらず失礼ですねぇ。先生」
「っ」

場違いなほど朗らかに笑みを浮かべられ、普通の女性ならうっとりするところで、 先生と呼ばれた女は心底気持ち悪そうに表情をゆがめた。
と、そこでコナンは安室の口調が、ポアロのアルバイトとしての彼になっていることに気づく。
ということは、今の彼は探偵志望の青年、ということになる。
そのことに、ほんの僅かにだが、警戒心が薄れた。
すると、その様子に気づいたのかは分からないが、女は答え合わせとでもいうように、コナン達へと向き直った。


「一応自己紹介しておくと、私は と言います。これでも医者でね。
流石に、目の前で人が殺されるのも、知らずに殺人犯になる子供がいるのも看過できなかったわ」
「っ!」


医者、という言葉に、安室の抑える女の目が血走る。
彼女はすでに、自身の計画が破綻したことを悟っていた。
だが、それでも、どうにか言い逃れができるのではないかと、一縷の望みをかけて、涙を浮かべる。


「そんなっ、私は、彼女を助けたくて……っ」


その完成度の高い演技に、しかし、騙されてくれる人間はもうここにいない。
厳しい視線に晒される彼女に、はふっと口の端を歪めた。
皮肉げな笑みは、彼女によく似合っている。


「へぇ?低血糖を起こしている人間に、更に血糖値を下げるインスリンを打とうとした人間が『助けたい』?」


インスリンは、確かに糖尿病の治療薬として用いられる。
それを食事の度に打たなければ、彼ら、彼女らは血糖値が高くなり、末梢の血管に深刻なダメージを負うからだ。
簡単に言ってしまえば、インスリンが出せない状態の人にインスリンを投与する、 それが血糖値の高くなる糖尿病患者に対する対応である。
だが。
人間が無意識に行っている緻密な血糖コントロールを、人為的に完璧に行うことは不可能。
結果、糖尿病患者は、血糖値の高くなる病気でありながら、インスリンの利きすぎによる低血糖という真逆の症状をしばしば起こす。
糖は脳の唯一のエネルギー源。
当然、それが少なくなれば頭痛などの中枢神経症状が現れ、やがて、意識を失う……。


「高血糖で意識障害を起こす、というのはよっぽどでなければありえない。
そんなことは糖尿病患者の友人ならば当然知っているはずのことよ」
「私は知らなかったわっ!大体、私がわざとこの子を殺そうとした証拠だってないでしょう!?」
「……そう。まぁ、そういうこともあるんでしょう」


反発した女に、しかし、は抵抗することなく頷いた。
その返答に周囲は拍子抜けしたような、ぽかんとした表情を浮かべざるを得ない。
てっきり、が女を追求するのだろうと思っていたのに、なぜあっさりと引き下がる!?
服部など、大袈裟なリアクションでもって驚きを示していた。

が、もちろんは女を見逃した訳では断じてない。
嫌味なほどに爽やかな笑みを浮かべて、にっこりと安室を振り返った。


「偶然に昼食時を狙って行列のできる人気店に並んで、 『空腹時に飲んだ方が美味しい』とかなんとか言って間食を避けるよう誘導し、 挙句に、本人の目を盗んでインスリンポンプの単位数をいじり過剰投与を行った上で、 更に追加でインスリン注射を行わせようとする、 そういうこともあるんでしょう。
ねぇ?そこのサーファーもどきくん」
「おや。見ていたんですか?」
「ええ、なにしろ私、彼女達の後ろでタピッてたもので?」
「あはは。まぁ、そんな偶然があったら、警察はいりませんよね」
「っっっ」


はひらひらと、いつの間にか被害女性から外した、 インスリンポンプ――インスリンを自動的に投与してくれる機械を見せつける。
恐らく、身体検査の際に、その機械の存在を確認すると同時に停止させていたのだろう、それは沈黙していた。
幾ら、飴玉――もとい経口摂取型のブドウ糖を口に放り込んでも、それを止めない限り血糖値が上がらないからだ。


「流石に手際が良いですね。さて、お嬢さん。
彼女の言葉が正しければ、あの機械からは貴女の指紋が検出されるかと思いますが、如何ですか?」


あくまでも丁重な口調を崩さない安室。
その確信に満ちた言葉に、女は呪詛を吐く。


「この女が悪いのよっ!この女さえ、いなければ……っ」


そうして、犯人は被害女性への恨み辛みを語りだした。
中身はよくある話といえばよくある話だ。

大学で同じ学部になった二人は、同じ人物を好きになった。
だが、自分よりも、病気で授業を抜けたり、休んだりする儚げな友人の方に彼は心惹かれてしまい、見事二人は結ばれる。
嫉妬に狂った女は、自身が選ばれなかった原因でもある彼女の病気を利用し、事故死に見せかけて殺してしまおうとした。
第三者に注射をさせれば、自身は手を汚すこともなく。
例え、間違って打ってしまったとしても、素人のやった救命処置だ。事故死として処理される……。

毒物も用いず。
凶器すら用意しなくてよい、殺人。
それが、彼女の計画。

普段、友人が着けている、インスリンを自動で投与してくれる機械をいじるだけでも、彼女を脅かすことは出来ただろう。
だが、それでは確実性に欠ける。
ゆえに、機械が不具合を起こした時のために、と友人が持ち歩いていた注射薬で、確実にトドメを刺そうとしたのだ。


「せっかく、この女みたいに、上手に同情が引けそうだったのに。
本当に、ついてないわ」


吐き捨てるように被害者を睨む女の表情は、見るに堪えない程醜悪だ。
そこには、無関係の人間に人を殺させようとした罪悪感など、一欠けらもない。
すると、へたり込んだ女の胸倉をつかみ、が無理やりその場に立ち上がらせる。


「同情を引く?まさか、それはこの子が日頃注射をしたり、 糖分を補給したりすることを言っているんじゃないでしょうね?」
「っそうよ!わざとらしく、彼の前で注射をしなきゃいけないって席を立ったりして!
どこが病気なのよ!?運動だってなんだって普通にできるし、 TPOも考えないでお菓子をぼりぼり食べてるくせに!
あんなだから、糖尿病になんてなるのよ!
こんな病気で、彼の気が引けるなら、あたしがなりたか……ぐっ」


言い募る女を黙らせるように、の腕に力が入る。


「それ以上言うなら、お望み通り膵臓を取り出して差し上げましょうか?」
「っっっ」
「私はね。アンタみたいな自身が健康であることを微塵も尊重しない輩が大っ嫌いなの」


流石にこれはまずいと、手の空いている服部が、咄嗟にを女から引きはがす。


「ちょお待て!気持ちは分からんでもないけど、止めや!」
「…………」


ある意味被害者でもある服部相手に暴れる気はなかったらしく、は鬱陶しそうに彼を振り返った後、 大人しく女から離れる。
だが、それでも言うべきことは言おうと口を開こうとしたその時、 彼女の前に立つ、小さな人影があった。


「糖尿病なら、注射をしないと失明したり、人工透析をしなきゃいけなくなったりするんだ」


静かに。 まるで言い聞かせるように話すのは、年端もいかない少年だ。
予想外の人物から出た言葉に、の瞳がコナンを凝視する。
その小さな背中にあるものを見通そうとするかのように、ただただじっと。


「知ってる?人工透析ってお金がかかるだけじゃなくて、すごく痛くて苦しいんだって。
それを1回4時間、週1回から始まってその内、週3回はしなきゃいけなくなることもある」
「……っ」


だが、コナンはそれが分かっていながらも、 犯人である女に問わずにいられなかった。


「本当に、お姉さん、そんなものになりたいの?」
「……っあの子は、そんなんじゃっ!」
「うん。そうだね。ちゃんと注射をしてたから、他の人と同じように運動だってなんだってできる。
偶に血糖値が下がっちゃっても、お菓子を食べていれば、倒れたりもしないし」


彼の気を引こうなどという意図などはなく。
TPOをわきまえていない訳でもない。
己の身を守るための行為であると、小さな探偵は言った。
被害者の女性を痛まし気に見つめながら。

すると、補足するように、安室も女を抑えたまま頷く。


「彼女の病気は、おそらく彼女には何の原因もありませんよ。
誤解されがちですが、糖尿病にも種類があるんです。
自堕落な生活習慣で起こるものと、ある日、原因も特定できないくらい突然に起こるものとね。
彼女には、前者でよく見られる肥満症状などもない。
ただただ、持病と上手に付き合っていた強い女性だ」
「っ」

誰かを思うあまり、独善的な物の見方になっていた女に、お前の言葉は的外れだと暗に指摘すれば、 羞恥か屈辱か、犯人の顔が赤黒く染まる。

病気の辛さも苦しさも、女は想像を巡らせることが出来なかったことだ。
それはきっと、友人が明るく朗らかに日々を謳歌していたから。
だから、そんな彼女に想い人が惹かれることもあったのだろう。
少なくとも、嫉妬で人を害そうとする、目の前の女よりよほど。

やがて、言葉もなくなった女を尻目に、服部が110番をコールする。
まぁ、安室は女を拘束していたし、コナンは小学生。
人殺しをさせられそうになった服部が話をするのは、自然の流れだったかもしれない。

がしかし、それを確認するや否や、は面倒は御免とばかりにその場から姿を消していた。
本来であれば、彼女には色々な証言をしてもらいたかったのだが、 あまりにも忽然と、彼女はいなくなっていた。

どう見ても、後ろ暗いことがあってたまりません、という鮮やかな撤退だった。
当然、コナンも服部も、について安室に尋ねてはみたものの。


「いえ、彼女とは以前探偵業の中で関わっただけで、連絡先もなにも知らないんですよ」


と、人好きのする爽やかかつ胡散臭い笑みで流されてしまう。
釈然としない物を感じながら、こうして、コナンとのファーストコンタクトは終わりを告げた。

警察を待つ間、手持無沙汰を装い、コナンは安室に話しかける。


「なんていうか、凄い人だったね?」
「そうですね」
「お医者さんって言ってたけど、内科だったのかな?」
「確か、専門は外科だったと思いますよ」
「へぇ……。でも」


一見、ただの雑談だ。
だが、それをするのは警察庁のキャリアと、希代の名探偵。
コナンは眼鏡を光らせながら、一歩彼の懐へと足を踏み入れる。



「外科のお医者さんでも、普通コートの中にメスは忍ばせないんじゃない?」



「……おや。気づいていたのかい?」
「まぁね。さんがブドウ糖を出す時に、 刃物同士が触れ合うようなカチャカチャって音がしてたから。
それも、一本、二本って感じじゃなかったし。
ナイフと違ってメスなら、大量に持っていても、そこまでの重量じゃないよね。
加害者に叩かれそうになった時に避けなかったのは、 被害者に糖分を摂取させるだけじゃなくて、 下手に避けるとメスに当たってどちらかがケガをするから……。違う?」
「流石だね。コナン君」


紛れもない賞賛を表情に浮かべながら、しかし、安室はについて語らない。
コナンが知りたいのは、彼女が黒の組織とつながりがあるのか否か。
そんなことは百も承知だろうに、安室は目線でコナンに先を促す。


「被害者に近づいた時も、コートが地面に着かないように、 でも、自身の脚を傷つけたりもしないように、 凄く慣れた動作でコートの裾を抱えていたから、いつも持ち歩いているんじゃないかな?」
「……それで?君は彼女が何者だと推理したのかな?」
「それは……」


組織に関りがあるならば、殺し屋だとかなんとか、幾らでも想像が働く。

しかし、先ほど犯人に対して見せた、あの憤り。

あれだけが、人を人とも思わない、非情な組織と乖離する。
そもそも、組織の人間が、見ず知らずの服部達をわざわざ助けるだろうか?
だが、ただの一般人とするには、彼女はあまりにも怪しすぎた。

思わず、コナンが答えに窮すると、 警察とのやり取りが大方終わったであろう服部が、なんとも呑気な口調で会話に参加してくる。


「いつもメスを体に仕込んだ黒ずくめの外科医ってゆうたら、アレみたいやな」
「は?アレってなんだよ、服部」
「アレはアレや!えーと、なんちゅーたか、ツギハギの顔のキャラクターおったやん?」
「はあぁ?」


服部の物言いに、コナンの頭にも某有名漫画家が手掛けた人気シリーズの主人公が浮かぶが、 まさか、そんな二次元の存在が実在するはずもない。
心底馬鹿にするように服部をジト目で見るが、そんなコナンの耳に届いたのは、


「……ぷっ、ははっ!」


安室の、心から愉快そうな笑い声だった。


「あ、安室さん?」


基本的に感情をセーブしている彼の珍しい破顔に、コナンは思わず声をかける。
すると、安室は、パチンと軽やかにウィンクをしてみせた。


「流石、西の高校生探偵ですね。ほとんど正解だと思いますよ」







+ + + +


「……ふっ」
「……なにを突然笑いだしているの?頭を打ってとうとうどこかの回線がねじ切れた?」


まるで人気のない、しかし明るい室内には二人の人間がいた。
相変わらずの白衣ならぬ黒衣を纏ったは、 間違いなく笑う場面でないところで忍び笑いを漏らした安室の顔を、背中からのぞき込む。


「君が『彼』に初めて会った時のことを思い出していただけさ。


いや、ここにいるのは、安室ではなかった。
穏やかで丁寧な口調ではなく、どこか威圧的な雰囲気を纏うのは、彼の本来の顔。


「彼……ああ、今回君が協力者に仕立て上げた、あの子ね」


警察庁警備局警備企画課 降谷 零。
が不本意ながら現在治療している、上得意の客の名前である。
無表情ながら、どこか嫌そうにそう言った彼女に、 安室はほんのりと色気を乗せた笑みを向けた。


「仕立て上げただなんて、人聞きが悪いな……。妬けたのか?」


本来の協力者である自分ではなく。
あの少年を無理やりにでも引き込もうとしたことに嫉妬したのか、と。
自信に満ちた男が問いかける。
がしかし、それに対するの返答は素っ気なかった。


「そんな訳ないでしょう。ただ、あの子供は普通じゃない。分かっているでしょう?」


行動力も、知識量も。
あらゆる面で、あれは小学1年生などではありえない。
に言わせれば、何故周囲はあの少年に奇異の視線を向けないのかが分からなすぎる。


「それはそうさ。でなければ、そもそも協力者になどしない」


そう、わざわざ彼の大切な存在を巻き込んでまで。
そうする価値が、あの小さな少年にはあった。
全てが終わった今、降谷は胸を張って、己の判断は間違っていなかったと断言できる。
彼がいなければ、自身の愛する日本は、深刻なダメージを負ったに違いないからだ。

何を言っても無駄なその様子に、は小さくため息をついて、注射器を手に取る。
インスリンとは違う、一度きりの使い切りタイプの注射器だ。
それを降谷の左腕――正確には裂傷の周囲へとリズミカルに打ち込んでいく。


「っつ……」


これは麻酔だ。
歯などの治療をしたことがある人間ならわかるだろうが、麻酔というのは、麻酔薬を打ち込んでいる時が一番痛い。
流石の降谷でもその痛みは辛かったようで、少し恨みがましい目をへと向ける。


「いつもより打つ場所が深くないか?」
「いつも通りですが、なにか?」


ふいっと、はその視線から目を逸らす。
深くこそないが、わざわざ痛そうなところに痛そうな打ち方をしてやったのだから、嘘を吐いたようなものだ。

だが、そもそもを怒らせる彼が悪い。

テレビの中の某天才外科医に憧れた彼女は所謂、フリーランスの医師だ。
幸いにして実家に金があった彼女は、紆余曲折を経て、現在は様々な病院で手術をしたりなんだりと暮らしている。
そして、その様々な病院の一つに、警察病院があった。

目の前の男は、なにやら無茶な案件で無茶苦茶をやらかして、 その結果、そこそこの重傷を負ったことがあるのである。
それの手術を担当したのが、だった。
彼女の技術力は確かで、そこに目を付けた降谷が、ちょこちょことを呼び出し、 怪我の手当やら薬の手配やらなにやらをさせるのである。
いつ何時でも呼び出しをくらうので、 は簡易な手術くらいできるくらいの器材を身に着ける癖ができてしまった。
まぁ、もちろん、子供心に憧れた某天才外科医へのリスペクトもなくはないけれど。
職質なんてされようものなら、間違いなく捕まる、そういう格好である。
しかも、支払いはきっちりされるのだが、なんとそれは月額の定額制という医師法を無視したものであり、 はっきり言って、は彼限定で闇医者のようになってしまっているのだ。
おそらく、彼の要請を拒否したら、途端にそのことを盾に協力を強制してくるに違いない。
そんなことをする気は毛頭ないけれど、とんだマッチポンプだと思う。


?」


もう良いだろうか、と麻酔が効き始めたのを確認し、は専用の針で降谷の傷を縫っていく。
繊細にして迅速。
その手は、精密機械のように、一切の無駄がない美しい動きを見せる。
当然だ。
もう、この男の褐色の肌を縫うのが何回目か、数えるのも馬鹿馬鹿しいくらい数をこなしているのだから。





普通にやれば、自身が傷つくことなく終わらせられる案件も、 最上級の結果を求めるが故に、傷を負う。

他の人間が傷つくのは嫌がるくせに、自分は平気で傷ついてくる。
そんな男が、は大嫌いだ。

偶に「そんなに自信があるなら、傷一つ負ってくるんじゃねぇこのコゲぱんが!」とさえ思う。
大体、人工衛星が落下する事故の被害を防ぐとか、公安の仕事じゃないだろう絶対!
基本的になんでもできる馬鹿なせいで、なんでもやってしまう馬鹿なのだ。
この降谷 零という男は。
そのせいで、どれだけ人が気を揉んでいるかもしらないで!

降谷がケガをすればするほど、の技術は上がるけれど。
それと引き換えに、は日々の心の安寧を失った。

大きな事件が起こる度に、降谷が関わっていやしないかと、心臓が嫌な音で軋む。
ケガをしてほしくなんてないのに、ケガを知らせるメールに安堵する自分は、滑稽でしかない。


「……はぁ、はい。おしまい」


そして、チョキン、と特殊な糸を最後に始末しただったが、 次の瞬間、彼女の視界は己の巻いた包帯に埋め尽くされた。



「……なに?セクハラで訴えますよ、ちょっと」


優しく抱え込んでくる、逞しい胸板に手を置いて、突っぱねる。
毎度毎度、こうやって絆されるのだから、そんなものは避けるに限る。
がしかし、片手で強盗犯を投げられる男の腕力に敵うはずもなく、 結局はぽすっと頭がそこに逆戻りする羽目になった。
仕方なしに、諦めて彼がなにか言おうとするのに耳を傾ける。


「俺も、今回は結構頑張ったんだ」
「はいはい、で?」
「愛車で線路を走るわ、ビルから飛び降りるわ、 善良な市民を犯罪者扱いするように仕向けたり、蛇蝎のごとく嫌われたり、 そこそこの精神的ダメージもある」
「愛してる車ならもっと大事にしなさいよ……。で?」


だからどうした?と面倒くさそうに応じてやると、 そこで降谷は隕石の欠片並みの破壊力ある言葉を言い放った。


「でも、こんなこと、風見にも『彼』にも言えない」
「…………」


多分、この時の降谷の声に色を付けるとするならば、 彼の髪のように甘ったるい蜂蜜色だ。
間違いない。



「君だけだ。



断じて認められないが、 耳元でこんなことを囁かれて怒りを持続させることは、には困難だった。
絶対、この男は仕事でハニートラップを仕掛けさせたら、とんでもない成功率になる。
リア充爆発しろ。
自棄になって、そんなことを考えつつ、それでも眉間に力を入れて、は頭上の端正な顔を見上げた。


「私が君の協力者だから?」


すると、の必死に怒っているポーズを続ける姿が可愛らしかったのか、 それとも上目遣いがツボだったのかはわからないが、 降谷はどこか意地が悪そうに、揶揄うように唇の端を持ち上げた。


「君が俺のワトソンだからさ」
「……光栄だけど嬉しくないわ。私のホームズ」







 ―作者のつぶやき♪―

友人への愛で書いた、初のトリプルフェイス話。
ここで、愛を捧げるのが彼ではないというのがポイントです(笑)
ぶっちゃけ、彼が出てきたくらいから漫画買ってない……w
別人感漂っていたら、すみません。 結構好き勝手に台詞をしゃべり出したので、勢いで結構書けました。
ジャンルは……え、なに微糖?シリアス??
とにかく、思いついたトリックもどきを披露したかっただけです。ええ。

期間限定(12/28〜1/4)でフリー配布です。
ご希望の方は、topメールフォーム又は拍手にてご一報下さると管理人小躍りします。

以上、『探偵のパートナー』でした!
ちなみに、もちろん某天才外科医はブラックなジャック様です。イェア!