彼は言う。 あくまでも自分は好きでやっているのだと。 零崎の人間断罪、2 「アス兄、お腹空いた。腹へリング。ヘルプミー」 「…………」 風呂から出て来て真っ先に視界に入った色白の顔に、軋識は諦めにも似た溜め息を零した。 ここは彼が一時的に暮らしているとあるホテルの一室である。 ホテル、と一口に言ってもそのグレードは様々だが、 超を3つ重ねる程の高級ホテル、と言えば分かりやすいのではないだろうか。 スリーブレスの白シャツ、よれよれだぶだぶのズボンという出で立ちの軋識では、 とてもとても相応しくない場所なのだが、流石にそこは一流ホテルである。 一瞬だけ目を見開いたものの、ホテルマンは恭しく軋識に応対してくれた。 サービスも中々行き届いていて、この部屋は間違いなく彼が風呂に入る時までは素晴らしく清潔だった、はずだ。 「ねぇー、アースーにー!肉食べたい。肉ー」 「……これだけ喰ってまだ食べる気っちゃか」 はずだ、というのは、眼前に広がる光景が清潔とは言い難い様相を呈していたからに他ならない。 のんべんだらり、と彼の弟が寝っ転がっているソファに周りにはスナック菓子の空き袋が散乱し、 漫画やらファッション雑誌やらが山脈を築いている。 ビニール袋が幾つもくしゃくしゃと口を開けている所からすると、 いつの間にやらコンビニにでも繰り出していたようだ。 (しかも、恐ろしいことにその資金源は軋識の財布のようである。 無造作に放られたそれからは何枚か札が消えているに違いない) ……自由すぎる。 思えば近くに来たから、という理由で突撃をかけてくる男が自由でないはずがなかった。 それは或いは誰よりも自由に見えて、誰よりしがらみのある末弟よりも。 「お菓子と食事は別腹でしょー?」 「順序が逆だっちゃ。っていうか、人の財布を漁る位ならケータリングを頼んだ方が遙かに心証も良いっちゃよ」 「だって、ジンギスカン食べたいんだもんよ」 「…………」 嗚呼、なるほどそれなら確かにこんな所に用意はして貰えないだろう。 そんな風に思いはするものの、いやだから財布の中身があれば軋識は必要なかろう。 と、明らかに怪訝な表情をしている兄に対して、はうっそりと眉を寄せた。 悩ましげなその態度は、見る人が見れば妖艶とさえ称しただろうが、 生憎ここにいるのは零崎一賊きっての常識人、零崎軋識である。 男のくせになよなよしてんじゃねぇこのクソ餓鬼としか彼は思わなかった。 「なに、ひょっとして僕は兄を置いて食事に繰り出すはくじょーな弟に思われてるワケ? 酷くね?アス兄、それはちょっと酷くね?」 「とりあえず、兄の金を無断で持ち出す盗人のような弟だとは思ってるっちゃよ」 っていうか、思ってるどころではなく、それが事実だった。 もちろん、軋識にしてみればその程度の出費は蚊に刺されたほども感じない程だったが、 それでも、だ。 彼に家賊といえど他人に財布をいじられて喜ぶような特殊な性癖はない。 流石に表情を顰めて抗議の視線を向けると、弟はそこでようやく体を起こし、 ちょこん、とソファの上に正座して反論してきた。 特別小さな体躯であるとも言えないくせに、そうしているとまるで小動物のようである。 「えー、ちゃんと声かけたよ?」 「なに?」 軋識の記憶には、そんな事実はない。 だが、嘘を言っている気配も感じられず、怪訝な視線を向けると、 綾識はにっこりと無邪気にその時の様子を再現してくれた。 「『アス兄、5千円貰ってくけど良いー?かまわんっちゃーありがとー』って、まぁ、こんな感じ?」 「それは一人芝居って言うんだっちゃ!」 コントで泥棒が『お邪魔しますええどうぞ』とやっているのとなに一つ変わらない仕草に、 軋識は心の底から呆れ返って怒鳴ることしかできなかった。 今日日中学生だってそんなことはやらない。 「その位、普通に欲しがれば貸してやったっちゃ! それなのに、なんでそんなくだらねー真似したんだっちゃか!?」 「……金持ちのくせにくんねぇのかよ。 ちっ、可愛い弟に小遣いくらい恵んでくれるのが兄ってもんじゃねぇか」 「聞こえてるっちゃよ!?そもそも、二十を過ぎた男が可愛いとか自分で言うなっちゃ!気持ち悪い!」 いや、というか本当に可愛い弟はそんなこと間違っても言わない。舌打ちもしない。 あっさり素の状態に戻ったは、そこで大真面目に自分を指さした。 「気持ち悪いのは似合わない奴だろう?僕はちゃんと似合ってるじゃない。 レン兄だって、曲識だって可愛いって太鼓判押してくれたよ?」 「そこの二人を引き合いに出す時点で大間違いだと気づいてくれ……」 家賊に対して全肯定の連中の言葉など、まるで参考にならない。 いや、確かに目の前の青年は姿云々はもちろん所作の一つ一つが、間違いなく可愛らしい。 女性的な可愛らしさ、子どもらしい可愛らしさではないが、 なんというのだろう、雰囲気が男性のそれにしては柔らかいのだ。 多分、派手目な女子とファッションについて一緒にきゃっきゃと盛り上がっていても違和感はないだろう。 だがしかし、軋識が言っているのはそういうことではない。 人識に比べればまだ可愛げもあるし、理解の範疇内だが、 この弟もまた、変わっているのは間違いないのだった。 「……ランは一体いつまでその格好でいるつもりなんだっちゃ」 彼がその格好をしている理由は知っているし、その合理性も理解している。 けれど、流石に年齢的にそろそろ別の方法も考えなくてはいけないのではないか、と軋識あたりは思うのだ。 さっきまでとは軋識の態度が違うことに気づいたのだろう、 はそこでふっと表情を消して再びソファにごろりと横になった。 そうなると、途端に可愛らしい、といったさっきまでの評価はがらりと変わり、 どこまでも抗いがたいほどの冷たい魅力となって彼を取り巻く。 そして彼は口調に全然似つかわしくないその雰囲気で、あくまでも姿勢は変えずにふて腐れた。 「超絶似合わない格好してる軋識には言われたくない。 モデル並の体格のくせに、だっせぇ格好してるじゃん。 前はもっとセンス良くて格好良かったのに」 「……それは心外だっちゃ。これでも農家にいそうって評判だっちゃよ」 服装やら口調やらについて突っ込まれると辛いのは軋識も一緒である。 だがしかし、彼の格好は年齢が問題になる類のものではないので、 おそらくは今後とも家賊の前ではこの格好で通すだろう。 「話をそらすなっちゃ。俺は流石にそろそろ『少女趣味』を装うのは、 無理になってきたんじゃないかって言ってるんだっちゃよ」 「…………」 『少女趣味』。 それはここにはいない零崎 曲識の二つ名である。 それは彼が殺す対象にとある条件を課すことから名付けられたものであるが、 その事実を知る者は家賊以外ほとんどいない。 というのも、全ては目の前の青年のせいである。 いや、おかげ、成果というのが正しいのかもしれない。 彼は一賊として活動する際に『少女趣味』として己を周囲に誤認させたのだ。 もちろん、率先して情報操作をしていた軋識も片棒を担いではいる。 高らかに名乗りを上げる必要はない。 ただ、明らかに少女が好みそうな服を着て無邪気に微笑む殺人鬼がいる、それだけで良い。 名前を聞かれれば、『あの大戦で生き延びた零崎だ』とほのめかすだけでも、 敵はを『少女趣味』として認識する。 それだけで、本物を知らない人間は『少女めいた姿、仕草だからこその二つ名なのだ』と勝手に思い込んでくれるのだ。 簡単で、単純で。 それでいて、酷く有効な手段だった。 そう、これまでは。 「トキも馬鹿じゃねぇっちゃ。そろそろ庇ってやるのは過保護だっちゃよ」 「……あのさー」 それこそ過干渉とも取れる台詞を真顔で言ってのける軋識に、はうんざりしたような眼差しをひとつ送った。 「毎度思うんだけど」 「なんだっちゃ?」 「アス兄は僕をほとほと誤解してるよね」 チャラい外見の青年が古めかしい話し方をしているのは、こんな場面なのにどこか可笑しい。 こんなのでも存外頭の切れる人間だとは重々承知しているのだが、いかんせん似合わなすぎる。 だが、軋識はそこには言及せず、片眉を上げてその真意を尋ねた。 「どこがっちゃ」 すると、全く意図したことが伝わっていないことに気づいたは盛大な溜め息を吐いた後、 苦笑めいたものをその整った唇に浮かべてみせた。 「はぁー……僕は僕の魅力を最大限引き出してくれそうな服を選んでるだけだってのに。 実際、我ながら似合ってると思うし、結構便利なんだよ?この手の服。 服にうっかり血痕がついてようがなにしようが模様だって言えるし、破れてたって気にならないし。 なのに、アス兄の話聞いてると、僕って本当に曲識大好き人間みたいじゃんよ」 「…………」 「しかも我が身を犠牲に健気に頑張っちゃってる尽くし系男子。 ねぇわ。マジねぇわ。どうせ尽くすならどっかの誰かみたいに女の子が良いっつーの」 「……………………」 その『どっかの誰か』は間違いなくどこぞの変態のことだろうっていうかそうであってくれ。 軋識は一瞬本気で天を仰ぎそうになったが、すんでの所で理性を総動員してその不審な挙動を抑え込んだ。 そして、が自分を見ていないのを良いことに散々目を泳がせたが、 不自然な沈黙が続くことを恐れて、気づけば自分でもどうかと思う言葉を絞り出していた。 「……多分一賊の誰に聞いても、ランは曲識大好き人間だって答えると思うっちゃよ。 それこそ恋する乙女レベルで」 「…………」 零崎の鬼子、零崎人識が異様に掴み所のない子どもだとしたならば、 目の前の青年は掴んだ端から逃げていくぬらりひょんのような男である。 それでも、彼が曲識を他の家賊以上に扱っているのは明らかだった。 でなければ、殺す相手を限定している曲識など、憤怒の対象でしかないからだ。 『零崎とは人を減らすために生まれた自然の摂理である』 だから、誰彼構わず殺したくなってしまうし、実際に殺してしまう。 それが零崎。人殺の鬼の一賊。 の主張はそれだった。 ならば、殺人衝動を我慢するという曲識の姿は正しく裏切り者そのものだ。 粛々と殺人という行為を繰り返す、真面目な殺人鬼であるところのが許せる存在ではない。 いや、許せなくても、批難の対象とならないはずがないのである。 それなのに、彼は曲識を守る。 プロのプレイヤーであればある種誇りさえ抱いて名乗るはずの己の呼び名を偽ってまでも。 恥も外聞もなく、彼は当然のことのようにそれを選択した。 家賊であればそれは当然だろう、などと双識あたりは嘯くだろうが、軋識は決してそんなことは言わない。 家賊であったとしても、一賊の害となるなら排除すべきと考える軋識が言うはずはない。 そして、は盲目的に家賊を愛する双識よりも、合理的な判断を下す軋識寄りの考えの人間だった。 だからこそ、の行為は好意によるものだと彼は判断した。 好意――恋により動くことのある彼だからこその判断だった。 けれど、その考えに対しては本心から気持ち悪い、と思ってそうな微妙な表情になった。 やがて、彼はたっぷりと数十秒間黙りに黙った後、 台本でも読み上げる大根役者のように棒読みで軋識を肯定する。 「ああ、うん。好きだよ。うん。大好き大好き。 アス兄がレン兄を大好きなくらいに愛しちゃってるよ」 にっこり、とこの上なく美しい笑顔だった。 「…………」 それ故に、限りなく嘘くさかった。 「……ラン。まかり間違ってもそんなこと口にするんじゃねぇっちゃよ。 うっかりどこぞの変態眼鏡に聞かれたら俺のお先が真っ暗だっちゃ」 「あはははは。アス兄は照れ屋さんだなぁー。そんなところも愛してるよ☆」 「死ね」 いつかとは逆のように忠告を受け、青年はからかうような笑みで躱した。 例え似合わなくとも気が向かなくとも、そう言うに違いない。 ......to be continued
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