恋人になるのはただの一度きり。 Life Is Wonderful?、49 嗚呼、違ぇ。 「何だよあの言葉!?あんなもんでオレが納得すっと思ってんのかよ!」 違ぇって。 「!聞いてんのか!?」 こんなことが言いたい、ワケじゃない。 オレは悪夢のような一週間を過ごし、八戒からようやくの居場所を聞かされた。 家からは駅を何個か行ったところにあるそこは、近くもなく、遠くもなく。 だから、オレは八戒にそれを聞いた直後に、迷うことなくバイクに跨っていた。 すでに勤めを始めている彼女がそう簡単にいなくなりはしないと思う。 けれど、頭で分かっていても理性的に行動できるかと言えば、そうでもない。 そして、気づけば、オレはが今務めているという会社の玄関に立っていた。 で、あとは本人に会うだけだと、受付のオネエチャンに呼び出しをかけてもらうべく、声をかけて。 しかし、次の瞬間。 呼び出してもらうまでもなく、オレは待ち望んだ彼女の姿を見つけた。 その、思ったよりも元気そうな姿にほっとして。 その、思ったよりも元気そうな姿にムカついた。 オレがこんなに気をもんでたっつーのに、何だよ、その面。 自分勝手は百も承知。 だけど、もっと、こう……。 オレがいないと調子が出ないとか、そんなんを少しは期待してた自分がいた。 だから、溢れた。 がいないことによる不平が。不満が。身勝手な、言葉が。 オレはを脅えさせたいワケでも、怒鳴りつけたいワケでも、まして恨み言を言いたいワケでもない。 なのに。 久々に目にしたの姿に。 言葉が溢れて。 止まらなくて。 は、元々馬鹿デカイ会社で、秘書として働いていた。 だから、そういう格好をするのも知っていたし、分かっていた。 けれど、ほとんど見たことのないスーツ姿は、オレの知ってるから遠くて。 分かっていたことなのに、その左手に輝く輪がないことに、驚愕して。 本当に、オレの知るか、分からなくなった。 きっと、そのせいだろう。 その不安を打ち消したくて、場所もの都合も考えずにとにかく口を動かしてしまった。 結果。 なんともいけすかないゴージャスな別嬪(♂)に睨みつけられ。 には拒絶され。 スゴスゴと引き下がらざるを得なくなった。 考えてみれば当然だ。 仕事中にプライベートな客なんて鬱陶しいだけに決まっているし、 何より、その相手が離婚届を叩きつけてきた夫――それも、『元』夫だったりなんかすれば、最悪だ。 ……怯えたの瞳が、思い出される。 テレビで似たような刃傷沙汰が報道されているような時代だ。 きっと、彼女の恐れはそれだろう。 オレが、自分を傷つけに来たと、思ったんだろう。 「ダッセェ……」 思わず、天を仰ぐ。 そうでもしないと、色々と溢れてきたものが零れて、収拾がつかなくなりそうだった。 の中で、オレはそこまで堕ちてしまったのかと。 そんなことをする最低野郎にまで格下げされていたのかと。 思うと。 泣けてきて。 過去の自分の首を絞めたくなった。 振り返ってみても、自分の態度は最低だった。 と離れる為に、敢えて、彼女と逢う前の自分のような行動をして。 その行動に合わせて、態度まで、心まで変わって。 実を言えば、あんま覚えてねぇけど、に辛く当っていたのは、確かだろう。 全部、悪いのはオレだったのに。 本当のことも言えず、を手放したくなかった俺の身勝手が原因だったのに。 そのせいで、の心を失ったなんて、本末転倒もいいところだ。 ――……じょっ くっそ。 そりゃあ、のことを考え続けたオレとじゃ、温度差があんのは仕方ねぇと思ってたけどよ。 幾らなんでも、あそこまでとか思わなかったオレってマジ、馬鹿? ……このあと、どうすっか。 の住んでるところは、分かってる。 けど、確か八戒はそこが社宅だのなんだの言ってやがったし。 下手をすれば、っていうか、下手をしなくても、またさっきの金髪野郎とばったり出くわすかもしんねぇ。 また、あのツーショットを見せつけられる、ことになるかもしれない。 「……チッ」 あれが、例の男、なのか……? 言うだけで胸糞悪ぃが、の『新しい恋』の相手。 顔はオレと違うタイプのイイ男で、稼ぎもあるんだろう、上等なスーツを着ていた。 を庇うようにしていたところを見ると、大いに脈ありだろう。 たった、一か月だ。 でも、オレが今まで付き合った女どものことを考えれば、それは十分すぎる時間で。 もちろん、今までの奴とが一緒だなんて思ってねぇよ。 けれど。 弱っていたに付け入るのなんて、そんなに難しくはなかったんじゃないかと、思う。 は、アイツの前で、泣いただろうか。 いつもいつも、一人で泣いていた。 その涙が見れるのは、オレだけだったのにっ。 沸き上がってきたのは、怒りでも悲しみでもなく。 単純な悔しさ。 ドロドロとした、独占欲。 そんな光景を思うだけで、狂い死にしそうだった。 「…………っ」 嗚呼、ダメだ。 こんな、酷ぇ面じゃ、に逢えない。 また、怯えさせたらと思うと、嫉妬の炎も一気に鎮火するようだった。 いっそ、怯えるをとっ捕まえて、家に連れ帰れたらと思う。 けれど、そんなことをしたら、オレは永遠にを失うだろう。 それだけは、耐えられなかった。 ――ごじょ……っ 嗚呼、考えすぎて、の声が聞こえるような気までする。 そんなこと、あるワケがねぇのに。 「悟浄――っ」 けれど。 何がどう間違ったのか。 「……?」 振り返れば、君がいた。 茫然と、目の前の光景が信じられず、オレは首だけで彼女を振り返った、それはそれは微妙な格好のまま固まった。 は、綺麗に化粧された顔を、息苦しさに少し歪めながら、それでも、さっきとは違う色の瞳でオレを見ていた。 怯えが含まれていない、ワケじゃない。 けれど、大部分を占めるのは、さっきまでの弱々しいソレではなく。 そして、オレが何かを口にする前に、は勢いをつけて俺の背中に飛び込んできた。 「っ!?」 震えながら、それでも必死にしがみついてくるに、どうして良いか、分からない。 どうして、が。 どうして、ここに。 頭の中は疑問と戸惑いで爆発しそうだった。 ただ、確かなのは。 がここにいるという、その一点。 「……、何でだよっ」 嗚呼、でも。 それは、あっていいことじゃなかったんじゃないのか。 「こんなっ……。目立つこと、駄目だろ……っ」 もっと、気の利いた一言が言えればと思わなくもないが、 これがオレの紛れもない本音だった。 切り捨てたはずの男を一度拒絶して、更にそれを追いかけて? そいつに震えながら、しがみつく? そんなの……。 オレの知る、じゃない。 なら、これは夢か? 都合の良い、白昼夢? 拒絶されたショックで、オレってば気絶でもしやがったか? 嗚呼、それなら、納得だ。 だって。 「そんなの、どうでも良いの……。ごめんなさい、悟浄。本当に、ごめんなさいっ」 「さっきあんなこと言ったのに。私が追い返したのにっ。でも、私は……っ」 「私は、貴方と話がしたい。しなきゃ、いけないの」 現実のは、きっとこんなことは言ってくれないのだろうから。 正直、そのあと、一体どこをどう通って、このやたらと緑溢れる公園に着いたのかは覚えていない。 当たり前だ。 不可解で、けれど望むところな態度をとる、離婚寸前の彼女と一緒なのだから。 寸前。それも崖っぷちに人差し指一本でぶら下がっているような状態。 嗚呼、いや、違うな。 もう手は離れていて、でも服か何かが枝に引っかかってる感じか。 全てはその枝――次第。 そして、人気はそれなりにあって、しかし周りには誰もいないような場所に着くと、先を歩いていたは止まった。 つられて、オレも、彼女からほんの少しの距離を空けて、立ち止まる。 たった3歩の距離。 けれど、その距離は彼女には安心を、俺には抑制を与えてくれる、絶対的なそれだった。 「「…………」」 お互いに、どう話し始めたものか、無言で考えを巡らせる。 巡らせているように見えた。 だが、よくよく見てみれば、の肩は何度も大きく上下に動いており。 背中しか見えていないにも関わらず、彼女の緊張と葛藤、躊躇が伝わってくるようだった。 そして、一際大きく息を整えたは、ゆっくりとオレをその瞳に捉える。 瞬きを一つ。 「悟、浄……」 その声は震えていた。 「まずは……ごめんなさい」 「……何がだよ?」 一拍の間を置いた返答が素気なくなったのは、この際仕方がないと思う。 なんつっても、ワケが分からない。 悪いのは、オレだ。 の都合も何も全く考えないで、感情のままに仕事の邪魔をして、おまけに感情的に怒鳴り散らした。 なのに、が謝っている。 きっとオレがあんまり情けねぇ面してたのを見て気にして追いかけて来てくれたのに、震えながら。 一体何が何なのか分からなくたって、無理はないだろ? けれど、謝る彼女の声こそ揺れていても、その瞳はまっすぐにオレを捉えていた。 「……こんな風に、呼びとめて。拒絶したくせに縋って」 揺るがぬ視線に、射抜かれる。 ――悟浄から、逃げだして。 「…………っ」 「逃げちゃ、ダメだったのに。 立ち向かうことができなければ、せめて正面から見据えなきゃいけなかったのに。 ごめんなさい。私が辛いからって、一人でそこから逃げだしたの」 「それは……っ」 それは、当然じゃないのか。 自分のせいで子どもが死んだなんて勘違いをして。 それから、夫は人が変わったみたいに距離を置いてきて。 毎日毎日、冷たくはなくても温かさの微塵もない家に独りで。 それにようやく思い至ったオレでさえ、逃げて当然だと思ったのに。 どうして、もう逃げるのを止めた? さっきまで、あんなに。 と、そこで思い出したのは、さっき見たばかりの金髪の美丈夫だった。 あんな状態で、に対して何かアクションできたのは、他の誰を置いても奴だろう。 そのせいで、は態度を180度変えた? アイツの言葉で? そんなことを考えてしまった瞬間、オレの中で醜い何かが弾けた。 「なんで、いきなりンなこと言い出してんだよ! だったら、ずっと逃げてりゃ良かったじゃねぇか! こんな風にオレの後追っかけてきたりなんかしないで! さっきの野郎と仕事でもなんでもしてりゃ良かったんじゃねぇのかよ!?」 その言葉に、が表情を歪めるのが分かったが、止まらなかった。 はオレのだ。 オレのモノだったのに……っ 自分の意見をほとんど曲げない彼女のそれを変えた男がいることに、無性に腹が立って。 自分が情けなくて仕方がなかった。 「なんで、追いかけてきたりすんだよっ!?」 オレが追う分には、何も問題なかったのに。 それなのに、不意に向かってこられたら、頭ン中グチャグチャで。 嗚呼、そうだ認めよう。 オレはに逢いたかった。 でも、誰かに言われて逢いになんてきて欲しくなかった。 オレがに向ける愛情はいつだって、どこかが何か歪んでいて。 本当なら、逢えただけで嬉しい。追いかけて来てくれたらなお嬉しいはずなのに。 そうじゃない。 そのことに愕然としながらも、それを振り払うかのように、オレは叫んでいた。 だが、それに怯えるかと思ったは、しかし。 「分かんないよ、そんなのっ!」 同じくらい必死に、叫んでいた。 「だって、追いかけなきゃって思ったんだから、仕方がないじゃない! 仕事?そんなものの為に、追いかけないでいたら、一生後悔するに決まってるでしょ!? だって、私は……っ」 一瞬の躊躇。 けれど、は勢いに乗せて、おそらく言いたくなどなかったはずの本心を吐き出した。 「私は、まだ悟浄から離れられてないのにっ」 「っ!」 「悟浄の冷たい目が嫌だった!無関心な声が嫌だった!役立たずな自分が嫌いだった! だから、家を出たのにっ!距離が離れれば、気持ちだって離れると思ってたのにっ!」 彼女が、こんな風に心のままに何かを吐き出したのを見たのは、初めてだった。 それは、酷く痛々しくて。 どこまでも、切なくて。 けれど、何より愛おしい。 オブラートに包まれていた、という人間が、オレの前にいた。 「空っぽの冷蔵庫を見ては気持ち悪くて、独りの夜は寂しくて! どうしても悟浄のことを思い出して……っ それでもなんとかそれをごまかしてた時にいきなり来たら、びっくりして拒絶するに決まってるでしょう!?」 「…………っ」 「おまけに態度は全然前と違うし、泣きそうな表情で潔くいなくなるし! そんなことされたら、追いかけない訳、ない、じゃない……っ」 ぼろぼろと。 涙と感情が彼女から零れ落ちた。 「嫌い!悟浄なんか嫌い!大っ嫌いっ!」 嗚呼、神様。 「悟浄の前じゃなきゃ、もっと色々上手くできたのにっ。 もっと取り繕って、もっと装って、もっともっと、ちゃんとしてられたのにっ」 こんなオレでも、まだ、崖に手が届くらしい。 そして、オレは3歩分の距離を0にした。 思ったよりも抵抗なく、はオレの腕の中に納まった。 柔らかくて。細くて。頼りなくて。 でも、酷く温かいその温度に、知らず知らずの内に笑みが浮かぶ。 「……悪ぃ」 「『悪ぃ』じゃないっ。……も、ヤダ。きらいぃ……」 「あー、が嫌いでも、オレはすずのこと好きだから」 「嘘吐き。絶対嘘。私のこと嫌いなくせに」 「なぁんで、オレがのこと嫌いになんのよ?」 胸板に顔を埋めるには分からないだろうが、オレの今の表情は酷く穏やかで。 「だって、私のせいで……」 その一言にも、一瞬体を固くするだけで済んだ。 そのことに、が気づかなければ良いと思う。 語尾は掠れて消えたが、続く言葉をオレは知っている。 オレだけが、その悔恨を知っている。 だから。 「……自分でも分かってんだろ?自分のせいなんかじゃないことくらい」 優しい優しい声で、君の刺を抜こう。 決して、真実は告げられないけれど。 「嫌うワケ、ねぇよ。オレはずっと、家族が欲しかった。 その家族を嫌うはずなんて……」 「でも!私はその家族を……っ」 「だから、それはのせいじゃない。……なぁ。頼む。頼むから……」 ――これ以上オレから家族を取らないでくれよ。 「!!」 「悪いのはオレだって、分かってんだ。 でも、それでも、オレだって幸せになりたい。好きなオンナと一緒にいたい」 「…………っ」 「……愛しちまってんだよ」 だけを。 世界中に何人イイオンナがいようが、いまいが関係ない。 欲しいのは、一人だけ。 手放したくないのは、という唯一人のオンナだけだった。 もちろん、愛娘だ。あの子のことを、と同じくらい愛していた。 いいや、愛している。 けれど、もう、あの子は、オレ達の手を離れて逝ってしまった。 取り戻せるなら、何をおいてもそうする。 でも、そうじゃないなら。 まだ、この掌から、かろうじて零れおちていないものを、オレは掴む。 「……で、モノは相談なんだけどよ」 「?」 そして、オレは彼女の中にオレの告白が染み込むのを待って、口を開いた。 その、さっきまでとは違う口調と雰囲気に、は怪訝な表情でようやくオレを見る。 それに対して、内心、緊張と不安でビクビクもんだったが、それを押し隠して片目を瞑った。 ――もう一度、オレの奥サンになってくれませんカ? それに対する返答は、ぽかんと、酷く滑稽な表情だった。 流石にその反応に傷つきながらも、を見つめ続けると、彼女は途端に頬を赤く染めた。 ずっと、この幸せな瞬間が続けば良いと思う。 けれど、この恥ずかしい時間が早く終われば良いとも思う。 何時間にも思える時間が一瞬にして過ぎ去る。 そして、 「……なら」 「?」 「恋人、からなら」 今度は、オレが間抜け面をさらす番だった。 「は?」 意味が分からない。 ので、もう一度オレは彼女が紡いだ言葉を反芻してみる。「コイビトカラナラ?」 奥サンと恋人。 それは酷く似ていて。でも、凄まじく隔たりのある言葉で。 その差異を考えると、自分でも自覚するほど気分が落ち込んだ。 えーと、つまりは、もうオレと夫婦として暮らすのは無理だってこと? 自分でも、途端に情けない表情になったのが分かったが。 の方はといえばどこ吹く風といった感じで。 嗚呼、そういえば、彼女は他の人間と若干考え方がズレているのだった、と思いだす。 多くの場合、それは好ましいものなのだけれど。 この場合は、どうだろう。 「きっと、いきなりひとつ屋根の下に戻るっていうのは、お互いに気まずいと思うし。 それに、言ったでしょう?私は新しい恋をするって」 「……それは、さっきの野郎とって意味なのかよ?」 え?さっきのって……三蔵さん?まさか!そんなワケないでしょう? でもね。今までみたいな関係はきっといつか息苦しくなる気がするから。 新しい関係で始めたいの。前とは違って、私の言葉に振り回されるような、悟浄と」 「新しいって……」 思いもかけない言葉に、口がうまく回らない。 思考も明後日の方向へ飛んでった。 けれど、彼女の言葉は、決して忌避するようなものじゃなく。 いや、寧ろ――…… そして、半ば以上茫然としたようなオレを見て。 は、珍しくも意地が悪いような笑顔を浮かべた。 「うん。だから、今までと違って言いたい事をお互いに言えるような恋人に。 一度別れて、また付き合っちゃダメだなんて法律、どこにもないよね?」 ――沙 悟浄さん。私の新しい恋に付き合ってくれませんか? 確信犯のように告げられたその言葉に、オレがどう答えたのかは、きっと考えるまでもないだろう。 恋人になるのはただの一度きり? だったら、「依りを戻す」なんて言葉、要らねぇっつーの。 ......to be continued
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