鬼が相手を捕まえれば、それでゲームは終わり。 Life Is Wonderful?、47 「消えろ、だと?」 「そう言っている」 私の前に、まるで壁のように立ちはだかる三蔵さんを、悟浄は睨みつける。 そこには、さっきまでの慈しみのようなものは一切感じられず、ただただ刺すような緊迫感だけが漂った。 「誰だ、アンタ」 「手前ぇに言う筋合いはねぇよ」 「あ?んだと、手前ぇ……」 あからさまに険悪な雰囲気を漂わせている二人を、社員の人たちは遠巻きに眺める。 なにしろ目立つ二人だから、無理もない。 けれど、この注目のされ方は、私はもちろん、誰にとっても良い状況ではなかった。 だから、二人を止めようと思った。 止めて、と。 止めて悟浄、と。 言おうと、思ったのだ。 でも。 「――……っ」 声に、ならない。 心の中では何度も呼んだけれど。 実際に悟浄の名前を呼ぶのは、一体どれぐらいぶりのことか。 だから、呼んでしまえば。 後戻りができないような気がして。 声にできない。 しかし、私がそうして躊躇する間にも、二人の雰囲気はどんどん悪いものへと変わっていく。 悟浄は突然邪魔をしてきた人に、イラついて。 三蔵さんは、部下に詰め寄る謎の男を警戒して。 私が声をかければどうにかできるはずだけれど。 そうしないが為に、事態は進んでいくしかないのだ。 「俺が用があるのは、そっちの可愛ーい彼女なの。だからどいてくんねぇ?」 「不審者相手に、んな事できる訳ねぇだろうが。湧いてんのか、手前ぇ」 「不審者だぁ?俺はの身内だっつーの」 「ふん。その言葉のどこに信憑性がある。現にコイツは怯えてんじゃねぇか」 その言葉に、悟浄が私を覗き込む。 絡まる視線。 「「…………」」 そして、見る見る内に、彼の真紅の瞳が曇っていくのが分かった。 三蔵さんの言葉が事実だと、気づいたから。 私が怯えているのが、事実だったから。 さっきまでは気分が高揚していて気付かなかったそれに、気づいてしまったから。 悲しみで、その綺麗な瞳が曇っていく……。 そんなもの、見たくなんてなかった。 悟浄を傷つけたかった、わけじゃないのに。 自分を、お互いを、傷つけないために私はあの家から出て行ったのに。 どうして? どうして、上手くいかないの? 私はただ……貴方を幸せにしてあげたかったのに。 その表情に失望が広がるのが耐えられなくて、とうとう私は視線を逸らしてしまった。 「……」 「…………っ」 「……分かったら、さっさと消えろ。目障りだ」 三蔵さんも、この只ならぬ雰囲気に何か察するものがあったのだろう。 早々に悟浄を退散させようと促した。 けれど、もう、悟浄にはその言葉はきっと届いていなくて。 「……。いきなり来て悪かった」 「でも、あんなんで、俺達、終わりなのかよ」 「あんなあっけなく、お前がいなくなるのが俺達の終わりなのかよっ」 いつもの彼からは信じられない位、悲痛な声で悟浄は私に問いかける。 彼が見ているのは私。 彼が話しかけているのは、私だけだ。 もう、その隣に立つ三蔵さんのことなど、欠片も気にしていない。 その事実があまりに信じられなくて、私はやっぱり反応が返せない。 この一か月で、一体何があったの? ずっとずっと、私を見なくなっていたその視線が。 ずっとずっと、私には届かなかったその声が。 どうして今、私の方を向いているの。 「戻ってきてくれ、っ」 それは、体裁が悪いからとか。 そういうのじゃなくて。 心の底から、私を欲しているような、そんな姿だった。 「……いや」 私が望んでやまなかった悟浄が、そこにはいた。 「嫌だ。酷い……」 「……?」 「来ないで!近寄らないでっ!」 けれど、私は伸ばされたその手を、拒絶した。 今更、何?何なの? どうして、私が落ち着こうと。 落ち着いてきたのに、そんな時にこんな幻を見せるの? 戻ったって、きっと同じことの繰り返しなのに。 すれ違いで傷ついて、ボロボロになっていくだけに決まってるのに。 どうして、私をそんな場所に連れ戻そうとするのっ! 「知らない!貴方なんて知らないっ!」 「っ!!」 私の知っている悟浄は、私と顔を合わせるのが嫌で仕事に逃げるような人で。 こんな風に、女の人を追いかけるような人じゃないの。 そうでなきゃ、駄目なの。 こんな、誰かの前でみっともなく、私にすがるような人じゃ、ダメなの。 「帰って!帰って下さい!こんなところに来ないでっ」 私を惑わせないで。 私を迷わせないで。 私を、昔の私に戻さないで。 まるで悲鳴のようなその言葉に。 「そう、か……」 悟浄は、間違いなく傷ついた。 けれど。 「ごめんな。の都合も考えなくて」 彼はそれでも、寂しげに微笑んで。 「でも、俺は待ってるから……。話をしても良いと思ったら、連絡してくれ」 私に、背を向けた。 その、広いはずの背中が、小さく見えて。 私は息が詰まる。 たかが一か月だ。 なのに、あの人は酷くやつれていて。 罪悪感と、後悔と、哀愁が私を襲う。 本当に、この一か月を、あの人はどうやって過ごしたのだろう。 どんな、気持ちで過ごしてくれたんだろう。 結局、引き留めることもできないままに、その真紅の髪が遠ざかっていった。 「……良いのか」 「っ!?」 ぼそり、と。 不意に囁かれた一言に、私の肩が跳ねる。 気がつけば背後に三蔵さんがいて、私を射抜くような視線で捉えていた。 まるで何もかもを知っているようなその瞳に、冷たい汗が噴き出る。 「……別に俺は、手前ぇが何をどうしようと知らねぇがな。 そんな俺でも分かることがある」 ――迷う位なら、追うな。 「!」 「追っても、後悔するだけだ。同じ後悔なら、追わない方がマシだろう」 「違うか」と問われて、でも私は答えが返せなかった。 追おうとなんて、していなかった。 でも、心がざわついて。戻らなくて。 「そうかも……しれません」 どうすれば一番良いのかなんて、分からなくて。 「でも」 でも、もう手遅れ。 「もう、迷っていられないみたいです」 逃げきるには、捕まってはいけなかった。 逃げて逃げて、逃げ続けられなければ、結局、駄目だったのだ。 一度捕まって、逃がしてもらえても。 心はもう、捉えられたままだから。 追おうとなんて、していなかった。 でも。 今にも追いかけそうに、この人に見えたのなら。 「すみません、支社長。午後一杯、年休を下さい」 今度は、きっと私が追いかける番。 今更だと言われるかもしれないけれど。 お互い様だから、良いかな。 鬼が相手を捕まえれば、それでゲームは終わり? いやいや、次は鬼の交代でゲーム続行だ。 ......to be continued
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