身勝手だと罵って欲しかった。
けれど、誰も私を責めてはくれない。






Life Is Wonderful?、44





八戒さんに促されて中に入ると、まずその雰囲気にほっと安堵の息が漏れた。
こんなところでお客さんが入るのか、ちょっと疑問ではあったけれど、 よくよく見てみれば店内はそれなりに繁盛しているようだった。
まぁ、お店自体小奇麗だし、落ち着いたアンティーク調の雰囲気は、好きだなと思う。
とりあえず、良い香りのする紅茶を頼んで、一息ついた。
嗚呼、昔は、飲めもしなかった紅茶を飲むようになったのはいつからだっただろう。
それは多分、ここ数年。
ハーブの香りは心を落ち着けるのだと、誰かに言われたからだっただろうか。

そうしてそんな紅茶の効果を確かめるように深呼吸をひとつすると、改めて向かいに座る人に視線を向ける。
相変わらず涼しげで、優しげで、好ましい人柄を表した瞳が、そこにはあった。
まだ顔色が悪いだろう自分を心配そうにしているこの人が、どうして自分には恐ろしく思えるのか、本当に分からない。
分かるけれど、分からない。


「……そんなに不安そうな表情をされなくても、大丈夫ですよ?」


気づけば、そんな風に口火を切っていた。


「……本当、ですか?」
「はい。ちょっと驚いただけです」


その言葉に、八戒さんはバツの悪そうな表情をしたが、私はそれに苦笑を返した。
そういう表情をするくらいなら、最初から放っておいてくれれば良かったのに。
……この人にはきっとそうすることのできる非情さは、ないのだろう。
そして、同じくらい、そんなにお人好しでもないのだ。
私はこの人の友達の元奥さんで……決して友達ではないのだから。


「最初に……逢いに来るのは、八戒さんだと思ってました」
「じゃあ、予想通りってコトですね。どうして僕だと?」
「……なんとなく、ですね」
「……そうですか」


私の知っている中で、一番行動力のある頭脳派で。
心配性な、人だから。
そう思いはしたけれど、私がそれを口に上らせるコトはなかった。
と、不意に八戒さんは少し離れたところでこっちを心配そうに見つめている悟空を示して言った。


「……本題に入る前に一つお聞きして良いですか?」
「はい。どうぞ」
「あの子とはどういう?」
「こっちでお世話になったんです。良い子ですよ。本当に」


これは、本当のコト。
でも、余計な詮索はするな、という言外の要求も同時に突き付けるものだった。
年下の男の子にお世話になる状況なんて、なかなか思いつけないだろうとは思うけれど、 そこは別に取るに足らないようなことだ。
いちいち教える必要もないし、そんな些細なことまで報告したくはない。

すると、私の笑った表情を見た八戒さんは、一度息を逃がした。
そして、その動作の通りに、言う。


「……正直なところを言わせて貰いますけど、少しほっとしてます」
「え?」



「貴女は……泣いてるんじゃないかと思ってましたから」



とても真剣な表情で、彼は真摯に私を見つめた。
けれど、それに対して私は……、


「どうしてです?」


笑っていた。
くすりとそうした自分はあまりに自然で。
嗚呼、私はこうだった。と今更に思い出す。
最近は笑うことも苦痛になっていたから、自然には笑えなかった。
それを取り戻したのは、つい最近だ。


「私が望んであの人と離れたんですよ?泣くはずがないでしょう?」


その想いも手伝ってそう言うと、八戒さんは思わぬ言葉を返してきた。
はいつも独りになると泣くでしょう」と。

独りで。
誰もいない場所で。
押し殺すように泣いているから。

そう、八戒さんは言った。
胸が波打ったのは、きっと気のせい。


「私、八戒さんの前で泣いたコトなんてないと思いますけど」
「悟浄がずっと前に言ってたんですよ」


その、名前を聞いて一瞬心臓の跳ねた自分が居た。
けれどそれは一瞬で。
表情にも出ない位一瞬で。

八戒さんは気付かなかった。
八戒さんに気付かれなくて良かったと、思う。


「でも、思ったより貴女が晴れ晴れとした表情でしたから、ほっとしています」


相変わらず優しい瞳に、私は微笑み返す。
何てふてぶてしい。
何て厭らしい。
悟浄を捨て置いた私が、笑ってるなんて。



いっそ、誰かに批難して欲しかった。



けれど、目の前にいる人が望んだ罵声を浴びせてくれるような人じゃないのは分かっていた。
一度瞼を下ろし、私は口を開いた。


「自分を削ってまでするのは恋愛じゃないって思ったんですよ」


痛いのは嫌。
苦しいのは嫌。
どうしてわざわざ辛い目に合わなければいけないのか、分からない。
一生分かりたくなんてない。

すると、八戒さんはそんな私の言葉に沈黙した。
一拍の静けさは彼が与えた厳しさか優しさか。


「悟浄は、後悔していましたよ」
「…………」


そんな言葉、聞きたくない。


「僕が此処に居るのも悟浄に貴女を探すように頼まれたからなんです」
「八戒さんなら、頼まれなくても探してくれた気がしますけど」


これは本音。
けれど、無駄な抵抗。


「例えそうだったとしても、それが事実です」


追い詰められていく感覚に、私は彼を真っ直ぐ見つめていた。


「……八戒さんは私にどうしろって言うんです?」


自分勝手な意見は止まらない。


「反省しているから戻れって言うんですか?
私はこのままじゃ自分が駄目になっていく一方だから離れたんですよ。
あの人だけが悪いって言ってるんじゃないんです。
あの人と私が一緒にいるコトが良くないって言ってるんです」


放っておいて。
そんな風に私を揺らすコトを言わないで。
私はあの人を吹っ切りたい。
吹っ切ろうとしている。
だから、そんな気分の悪くなるコトをわざわざ言わないで。


「一度変わってしまった心を元には戻せません」


ふざけないで。


「私、そんなに良い人じゃありません」


ふざけないで。

私は聖母でもキリストでも聖人君子でもない。
我侭だって言うし。
怒らない訳じゃない。
全てを許容できるほど優しくはない。
自分を許せるほど、落ちぶれてもいないつもりだ。


「一度許容範囲を超えてしまえば、許すことなんてできない位、心だって狭いんです」


良い妻になろうとした。
良い母になろうとした。

でも、なれなかった。

私に完璧を求めないで。
私は理想になんて決してなれない。
貴方の幸せを壊してしまった、こんな女は放っておいて。


「八戒さん。私は……」



――『私はもう一度恋をするの』



?」
「もし私に逢ったコトを教えるのなら、そう伝えて下さい」


でも、できるコトなら教えないで。
私は悟浄に逢いたくない。





馬鹿な女だと嘲って欲しかった。
けれど、誰もが私を被害者にする。
そんなこと、望んでもいないのに。






......to be continued