もういーかい。 まーだだよ。 Life Is Wonderful?、41 カタカタと、キーボードを打つ事が響く。 隣の部屋では、支社長が難しい表情で企画部の報告を聞いているはずだった。 なぜなら、プレゼンテーションに慣れているはずの企画部だというのに、その報告書が要領を得なかったからである。 急遽間に合わせで作ったのかもしれない。 だから、表現を吟味できなくて、よく分からない箇所が一部あったのかもしれない。 基本的には要点が強調された分かりやすいものだったから、多分そうなのだろう。 でも。 支社長は企画部長を呼び出した。 詳しい話を聞く為でもあるし、また、『出来る』といったことを期限内に出来なかったことに対する叱責をする為に。 こういう時、上の人は大変だな、と思う。 (ちなみに、観世音社長の場合は、秘書課の課長に全て押し付けていた) おかげで、やるはずだった仕事の予定が少し狂っちゃったじゃない、とこっそり呟いた。 仕方がないので、私は少しでも次の予定に円滑に移れるよう、準備を進めている。 『長』とつくものはなんでも、意外と雑務が多いので、それを整理したり、処理したり。 書類関係は後で支社長の判をもらうだけの状態にしよう、と思い立ち、私は今、パソコンに向かっている。 仕事中に暇つぶしが出来るほど、私は要領だって良くないし、人生を甞めていないつもりだ。 そして、少し肩が凝ってきたな、と右肩を回したその時。 プルルルルルル。 プルルルルルル。 秘書室の電話が鳴った。 基本的に、支社長への電話はここを通してしか繋がらない。 なので、結構な頻度で鳴るのだった。 私は、流石に勤務6日目ともなれば慣れてきたそれに出る。(そもそも、電話取りなんてどこでも大して変わらない) 「はい、社長室です」 『外線の3番に×××××商事の○○様からお電話です』 「はい、分かりました。ありがとうございます」 受け付けた誰かにお礼を言って、外線の3番のボタンを押した。 「はい、お電話かわりました。TOGEN×××××支社、でございます」 『もしもし?』 ――さんですよね? 耳に流れ込んできたその声に、私は凍りつく。 その聞き覚えのある、柔らかい声に。 前は聞く度にほっとしていた、その優しい声に。 どうして、ここが。 だって。 私は。 誰にも言っていないのに。 『もしもし?さん?』 「……っ!」 受話器が耳に張り付いたように、離れない。 叩き切ってしまえば良いということは分かっているのに、そうできない。 『少しの間で良いんです。切らないで下さい』 見透かしたように、そう言われてしまえば。 「…………はっかい、さん」 『事情は悟浄からあらかた聞いています。どうか、切らないで下さい』 ずきん。 「どうして……ここが」 『人間、隠し事っていうは完全にはできないものですよ』 ずきん。 「……探偵も顔負けですね」 『ありがとうございます』 ずきん。 『黙ったままでも良いので、聞いて下さい』 「…………」 『さん、僕は貴女の味方です』 「…………」 『さんが、貴女のことを随分心配していました。僕に、様子を見てきて欲しいそうです』 「…………」 ずきん。 『三日後の土曜、僕と逢っては頂けませんか?』 「…………」 『もちろん、悟浄には何も言わずに、です』 「…………」 『さんはもちろん、僕も貴女の様子が知りたいんです。 どうか、逢って下さい』 ずきん! 「嫌だって……言ったら、きっと会社まで来ちゃうんでしょうね」 ポツリ、と。 何の感情も混じらない、声が漏れた。 我ながら、なんて無機質な声なんだろう、と思う。 熱くもなく。 冷たくもない。 それから、二、三の言葉を交わして、電話を置いた。 指の先は白い。 どうして、という言葉が頭の中を木霊する。 それは、ここの電話番号を知っていたことでも。 今行っているプロジェクトの参加企業の名前を使ってきたことでも。 絶対知るはずのない友人の名前を出してきたことでもなかった。 どうして、放っておいてくれないの? 逃げられると思っていた訳じゃないけれど。 早すぎる、逃避行の終わりに、目の前が真っ白になった。 「!……っ!?」 「?」 ぼんやりと、パソコンの画面を眺めて。 視界の端で、社長室へのドアが開いたな、と思ったら。 血相を変えた支社長が、大股に近寄ってきた。 そんな、怒鳴り込まれるような失敗した覚え、ないんだけど。 まぁ、失敗なんてそんなもの。 自分で気付くものもあるけれど。 大体は、別の人が気付くものだよね。 「何かございましたでしょうか?」 かくん、と首を傾けて、支社長の表情を眺める。 随分と、大きな失敗をしたみたい。 だって。 こんなにも。 焦ったような表情は、初めて見た。 逆境に弱いってタイプでもなさそうだから、よっぽどのことがあったんだろうなぁ。 他人事のような思考に思わず眉を顰めてしまう。 すると、それを見た支社長は鋭く舌打ちをした。 「ちっ……自分で気付いてねぇのか」 「……申し訳ございません」 本当に、何の失敗だろう。 そこまで重大な仕事には、まだほとんど碌に関わっていないのだけれど。 そして、疑問符を浮かべる私には構わず、支社長は携帯を取り出した。 「タクシーの手配をしろ。……あ?…………煩ぇ、とにかく早くしやがれ!」 「……タクシーなら、私が……」 「手前ぇは黙ってろ!!」 そこで、段々嫌な予感が鎌首をもたげてくる。 あんまり酷い失敗をしたから? もう、仕事を任せられないって、そういうことなの? あと少ししたら、クビだって、言われる? もう、来るなって。 ……私には、もう帰る場所なんてないのに。 「ごめん、なさい……」 涙が溢れた。 「次からは気をつけます……だから、だから」 私に何か、させて。 嫌だった。 何もできない自分が。 何もできなかった自分が。 そんな風だから、きっとあの人は愛想をつかしてしまった。 離れてしまった。 もう、あの人は私を必要となんて、していない。 だから、誰かに必要として欲しくて。 会社に縋った。 仕事さえしていれば。 仕事さえ、できれば。 必要としてもらえるから。 それは『 』じゃなくて良いけれど。 でも、やっている間は、それは『私』の居場所になるから。 「お願い……します」 「…………」 気付けば、私は支社長のスーツを握り締めてそう懇願していた。 それに対して、支社長は何も言わない。 何の反応も示さない。 お互い、ただ静かに視線を交わすだけだった。 やがて。 ブー ブー ブー ブー …… 「っ!!」 間近で携帯電話が耳障りなバイブ音を響かせる。 それに対して、私は過敏なまでに反応を示し、怯えた視線を自分のそれへと向けた。 が、鳴ったのは私のものではなく、支社長のもので。 彼は盛大に顔を顰めた後、素早く通話ボタンを押した。 そして、電話を耳に当てた直後。 「今取り込んでんだ!くだらねぇことで、かけてくんじゃねぇクソがっ!」 ブツリ。 大喝だった。 そして、親の敵でも見るような目で携帯電話を見た後、もうかかってこないようにと電源を切ってしまう。 良いのかな、と思う。 いつも、取引先や何かから、頻繁に電話のかかってくるものなのに。 けれど、そんな私の心配には気付かず、支社長はその携帯電話をそのままスーツの内ポケットに仕舞ってしまった。 そして、怖い表情で、私を見る。 その手は、痛いくらいに私の腕を掴んでいた。 「さっきまでの威勢はどうした」 「?何が、ですか?」 「さっきまでの威勢はどうしたと訊いている」 「すみません、よく、意味が……」 「……なら、質問を変えてやる」 ――誰から電話があった。 「!!!!!!」 その一言に、はじかれるように三蔵さんを突き飛ばす。 がしかし、体格と性別の違いもあって、私はその手を振り解くことができなかった。 混乱の中で、必死に何かから逃げようと身を弄る。 放して放して放して放して! 怖い怖い怖い! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 悲鳴で体中がいっぱいになる。 ともすれば、決壊ぎりぎりの感情で、自分がどこかに消えてしまう。 そんな中。 声が。 「答えろ、」 『私』を呼ぶ、声がした。 ――さんですよね? ――答えろ、。 その声に、頭の中の霞が晴れる。 ぴたり、と暴れるのを止めて、私は支社長を見た。 「し……しゃちょ?」 「……答えろ、。何があった」 ぱちぱちと、瞬きを繰り返す。 そして、まっすぐ自分を射抜く紫暗の瞳に、私は。 「ああ……すみません、支社長。なんでもないんです」 笑みを返した。 「手前ぇ……そんなことが通るとでも思ってんのか」 「いえ、実はプライベートで少しトラブルがありまして、取り乱してしまいました。 申し訳ございません。以後このようなことのないように致します」 「…………ちっ!」 上司であろうと深入りのできない『プレイベート』という単語で、逃げを図る。 「それよりも、何か不手際がございましたでしょうか? 先ほど、お声かけを頂きましたが……」 「……なんでもねぇ。それより、今日はもう帰れ」 「?まだ、就業時間内ですが」 「……そんなシケた面してる奴が近くをうろついてると目障りだ」 吐き捨てるような、上司の言葉に。 「?承知致しました」 私は笑みを浮かべたまま、従順に頷いた。 かくれんぼは、いつかは終わる。 さぁ、鬼ごっこの始まりだ。 ......to be continued
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