怖がりで。臆病で。
貴方に『守ってやりたい』と言われたことがある。






Life Is Wonderful?、40





働き始めの三日間は、目まぐるしい忙しさだった。
何しろ、支社長は恐ろしいほどに気難しい。
しかも、入ったばかりだからなんて甘えは一切許さず、「やれ」の一言だ。
時には、全く置いてある場所も分からないものを10分で取って来いなんて指示もある。
これなら、秘書が次から次へと辞めてしまうというのにも納得だなぁ、と思う。
実際、私がどれくらいの期間『もつ』のか、女子社員たちがトイレで話していたのを小耳に挟んだこともある。

確かに、支社長の秘書は大変だ。
忙しいし、怒られるし、毎日クタクタになる。
でも。


「なんだ、このグラフは。これでこっちの意図が向こうに伝わるとでも思ってんのか。
さっさとやり直して来い!」
「はいっ!」


それ以上に忙しい支社長の様子を見ているし。


「……次は何だ」
「はい。企画部からの報告が入るはずでしたが、若干の遅れが生じているようです。
ですので、予定を繰り上げまして、2時からの視察の手配をしておきました。
終了までには必ず報告をあげるとのことです」
「そうか」


なにより、こうして忙しいと余計なことは何も考えなくて良い。
そのことが私には何よりの救いなのだと、気づいたのは昨日のこと。
支社長との付き合い方は中々難しいものがあるけれど。
最初に聞いた通り、話の分からない人ではない。
気遣いのできない人でもない。
だから、確かに大変だけど、苦痛というほどのものは感じなかった。



本当の苦痛は、こんなものじゃない。



働いているのだから、少し位辛くたって、それは当然だと私は思っている。
好きなことを好きにやって生活ができるのならば、多分それが一番良いのだろうとは思うけれど。
でも、それが自分にできるのかと言われれば、無理だ。
多分、私の場合、好きなものを嫌いになってしまう。
ただでさえ、好きなものが限られているのに、それを減らすほど私は酔狂ではなかった。
プライベートはプライベート。
仕事は仕事。
そう割り切ってしまえば、この職場はなんともいえず、理想的なそれだった。
……社長の人柄でも反映されてるのかな?そうも思えないけど。


「オイ、。何ぼけっと油売ってやがる!」
「……申し訳ありません!」


思考に入り込みそうになると、こうして決まって激が飛ぶ。
慌てて、私はまとめた資料を掴んだ。







「今日はもう帰って良い」


その言葉を契機に、私は今までで最長の激務を終えた。
まだ一週間が終わるには二日も残っていることを手帳で確認して、溜め息が漏れる。
最近、怠けていたツケみたい。
流石に、慣れない場所での仕事は、まだうまくいかないなぁ……。

何だか、食事を作る気にもなれなかったので、途中コンビニにでも寄っておにぎりでも買おうかと思う。
そして、何処のコンビニが一番近いだろうと思いながら、会社のエントランスを出ると。


「あ、!お疲れ様!」
「悟空?どうしたの、こんなところで?」


ごくごく自然に、悟空が立っていた。
その屈託のない笑顔に、しばし、目を細める。
いや、だって、さっきまで全く笑わない人と一緒だったから。
なんていうか……眩しい?
もの凄く失礼なのを承知で言わせて貰えば、どうしてあの人が養って、こんな子になるんだろうと思う。
良い子すぎて、あまりに近くにいすぎると、自分が嫌いになってくるけれど。
でも、やっぱり良いものは良いと認めるだけの度量は私にもあったらしく、今回は普通に接することができた。


「大学がこの近くなんだ。今までサークルの飲み会呼ばれてたんだけど、三蔵が会社来いって言うからさ」
「え?じゃあ、飲み会抜けてきたの?大丈夫?」


時計を見ても、まだ一次会の途中くらいの時間だった。
6時位から始まったのなら話は別だと思うけれど、流石にもう少し遅い始まりだったはず。
あまり早く帰ってしまうと元が取れない上に『付き合いの悪い奴』という悪評が立つこともある。
思わずそう心配してしまったけれど。
それに対して悟空は「別にオレのサークルじゃねぇし、食いもん全部食ってきたから大丈夫」と胸を張った。

それにしても、そんな風に養い子を会社に呼び出すような用事って何だろう?
そう思っていると、悟空はひょいと気軽に私の鞄を手にした。


「んじゃ、行くか。
「え?」


行くってどこに?

訝しげな私の視線に、悟空は不思議そうな表情で首を傾げた。


「なにしてんだよ?
「なにって……。悟空こそ、何処行くの?」
「?何処って家に帰るに決まってんじゃん」
「え……?だって、今……」


三蔵さんに呼ばれたって言ってたのに。

そして、私が全く動こうとせずに見つめてくることに気付いた悟空は、私の手を取って歩き出した。
別に無理矢理という訳でもないのだけれど、よく事情の飲み込めない私としては、引っ張られるままについていくしかない。


「ひょっとして聞いてないのか?三蔵が、のこと送ってけって言ったんだけど」
「……えぇ!?」


思いがけない言葉に、声をあげてしまう。
一体、どうして……。


、まだこの辺慣れてないだろ?それに、もう暗いし」
「確かに、そうだけど……」
「本当は自分が送ってくつもりだったみたいだけど、急ぎの仕事が入ったんだって。
それに、疲れてるみたいだし、『倒れられても困る』って」
「…………」
「三蔵って案外フェミニストだからさ」


珍しく、少し苦笑した悟空。
そして、その言葉に私は言葉もない。
不意打ちにもほどがある。


「どっかで飯でも食ってく?まだ食ってないだろ??」


あんな無愛想な表情をしていたくせに。


「この近くに24時間のファミレスあるから、行ってみる?あそこ、グラタンが美味いんだよなー」


『倒れられても、困る』?
疲れてるのは、貴方にこき使われているからなのに?


「……?」
「……ごめん、悟空。私も仕事残ってるみたい」


心配そうに顔を覗き込んできた悟空に詫びて、私はくるりと踵を返す。
疲れたなーとか。
お腹すいたなーとか。
思うけど。
仕事なら、仕方がないよね。

ふっと笑ってそう言えば、悟空もあの人懐こい笑みを浮かべてくれた。


「んじゃ、オレも手伝ってこーっと」


その一言は、驚くくらい白々しいものになってしまったけれど。







そして、悟空と二人で支社長室に乗り込んでみると、当社比1.5倍くらい機嫌が悪そうにこちらを睨む支社長がいた。
これは……間違いなく威嚇されてるんだよね。多分。


「何しに戻ってきやがった」


地を這うような低い声だった。
が、今は私も生憎機嫌が良くない。
少なくとも、にっこりと笑みをを浮かべるくらいには。


「いえ、仕事がまだ終わっていないというお話を伺いましたので」
「あぁ?手前ぇ、猿……」
「べっつにー?オレ、何も言ってねぇけど?」
「じゃあ、何でここにいる」
「腹減ったから、三蔵に奢ってもらおうと思っただけー」


な?と同意を求められて、私は「だそうです」と礼儀正しく返答を返した。


「……オレは帰れと言ったはずだ」
「いいえ?おっしゃられていませんが」
「なに……?」



「『帰っても良い』との指示は頂きましたが、『帰れ』とは言われた覚えがございません」



にっこり、と観世音菩薩社長の下で手に入れた笑顔を浮かべる。
あの社長をあの手この手で動かしてきた私だ。
2年もすれば、いい加減タフにもなる。
確かに支社長はガラが悪いし、態度も大きいし、言葉遣いだって乱暴な人で怖いけれど。
社長よりずっと勤勉だし。
言葉は通じるし。
突飛な行動だってしない。
それに、社長と同じで、結果さえ出せば文句は言わない人だから。


「悟空の空腹を満たすためにも、仕事をさせて頂きます」


私はそう言って、支社長の机の上に散乱していた書類を奪い取った。

そして、その30分後。
にこにことこの上なく幸せそうにグラタンを頬張る悟空と。
むすっとだんまりを決め込んだ三蔵さんの姿を、私は見ることになる。





私は守られるほど弱いつもりもないのだけれど。





......to be continued